SCENE#2◆「示された路」
徐々に明らかになっていく事実に、翔と葵は何を想うか?
■この世の彼方の島/知恵の女神の神殿
『何をすべきなのか――どうか、私たちに助言をお願いします』
葵のその言葉を聞いて、知恵の女神はその端正な顔に微笑みを浮かべた。
「神和姫葵――貴女の果断な行動に、
三奈瀬翔――貴方の聡明な思考に、
わたくしは感謝と敬意を表します」
「え、と・・・」
その笑みは、恰も端麗な月光の輝きに似た透明感に満ちていた。その声は、心地よい音楽の様な調べに聞こえる。
翔は、その輝く碧の双眸に飲まれて、急速に鼓動が高まっていくのを感じた。
葵とて例外では無かったのだが、その深淵に溺れぬよう、辛うじて踏み留まっている。
無論、知恵の女神が二人を誘惑している訳ではない。
要は、だてに“女神”を名乗る訳では無い、と言うところなのだろう。
「“神杯”は持っておりますね」
「はい」
あの騒動の中でも無くさなかった学生鞄をパチンと開けると、葵は鈍く光る小さな金のゴブレットを取り出した。
「よくぞ護り通しました、葵。その“神杯”がこちらに有ることで、“天秤”もわたくしたちにとって多少有利に傾いてくれるでしょう」
気を許すことは出来ませんが――と知恵の女神は結んだ。
「・・・状況が私たちに有利である内に、次の手を打っておく必要がありますね?」
考えを纏めるような疑問形での葵の問い掛けに、知恵の女神は頷いた。
「葵の言う通りです。この小さな一歩を更に確実にする為に、“神杯”だけではなく、“聖符”をも手に入れる必要があります」
「“護符”?」
耳慣れぬ言葉に、翔が敏感に反応する。
「“神杯”と対になるもので、“神杯”の力を制することが出来るようになる“神遺物”(ARTEFAKTE)です」
「“神遺物”・・・」
「えぇ。“神杯”だけでもそれなりの力は発揮しますが、“神杯”と“護符”の二つが揃ってこそ、本来の力を発揮します」
「早い話、“歪み”を正せる様な強大な力を、それを持つ者に与えてくれるのさ」
「・・・それって、個人が持つには大き過ぎる力なのでは?」
誤用されたらどうするんですか、とお気楽に言うリュオンに翔が突っ込みを入れる。
「大丈夫です、翔。“神杯”も“護符”も、その力を発揮する為に幾つもの条件があります。何処でも自由に力を発揮できると言う訳ではありません」
「プロテクトが掛かっている、と言うことですしょうか?」
「その理解で正しいです。もっとも、大理が影響されていることで、その“保護”が何処まで保持されるかは不明です」
翔と葵は思わず顔を見合わせた。
女神の話が進む毎に、状況が厳しくなっていく。
「・・・これも、時間との勝負、と言う風に僕は理解したのですけど・・・」
「奇遇ね、翔くん。私も同じ結論に辿り着いたわ」
ちょっと溜息を付きたくなった二人に、知恵の女神はやんわりと言った。
「時間は、わたくしたちの利にもなり、害にもなります。翔、葵――あなた方が“力”を振るえることに疑問を持ちませんか?」
「“力”ですか?」
葵は、自分の腰に吊った剣を見ると、はっとなる。
「もしかして・・・“歪み”が原因で、私たちにも“力”が使えるようになったと言うことですか?」
「えぇ。勿論、誰にでも“力”が使えるようになる、と言う訳ではありません。素養と切っ掛けが無ければ、その者に“力”は付与されません。そして、その力は“歪み”が大きくなるにつれ、強くなっていきます」
知恵の女神の説明に、葵は脳裏に浮かんだ嫌な想像――それを恐る恐る口に出してみる。
「女神さま――その“力”と言うのは・・・」
葵が皆まで言う前に、知恵の女神は深刻な表情を浮かべて頷いた。
「既に“力”を持つ者にも――影響が出るでしょう」
「それが“ソイツ”の目的だろうさ。より一層の“力”を持つ――恐ろしい事態だぜ」
渋面を作ってリュオンが言う。
「良からぬ想いを持つ者が分不相応の“力”得ると、個々の世を統べる“理”(ことわり)だけではなく、“祖父”の定めた“大理”(おおいなることわり)にまで影響を及ぼす力を得るでしょう」」
「そうなりゃ、全ては“ソイツ”の奴隷だぜ。“ソイツ”の意志が“大理”に取って代わるんだからな」
暫し、辺りを沈黙が支配した。
黙ったままで難しい表情を浮かべる葵。
顎に手をやり、聞いたことの理解に努める翔。
腕組みしながら、不敵な笑いを浮かべるリュオン。
憂いを帯びた表情の知恵の女神。
その沈黙を破ったのは、葵だった。
自分の想いを確認するかのように、ゆっくりと噛み締めるように言葉を発する。
「・・・新しい“絶対的存在”が生まれることを、どうしても阻止しなければいけない・・・その為に選ばれたのなら――私は躊躇はしない・・・」
「良い覚悟だ、アオイ」
口端に笑みを浮かべてリュオンが言った。
「僕も、葵さんと同じ想いです。概念上であるなら兎も角、本当の意味での神など要りません。・・・あ、っと。失礼しました」
何を口走っているのか――翔は慌てて知恵の女神に謝罪する。
「あくまでも、僕たちの世界に於いて、と言う意味です。女神様の存在を否定するものではありません」
「ふふふ、いいのですよ、翔。あなた方の世界では、“神”からの干渉がほぼ皆無です。人の手に余る存在を欲さないのは、ごく自然な想いでしょう」
穏和に笑みを浮かべる女神に、翔は胸を撫で下ろした。
「よかったなショウ、暴言を吐いた相手がやっさしぃ女神さんで」
ニタニタ笑いながら言うのはこの人――伝説にも謳われる漠羅爾旧王朝の高祖、リュオン・バクラニ。だが、今のリュオンの姿から、誰がその様な高貴な身分を想像できるだろうか? にやつき顔を見ている限り、只の変な兄ちゃんにしか思えない。
「女神さま」
気を取り直して、葵が聞いた。
「先程お話しされたように、“護符”を取り戻すことが先決だと思いますが、その後はどうすれば良いのでしょうか?」
「“神杯”と“護符”が揃うこと、これがまず第一の条件です。この二つを揃えた後は、この歪みの原因である“原初の中心”(Concordant oposition)に向かい、全ての歪みを正す必要があります。そこに行く為には、まずは“影の回廊”で“彼方への門”を開く必要があります」
「影の回廊か――容易ならん場所だな」
珍しく、真剣な表情でリュオンが言った。怪訝そうな表情で翔が聞く。
「それほど、なんですか?」
「あぁ。今のお前さん達の実力では、仮に“神杯”と“護符”が揃っていても、影守たちに鎧袖一触だろうな」
「影守?」
「“影の回廊”に挑んだ連中のなれの果てさ」
ごくり、と翔は喉を鳴らした。
「・・・それでも、行かねばならないのでしょう?」
囁くように、そっと葵が言う。
「そうだな。だが、まだ多少の時間はある。この島の時間軸は、他の場所とは異なる。“大理”の支配するこの場所は、“大理”が許すだけ留まることが出来る。その間の時間は、原質界では止まったままだ」
「時間の外にあるというの?」
葵にリュオンは首肯する。
「もっとも、ここにどれだけ留まれるかは判らない。それは、“大理”のみが知ることだ。だから、数日以上の長い計画は立てられない。最重点を一つ決め、後は日々で対応していく事が肝要だな。その範疇で、お前達を鍛えなきゃならないな」
「それには、わたくしもお手伝いできると思います」
「女神さまが?」
「はい。“大理”の許す範囲に於いて、わたくしが二人に魔導を手ほどき致しましょう」
「そりゃ心強い。それなら、オレは白兵に特化することにしよう」
不敬にも当たるようなニヤリ笑いを知恵の女神に向けるリュオンに、翔と葵は呆れたように脱力した。
☆☆ SCENE#3に続く ☆☆
大変お待たせ致しました。漸く、更新まで漕ぎ着けました。書いては消し。書いては消しの繰り返して、現状でもどうかと思う出来ですが、これ以上お待たせするのも忍びなく思い、アップする事に致しました。相変わらずの亀ペースが続きますが、今後も更新して参ります。宜しくお願い申し上げます。