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その6


 明峰学園は面積が広いために校門がたくさん置かれてあった。

 まず正門扱いをされる規模の大きな門が円を描くよう東西南北に四つある。それなりのものが北から東の間に等間隔で九つ、東から南の間に九つと用意されていた。九つの内のひとつは完全に車輪専用で、人と車輪で併用されるものがふたつある。東のE門は人間の歩行専用だ。

 部室のある旧校舎から東のE門まで全力疾走しても、常人ならば五分以上はかかる。

 東のE門の辺りまで辿り着くと、すぐに一際目立つ人だかりを発見した。二〇人はいるだろうか。迅晴はあそこにいるはずだ。目的地はもうすぐ。指定時間まで残り数秒。ようやく理闘は忘れていた呼吸機能を取り戻し、肩と咽喉を激しく上下させた。

 そうして廊下の窓を閉め忘れたことに気づき、携帯電話の通話終了ボタンを押していないことを思い出す。迅晴は通話を切っているだろうが、この場合料金はどうなるのだろう。

 この際どちらでもいい。電話の契約者は、部長権限を使って理闘ではなく儷にしてある。どうせ請求は儷に送られるのだ。

「ざまあみろ」

 重荷を乱暴にポイと放り捨て、地面に転がる儷に向かって思いきり舌を出した。リュックを背負い直し、流れる汗を無造作に腕で拭いながら人波を掻き分け、迅晴の姿を探す。

 迅晴は人だかりの中央で、情報通り刃物を持った男子生徒と対峙していた。迅晴の手には珍しく何も握られていない。しばらく膠着状態が続いているのか、どちらも動かなかった。ふたりの距離は土俵で睨み合う力士ほどしかない。

 中央のふたりと、遠巻きで輪を作る見物人たちとの距離はかなりある。野次馬根性は人一倍あるくせに、自分に危害が及ばない距離を知悉している小市民どもばかりだ。最前列でショーを見学している生徒を押し退け、理闘は疲れた足をどうにか前に押し出した。

 助け船が到着したことに気づいたのか、迅晴は特撮ヒーローのように歯を見せて笑う。理闘はつかつかと近寄るとリュックを迅晴の懐に押し込んで、無感情に右手を差し出した。

「五千円ちょうだい」

「後でな」

 迅晴は相手を睨めつけながら、器用にリュックを開けた。理闘は容赦なく迅晴の後頭部に上段蹴りを繰り出す。

「約束は約束でしょ。早く出しなさいよ」

「バカかお前! 状況を見てから言えよ。あいつ、刃物持ってんだぞ!」

 迅晴は左手で後頭部を押さえ、右手で正面に立つ男子生徒を指差して怒鳴る。理闘は男子生徒を値踏みするように視線を這わせた。ふん、と鼻を鳴らす。

 確かに刃物を持っている。しかし通信販売で数千円の代物ではないか。刃は十センチに満たない二つ折りのもので、人を刺し殺せる厚みもない。

 しかも男子生徒の容貌が、これまた頼りない顔をしていた。加工していない黒い髪が寝癖のようにはねているし、栄養失調かと疑うほど頬がこけている。過剰な興奮のせいで目の焦点が合っていないし、口角からは白い泡が出ていた。病院へ行けば受験ノイローゼだと診断されるだろう。どの角度から観察しても理闘の加勢が必要だとは思えない。思いたくない。

 理闘は改めて右手を出した。

「早く五千円」

「だから待ってろよ。あとでやるから」

「ふざけないでよ。ちゃんと五分で来たじゃない。しかも寝てる儷をおぶって全力疾走してきたのよ! この労働力をどうしてくれるのよ。料金上乗せしてくれんの!」

「そんなの俺が知るかよ。儷が寝てたなら置いてくれば良かったじゃねえか」

「あんたがふたりで来いって言ったから連れてきたんでしょ!」

「ああ、うるせえ」

 迅晴はポケットに差し込んだ長方形の財布から千円札をきっちり五枚だけ抜き出した。理闘は笑顔でそれを回収すると、滑るような足取りで身を翻す。迅晴は目を疑いながら理闘の後ろ姿を慌てて引き留めた。

「つーか、なんで帰るワケ?」

「はあ? ちゃんとリュック持ってきてあげたでしょ。五分以内に」

「普通さ……こういう場面で仲間を見捨てて帰らねえだろ」

 迅晴が顔を寄せて、こっそり耳打ちしてくる。

「こっちこそ逆に聞きたいわね。どうしてまともに相手してんのよ。刃物持ってるんでしょ?さっさと逃げればいいじゃない。あんた得意でしょ、そういうの」

 理闘はやや呆れ気味につぶやいた。

 フェクト・レスの部員である上条迅晴は、はっきりいって卑怯者だ。自分の身が危なくなると、人間としてやってはいけないような行為まで平気で実行する。一対一の男同士で、拳を交えて熱く殴り合うことなど、神が死んでもありえないだろう。

 例えば、迅晴の前に屈強な敵が現れたとする。相手の能力が強大であればあるほど、迅晴は己の保身を最優先することに躍起になる。正義を信じて果敢に戦うよりも、最短距離で逃走できる経路を即座に探すだろう。仮に、近くに愛する恋人がいたとしても結果は同じだ。反対に彼女を餌にしてさっさと逃走するかもしれない。そんな男だ。その迅晴がここで刃物男と長く相対している事実が、理闘には不思議でならなかった。

「バカ。観客がいっぱいいるだろ。見せ場だよ見せ場」

 迅晴が周囲に目を巡らせたので理闘も自然とそれを真似た。妙に納得する。野次馬の八割方が女生徒だった。

 卑怯者な上に迅晴は無類の女好きである。女の子の容姿や性格に好みらしい好みはないが、とにかく女の子が大好きで、性別が女であれば誰でもいいらしい。

 はじめは貧弱な刃物男など、ひとりですぐに倒せると考えたのだろう。だが思わぬ苦戦を強いられ、理闘に救援を寄越したわけだ。――馬鹿らしい。

「どうでもいいけど、あんまり騒いでると警備隊がやってくるわよ。言っとくけど、面倒はごめんだからね。もし警備隊に捕まったら、あんたの罰金だけじゃ許さないから」

 理闘は指を突きつけ、厳しく釘をさした。

 広い学園には膨大な数の人間が溢れている。時には人間と人間の中に摩擦が生じ、諍いが起きるのも必然だ。生徒たちの間で意見が衝突することもあるし、気に食わない人間や生理的に拒絶したくなる人間もいるだろう。なので喧嘩も起きる。

 本来ならば派出所が幾つか存在しても不思議はないほど、明峰学園は広大な敷地を誇っている。だが私立学園に警察の介入が許されるわけもなく、学園は民間業者から数個の警備団体を雇っていた。それらに逮捕されると当然ながら停学や退学処分を受けることもあるし、時に罰金処罰を課せられることもある。罰金は回収するものであり、払うものではない。

「わかった?」

「なら手伝えよ。二千円払うから」

「お断り」

 迅晴のつぶやきを無視して立ち去ろうとした瞬間、背後から僅かな風圧が追いかけてきた。

 反射的に避けながら振り返る。貧弱な男子生徒が理闘の頭目掛けて刃物を振り下ろしたらしかった。思ったよりナイフの使い方に慣れていない。そもそも握り方が間違っている。

 彼が近くに迫っていたことは気配で察していた。だが気に留めなかった。彼の刃物に殺傷能力などないし、彼の目的は迅晴であって理闘ではないのだ。理闘が相手をすれば、簡単に決着はつく。だが男子生徒は間違いなく怪我をするだろう。治療費を請求されては困る。

 理闘は大きく溜息を吐いた。

「他人事だから静観してようと思ったのよ?」

 理闘は冷ややかな目で男子生徒を見やった。彼はぶつぶつと何かをつぶやきながら、理闘ではなく理闘を素通りして遠くを見つめている。正気ではないことは一目でわかった。だがこのまま放置しておけば、野次馬の中から被害者が出るという最悪の事態も考えられる。

 理闘は拳を柔らかく握りながら、体勢を低く身構えた。

「けど――あなたが先に敵意を見せたなら話は別よ。これは正当防衛だもの」



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