その4
今のところ、ふたりが同じ部に所属しているということしか接点が見つからない。だが深く追求していけば、他にも趣味の一致や旅行先の一致などの接点はあるかもしれない。共通の友人がいないとも限らない。
新聞の束に埋もれたふたりのファイルを取り出そうとした瞬間――戸口をノックする音が聞こえた。新たな依頼人だろうか。理闘は間延びした口調で「はーい」と呼応する。
戸口の向こうには、見覚えのない顔をした少年が立っていた。
まず目を奪われたのは透き通るような淡い金髪と碧色の双眸、それに白皙の肌。彼は頭に高いシルクハットをかぶり、全身は黒いタキシードに覆われていた。まるでマジシャンのごとき格好で、手にはステッキまで持っている。
彼は悠然と一礼すると、紳士然とした微笑みを見せた。
「誠にすまぬが、少し邪魔しても構わぬか?」
「はあ、どうぞ」
その風貌とは裏腹な侍じみた彼の口調に、理闘は呆気に取られた。どの角度から観察しても純粋な日本人ではないことは一目瞭然である。明峰学園には多くの語学学校が取り揃えられているので、高等部ではなくそちらの生徒だろうか。
理闘は気を取り直して営業用の笑顔を浮かべると、ペンを握り直した。行方不明事件は正式な依頼ではないのだし、懸賞金よりも報酬が高いならば彼の依頼を優先しよう。彼の外見から察するに、実家はかなりの資産を所有しているものと推測できる。
少年が落ち着きなく室内を見回していたので、ソファを薦めたがあっさりと断られる。少年は理闘に目もくれずにまっすぐ儷の元へと歩み寄った。
「久しぶりではないか。すこぶる元気でおったか」
彼は儷の十字架を手で弄びながら、喜色満面で語りかける。儷の知り合いなのだろうか。理闘は小首を傾げながら、おずおずと話しかけた。
「あのう、知り合いの方ですか?」
「うむ。知り合いも知り合いでござる。はるか昔にからの知己というべきか。昔……共に語り合った昔馴染みというところか。ずいぶんと久しぶりに逢うな。とても懐かしい」
「なるほど、儷の幼なじみですか」
新しい紙を引っぱり出し、それに日付を記入してから簡単な走り書きをしておく。
理闘は高等部から学園に編入したので、儷と知り合ったのは今年の春だ。なので、儷の過去に詳しくないしあまり聞いたこともない。腐っても鯛。儷はあれでも医者の息子なので、子供の頃から海外旅行に出向く機会もあったろう。もしくは別荘くらい持っているかもしれない。外国人の友達がいても不思議はなかった。
少年は身長が低いせいで、儷よりもずっと幼く見える。英語ではない外国語を流暢に操っていたが、残念ながら理闘には聞き取れなかった。彼の母国語だろうか。爪先立ちしながら懸命に話しかけているものの、儷は眠ったままで一向に起きる様子がない。少年がそれに気づいていない訳はないのに、時間を惜しむように早口で語りかけている。見かねた理闘は、彼の自尊心を刺激しないよう柔らかく指摘してみた。
「知ってるとは思いますけど、儷は今寝てますよ?」
「うむ。そのようでござるな」
気づいていたらしい。だがそれでも少年は返答のない儷に、忍耐強く話しかけている。儷が立ったままの姿勢で寝ていることに僅かな疑問も抱いていないようだ。子供の頃から儷は変人だったのか、そんな儷を受け入れる彼が寛容なのか。
理闘は大きな溜息を吐くとひょっこりと肩を竦めた。
「起こしましょうか? 一発がつんと殴れば、すぐに起きると思いますけど」
「かたじけない。だが、私に気遣いは無用でござる」
「はあ……」
とはいえ、彼は依頼人なのだからそろそろ依頼内容を窺わなければならない。仕方なく理闘はそのままの距離を保ちながら、ゆっくりと質問してゆくことにした。
「あなたのお名前は?」
「うむ。人は私をサンハクと呼ぶ」
どこの国の名前かわからないので、片仮名で素早く紙面に書き込む。
「それではサンハクさん、ご依頼内容の方をお願いします」
「む。サンハクさんと呼ぶのはおかしい。仰々しいではないか。サンハクで充分だ」
本来ならば、依頼人が許しても呼び捨ては失礼な行為に当たるのだが、彼は外国人なので文化が違うのかもしれない。面倒臭いので、理闘は彼の希望通り呼び捨てることにした。
「では、ご依頼内容の方をお願い致します」
「依頼?」
サンハクは首だけで振り向き、たった今理闘の存在に気づいたような視線を向けた。理闘は殊更に営業笑顔を強めて、爽やかな仕草で頷く。
「はい。私どもフェクト・レスは、お客様には解決困難な問題やお悩みを速やかに解消することを目的に運営しております。報酬はまずお客様から希望額を提示して戴いてから、双方の話し合いの末に取り決めたいと……」
フェクト・レスを訪れる依頼人たちは、ここを怪しい集団ではないかと疑いながら門を叩く者も少なくない。はじめはそんな不安を解消させるために、懇切丁寧な説明をしておく。
「報酬とはいっても、法外な金額を戴く訳ではありません。お客様の御支払い能力に見合う値段で結構ですので。もちろん、依頼内容によっては報酬の他に経費も請求する場合がありますから、そちらの方は事前に承知しておいて戴きたいと思います」
サンハクは不可思議な動物を見つめるように首を傾げた。それほど日本語が堪能ではないのだろうか。外国人から依頼されることがはじめてなので順調に進まない。
「意味がわからぬな」
「はい。ではもう一度はじめから説明させて戴きます」
理闘は引きつりそうになる口許に力を込めた。
「そうではない。依頼など知らぬ。私はただ古い友人に逢いにきただけだ。久しぶりに顔を見せにきただけだ」
サンハクは歯切れ良く言い切ると、滑らかな動きで首を儷の方向に戻した。その剛胆すぎる物言いに、思わず理闘は絶句する。これまで辛抱強く笑顔を取り繕ってきた理闘だが、その笑顔が凍りついた。頭の神経が数本切れてしまったみたいに思考が停止している。
サンハクは儷に向かって、まだ何かを語りかけていた。その表情は実に楽しそうで、昔を懐かしんでいる心情が理闘にも伝わってくる。しかし――どうにも解せない。話の内容はともかく、儷が眠ったままで会話が成立しているのか。まさか睡眠学習の応用ではあるまい。どちらにしろ、地球人には異星人が理解できないということか。
理闘は押し寄せる脱力感を拭えなかった。依頼人ではないのなら、はじめからそう言えばいいのだ。言葉の問題があるにしろ、それくらいは説明できるだろう。
ペンを机に放り投げると、理闘は密かな決意を固めた顔つきで立ち上がった。サンハクの隣に並ぶと、迷いなくその手を差し出す。
「時は金なりって言葉を知ってる? 時間は貴重なものなの。時間を使うだけでお金を消費したことと同じだけの価値があるってことよ。あんたが依頼人であっても、依頼人じゃなくても関係ないわ。私はあんたに接客した。だからその分の時間給は払ってもらうわよ。私は短い人生の貴重な時間を無駄にしない主義なの。一時間千円の計算で、あんたに十五分つき合ったからぴったり二五○円。わかるわね?」
「うむ、わかる」
サンハクが素直に了承したことが意外で、逆に理闘が目を丸くした。普通の人間ならば、理闘の訴えは不当だと主張して支払うことを拒否する。ごねてごねて、さんざん揉めた末に最後には実力行使に及ぶ輩も多い。
「しかし誠にかたじけない話だが、私は日本の金を持っておらぬのだ。すまぬ」
その逃げ道があったか。理闘は僅かに感服したが、その程度の言い訳で彼を逃しては部長の沽券に関わる。理闘は静かに首を振った。
「だめよ。あんたが持ってないなら、儷に借りればいいじゃない」
「眠っているではないか」
サンハクは叱られた犬のように情けなく眉を下げ、理闘と儷を交互に見比べた。理闘は腰に手をあてて、さらに語調を強める。
「なら、明日にでも払いに来る? その服なりステッキなりを担保にするならいいわよ」
「これは困る」
サンハクは狼狽した動作で、侍が剣を腰にさすようにステッキをベルトに差し込んだ。
味気ない黒い杖の先に小さな珠がついていた。表面は光沢のあるサフラン色をしており、中には粒になった硝子がいっぱいつまっている。理闘の鑑識眼はステッキに値打ちを見出せなかったが、サンハクにとっては大切なものであることは間違いない。充分に担保として使えそうだ。野獣めいた理闘の視線を察知したのか、サンハクは慌てて内ポケットに手を突っ込んだ。
「そうでござる。金の代わりにこれで勘弁してもらえぬか」
サンハクが差し出したのは、親指と人差し指で輪を作ったくらいの真っ黒い小石だった。それを吟味するように眺め回してみたが、普通の小石にしか見えない。
「何よこれ。馬鹿にしてるわけ?」
「それは日本でいう金剛石でござる。金剛石は西洋でダイヤモンドと呼ばれている、非常に価値の高いものなのだ」
金に目がない理闘は、当然ながらダイヤの価値くらいは知っている。理闘はリズムを取るように小石を掌で転がしながら、サンハクをじっと見つめ返した。
「ふざけてるわねえ。これのどこがダイヤなのよ」
「数日後には金剛石に変身する予定なのだが……それでは足りぬのか。不満なのか」
理闘は疲労感の漂う溜息を吐きだした。
彼がしごく真剣な顔で応答していることが、哀れになってきた。
「私を簡単に騙せると思わないでほしいわね。教えてあげる。頑張ってるみたいだけど、あんたは詐欺師に向いてないわよ」
「嬉しいでござる。私は昔、詐欺師と間違えられたこともあったのでな」
室内に響き渡るほどの声量で、サンハクは鷹揚に笑った。さすがは儷の友達だ。類は友を呼ぶ。現実を受け入れずに我が道を突っ走り、物怖じしないところなどそっくりだった。
「気にいったぞ。特別に良いものを見せてしんぜよう」
ひとつ頷くと、サンハクは手にしたステッキを理闘の立つ方向にまっすぐ伸ばした。何が起こるのかと身構えて待ったが、ただそれだけだった。
サンハクは皺ひとつない頬を緩めて、自信満々に胸を張る。
「どうだ。先ほど渡した石をもう一度見てくれぬか。それが代金でござる」
理闘は言われるまま掌で転がっていた小石を確かめた。さっきまで黒く濁っていた小石が、透明度のあるダイヤに変身しているではないか。
感触や重さに変化はない。だが先ほどの形より、鋭角な突起が増えた気がする。何が起こったのだろう。理闘は生きている脳細胞を活躍させて、事態の究明を急いだ。
これほど大きなダイヤを直に見る機会は今までなかった。これほど大きなダイヤは稀少で滅多に出回るものではないし、こうも簡単に他人へ譲渡するはずもない。
「つまり硝子玉ね」
窓越しに太陽へと翳しながら、単刀直入に理闘は答えを弾きだした。キラキラと光って綺麗ではあるし、加工して女生徒に売れば買い手はつくだろう。しかしそういった商売は本職ではないし、加工料がもったいない。
「えい」
理闘は窓を開けて、躊躇なくそれを天高く放り投げる。遠投は得意だった。太陽の反射で美しく輝いた偽ダイヤは遠近法に従って縮小していき、やがて空中に溶けて消えた。
「つまんない手品ね。せめて鳩くらい出しなさいよ。あ……わかった。あんたは詐欺師じゃなくて、奇術師ね? だからおかしな格好してるんでしょ」
埃を払うようにパンパンと手を叩き、サンハクを振り返るとすでに彼の姿はなかった。
「……やられた」
逃げ足の早い男だ。理闘は顔をしかめて歯噛みし、沸き立つ悔しさを何とか押し殺した。
サンハクは石を硝子に変えるという奇術には二五○円分の価値があると判断したのだろう。価値はあるかもしれない。だが理闘はあくまで現金主義を貫く人間だった。
仕方がない。友人の責任は友人に請け負ってもらおう。
「不可抗力よ。だって、あんたの友達が払っていかなかったんだもん」
自己防衛のために言い訳しながら、儷の財布から勝手に一万円を抜き出して懐に納める。さすがに良心が咎めたが、理闘はひとりでほくそ笑んだ。