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その3

 そんな時、戸口が静かに開いて部員のひとりが平然とした顔で入室してくる。その姿を認めるなり、理闘は冷たい一瞥を向けた。

「あんた遅刻ね。罰金千円よ」

「は」

 鮎川儷はリノリウムの床に靴音を響かせてつかつかと近寄ってきた。無表情のままで財布から千円札を取り出し、素直にそれを理闘に差し出す。

 フェクト・レスの一員である彼は学園でも一位二位を争うほどの容姿端麗で、一八○センチを越える身長にすらりとした痩身の持ち主である。芸能界からの誘いが何度もあるほどの白眉で、艶やかな黒髪は肩胛骨よりも長く、声だって並の歌手よりもずっと美しい。運動は極端に苦手だが、成績は学年主席を誇っているし、学園内外にも男女性別は問わずファンは多い。黙って遠くから見ている分には申し分ない男だろう。しかし理闘には、儷の実家が大病院を経営しているという認識しか持てない。

 理闘は不意に顔をあげ、儷の異変に気づいた。

「あんた……どうして今日は普通の服装してるの?」

「今は清貧が流行りなんです」

 儷は清潔そうな白いシャツに黒いパンツに黒い革靴を履いていた。珍しいことに、首からつけたアクセサリ以外に装飾品はない。こんなに地味な儷の姿を目にしたのは、恐らくはじめてだろう。しかし、それほど興味もないので理闘は新聞に目を戻す。

「その方がいいじゃない。気持ち悪い格好しないで、いつもそうしてなさいよ」

「部長」

 儷は堂々たる態度で挙手した。理闘が面倒臭そうに首を持ち上げると、自慢げな顔で首から垂れたアクセサリを指で示す。

「これを見てください」

 見るからに重そうな、掌くらいの大きさをした十字架だった。赤茶の錆びが付着した古びた代物で、それほど見事な加工がされている訳でもない。辛うじて銀製品だとわかるが、どうせ不純物の混じった安物だろう。金銭的な価値のないものに用はない。

「ほーらほーら」

 儷は理闘の眼前でそれを振り子の要領で左右に揺らした。無視を決め込んだあとも、それが二分も続いただろうか。あまりの執拗さに耐えきれず、理闘は机を思いきり叩いた。

「ったく。それがどうしたのよ。でかいだけの十字架でしょ」

「ただの十字架じゃありません」

「本当ね? 今忙しいんだから、嘘だったら殴るわよ」

 理闘は椅子の背に凭れると腕を組み、鼻息を荒くして儷を見上げた。

「僕はあまり嘘をつきません。聞いてください。そう。それは昨日のことです。僕が帰宅すると愛犬が出迎えくれました。可愛らしく尾を振っていました。世界で僕の次に可愛い犬です。名前は募集中です。散歩に行こうかと思いましたが、陽が落ちていたのでやめました。だから僕は夕食をとることにしました。メインは白魚料理でした。これがとても美味だったんです。ちなみに食器の色は白で縁に銀の模様が入っているものでした」

「ふうん。食器とおそろいの十字架だったの?」

 理闘は頬杖をつきながら嘯き、指で机をトントンと叩いた。

「いえ、全然違います。慌てないでください部長。夕食のあとに、僕はひとりでお風呂場へ向かいました。入浴剤は桃の香りがするものです。僕は桃が大好きです。たっぷり三〇分は入浴しました。快適でした。そして部屋に戻ると――」

「わかったわ。何者かが侵入して、ベッドに十字架が置かれてあったんでしょ?」

「違います」

 儷は大袈裟に両手を交差させて、理闘の眼前に近寄ってきた。力任せに接近してくるので、自慢の腕力を駆使してそれを押し退ける。それからも儷は小学生の作文のように淡々と喋り続けた。おまけに話が長い。要点をまとめて、もっと簡潔にして欲しいものだ。

「ベッドの上で、僕は二冊目の漫画を読み終えました。心温まる素敵な恋物語でした。主人公の弥生さんは高校生です。写真家になるという夢を持っていて、同じクラスの男の子に片想い中です。男の子の名前は横山君です」

「漫画の話はいらないわよ」

「そうですか。二冊目を読み終えたというのになかなか眠くならないので、僕はふらりと屋根裏部屋に行ってみました。まるで月の光に導かれているように、楚々として歩きました。僕の家の絨毯はうすい緑色です。屋根裏部屋へと通じる階段があって、僕はそれをのぼりました。屋根裏部屋は板張りです。スリッパを履いていて良かったな、と思いました」

「今度こそわかった。屋根裏部屋で十字架をみつけたんでしょ?」

「そうです。けど部長。話を聞いてください」

 歌舞伎役者のように手を突き出し、儷が言葉を遮る。忍耐強く耳を貸した甲斐あって、ようやくそれらしい話に突入したようだ。理闘は呆れる反面、同じくらい安堵もした。

「で? 犬とか夕食とかお風呂が屋根裏部屋とどう関係するのよ」

「特に関係はありません」

 どうして、ここから話せないのだろう。理闘は苛立たしげに舌打ちをした。

「屋根裏部屋は物置になっていて、お爺様の持ち物がほとんどです。僕は月の光に導かれるまま、箱を開けました。お婆様の衣装箱でした。古い衣装ばかりでした。そのうち学園に着てこようと思いました。隣の箱を開けると箱いっぱいに綿がつまっていました。その物々しい厳重さに、尋常ではない気配を感じました。恐る恐る綿を剥がしてゆくと、やがてこの十字架を発見しました。それはそれは感慨深い出来事でした。おしまいおしまい」

 儷は胸に手をあてて、陶酔するように目を瞑っている。反して理闘は訝しく目を細めた。儷の話をはじめから頭で繰り返してみたが、意味がわからなかった。

「結局その十字架は何なのよ。汚いけどすごく高いの? 骨董品? 世界遺産?」

「そういうことが問題ではありません。これはお爺様の十字架なんです」

「あ、ごめん。遺品なのね」

 理闘は謝罪を含めたつもりで口調を和らげた。

 儷の祖父は鮎川医院を開業した人で、現在の財産や地位があるのも彼の功績があればこそ。理闘が初夏に医院を訪れた時には、まだまだ現役で医院長を務めていたのに。

 理闘は立ち上がって、儷へと深々と一礼した。

「遅くなったけどお悔やみ申し上げるわ。おじいさん……夏休み中に亡くなったの?」

「お爺様はまだ生きてます」

「はあ? だって、その十字架はおじいさんの形見なんでしょ」

「違います。お爺様の持っている箱に入っていたんです。だからお爺様の十字架です」

「それだけ?」

「はい」

 儷がこっくりと頷いたので、理闘は脱力しながら椅子に座り込む。儷の祖父が生きているのは良いことだが、やはり「ただの十字架じゃない」という発言の意味が根本的にわからない。

 結論として、儷の話に意味などないのだろう。

「わかったわよ。ただのでかい十字架なんでしょ。それ以外に意味はないんでしょ。あんたの話につきあった自分が愚かだったわ。時間かえしてよね。金額にすると三十四円よ!」

「ただの十字架じゃありません。きちんと説明します」

 儷はムと口唇を結んで、不愉快そうに眉間に深い溝を作った。

 なぜこの男が学年主席を維持できるのだろう。まさに紙一重だ。理闘は苦虫を噛み潰したような渋面を作り、机をバンバンと叩いて憎々しげに問いつめる。

「だったら、最初からその話をすればいいでしょ! その十字架がどうしたのよ!」

「わかりました」

 儷は深呼吸してから静かに口を開いた。

「それは昨日のことです。僕が帰宅すると愛犬が出迎えくれました。可愛らしく尾を振っていました。世界で僕の次に可愛い犬です。名前は募集中です。散歩に行こうかと……」

「やめて!」

 即座に理闘は両手でしっかりと耳を塞ぎ、儷の姿が見えないよう固く目を閉じた。

「やめてったらやめて。もう二度と喋らないで。動かないで。息も吸わないで。お願いだからこの地球上から消えてなくなって!」

 念仏のように唱え続け、三分ほどしてから恐る恐る目を開いてみる。

 すると儷は、布の継ぎ目が裂けて綿が飛び出しているソファの脇で眠っていた。肩と水平になるよう両腕を広げ、首をすこし傾けたまま安らかな寝息を立てている。そろえたままの足はやや右よりに曲げられ

ており、まるでスキーでパラレルターンをする形になっていた。器用な寝相ではなく、奇妙な寝相だ。それでも理闘は、儷の戯言につきあわずに済むことに身体の奥深くから安堵した。屋根裏部屋で十字架を見つけてからも眠れずに、朝まで漫画を読み耽っていたのだろうか。――ありえる。

 どちらにしろ具体的な案が決まっていない現状では、儷の助力は必要ない。むしろ介入がない方がありがたい。フェクト・レスでの儷の役割は主に情報収集と情報管理。あとは雑用だ。行方不明になった女生徒たちのデータは、昼休みの間に儷の教室からFAXしてもらい、すでに入手してある。

「さてと、もう一回調べるか」

 ふたりの行動パターン、交際範囲などを重点的にもう一度しっかりと掘り起こしてみよう。



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