その21
三人は共謀して教師を殺害した。そして三階から飛び降りるという豪快な方法で逃走を果たした。その異様さ。彼等の無気力な雰囲気は例えがたく不気味だった。生気を失った金井教諭は静物めいていて、はじめから屍として存在していたように地上に転がっている。
屋上にも凄惨な事件の名残が漂っていた。
空は爽やかに晴れ、風は静かに凪いでいるのに、どこか暗澹な空気が屋上を支配している。教諭の血は時間とともに乾き、黒く酸化していた。欄干に目を向けると、衝撃的な映像が目の前をちらつく。墜落を余儀なくされた教諭や自ら落下していった三人の姿が、残像となって瞼の裏に焼きついている。
一頻り泣き叫んだ小雪を宥めると、理闘はポケットから携帯電話を取りだした。電源を入れようと指をあてた瞬間、小雪から腕を掴まれる。その握力の強さに、思わず理闘は怯んだ。
「どこに電話するの?」
思い詰めたような切実な声だ。泣き腫らしたお陰で瞼は腫れ上がり、眼球は血走っている。
「警察よ。これは殺人事件だもの。市民の義務でしょ」
「やめて」
小雪は掴んだ理闘の腕をさらにしめつけた。理闘はふるふると首を振って否を示す。
「気持ちはわかるけど、だめよ。見てたでしょ。人が死んだのよ?」
「違う。兄貴じゃない!」
「あれが仁志紀さんじゃないのなら、別に構わないじゃない」
「違う。そうじゃない。あれは兄貴だけど、兄貴がやったんじゃないよ。兄貴はあんなことできないよ。あんなひどいこと……」
小雪は嗚咽しながら必死に訴えた。理闘の身体にしがみついて、涙声で何度も懇願する。肉親が残虐な殺人に手を染めた事実を受け止めたくない真理はわかるが、事実は事実だ。
金井教諭は生徒から恨みを買っていた。それも事実。しかし私怨をはらすための一方的な殺人となれば話は変わる。どちらが悪いかなどという論議は無用で、殺した方が悪いのだ。
世の中には、殺されて当然だという人間はいる。
殺したいほど恨んでもいい。口汚く罵ってもいい。殺す方法を頭で考え巡らせても構わないだろう。しかし、けしてその人間を殺してはいけない。
殺したら、今度は自分が裁かれる立場になる。殺されても当然な位置に置かれる。どんな理由があっても殺人を犯す者は悪と見なされる。例え自分が殺人犯の汚名を着ても殺したい人間がいるのならば、その人間は殺人を行うかもしれない。裁判官から情状酌量の余地があると判断されることはあっても、殺人を犯した者は完全なる悪だ。如何なる理由においても。
「お願い。通報しないで。絶対に間違いだから。兄貴は誰かに操られてたんだ。騙されてるんだよ。見たよね。身体がすごく大きくなってた。ありえる訳ないよ。間違いだ。兄貴に似てるけど、あれは兄貴じゃない。兄貴だけど兄貴じゃないんだ!」
小雪は支離滅裂な言葉を並べて、理闘に追いすがった。彼女の言い分はわかる。仁志紀をはじめ、あの三人が心神喪失状態にあることは明白だ。それについても、きちんと警察に説明するし、知っている限りの事情も真実として証言する。理闘が懇切丁寧にそう諭しても、小雪は頑として通報することを阻んだ。
「しっかりしなさい!」
理闘が一喝すると、動転していた小雪の動きが静止する。
「お兄さんの身を案じるのはわかるけど、死んだ金井先生の立場はどうなのよ。金井先生の家族の言い分は? 顔の形がなくなるまで殴られて、生徒に屋上から落とされたのよ? 考えないってワケ? 他人はどうでもいいってこと?」
「そういう訳じゃ……」
小雪は自分への叱責に怯えながら、恐る恐る理闘から手を離した。理闘は腰に手をあてて、憤懣やるかたない語気を揮った。
「じゃあ、見逃してほしいってこと? 人間が殺されたのに? 私は御免だわ。全部見てたもの。見てたのに偽証するなんてできないわ」
「違う。違うよ。そう、だって、あの落ちた先生は死んでないかもしれない」
「死んでるわよ」
理闘は怒り混じりに吐き捨てた。
「疑うなら見てみればいいでしょ。先生は下にいるわ。ちゃんと死んでるわよ」
「わからないよ。兄貴もここから飛び降りたけど、歩いていったもん。もしかしたら先生だって生きてるかもしれない。気絶してるだけかも……」
「あの出血が見えないの!」
「だってだって、確かめなきゃわからないよ!」
小雪はどこまでも金井教諭の生存を信じて食い下がった。理闘は口唇を引き締め、ひとまず携帯電話をポケットに突っ込む。
「わかった。確かめに行くわよ」
それで小雪の気が済むなら、事の重大さを理解してくれるのなら構わない。小雪の手を引きながら、理闘は憤然とした足取りで屋上を後にした。




