一枚の花 後編
9人の隠者と円網の『一枚の花』という話の後編です。
ハンマーを片手に、剣を腰に掛けいつでも戦闘できるようにしている蓮。私も弓を手にしている。相も変わらず枝と葉を踏む音、土を踏みこむ感触が私たちに生きてると実感させる。その感触に慣れつつある私たちに聞こえたのは異様な音...というよりも咆哮のようなものだった。
「...大丈夫。遠くだ。声からすると、なにか獣のようなものだろう」
私が不安を声に変える前に、彼が言った。私はふぅ、と小さく息をつき、心を落ち着かせる。しかし、すかさず蓮は真剣な声色で一奈に言ってきた。
「......待った...。なにか...こっちに来てる......!」
蓮の言葉を聞き一奈も耳を澄ます。最初の数秒は何も聞こえなかったが、十秒を過ぎるあたりに聞きなれたような、重い足音が聞こえてきた。それも、音の間隔が早くどんどん大きくなっていく、おそらくものすごい速度で移動をしているのだろう。しかし、森が広すぎるからか発信方向はわからなかった。
蓮は必要なものだけを取り、バッグを私に渡し、あたりを見回す。彼が首を回して探していると、足音と共に木の折れる音が聴こえてくる。その音が聴こえると蓮は一つの方向を凝視し、敵の視認をする。かなり遠くで詳しくはわからないが、何かうごめいているのが一奈にも確認できた。
次第にそれは大きくなっていく。一奈が目視できたのは、目が二つ、鼻はなく、口は顔いっぱいに広がっている、その口の中には光沢を帯びた鋭い牙が見える、顔は丸く耳がないためいたってシンプルな構造だった。体の方は、毛皮などはなく皮膚をだけで覆われている。大きな木をいとも簡単に折るほど大きな身体に似合わず、ものすごい速度で近づいてくる。
「...一奈、二百三ページ。」
彼はそれだけ言って、その生き物をにらみつける。最初は何を言ってるのか理解できなかったが、図鑑が目に入り、これだと確信した。図鑑を手に取ると、蓮に言われたページを探す...二百三ページ...二百三ページ......え、あれ?覚えてんの!?。
一奈は一人、心の中で驚きながらそのページを見つける。そのページには今現在、迫ってきている生物の写真と特徴などが記されていた。彼女は書かれている文字を静かに読み進めていく。
『名称、ゴライ。特徴、戦闘種族・固形の肉型生物・知能は極めて低く、目で食べられるものかを判断し、大きな口で捕食する。知能は低いもののその強靭な体は文明を壊してしまうほど危険である。弱点は未明。商談価値無。』
一奈は読み終わってすぐ推測することができた。今回ばかりはさすがにまずいのでは...と。しかし、彼女はまた理解している。戦闘、作戦、分析においては蓮が自分より非常に優れている、彼自身、何か作戦があるのだろうと。彼に任せれば大丈夫だろうと。
そう考え、一奈が蓮に目をやると、そこに彼の姿はなくすでに敵の方向へ突撃していた。両者とも迷いなく真っ直ぐ走っているため、彼らはすぐ対面する。その距離はほとんど近い。
先に仕掛けたのはゴライの方だった。ゴライはそのスピードを維持しつつ、頭を突き出し前かがみになって、口を開く。噛まれると一瞬で切断してしまう牙が蓮のほんの数メートル先にある。そして、音と火花、ガキィンという頭に響く音はゴライの牙同士が当たった音だった。蓮はというとゴライの数メートル上の...地上から垂直七メートルはあるであろう場所にいる。
そのまま彼はアンカーで木の上に行く装置を使い、はるか頭上の木の枝に降り立つ。ハンマーを取り出し、以前使っていた装置を使って、ハンマーはみるみる大きくしていく。...が私はその時初めて視線に気づく...、蓮という獲物を見逃したゴライは目の前にいる、小さな生き物に標的を変える。
...え...。これ、私やばいじゃん。今更状況に気づいても、時すでに遅く、逃げようと思った矢先に、ゴライは猛スピードで突進をしてきていた。足を動かす間もないまま大きな口が現れる...と彼女が口の中の牙を確認した次の瞬間には口はなくなっていた。代わりにゴライと同じぐらいの大きさのハンマーを持つ、蓮がそこに立っていた。ゴライはというと数十メートル先の地面で木と共に倒れていた。
何があったのかは時間差で理解してた。ハンマーが相応の大きさになるのに時間がかかり、一奈にもあやうく危害が加わりかけていた。というか死にかけていた。
「......勝てる...よね?」
一奈は少し、疑問を入れつつ彼に聞く。しかし、返ってきたのは一奈の予想に反する言葉だった。
「ん~無理じゃないかな...」
彼はそういうとバッグの中をごそごそと探っていく。取り出したのは狩猟でも使われるパチンコと、丸いものに虫のような足がついた何かだった。それらを手にもちバッグを背負う蓮。そして、ゴライのいる方へと振り向くと、一奈に向かって言葉を放つ。
「俺が向いてる方と逆に向かって走っといて。はい、よーいどん!」
「...えっ!?えっ!??」
唐突なスタートを促され、わけもわからず足を動かして走る。すぐ後ろから聞こえるけたたましい咆哮。先ほど聞こえたのとは少し違った声色だったが、それでも空気を震わすのには十分だった。一奈はその咆哮によって押され少しよろめいたが、なんとか踏ん張り、できる限り力いっぱい走っていく。
「......さて」
彼は一奈が無事に走っていくのを見て、敵のいるほうへと顔を向ける。敵......ゴライはさっきまでとはまた違った、怒りの形相で彼をにらみつける。一撃喰らったのが、相当頭にきたんだろう。二、三秒の間があき、ゴライは地面を踏み込む。それを見た蓮もすかさずパチンコを構える。地面が揺れ、風が吹くその空間のなか彼はしっかり敵を捉え、弾を...放つ。
その小さな形とは裏腹にものすごい速度をつけた弾がゴライの顔に当たり、虫の脚のようなものにより顔にくっついた。途端に丸い部分が回転して煙を噴く。続き二発、三発、四発と弾はゴライの体中につけられ、ところどころから煙が噴き出している。その数に圧倒され、ゴライの体を包むかのように煙が広がっていく。
敵が苦闘しているのを確認すると、蓮は一奈を追うように走って消える。戦場に残ったのは感情も思考もない微粒子を含んだ空気の塊と、それに翻弄される一匹の生物だけだった。
カランカラン。缶がぶつかり合った音で一奈はようやく気付く。ここはあの小屋だ。そしてこの缶は蓮が仕掛けたサウンドトラップだった。彼女は自分で作動させてしまった罠を直して、小屋に入る。
彼は無事だろうか、一心不乱に後ろも振り向かずに走ってきたからわからない。何か策があるように見えたけど、私にはわからない。彼は作戦を伝えてくれないし、全部一人でやってしまう。彼ができるからからだと思うが、私は足手まとい扱いだった。助けてもらって自分勝手だが少し不満と疑問をもつ。なぜ彼は私に何も言わないのだろう。彼はどんな人だったのだろう。地球で何をやっていたのだろう。
彼が戻ってきたらいろいろ聞こうと考えた矢先、小屋のドアが開く。無意識に敵かと思い、矢を向けた、がそこには蓮が両手を上げて立っていた。
「あー...その、危ない物降ろしてくれない?」
冗談を入れながら、小屋の二階へ向かう蓮。私は後ろについていきながら聞いてみる。
「どうやって逃げたの?」
「目くらまし」
彼は簡潔に答えベッドへと腰かける。バッグを降ろさずに腰かけたので、重い音が聴こえると窓の外をみた。
「...やっと夜か...」
それをきき一奈も窓を見る。そういえば走ってるときもあたりが暗かった気がする。こういう暮らしをしていると一日の時間というリズムがくるってしまう。猛ダッシュをしたからといって眠くなるほどの疲労は感じられなかった。仰向けになり、脱力する。そして、自分にはやるべきことがあると思い出した。
「蓮ってさ、何やってたの?地球で。なんか怪しい機械作ったり、弓使えたりしてたけど」
彼は素直に驚いていた。なんの要因で驚いたのか私にはわからないが、少し間をおいて彼は答えてくれた。
「普通に...旅人みたいな......」
一奈には簡単に話題を切るように答えられてしまった気がしていた。それ以上付け加えたりしなかったので話したくないのだろうとも感じた。それでも一奈は質問を繋げてしまう。
「どうして旅に出ようと思ったの?」
これは彼が自我で旅にでたという前提で聞いている。現に蓮は彼自身の意思によって旅に出ていた。
「んーー...退屈だったからかな......」
...退屈か。多くの人が悩み、苦しむ人間の問題点の一つ。彼もまた私と同じく悩み苦しんだのだろう。私にはようやく、又、いまさらだが彼が同じ人間だということを認識した。宇宙人でも神でもない、私と同じ嫌なことは嫌な人間なんだ。
そう考えると彼女は質問を重ねるのを躊躇してしまう。そしてその様子を蓮は横目で見つめていた。私よりずっと大人で、立派で、物おじしなくて、こういう状況に慣れているように見える蓮は私と同じ人で学生だった。彼は旅を経て、何かを学んだのだろうか...それとも、学校に通ってた頃からこうだったのだろうか...。
私の思考を邪魔するかのように、物語は進んでいく。突然、木の小屋が半壊する。文字通り盾に切ったように一奈達のいた場所と反対側がきれいに吹き飛んで、半壊していたのだ。
「...っっ..!!!!」
咄嗟のことで蓮も口に出して警告する暇もなかったようだ。彼は言葉を飲み込み、私にアイコンタクトを送ってきた...が正直どうすればいいのかわからなかった。混乱して目をそらしてしまった私は二度目の衝撃により、壁に押し付けられる。
建物は三分の一にまで削られており、もう一度衝撃が来れば小屋ごと私たちも吹き飛ばされてしまう状況。足がすくみ動けない私をひっぱりながら蓮は、バッグを背負い私たちのいる二階から木々が散らばっている地面に跳んだ。直後、残されていた小屋の残りは消し飛び、ぼろぼろの木の板が降ってきた。
彼らは咄嗟の反応だったため着地時、転んでしまい一奈は足を挫いてしまう。
「...いたっ!!」
彼女は自分の右足首を抑えていた。それでも逃げなければいけないという状況は変わらず、彼女は痛々しい足を地面につけて立ち上がる。しかし、身体は彼女の思っている以上にダメージを負っていて、再度地面に倒れる。
早くしなければまた衝撃波が飛んでくる...、一奈は自分に言い聞かせるが足は動かない。そして木々の折れる音、風の当たる音が聴こえる。見ると森の奥から丸く、透明な空間が迫ってくるのが目に入る。
とっさに蓮は一奈を思いっきり引っ張り、彼女を間一髪助ける。つかんだ腕をそのまま首の後ろに回し、彼女を持ち上げる。
「ちょっっ!蓮!!」
一奈は声を上げ静止を求めるが、蓮は無言で彼女を抱え走り出した。そして彼女の髪の毛をかする衝撃波。幸い、一発間の時間は長いため避けることはできるが、それでも走り続けるしかなかった。前には人間の女の子、後ろには多くの道具がつまっている大きなバックパック、この荷物がどれだけ人間に負担をかけるのか一奈が想像するのは容易かったし、なにより恥ずかしいという気持ちもあった。
しかし、彼女の想像はただの想像であり、蓮は息一つ乱さない。加えて後ろを振り返ることなく衝撃波を避ける様は、まるでどこに撃ってくるか知っているようだった。彼は多彩な動きで木々を駆け抜け、その場を去った。
彼らが逃げてたどり着いた場所は大きな谷がある荒野、その谷の底はかなり深く、黒く染まって底が見えないでいた。およそ幅十メートルはある谷間は彼ら人間にとっては巨体な怪物にも見える。
蓮はそこで一奈を降ろす。一奈は少し照れつつ、「ありがとう」と小さく言う。一応足は動くようだ。
「...これどうすっかな...」
蓮は頭を掻きながら谷の底を見下ろしている。どうするか...というのは後ろに戻ることができない状況の彼らにとっては、この谷をどうやって超えるか、という意味になる。
「とりあえず谷に沿って歩いてみない?なにか橋みたいなのが見つかるかもしれないし」
「...そうするか」
彼らは言葉通り、谷に沿って歩く。谷をはさんだ森と荒野になにか変化はないかと、常に目をやる蓮を一奈は後ろから眺めていた。彼の身体はやはり何かおかしい。彼女はいつからかこの疑問を頭にとどめていた。最初は火事場の馬鹿力とか、風でとか、ここが別の星だからとか色々な説を考えた。しかし、どれも当てはめることができない理由があった。火事場の馬鹿力は正直、なんの根拠もない絵空事、風で彼を動かしていたとしても、そう何度も偶然が続くはずがない、ここが別の星だからという場合、私にも変化が訪れてもいいはずだと説を否定する理由が浮かび上がる。
一奈はあらゆる可能性を頭に思い浮かべる。まず彼がここに来る前の時、敵船の中にいたときに何かあったのだろうか...。その場合、私には憶測しかできないので考えてもしょうがない。
では、この星に来て私と会ってからはどうだろう...。一つ思い当たる節としては彼に二度起きた症状だ。気絶を誘うほどの激痛が走っていたあの時...、だがあれの原因すらわからないのが現状だ。やはり推測するだけで、原因がわかるわけではなかった。やはり考えるだけ無駄なのだろうか。
一奈がそう結論付けた直後、蓮は声を上げる。
「あ...」
蓮が何かを見つけたような声を上げたので、彼女も続いて蓮の視線の先を見る。そこにはごく一般的な映画やアニメ、作り物の世界で出てくるぼろい木の板やロープを使った橋が見えた。
「...あれ...渡るの...?」
一奈は遠回しにわたりたくないと伝える。いかにもすぐ壊れそうな橋で大体の作品で壊される役目を果たすそれを彼女は顔をしかめて見つめる。
「それしかないようだな」
それを聞き、あきらめたように溜息を吐いて、意を決して橋へと向かう。橋の前に来ると風に揺られ軋む音が鮮明に聞こえ、木やロープの独特な匂いが彼らの鼻をかすめる。板の隙間から見える黒い空間は彼らをいとも簡単に殺すことができる。
「...これさ、壊れないっていう保証ある?」
蓮に確認をとるが、彼は「保証はない」とそっけなく返す。たとえ十メートルだけでも、足を踏み外せば死ぬことに変わりはない。彼女の足は前に出ないままこう硬直している。無駄に時間をとったと考えた蓮は一奈にある提案をする。
「行けなさそうなら...命綱でもつける?」
彼はそう言い、バッグから一つの長いロープを取り出す。森があることだし、木に巻き付ければきっちりとした命綱が完成する。また、彼女が先に渡り、蓮が気に巻いてあるロープを回収すればロープはまた使えることになる。
一奈はそれでも不安を取りぬぐえなかったが、それでも何もしないよりはいいと考え彼の提案に乗る。
「うん。お願い...」
彼は橋に最寄りの木を選び、ロープを何重にも巻きしばりつける。もう片方の先端は一奈の腰に巻かれ、彼女が何度も不安げに締め直している。
「おし、行って来い」
彼の後押しにより、彼女の足は木の板の上に乗る。ギシという不安をあおる音が鳴り、手すりを精一杯つかみながら足を進めていく。一歩、二歩と一歩ずつ慎重に、ていねいに...。
ちょうど前足に重心を移した瞬間だった。バキッという聞きなれない、聞きなれたくない音が聴こえ、一奈は嫌な考えが脳裏に浮かぶ、そして自分の足音を見る。すると、先ほどおいていた後ろ足の足場の板が片方しか残っていない。残りはおそらくは落ちていったのだろう。彼女は直感的に早く進まなければと足を進めていく。
先ほどまでの慎重さや、丁寧さは残っておらず地面に足がつくのを願いながら急ぐ。その途端からスイッチが入ったように板が折れていく。幸運にも彼女の踏み込んだ前足の板は折れずにいたが、後ろ足の置いてあった板は順番に壊れていく。
彼女の前足が地面についたときには最後の板も壊れ落ちていった。恐怖はいまだぬぐえず、後ずさりをしながら橋から離れる一奈。彼女は深呼吸をはじめ、自分に落ち着くように促す。地面を見つめ、自分がどういう状況なのか、何をやるべきかを考えると、蓮を残していることに気が付いた。
不格好で橋の半分がなくなっている先に蓮がたってこちらを見ている。一奈は蓮と会話できるほど谷に近づき、彼に助けを求める。
「蓮...ごめん、どうしよう...」
本来であらば、取り残された蓮が『どうしよう』と言いたいところだが、彼女には今そのような考えをする余裕はなかった。というのも彼女は今、蓮と会話できるにしろ一人だと感じているからだった。この谷を超えない限り蓮はこちらに来れない。つまり、私が何かに襲われたとしても自力でなんとかしなればいけないと真っ先に考えていた。
そして、彼女が言葉を発した後に彼女自身、自己嫌悪に陥る。こんな状況になっても自分の心配しかできない自分をひどく嫌う。何をするべきだろう?まず、橋の代わりになるものを探して......
彼女が試行錯誤している内にドサッと何かが彼女の横に落ちてきた。蓮のバックだ。彼女はそのバックの持ち主の方に目をやる、すると蓮は遠く、森の中に入るように歩いていた。
「蓮!?どうしたの?」
彼女は大きな声をあげ、蓮に聞く、しかし、彼からの返事はなく止まることなく森に入っていく。即座に頭をよぎったのは見捨てられたということだった。こちら側に渡る手段がなく、どうしようもないため、私への情けとして荷物だけでも渡し、見捨てると考えたのかと。そう考えても仕方ないほど彼女は今自己嫌悪していたのだ。
だが、彼女がバッグを見つめ色々思いを巡らせている中、蓮は突然振り向き谷へ向かって走り出す。一奈も動くものを見たため蓮に目を移した。彼は容赦なく走ってきている、まさか.........
無音の踏み込みが見えた。その後見えたのはこちら側に着地する蓮の姿だった。足でうまく着地をしながら、少しばかり地面を滑りながらも彼は転ぶことなくこちらにたどり着いた、というか跳んできた。
「あー怖かった。行こう」
彼はそれだけをいいバックを持ち、先へと歩いていく。私は理解が追いつかないせいか動かず棒立ちで蓮を見ている。それに蓮が気づき、一奈に再度声をかける。
「どうした?早く行こうぜ」
......。今だに理解できないまま足だけを進める。そして無意識に質問をしていた。
「え?何したの?」
その質問をすることを知っていたかのように彼は素早く答えてくる。
「...跳んだ。俺がめちゃ跳ぶの知ってるでしょ?十メートル跳べるかはわからなかったけど、これしか方法なかったし...」
彼は至極当たり前のように言う、それはそのことに何の疑問もないように思える。つまり、彼は体に何があったのか知っているように一奈は思えた。そしてそれをそのまま疑問形にして聞く。
「えっと...蓮、なんでそんなことができるの?普通はできないから」
そう、普通できない、彼はそれを普通の事のように話す。なぜ説明してくれないのか、私は彼に対して
理不尽な苛立ちを覚えてしまっている。彼は少し考えてから私の方をみずに答える。
「うん。でもこの世界では普通は普通じゃないから。それがこの星の普通だよ」
彼はそう言いながら尚、こちらを向かない。一般的に言われている人の眼を見て話さないのは、何か隠し事があるときなどだ。彼は今私の眼を見なかった、何かを隠している。それが何かはわからないが、仲間として、少し寂しいものがある。そして、同時に自分は自己中心的だとも考えてしまう。
彼は私が仲間だと知っている上で知らせたくないのだ、それでもこのように、遠回しなのかわからないが一応は教えてくれる。それだけでも十分と感じるべきなのだろう。そしてこれ以上詮索するべきではないのだろう。
私は詮索をやめるため、話題を切り替える。運がいいことに切り替える話題がちょうど見つかってくれた。
「蓮、あれなんだと思う?」
一奈はそう言いながら、遠くにあるものを指さしている。彼もそれに目をやる、そこには大きな茶色の岩とは呼べないような形の何かが横たわっていた。彼は私にここにいるように、と眼前に指を立てる。
彼はその物体に近づきその裏へと消えていく。未知のものゆえに危険があるから私を置いていく、彼は私の身の安全を考えてくれている。なぜかそう考えてしまう。数秒すると彼は反対側から出てきて、歩いてこちらに近づいてきた。
「これが何なのかわからないけど、死体だ。何かに殺されたように見えるけど」
安全だ、と言われてる気がして私もその死体と呼ばれる物の裏側へとまわる。その未知の死体は彼の言う通り何かに殺されたのだろうと一奈にもわかった。恐竜のような体に四足歩行だと思われる足が四つ、首が長く丸くなるようにしていたため、反対側からは生き物だとわからなかった。その首は二つに分かれていて、ヒュドラやケルベロスといった生き物を想像していた。
最初はそういう生き物かと思ったが、その首の分かれ目から出る、水のような青い液体が血だとすぐにわかった。そして、この生き物はもとは一つの首しかなかったともわかった。つまり、首を真っ二つに裂かれて、殺されてしまったのだろう。
「こんなことできるのは相当でかい奴だろう...それこそあの最初にあった獣やゴライほどの大きさで斧や剣などの切断できるものを持ってるやつだな」
こんなに大きな生物が殺し合いをしているのか...。真っ二つに殺すなんて、私にはできそうにない。それは物理的にも精神的にもできそうにないという意味だ。...私は間違っているのだろうか。地球では殺したくないと考えるのは間違っていない、でもこの星ではそういうことができる者が生き残るんだろうな。
「ここにいても仕方ないし、先に進もう」
彼は見切りをつけ、先に進む。私も同じことを思い、彼の後ろをついていく。最後にチラッと死体の顔をみた。驚いたのか、怖かったのか、悲しかったのか、目や口が大きく開かれていた。最後、何を考えたのだろう。私たちはみんなこういうふうになるまで戦わなくてはいけないのだろうか...。
どれくらい歩いたかわからないが、地平線の先に森が見えるまで歩いた。歩き続けた先、森の少し手前に見つけたのは、大きな湖のようなもの、海ほど広くなく境目が確認できる。水を見たのは久しぶりな気がする。私はなにか地球に近いものを感じ少し気を抜く。
「水もあるんだね。地球みたいに過ごしやすい星なのかな」
「そうだな、地形の境界線が極端だが...水などがあるってのはいいかもな」
私ののんきな発言を蓮は拾ってくれる。もし、他に生き物がいなく、この星を地球の人がみつけたらどうしてたんだろう、と変な想像をして、やめようと自分で雑念を追い払う。私は無駄に思考を進める癖があるな。
切り替えるように湖を凝視する。めちゃくちゃきれいとまではいかないが、青色と言えるほどの綺麗さは残っている。その青は地球の海を連想させる。底が見えないな、どれくらい深いのだろうか。魚とかはさすがにいないよね、とじっと見る。......あれ?
不意に彼女は水の中で何かが動いたのを見逃さなった。ちょうど魚の事を考えていたから見間違えかと思ったが、再度黒い影が動いていたので、確信に変わる。蓮は気づいてる様子はなく、あたりを見渡していた。
「ねぇ、水の中に何かいる気がする」
念のため、「気がする」とつけておく。蓮はそれを聞き、湖をじっと見つめる。私の気のせいだとは考えないのは私にとっては少しうれしかった。そして彼も見たのか、私に言ってきた。
「ほんとだ。何かいるな。危険だから、一応離れるか...」
彼がそう言ったと同時に、遠くから叫び声のようなものが聞こえてきた。獣ではなく、人のような声でそれは次第に近づいてきた。私たちは辺りを見渡す。しかし、どこにもいない。
不意に彼が指で空中をさした。
「......あそこ」
すぐさまそこに視線を移すと、何かが飛んでくるように見える。私は咄嗟に構えるが、彼はすぐに私に声をかける。
「あいつ、水の中に落ちるぞ」
そういわれよく見れば、予測でしかないがこのままだと確かに水の中に落ちる。そのなにかは人型で小柄だったが頭が大きく、形が丸くなかった。一度水の中に落ちることがわかった私たちはその生物の経過を眺めていた。
しかし、私たちの予想とは違った展開が起きる。確かにその生き物は湖の上に来たが、そのまま水に落ちるのではなく、湖の中から水がその生き物をつかむようにでてきた。動物をとる罠のような形をした水は、その生き物をつかむとそのまま湖の中へと引っ込んでいった。
どうすることもないまま、その様子を眺めていた二人は、数秒は硬直していた。その数秒後、彼らはほぼ同時に動き、その場を駆け足で離れる。
「何アレ!?やばいでしょあれって!!?」
「何かは知らんが俺もやばいとは思う!」
彼らは走りながらも言葉を交わす。二人の、人間の危機察知能力はあの湖はやばいと判断したらしい。彼らがある程度走り離れ、森に入ると蓮は「ここでいいだろう」と言い止まった。蓮とは違い一奈は全力で走ったため、息が途切れ途切れになっている。手を膝につき息を整える一奈に蓮は続けていった。
「水の中の生き物とは戦わないからな」
彼は意思表明をすると、木にもたれかかりバッグを置いて、一休みした。一奈もそれに賛成したのか同じ動作をする。先ほどまでは「...また森か」と嫌気がさしていた数々の木の硬さ、隠れる場所の多さは一奈の気持ちを安心させた。むしろ、今まで森で戦ってきたからか、少し親近感がわく。どちらかというとこっちのほうが『森』って感じがする。この前までいた場所は大樹が多く、茂みなどが全くなかったから。
「なんか...ずいぶんしっくりくるな......」
同じことを感じたのか彼は笑いながらつぶやく。その発言に一奈は丁寧に返事する。
「そうだね」
彼はフッと笑って、目を瞑った。私もつられて目を瞑り、肩の力を抜いて気を休ませる。よく走ったからか、眠気が襲ってきていた。そういえばゴライの出来事以来、走ってばっかで眠ってない。重くなった瞼に抵抗しながらこの場で眠るのはまずいと頭で考えつつも、気持ちのいい睡眠という欲に負けてしまう。
綺麗な装飾が施された会場に、その場を支配するなめらかな音楽。音楽に合わせ足を動かす夫婦やカップル、その中に私はいない。別に相手がいないからとかではなく、その物語には登場しないからだ。外国の貴族のパーティーのようだ。ワイングラスを片手に談笑する人、食べ物を軽くつまんでいる人、見てる分には実に美しい眺めだが、それは惨事へと激変することになると私は知っている。
突如、グラスを持っている人が倒れた。目は見開き、手で首元を抑えながら地面をのたうち回り始めた。数秒後にその男は、先ほどの動きが嘘だったかのように止まっている。口から血を流し、グラスからこぼれたワインと混ざり合い、きれいな朱色を魅せる。会場はパニック状態になり人々が慌ただしく動き回っていた。
場面は変わり、警察が来てそれぞれに事情聴取をしている。その後はもう疑い合いの始まり。あの人が怪しい、あの人がお金目的で...など。その中、一人の人物が彼なりに推理を進めていく。動機、手口、状況などの情報を集めながらその人物は犯人探しに躍起になる。
ここで私の夢は終わる。犯人が見つからなくて後味が悪いとは思うけど、私もこの先を知らないのだ。これは蓮のバッグにあった推理小説のストーリーをイメージに変えて、無意識に映していた。この先を知らないと言うのは、読んでないわけではなく、この先の本を蓮が持っていなかったからだ。彼曰く、この本が二冊構成のことを知らずに買っていたらしいのだが、ちゃんと確認しとけよと今でも思ってしまう。何はともあれ、ベタな展開のおかげか私は夢に出てくるほどはまっていた。幾度か彼と、この本の犯人などの考察を話し合ったこともある。
私は夢を終え、重い瞼をゆっくりと持ち上げる。状況は依然として変わらず、木々の配置も同じだったため、場所は移動してないとわかった。
蓮はいなかったが、バッグがおいてあるのを見ると、帰ってくるんだなと寝起きの私には安直な考えしかできなかった。私は特に動きたい気分でもないため、座ったまま腕を伸ばし軽く伸びてから、意味もなくバッグをじっと見ている。
数分後、予想通り蓮は森の奥から帰ってくる。汚れている様子がないので、戦闘はなかったのだろうとのんきに推測をした。彼は私が起きたのに気付かず、バックの隣に座り、本を読み始める。ここで私はどういうわけか気を使い始める。彼が休めたのかは知らないが、敵に襲われるまで、又、私が起きるまでは彼も休めるだろうと考え、目を閉じて寝ているふりを始める。これなら敵が来たら私はすぐ気づけるし、彼も敵が来るまで休めるだろう。
なんだか良いことをしている気がして、少しいい気分になる。そして、その『ふり』が『ふり』では無くなっていくことに気づかず、再度眠りについてしまっていた。
ブルッと寒気が走り、私は目が覚める。冷たい風が行き来し、日差しがなくなっていることに気づく。辺りは暗く、唯一見えるのは月明りのみ。それでもその明かりが木を通り抜け、私たちのところにたどり着くのは難しい。
私が顔を上げると、座って依然として本を読んでいる蓮の姿が視界に入った。彼はずっと本を読んでいたのだろうか...。まぁでも座るだけでも休めるからよかったのかな...?夜だから木の上にいかないと。
一奈は腕を動かして体を起こす。それに気づいた蓮は彼女の元へ寄って声をかける。
「ずいぶんと寝てたな...。どんだけ寝るんだよ」
「こんな状況でよくのんきに寝てられるな」と言われた気がしたので、「あんたのためだよ!」と心のなかで勝手に言っておく。表には「あはは...」と自嘲気味に笑っておいた。
「今更だけど、夜に動くのは危険だから眠くなくても木の上で時間を費やすぞ」
彼は確認をとるように私に言い、木の上へとのぼっていく。
しかし、彼の木登りは中止させられることになった。ガサという葉の動く音がして蓮は動きを止めた。隠れるための茂みがここではサウンドトラップの役割を果たしてくれる。二人ともあたりを見渡し、音の発信原因を確かめる。
再度、音が聴こえたがそれは一つではなかった。もしかしたら、森が広いために音が反響したのかもしれないが、同時に別箇所から聞こえたため、一奈ですら敵が数匹いるとわかってしまう。不意に蓮が声を漏らした。
「...あぁ、クソ......」
呆れたような...あきらめたような声を発していたが、一奈には理由がわからない。次第に音は間をあけることなく、常に聞こえてくる。
一奈は弓を、蓮は剣とハンマーを持ち背中合わせになるが、暗いせいで敵の視認が極めて難しい。一奈は自分たちがピンチだとわかっていながらも、蓮に対してその剣について質問する。
「その剣どうなってんの?あの緑のやつのでしょ?」
「すごいだろ。刃の部分を色々なのに変えることができるんだ」
そういうと彼はなにやら柄の部分をいじり始めた。そしてガシャンという音と共に刃の長さ、太さなどが切り替わった。確かにすごいんだけどね...と心の中で言った。
彼女は感心したが興味を持つまではいかない。この状況を切り抜ける策なら別だが......。
突然、茂みから何かが一奈に向かって飛び出してくる。あまりの速さに彼女は矢を撃つことを忘れてしまう...が後ろにいた蓮がクルっと振り返りながら、勢いよくハンマーを振るう。そのなにかの頭にヒットしたであろう、鈍い音が響き敵は木に叩きつけられる。そして起き上がったかと思うと、怒り狂ったようにこちらに顔を向け、口を開け威嚇する。そこで私は初めて敵の正体をみた。
髪の毛がなく頭皮がむき出し、目は二つ、しっかりあるが黒目が小さく一つの眼の中に二つあった。白目の部分は赤くそまっている。鼻の位置に顔をえぐったように二つ穴が開いている、口は楕円の縦長で内側の至るところに小さく牙が見える。胴体は痩せこけていている割に腕や脚、指、そして爪はすごく長い。
そのグロテスクな外見をみて思わず目を細め、顔をしかめてしまった。
「......ぐろっ!」
蓮もそう思ったのだろう、口に出ている。チラッと彼を見て、敵へと視線を戻す。敵も先ほどの一撃により警戒しているのか、こちらをじっと見つめてきているだけで、襲ってくる気配は感じられない。
いつまでこのにらみ合いが続くのかと考えた矢先、蓮が声をあげる。
「...ぐっっ!!」
蓮の後ろにもう一匹、敵がいた。そいつは爪を立て、彼の背中を斬っていた。咄嗟に躱そうと動いた蓮だったが、敵のリーチが思ったより長く、彼はよけきれずに斬られたようだ。
蓮は剣を振り向きざまに振るが、よけられ、今度は先ほどまでにらみ合っていた敵に攻撃される。私に見向きもせず、二対一の状況が作られてしまった。そして攻防...というよりは敵の一方的な攻撃が始まってしまう。
敵はリーチをうまく活かし、蓮に少しずつでもダメージを入れてく。蓮はというと、避けるのだけでも精一杯で、さらにはよけきれずに傷を負っているだけ。彼のところどころから血が噴き出す。剣やハンマーで受けようにも、それらを構える前に攻撃されてしまうので彼は避けるしか選択肢がなかった。
「...あぁ....クソ..絶対痛い...」
彼はそういい、覚悟を決めたように腕を顔を上げる。そして左手で敵の爪を喰らう。爪が蓮の手に深く食い込み、多大な量の血がそこから流れでていた。
「......くっ!!!」
歯を食いしばり、激痛に耐えながらも敵の手を離さない。急に蓮に捉まれ敵も焦ったのか、もう片方の手を横から振りかざしてきた。彼はそれを右手の拳で払い、空手の正拳突きのように足でしっかり踏み込みながら、敵の腹部に一発、拳を突き出す。
突き出す、が文字通り敵の腹に彼の手が入った。そしてそのまま背中から突き出る。突き出した蓮の手にはいくつかの臓器が付いていて、おそらく血だろう緑色の液体が彼の手を染めている。
敵は目を開き、口を開けながら、声を振り絞っている。しかし、腹に力が入らないからか声は途切れ途切れに、命乞いをするかのようにか細く発せられていた。そのまま、首をぐったりとさせて、身体の重心を蓮の腕に預ける。彼は腕を抜くと、その敵だった死体は無残に転げ落ちる。
蓮の腕は右の手から上腕二頭筋あたりまで緑色に染まっていて、一奈にはなんとも恐ろしく感じてしまった。彼は立ち尽くしながら、死体を見つめている。彼の表情が冷たく、何かを失ったかのように見えた。
「...オオォォォォ!!!!!!」
突然の咆哮で目をやると、敵が先ほどよりさらに激しく、ひどく怒り狂った顔と声を蓮に向かって発していた。怒りで我を忘れたかのように正面から蓮に突撃するが、反対に彼はすごく冷静に対処した。攻撃を弾き、剣で斬る。その一連の動きにはなんの迷いもなくごく自然に見えた。
私はどんな表情をしていたのだろう。彼は敵がいなくなったのを確認すると、腰が抜けて座っている私の方を見た。その顔にはなんともやるせないような表情が映し出されていた。その気持ちは私にも伝わった、しかし、同時にもう一つの気持ちも芽生えてしまった。
無言で剣やハンマーを片す蓮に私は少し警戒していた。現に、弓を片付ける、と蓮に無言で手を差し出された時、首を横に振って拒否していた。彼の差し出す手がどことなく怖かったのもあったが、私は私が使える唯一の武器を渡したくなかった。自己防衛的な本能がそう感じたのだろう。
片付けが終わると彼は歩き出した。私もそれについていく。「行くぞ」とも「どこへ向かう」とも言われず、ただ彼についていく。以前までなかった一定の距離を置いて、お互い無言で歩く。お互いに何も言わずに行動することに抵抗がないのは、私たちは思考が似ているのだと思う。何をしたらどう思うか、何をしたらどう感じるか、その感覚的な部分は言葉で表すにはあまりに難解すぎ
るが、それでもわかってしまうのは私たちが似ているからだと、一奈は考えた。
その所為か、蓮が変わってしまったのも私にはわかってしまった...、もちろん彼にも...。今だに辺りは暗いが、そのことは私たちにとってはどうでもよかった。それよりもこの様になってしまったほうがよっぽど気にしている。
二人は歩き続けた、止まることなく、道中先ほどのやつらの仲間とみられる敵が襲ってきたが、蓮はなにも言うことなく、ただひたすらに剣を振りつづけ、そして先へと進んでいく。生物を殺すことにためらいがなくなっているのは、一奈でもわかった。
休むことなく、歩き続けた先には最初に彼ら最初にいた...一奈達が出会った大樹が並ぶ森だった。何時間歩いたのか、あたりに光が差し込む時間まで彼らは歩き続けた。蓮はともかく、一奈がそれほど歩いたのは彼女がそうすることを望んだからだ。休憩を入れることを望まず、少しでも気がまぎれるこの心ない行動を続けるのは彼女にとっては気休めだった。
不意に彼に対して異変が見られる。突然よろめきだし、木に右手をつき左手で胸を押さえている。顔を下に向け、息苦しそうに息をしている。
一奈が蓮に声をかける直前、彼女は踏みとどまる。彼の右手の先、木が折れかけている。詳しくは彼のつかむ力で木が少しずつ削れていったので折れかけているといったところだった。彼の手には削られた木屑がはさまっていて、痛みで力を入れた時に取れたものだと思われる。
一奈がまたあの症状を疑ったが、数秒すると彼はもとに戻った。今までは気絶するほどの痛みがいくらか続いていたが、今回は違ったのかもしれない、彼女はそう結論付けると少し後ずさり、さっきまでの距離を作った。
二人はまた歩き始める、機械のように変わらない距離、交わさない言葉、変えない行動。先ほどまで異常があった蓮も、今では何事もなかったように歩いている。
そして......敵。今回もまた一奈にとっては少しグロテスクに見える。というのも彼女には虫の足がただ巨大かしたように見えるからだ。ケンタウロスの虫バージョン、顔、胴体は人間の女性、というかメデューサみたいな風貌で、腰から下は蜘蛛のように足が何本もある。本当に......気持ち悪い...。
「ひひ、人間か...。いや、面白い。実に...」
何が面白いのかわからないが、その生き物が私達をみて笑ったのも一瞬、次の瞬間には剣で二度ほど斬られ四つの物体へと変わり果てた姿。その手前には刃がやたら長く、血が付いている剣をもった蓮が立っている。敵も何が起きたのか理解できず、理解した時にはすでにしゃべれないでいた。
蓮は目の前にいるのが敵だとわかった途端、攻撃を開始していたようだ。敵も油断してたし、私も予想できなかったので蓮の一人勝ちのように思える。彼は何も言わず、再度何もなかったように歩く。
やはり彼は...、彼が生き物を、彼自身の手で殺した時から何かを感じているのか。それとも、逆に何も感じなくなってしまったのだろうか。生き物の、生きていた者の身体を貫くその手にはおそらく、命が絶命した時の感触が今も残っているのかもしれない。
ドンと音がする。私は前を見ずに下を見ていたため、進行方向の先の何かに当たった...蓮だった。彼はぶつかった私の方へ振り返ることなく、じっと前を見つめている。私も彼の背中から顔を出し、それを確認する。あぁ...またか、敵だ...。
これまた奇妙な外見の敵だった。がたいは普通...よりは少し良いかな、今までみたいに大きいわけではない、しかし、痩せこけている様子もない。少しスリムともいえる。二足二腕の人間と同じ形をしている。奇妙だというのは、どういうわけか顔を隠しているように見える。顔の周りは何かに覆われ、黒衣のように顔を黒い何かで隠していた。
私が敵の観察をしていると、すでに彼は動いていた。相変わらずためらいなく、素早い動きで敵の懐に入り込み、左手で持ってる剣を右から左へとバットを振るように......
しかし、刃が敵を裂く前に、敵に届くことすらなく蓮は吹き飛ばされる。軽い、風などで飛ばされたように彼は宙を舞った。私も蓮も何をされたのか理解できずにいたため、うまく受け身がとれずに地面に落ちる。すると意外にも敵が声をかけてきた。
「まあまあ、少し落ち着いてください。私は敵ではありませんよ」
簡単に直接的に説明されたが、当たり前だが二人は依然として警戒を解こうとしない。彼らの様子をしばらくうかがっていた黒衣のような生き物は、小さくため息をつき、淡々と説明し始めた。彼の目的を..。
「あなたたち、参加者ですね?」
「...参加者...ね。別に希望した覚えはないんだけど」
蓮が辛辣に答える。黒衣の生き物はふっと笑い、続けた。
「そうですね、強制的ですから。となればやはり自分の星に帰りたいと思いませんか?この星を仕切っている......」
「めんどくさいから、単刀直入に言え」
「......いいでしょう」
彼のきつい態度にイラつくこともおびえることもなく、紳士風にふるまうこの生き物は何なのだろう...と一奈は訝し気に見る。
「私はあなたをあなたの星に帰すことができます」
唐突な発言に私の頭は真っ白になった、しかし、すぐに敵の策略かもと疑いを持つ。蓮もおそらく、その可能性を考えているのだろう、考えるそぶりをとる。
「もちろん、無償ではないですが......」
私たちを遊んでいるかのように、後から取ってつける。無償ではない...か。何がいるのだろう、星に帰すとなるとかなりの物を求められそうだし、そもそも嘘かもしれない。
「...条件は?」
彼は考えを巡らせながらも、質問していく。
「簡単ですよ。ゲームをするだけです」
「ゲーム?」
「詳しくは...まぁこの話に乗るのであれば教えますけど」
二人は悩む。一奈にとってはこの話が本当だとすれば、またとない機会だがゲームというのが気になる。敵であれば、その提案にのると殺される可能性が高い...正直言って、彼女は善か悪か判断ができなかった。故に彼女は今、完全に蓮に頼ることにしている。頼らざるを得ないほど、敵の話は信用できない。彼の洞察力、判断力、そして思考力を信じてみるしかないと一奈は考えていた。
「...なら、ちゃんと星に帰すと保証がないとだめだな...」
「...保証ですか、難しいですね。こればっかりは信じてもらわければ......」
そういうと、蓮はまた考える。
「わかった...。信用しよう」
そして急にくるっと振り返り、私の眼を見る。久しぶりに彼と対面した気がする。そして、彼は真剣な眼差しで私に向かって言ってきた。
「...一奈。答えを出す時が来たぞ.........」
『答え』。これが何を示してるのか、私にはわかる。ずいぶん前に...私たちが出会って間もない頃に彼に聞かれた事。
―――何があっても帰りたいか―――
...今だ...。蓮ではなく、私が判断しなければいけない。この決断で私は殺されるかもしれない、もしかしたら連れ去られて、実験道具にされるかもしれない、拷問されるかもしれない、それを覚悟の上で私は帰りたいのか...。このまま蓮についていくという選択肢もある...どうする..どうしよう......。
すると彼はいままでの口調に戻り、突然こんなことを言い出す。
「...一奈...お前、本好きだよな?最近は...あの推理小説の」
「えっ?あ、うん。えっと、どういう意味?」
急な発言で真意がわからない。彼はバッグから本を取り出すと、その本を私に見せつけながら言ってくる。
「この本の続きを見るには...地球に帰るしかないんだぞ」
「......うん。でもそれで...」
それで...本の続編を見るために、リスクを冒して帰るっていうのは......。私が考えた途端、それを読まれたように蓮は言う。
「なんでもいいんだ。続編を見たいでも...。それは立派な理由だよ。俺は別に、深い意味を求めろって言ってるんじゃない。深刻な理由がなきゃだめって訳でもない。小さなことでも、帰りたい理由があればいいって言いたいんだ」
「.........」
...帰りたい、理由か......。
「お前は今まで、なんとなく、死なないために俺に協力してきただろ。それでもいいよ。俺はそれで助かってたしな。でも死なないためっていう理由は、人生でずっと維持し続けられないんだ」
蓮は...彼は何かをぶちまけるかのように話す。
「......どういうこと??」
「その考えをしていると、人はいつか死ぬ...だから死なないために足掻くのは無駄じゃないか、と考えついてしまう。その結果、『人生はつまらない』の一言で終わってしまう」
彼は私から一度も目を離さずにしゃべり続ける。これほど真剣に話したことがないほど...、今までの彼がすべて彼の悪ふざけに見えるほど彼は真摯に取り合ってくれている。
「何か...プラスな物を見つけるんだ。何かをしたくないから...ではなく、何かをしたいからって考えるんだ...。その理由が...小さいことでもいい。恋がしたいでも、かわいい服が着たいでも、おいしい物が食べたいでも...あぁ、料理うまくなりたいでもいいんじゃないか?」
暗い雰囲気を冗談を交えて少しでも明るくしようとふるまってくれる蓮。まぁ冗談になってないんだけど......。
「...それらを...今の事をよく考えて、一言で返事してくれ...。...一奈、お前は地球に帰りたいか?」
彼の質問の後は静寂。誰も彼女を催促をしない。自然ですら風も音を立てず、蓮がこの空間を支配しているかのようにここは彼によって作られていた。そして、彼女の口が開く。
「......帰りたい」
それを聞いた蓮はすかさず黒衣の生き物の方へ向きニヤッと笑いながら言った。
「........ゲーム内容は?」
「わかりました。それではゲームの方を説明させていただきます」
今更ながら彼らの話はゲームをクリアして帰れるってことになったらの話だ。まずはゲームクリアが最優先...もしかしたら、無理難題を要求されるかもしれない。その可能性があるにも関わらず、彼には絶対的な自身があった。
「まずは、種族に合ったゲームを出します。地球の方ですね...」
黒衣の生き物は何やら腕をいじる。腕につけられいる機械を開き、画面をタッチして操作する。
「ゲームは全部で三種類、それらを全てクリアすれば...」
「地球に帰れる」
黒衣の生き物の言葉を遮って、というよりはかぶせて蓮は食い気味に言った。
「ええ。では始めましょう。最初は単なる...地球で言う算数ですよ。ここに数字が出てくるのでそれらを足す、引く、かける、割るの順で計算していってください。」
算数?そんな簡単な...
「三、二、一.........」
一、の後に一瞬、一秒にも満たない時間で見えたのはとんでもなく多くの数字だった。パソコンのように機械的に並べられたそれらの数字は全て暗記して計算するのには、ほぼ不可能な数だった。
彼女は茫然としてしまう。そして気づいたようにどなる。
「え...今ので終わり...?いやいや、あんなん無理でしょ!何個あんのよ!!?」
彼女はあまりにも理不尽に感じたゲームを卑怯だといわんばかりに訴える。しかし、それらの意図を汲み取ってるのか否か、黒衣の生き物はまじめに答える。
「千三百四個ですね」
「......」
彼女は閉口してしまった。地球人に合わせたといって、地球人にはできないようなゲームを出す、その卑怯な作戦は考えてはいたが、実際にやられると何とも言えない気持ちになる。
「......四十五」
「...............え?」
「正解です」
蓮、一奈、そして黒衣の生き物、と順番に言葉を発したがそれは会話として成り立たないでいた。彼女は信じられないと顔に出しながら蓮に聞いてみた。
「...え、蓮。数字、全部覚えてたの?」
「うん」
簡素な返事を返されてなお、彼女は信じられないでいる。しかし、現に正解したのがなによりの証拠だった。正解したからか彼女はどなるのを止め、口を閉じている。
「次のゲームはこちらです」
そういい黒衣の生き物は指を鳴らす。すると何もなかった場所に突如、人間より少し小さな二本足、二腕の恐竜のような顔をした生物がいた。口の中には牙や歯が一つもない、印象的な生き物だった。
「この生き物ののどにある光ったものを取ってください。それだけです」
そういうと、生き物は手順に従うように口を大きく開けた。奥には言われていた光った何かがあった。
「ちなみに光るものに触ると、口の周りから針のようなものが飛び出しますのでお気を付けください。その針に刺されると、神経毒で人間の腕は使い物にならなくなるので...。頑張ってくださいね」
つらつらと彼らにとっては絶望的なことを説明させられている。つまり腕を入れてつかんだとしても、速攻で...それこそ光速でひっこめなくては、その腕が使い物にならないと言っている。
一奈はチラッと蓮をみる、考えているようだが、考えては仕方がないとわかる、彼がそのそぶりを見せるってことは彼でも厳しいということなのか。となると...私がやるべきなのかな......。
一奈がそのように考えた時、蓮は躊躇することなく腕を突っ込んでいく。彼の手に光ったものが触れた途端に口の周りから針が飛び出し、彼の腕を貫通する、そして針は引っ込む。
彼は痛みに顔をゆがめたが、腕をもう片方の手で引っ張り、光ったものを無事に取り出した。しかし、彼の腕は穴がいくつか空き、血が出ている。
一奈はすかさず彼のバッグから消毒液と包帯を使い、彼の腕を応急処置した。だが、もう使えなくなって痛みの感覚がないからか、消毒液をつけても彼は反応しない。
「お見事です。ためらいなく手を入れるとはやりますね」
言葉ではほめているが、その口調は実に空虚に感じられる。一奈は一瞬にらみつけると、すぐにまた蓮の腕の手当てに移る。彼は手当てしてる私の方なんか見向きもせずに、ゲームを進めるよう促す。
「次でラストだな。早くやろうぜ」
「わかりました。最後は質問に答えてください」
「......質問?」
言葉を繰り返してしまう一奈。彼女にとってそれは、最後のゲームとしては実に気の抜けた内容だったために疑うようなそぶりを見せてしまう。
「ええ。あなたが...今までに殺した異星人の数を教えてください」
殺した異星人の数...。それを知ってなんの意味があるんだろう...。それに、誰でも答えられるような内容はあまりにも怪しく感じる...。多すぎると失格とか、少なすぎると失格とかあるのではないだろうか...。
彼女は何か深い意味があるのではないかと疑っていたが、蓮は少しだけ考えてから答える。
「五十五」
一奈はその数に少し驚きを覚えた。
「...そんなに?」
「ああ、宇宙船の中でな...」
彼らの会話を遮るように黒衣の生き物は手を広げて言ってくる。
「...おめでとうございます。ゲームクリアです」
そういうと黒衣の生き物はまた指を鳴らした。出てきたのは小型の、宇宙船にはどこでもついてそうな緊急脱出ポッドのようなものだった。辺りにある木より小さいがそれでも、蓮たちにとっては十分な大きさを備えている。
彼らは中を確認すると外見通り、十分な広さがある。機械的な壁に椅子は地球では見たことのない類のものだった。一奈は疑問に思ったことを口に出していた。
「地球にはどうやって行くの?私達、操作できないと思うよ」
「その点は心配ありません。地球へと向かうように自動運転するように設定されています。光の速さで着くため、すぐに帰れますよ」
ってことは、こいつの言ってる事が本当だとすると、地球に帰れるのか...。そうか、やっと帰れるのだ。この悪夢の日常が終わるんだ!。その結論にたどり着くと、あまりの嬉しさに疑うことを忘れてしまう。
「蓮、やったじゃん!帰れるんだよ!地球に...!!」
一奈は嬉しさを隠さずに蓮に言うが、反対に蓮は少し困ったような笑いを浮かべていた。何が彼をそうしているのかわからないが、とにかくうれしい。やはりというべきか、次の瞬間には彼女が耳を疑う言葉が黒衣の生き物から発せられる。
「...それで...、どちらがお乗りになりますか?」
「.........え?」
どちらが...?どういうこと...?
頭の良し悪し関係なしにこの事が何を指すのかわかるだろう。この宇宙船に乗れるのは一人だけと言われてるのだ。
彼女は頭の中では焦り混乱しながらも、言葉にして弱弱しく反論する。
「どちらが...?もちろん、私達二人よ。なんで一人残さなきゃいけないの!?」
「こちらの宇宙船は光の速さで移動するとおっしゃりましたね?そのため、椅子に座ってワープにも耐えれるようにしなくてはいけません。地球人のかたがその椅子に座らないでワープすると...、ミンチになってしまいますよ」
まるで笑われているかのような口調。その口調に苛立ちを感じ、声を荒げる。
「じゃあ、椅子をもう一つ増やしてよ!何で......っ!!」
彼女の言葉は途切れてしまう。蓮が...彼が私の方に手を置いて言ってきた。
「...一奈。そういうこと。お別れだ...」
蓮は椅子を増やす、という提案が不可能だとわかったのだろう。もちろん、一奈も頭の奥底ではわかっていたが、認めたくなかった。どちらかを置き去りにすると、考えたくなかったのだ。
彼は最初からわかっていたのだろうか...。椅子が一つだけの時点で気づいていたのかもしれない。私も気づくべきだった...。いや、気づいたところで何も変わらないか...。
......この宇宙船に乗るのは彼が相応しいだろう。蓮は今までに何度も私を守ってくれたし、いろんなことをしてくれた。その行いの代償を今、受けるべきだ...。彼が帰るべきなのだ......。
...なのに...、私は...帰りたいと思ってしまう。ここに残るのは私だとわかっているのに、傲慢で身勝手だとわかっているのに...私は帰りたいと考えてしまう。本当に、私は嫌な人間だ......。
一奈は顔を下に向けてうつむいてしまっている。蓮は彼女を、じっと見つめていた。彼には一奈が何を思っているのかわかっていた。そしてこの後、彼が何を言い、一奈が何を言ってくるかも...。
「この宇宙船にはこいつが乗る」
蓮はそう言いながら一奈を指さす。
「...えっ!?」
彼女は思わず大声をあげてあげてしまう。そして、蓮に思わず理不尽な怒鳴りを上げてしまう。
「............何なのっよ......!あなたは、なんでそんな選択ができるの!?どうして私を助けようとしてくれるのよ!!?せっかく帰れるんだよ!」
彼女は理不尽にも蓮に大声をあげている。そして、彼女自身、気づかないうちに涙を流していた。それは何もできない自分に対しての怒り、人間としての彼の優しさ、この世の不条理なシステムへとあらゆる感情を含んだ涙だった。彼の心を想うと、今までの自分の彼に対しての感情がひどく残酷なものに変わっていく。
「...どうしてっ!?...なんであなたはそんなに......っっ!!」
彼女は今までの感情をぶちまけようとした、しかし、言葉がでてこない。鼻水をすすり、むせながらも彼女は蓮の胸倉を片手でつかみ、片手で拳を作り叩く。壁をたたくように...しかしその拳に力はなく、彼のやさしい体温が一奈の手へと伝わる。
「...おいおい、俺が何のために帰る理由を聞いたと思ってるんだよ。俺の感動的な話を無駄にさせないでくれよ」
彼は相変わらず、ふざけているが一奈には笑うことができない。ただ泣き続けるだけしかできない。今の彼女はいつもの彼女ではなくなっている。感情を表に出させまいと、作っている一奈ではない。その考えをさせないくらい彼女にはつらかった。
「...さて、えー..っと、名前何だっけ?」
「......ウェスティア...ウェスでもいいですよ」
「そうか...、じゃあウェス、一奈が乗るように設定してくれ」
「わかりました」
彼らの会話は一奈には聞こえている。しかし、動けない。声が出せない。彼女はただただ泣きながら蓮を見つめている。
蓮も最期の会話をするために一奈の元へ向かい、声をかける。その優しい、今までの声が彼女の心を余計に掻き乱す。
「....。異星でも同じ地球人がいてよかったよ。多少、いがみ合いはしたけど、結構楽しかったよ。まぁなんていうか、うん。俺が死ぬの確定したわけではないからさ、また会えるって......」
彼の気休めのような言葉に対して一奈は何も言えない。言葉を発しようとすると、また涙があふれてしまうから。彼は一奈がしゃべれないと知っていながらも、声をかけ続ける。
「俺のバッグ、持って行っていいよ。いくつかは俺が持ってくけど、残りは記念にあげるよ」
蓮はバッグを探り、いくつか取り出してから、宇宙船の中に置いた。彼は別れのあいさつを告げる。
「...それじゃ、またいつか.........」
このままいかせるの!?何も言わずに?そんなの...だめだ!
「.........蓮!!」
もう話せないと思っていた蓮は少し驚いた。彼女が顔を上げると涙が止まらず流れ続けていた。
「...いままでっ、いろんなことで...助けてくれて、ありがとう。あんたのむかつく言動、全部を記憶に残しといてあげるっ!.........。......蓮......だから...............また会おうっ!!!!!」
「『昔を振り返るのはやめにしよう。大切なのは明日何が起きるかだ』.........」
彼は一奈の言葉を遮ると、またふざけたように言ってくる。その様子は彼女の顔を笑いに変えて、いつものように厳しく返した、最後の彼への言葉を。
「何それ...。人の言葉借りてないで、自分で名言作りなよっ......」
いつもの怒ったような口調ではなく、笑いながら、泣きながら、彼女は言葉を交わした。蓮もこれでいいと考えたのか、彼女を宇宙船に行くように手で誘う。その誘いに従い、宇宙船の中に入っていく一奈。中で椅子の装着の仕方をウェスから教わり、ドアが閉まる直前、蓮の方を向き彼女ができる最大の誠意、感謝の印を彼へ見せる。
彼女の精一杯の笑顔をみた蓮はふっと微笑み、宇宙船から離れる。ドアが閉まり、大きな音が止まることなく森に響いていく。そして、その音の発信源は、広く懐かし気な雰囲気をもつ森に別れを告げ、空へと飛び立つ。その様子を見えなくなるまで彼はじっと、見届けていた。
一奈は宇宙船の中で彼のバッグを見ていた。それを見るだけでも記憶がよみがえる。そして、また涙が溢れてきた。彼女は自嘲気味に笑い、涙をふく。
そして、人間が...彼らが神と称する何かに...最初で最期の祈りをささげた。その祈りを持つ宇宙船は地球がある方角へと向かい、光を発して広大な宇宙へと消え去っていった。
the first season THE END
この『一枚の花』という一奈の話は今回でおしまいです。しかし、この世界観、この主人公を使った物語は今後作っていく予定で、大まかなストーリー構成もできています。次回は誰を視点にするのかも決めています。彼らの展開がどのようになっていくのか...どのようなエンディングになるのかは今後掲載される話にご期待ください!