2話・二人の旅立ち
遂に迎えた出発の朝、俺は大きく伸びをしながらベッドから降りた。
窓から差し込むのは新鮮な朝の空気と、一日の始まりを告げる眩い日差し。
そして小鳥達の囀りが微風と共に部屋に満ちていく。
始まりを予感させる、爽やかな朝の訪れだ。
快眠から覚めてまず窓へと赴く。
そこから外を見上げれば天気は快晴、絶好の旅日和だ。
朝食として差し入れられたパンを急ぎ頬張って身支度を急ぐ。
身嗜みは信用第一たる砂乗りの基本。
洗顔の後にタオル片手に立ち見鏡に向かった。
白肌に碧の目、共に異常無し。
顔色も良く健康そのもの。
調子はすこぶる良好、但し寝癖が酷い。
俺は櫛を使い金色の髪を丁寧に整えていく。
それが一段落した後、ヴェロニカの形見の髪飾りを付けた。
あの人が何時も大事にしていた髪飾り。
感傷に浸りたい気持ちを振り切り、砂漠渡航用の服を着る。
愛用の灰色の七分袖シャツを着て、動き易いスリムな紺のジーンズを履く。
次いでベストの代わりに、ポケットを内包した大きな風除けマントを装着。
これはメイサの身体を風から守る為だ。
そのポケットへ地図や滋養薬等を詰め込んでいく。
彼女の為の薬も入れられるだけの余裕はある、これなら憂いは無い。
更に大振りなウエストポーチを装備、ここに水や食料を入れる。
ライドシールドにメイサを乗せていく以上、必然的に彼女と密着状態になってしまう。
そうなった場合肩掛け式だとベルトが邪魔で、いざという時に危険という判断からだ。
これならば身動きとある程度の積載を両立出来る。
「よし、これで準備完了。行くか……」
身支度を整えそう呟くと、部屋を後にしメイサの部屋へと向かう。
途中通路で擦れ違うは、若きメイド達。
きっとメイサの準備の最終段階なのだろう。
人の往来の激しい彼女の部屋に入ると、そこにはベッドから起き上がり厚手のコートを纏うメイサの姿。
丁度彼女も出発準備を終えたようだ。
「あ、お早う御座いますスハイルさん。御機嫌如何ですか?」
「お早うメイサ、気分も体調も天気も上々さ。さぁ、一緒に行こう……セギンへ!」
早速爽やかに挨拶した彼女へ、俺はそう言って手を差し伸べた。
「はいっ!」
すると彼女は満面の笑顔でその手を取る。
その瞬間彼女の頬が朱に染まり瞳が潤む、やっぱり彼女は男に免疫が無いようだ。
そんな初々しい彼女の肌越しに感じるのは、少し低めの体温。
メイサのコンディションは良好とは言い辛いが、薬と検査の為に遠くセギンまで行かなければならない。
「薬いいかな? 預かっておくから」
「ええ、宜しくお願いしますね」
忘れる前にとそう言って彼女から大切な薬を預かり、ポーチへと入れていく。
既に今朝の分は食事と共に飲み終えたらしい。
昼食のパンと水筒もメイド達から受け取りスタンバイは完了。
後は出発するのみ。
メイド達の黄色い歓声を背に、俺は彼女の手を引いて部屋を出た。
彼女の表情は実に活き活きとしている。
きっとこれから始まる冒険の予感に心躍らせているのだろう。
階段を降り玄関に於いていたライドシールドを小脇に抱え屋敷を出る時、代表が出迎えてくれた。
箱入り娘の出発にきっと立ち会っておきたいのだろう。
「メイサ、スハイル君……どうか無事に」
代表は若き俺達二人を見つめて、心から無事を祈る気持ちを吐露した。
彼の言葉にメイサは静かに頷く。
「必ず療養して、またここへ帰って来ます。病魔には負けません、だからお祖父様……どうか心配なさらないで」
心配させまいと彼女の掛けた優しい言葉、それを聞いて代表はうっすらと涙を流す。
メイサは義に厚い本当にいい子だ。
「貴方の信頼に応えてみせます、代表。吉報を待っていて下さい」
そんな彼女の気持ちを支えるべく力強く宣言した。
彼女を無事に送り届ける、それ以外の結果等存在しないと言わんばかりに。
だがサーペントの群れの出現報告が上がっている以上、この旅は茨の道程以外の何物でもない。
しかし腕利きを自負するのなら……そしていい砂乗りになるという夢を叶える為には、決して避けて通れぬ道。
ここで膝を折ってしまっては絶対に辿り着けないだろう。
何より、メイサと言葉を交わす度に通じ合う気持ち。
俺は彼女を守りたいと切に思っている。
メイサは遠くへの憧憬を共有する、掛け替えのない少女なのだから。
涙ながらの代表の見送りを背に、俺達は二人町の外を目指す。
――
遂に辿り着いた街の外れ。
青い砂漠と街の境界で、メイサは一人燥いでいた。
「まぁ、青く透き通っていてとっても綺麗。これが星砂なんですね……不思議」
彼女は白くたおやかなその掌で砂漠の星砂を掬っていた。
長い療養暮らしで、窓からしか砂漠を感じられなかった彼女。
けれど旅立ちを迎える今ならば、星砂に触る事も出来る。
彼女にとっては貴重なチャンスだ。
日頃嗅ぎ慣れた乾いた星砂の匂いさえも、彼女にとっては新鮮なんだろう。
物珍しそうに砂に触れていた。
「ああ、この星砂は熱を吸収する性質を初め色んな特性があるんだ。博識なメイサならもう知ってるかも知れないけれど」
すっかり目を輝かせている彼女へそう告げた。
そして抱えていたライドシールドを青い砂漠へと落とし、両足を乗せる。
魔力に対する反応は良好、いざ出発だ。
燥ぐメイサへと手を差し伸べると、彼女は恐る恐る足を踏み出す。
きっとライドシールドに乗るのも初めてなのだろう。
「白いライドシールド、初めて見ました。本当に白馬の王子様って感じですね、スハイルさん」
「そう言われると照れるな……大丈夫、これは乗り慣れた相棒だから転ばないさ。バランスを預けて良いよ」
夢見がちな彼女の言葉に照れながらそう答え、俺は彼女のスラリとした長身を優しく抱くようにしてシールドに乗せた。
右手で彼女の右肩を抱き、左手でメイサを風から庇う為のマントを張る。
そしてバランスを取る為、広めに取った両足の間に彼女の両足を乗せた。
「あ……」
まるで抱き合う恋人のような格好で密着した彼女。
顔を真っ赤にしてすっかり照れている様子だ。
だが、このシールドは積載量よりも速度を優先した速度特化型。
故に二人乗りをするのならばどうしても密着せざるを得ない。
「ゴメンね、狭くてこうするしか……」
そんな彼女にそう言って心から詫びる。
二人乗りで速度を出しつつ、緊急時にも対応するにはこうするより他無いのだ。
俺より二つ年下のメイサ。
誰よりも可憐な彼女の顔が近く、吐息もその熱さえも感じ取れる。
開けた厚手のコート、その下には新品の黒いワンピースを纏っていた。
そのワンピースの上からでも解る彼女の身体の柔らかさと香り。
密着した身体越しに、この心臓の鼓動までもが伝わってしまいそう。
そして彼女の上目遣いの破壊力たるや凄まじく、危うく理性が吹き飛ばされ粉砕されそうになる。
「いえ、暖かくていい気持ち……私はスハイルさんと一緒に旅出来て幸せです。どうかお気になさらないで」
彼女はそう言って俺の胸板にそっと両手を寄せ、頭を首元へと預けてくれた。
これは全面的に信頼してくれている証。
けれど、愛の告白とも取れる積極的且つ好意的なメイサの言動は刺激的だ。
鎖骨に触れた彼女の指先から感じられる体温は先程よりも高く、メイサも照れているのだろう。
このままでは折角の出発が台無しになってしまうと判断した俺は、マントで彼女の身を庇いシールドに魔力を注ぎ込む。
「有難うメイサ……さぁ、出発だ!」
照れ隠しにそう叫ぶと同時に、ライドシールドが強い推力を発生。
果てしない青き砂漠へと漕ぎ出す。
推進紋章が掻き分けた砂塵がシールド後方に舞い、正面からは風が吹く。
その風がメイサの銀髪を舞い上げさせ美しい。
俺は魔力供給を続けつつ、両足で巧みにバランスを取りながら目指すセギンへと進路を取る。
二人乗りだが彼女が全面的にその身を委ねてくれるお陰で、普段に近い感覚で操縦出来ていた。
「まぁ、素敵……こんなに爽快だなんて!」
彼女は感動に震えながら快哉の声を上げる。
初めて体験する砂漠の旅、そして青き砂漠の風。
その新鮮さにときめいて興奮しているのだろう。
青一色に染められた天地。
それを確かに分かつ物は、白雲のシルエットだけ。
二人の出発を祝うようにして頭上には渡り鳥達が舞う。
思わず気持ちの弾む絶好のシチュエーションだ。
「これがサンドライダーの旅さ、お気に召したかな?」
「ええ、とっても。この推力の源、スハイルさんの力なんですね。この砂漠をこんなにも疾く駆けられるなんて、素晴らしいです!」
掛けた言葉に彼女は羨望の眼差しと共に素直にそう答え、賞賛の言葉を贈ってくれた。
ストレートに褒められ思わず照れてしまう。
スピードにはそれなり以上の自信があっただけに尚更だ。
眩しい笑顔が間近で見られて、その嬉しさがひしひしと伝わって来る。
メイサの弾む様子に思わず癒やされてしまった。
一人で旅する事が殆どである俺にとってもこれは新鮮だからだろう。
だがそんな喜びも束の間、彼女は少し咳き込んでしまった。
恐らく涼しい砂漠の風が彼女の体温を下げてしまったのだろうか。
俺は急ぎマントを翳し、彼女を苛む風を遮る。
すると暫くして咳は治まった。
一先ず胸を撫で下ろすと、彼女は静かに口を開く。
「心配させて御免なさいスハイルさん、私はもう大丈夫ですから」
メイサは気丈にそう言ってのけた。
きっと心配させまいとする考えからだろう。
「了解……でもくれぐれも無理はしないで、体調が悪くなったらすぐ言ってね」
健気な彼女の気持ちを受け取りつつも、俺は念を押すよう優しく彼女に伝えた。
この砂漠は身体の弱いメイサにとっては辛い場所。
気を抜けば変調し容態悪化を誘発する可能性もある。
そう、敵はサーペントだけではない。
この砂漠そのものの環境も脅威となって立ちはだかる。
しかし彼女の命を繋ぐ為には、どうしてもセギンへ行かなくてはならない。
過酷な旅路、だが必ず乗り越えてみせると意を新たにした。
ーーー
太陽が上り、青き砂漠に訪れた昼下がり。
サーペントに遭遇しないままの順調な旅路。
俺達は疾走しながら昼食のパンを頂き、彼女は昼の分の薬を飲み干し水筒の水で流し込む。
共にお昼を済ませてのんびり一段落と言った時間帯。
そんな時間に反して、どうにも腑に落ちない物を感じていた。
意識を集中させ聴覚と足裏の触覚を便りにサーペントを探るも、敵の気配は無い。
群れが出現したという割には余りにも呆気無い状況だ。
経験則上既に一度はサーペントと遭遇してもおかしくはない頃合、なのに一匹たりとも姿が見えない。
これを素直に幸運と捉えるか罠と見るか、一人悶々と計り兼ねていた。
そんな俺をよそに、メイサはうっとりとした表情で遠景を眺めている。
その美しい横顔に見惚れていると、彼女はふと口を開いた。
ほんの少しだけ蕩けた表情で。
「私は長くベッドの上で生きて来ましたから、人肌の温もりというものをすっかり忘れていました。今はスハイルさんの体の暖かさが有難いです、まだ元気だった頃を思い出せて……」
彼女はそう言うと、胸板に当てた両手を俺の首へと回して優しく抱き締める。
きっと健康喪失の痛みと寂しさを抱えたまま、遠い世界への憧れを糧に生き続けて来たのだろう。
一人孤独に病魔と闘い続けてきた彼女が見せる、精一杯の背伸びと大胆さ。
そんな彼女の気持ちに沿うように、そっと抱き締め返す。
温もりを二人で共有し、彼女が冷えてしまわぬよう願って。
「寒さも風も寂しさもこうして払い除けるよ、だから遠慮はしないで。君を護ると誓ったんだから」
人の温もり恋しい彼女の耳元へ、囁くように俺は言う。
するとメイサは少し驚いた表情の後に両目を閉じて、唇を開く。
「はい、少しだけ甘えさせて下さい。スハイルさんの優しさが、心に沁みます……有難う」
彼女は甘く優しい声で感謝の意を述べた、この気持ちがメイサに届いたのだろう。
そして彼女は俺をぎゅっと抱き締める。
互いの心と体の境界が溶け落ちて曖昧になりそうな程に強く。
風除けマントでどんなに風を遮っても、清涼な空気の全てを払い切れない。
けれど涼しい砂漠で失った温もりは、この体温で補える。
この過酷な砂漠を乗り切る為の大原則は、互いに支え合う事。
それをシンプルに実行すれば、困難な道程だって大丈夫だ。
密着し、互いの心音までもが共有されたひと時。
彼女はその温もりに包まれて、至福の表情を浮かべていた。
この涼しい砂漠は彼女にとっては毒のようなもの。
けれどこうして二人ならば渡り切れる。
そう信じて二人抱き合ったままに、シールドは走る。
真っ直ぐセギンを目指して。
道中彼女と共に他愛のない話を重ねた。
まだ見ぬ世界へ憧れる似た物同士だから、話は弾む一方。
一人旅に慣れてしまった俺にとっても、同伴する少女との話はとても新鮮だ。
言葉を交わす度に気持ちが通じ合い、ずっとこうして彼女と旅していたいという感情が沸き上がって来る。
寂しさを抱えていたのはきっと俺も同じだったのだろう。
自覚してなかった不可視の傷痕を互いに舐め合うように、言葉と温もりを交わし合った。
高鳴る気持ちを噛み締めながら。
傾き行く太陽……青き砂漠を暫く走り続けていると、突如敵の気配と襲撃の兆候を捉えた。
切り裂く風の音に混じって星砂が隆起する音が聞こえて来たのだ。
敵は二体、後方左右から挟み撃ちをするようにして猛追して来ている。
追い込むようなこのパターンからして、敵は群れである可能性が極めて高い。
やはり妙に敵の出現が鈍いという不安が的中した。
サーペントは群れで動く場合広大極まるテリトリーを形成する。
強大な蛇が長となり、そのプレッシャーで逸れサーペントを寄せ付けさせず狩場を確保してしまうのだ。
そのプレッシャーに何か独自の波長を使っているのか、それを人が知覚する事は出来ない。
だからこそ午前の旅路で一匹にも遭遇しなかった。
この事実に思わず額に汗が流れ、緊張が走る。
サーペントの群れに襲われその危機を切り抜けた事はあるが、それはあくまで一人の時の話。
今回は初めて迎える二人乗りでの戦いだ、普段以上に気を使わねばならないだろう。
「……やはり遭遇してしまったか、サーペント達がこちらを狙ってる。でも心配しないでメイサ、俺がいるから任せて欲しい」
「はい、私スハイルさんを信じています」
集中状態を高めつつそう言って彼女に警戒を促した。
その刹那、右前方の砂丘より身を刺すような殺気が放たれる。
「くっ、待ち伏せか!」
俺は咄嗟にそう叫びつつ、彼女の身を抱いたまま重心を左に傾けた。
すると砂丘が突如爆ぜ巨大な黒いサーペントが強襲して来る、砂丘に化けて待ち構えていたのだ。
闇夜の甲殻に身を包み、開けた口にビッシリと生えるは大人の等身大の長さの牙。
こんな物に直撃すればひとたまりもない。
襲い来る蛇の攻撃、ターンが寸での所で間に合いギリギリで躱せた。
ライドシールド後方を掠めるようにして大きな蛇の頭が飛び込んで来る。
やはり巡航のみならいざ知らず、戦闘機動では二人乗りの影響は大きい。
普段ならまだ余裕はある筈のターン角、その確保に若干手間取ってしまった。
一瞬の判断ミスが命取りになり得るサーペントとの戦い、反応が僅かでも遅れていればやられていた。
そしてこの蛇達の布陣、これは罠だ。
「こんなにも巨大なんて……!」
サーペントを直接見るのは初めてであろうメイサ。
彼女は敵の巨大な姿を前にして、驚愕の表情を浮かべた。
唯でさえ初見となるであろう人類の宿敵。
その恐怖に彼女が呑まれぬよう、有りっ丈の力を篭めて叫んだ。
「大丈夫、こんな窮地を俺は何度も切り抜けて来た。今度だって必ず!」
「はいっ!」
俺の言葉に、彼女はそう言って頷いた。
メイサは信じてくれている、腕利きを自負するこの力を。
サーペントの放つ威圧感に負けないのならば、バランス崩壊の恐れは無い。
その分全力で敵に集中出来る。
だからこそ応えねばならない、彼女の一途な信頼に。
獲物を狩り損ね、怒りの雄叫び上げるサーペント。
待ち伏せしていた個体が牙を剥いて猛追して来る。
砂漠を高速に這いながら。
砂上に一匹、砂中より二匹……実質三匹を相手にしなければならない状態。
最大加速で振り切ろうとライドシールドへ魔力を注がんとした瞬間、突如前方より未曾有の殺意が襲って来た。
この不気味なまでの悪寒伴う殺気、確かに覚えがある。
青い星砂が一斉に震え、遠く彼方で轟爆音伴い巨大な蛇が大口を開け砂中より勢い良く飛び出す。
まるで太陽さえもひと呑みにせんばかりの様は、凶兆の暗示めいていた。
このテリトリーの長であろう超巨大サーペント、今まで見てきたどの蛇よりも太く大きい。
奴は鎌首をもたげ、圧倒的な迫力と威圧感を放ち俺達を見下すように睥睨する。
大きく裂けた巨大な口、そして左目に残るは激しく抉られ痛々しい傷痕。
奴には見覚えがある、忘れよう筈が無い。
「あの傷痕、あれは……あのサーペントは!」
その姿を一目見て思わず叫んだ。
俺達の行く手に立ちはだかるようにして聳えていたのは、隻眼の超巨大サーペントの威容。
それは大恩のあるヴェロニカの仇だ。
かつて大切な人を奪った宿敵が、今再びこうして目の前に現れた。
まるでメイサと交わした誓いを踏み躙るかのように。




