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4 全っ然届きませんよ!

 シルクスがリプロの新たな主人なってから数日が経った。彼女の住処は、シルクスの宣言通りに彼の部屋に移された。さらに運搬用の壺から球体状の水槽に代わっていた。下には様々な色硝子の球が敷き詰められ、日差しが差し込むと宝石のように硝子球は煌めく。水槽の底には、小さな水草が何種類も植えられた。

「金魚鉢ですか、これは」

 ビュランが水槽を見てそう言った。満足げにシルクスが頷いた。

「そうだ。人魚鉢と命名した。これから暑くなるし、涼しげだろう」

 水槽の下でリプロは尾を抱えていた。人魚鉢の広さは、悪趣味男の所より大きかった。居住面で言えば、今までで一番快適かも知れない。水温や衛生管理はこれまで以上に徹底されている。食事も変な固形物では無く、人間が食べる物と同じ物が出されていた。

「しかし、全然食べてくれないな」

 シルクスが困ったように視線を移した。その先にあるのは、人魚鉢の横に置かれた木製階段。その一番上にリプロ用にと出された食事が置いてあるが、皿の半分以上も食べ残してある。

 別にリプロの口に合わないわけでは無い。それどころか、美味しく感じる物もある。ただ喉に通らないだけだ。二口も食べれば、もう入らなくなる。勿体ないと思ったが、無理に口に詰めると吐き気を催してしまう。

「人魚というのは小食な生物なのだろうか?」

「知りませんよ。どうせ、シルクス様が手渡しで食べさそうとしてたんでしょう」

「そんなことはしてないぞ! 初日しか」

 ビュランはうんざりした表情を浮かべた。

「本当に過去と同じことしか繰り返さないお方ですね」

「黙れ。俺には俺なりの考えがあってだな」

「はいはい」

 リプロの耳には二人の会話は入ってこない。豪華な食事や綺麗で広い水槽よりも、彼女が求めているのは故郷の海だ。

 あれからどれだけの月日がたっただろうか。両親はリプロが帰らぬことを嘆いていないだろうか。友人たちは元気にしているだろうか。そう思うと、悲しみが一気にこみ上げてくる。

 帰りたい。

 その思いがリプロの胸に広がる。肩を震わせていると、水面が揺らいだ。何かが中に入ってきたらしい。驚いて頭上を見上げれば、シルクスが自らの手を、人魚鉢内に差し込んでいた。

「お止めください! 落ちますってば」

 ビュランの叫び声が聞こえた。

 しかし、シルクスは止めない。服が濡れることも構わず、彼はリプロに手をさしのべる。だが人魚鉢の底は深く、シルクスが肩まで腕を伸ばしても彼の手がリプロに届くことはない。

 ほんの少しリプロが上昇すれば、彼に触れられる。しかし、どうしてもそんな気になれなかった。シルクスに触れられるのを嫌だからではない。彼女は戸惑っていたのだ。

 これまで何度かシルクスはリプロに触れようと声をかけてきた。が、リプロが無視しているとすぐに諦めて立ち去った。今回のように彼が水中まで手を差し出してくることは初めてだった。

「シルクス様、本当にもうお止めください!」

 階段を上り、ビュランがシルクスの背中を掴む。が、シルクスは首を振う。

「大丈夫だ。もう少しで届く」

「全っ然届きませんよ! ほら、早く腕を出して……」

 その瞬間、シルクスが体勢を崩した。叫び声を上げる間もなく、彼は頭から人魚鉢の中へと落ちた。ビュランが悲鳴のようにシルクスの名を呼ぶ。とっさにリプロの身体が動いた

 沈むシルクスの身体を両腕で支える。尾ヒレを懸命に動かし、一気に彼を水上へと持ち上げた。

「シルクス様!」

 激しく咳き込むシルクスをビュランが引き上げようと手を伸ばす。水を吸った衣服は重く、なかなか人魚鉢から上にあがらない。リプロも水中からシルクスを押し上げるが、力が足りない。

「誰か! 誰か、来てくれ!」

 足場の狭い階段の上でビュランが扉に向かって叫ぶ。すると、声を聞きつけた兵士たちが駆けつけた。状況を見て、彼らはすぐにビュランに手を貸す。そのおかげで無事シルクスは救出された。

 床に敷かれた厚手の絨毯が、この騒ぎですっかりとびしょ濡れになっていた。

 兵士たちはシルクスを救出すると、また部屋を出て行く。一人は医師を呼ぶため、また一人は風呂の準備を命ずるためだ。諸々の指示はビュランが出した。彼だけは部屋に残り、シルクスの背中をさする。

 シルクスはだいぶ水を飲んだらしく、苦しげに息を荒げている。

「げほっ……すまない。もう、平気だ」

 片手を上げてシルクスは言ったが、顔色は悪い。だが、容赦なくビュランは責め立てる。

「本当に何やってるんですか、貴方は!」

「クロッキーが悲しそうだったから、慰めてやろうと」

 その言葉にリプロは当惑した。どうして人間であるシルクスが、自分の内心を察したのだろう。

「本当に馬鹿ですね」

 ビュランはため息を零した。彼の黒い瞳は、呆れた光を放っていた。

「ははは、すまない」

 力無くシルクスが笑った。彼の身体は冷え切ってしまったらしく、小刻みに震えている。濡れた上着は脱がされてしまっているから余計に寒さを感じるのだろう。

 そうこうしている内に侍女がタオルを持って駆け込んでくる。彼女はシルクスの髪を拭く。

「すぐにお風呂の準備が出来ますので」

「ありがとう」

 青白い顔のままシルクスは礼を言う。

 この間、リプロは水槽の上から眺めていることしか出来なかった。先ほどのシルクスの行動の原因は、リプロにある。つまり、彼が溺れたのはリプロにも責任があるのだ。あの時、すぐにシルクスの手を取っていればこんなことにはならなかった。

「何事ですか、この騒ぎは」

 冷ややかな声が部屋の入り口から聞こえた。

 扉に視線を移せば、そこにはシルクスによく似た少年がいた。陽光のように輝く金髪。夕焼け色の瞳、

整ったその顔立ちは、シルクスをそのまま幼くさせたようだった。だが、彼の放つ雰囲気はシルクスとは真逆のものだ。

 シルクスが人好きにさせる柔和さを見せているなら、少年は近付く者を寄せ付けない刺々しさを放っていた。

「兄上、お答えを」

 背筋を伸ばし、供の者を引き連れて堂々と歩くその姿は、すでに王者の風格を漂わせている。シルクスの前に立つと、少年はチラリとリプロを一瞥した。

 リプロよりもかなりの年下に見えるのだが、その気迫に押されて彼女は思わず頭を引っ込めた。少年の視線は敵意に満ちていた。

「異形の者と水泳でもなさっていたのですか?」

「相変わらず手厳しいな、エングレー」

 シルクスの声に、リプロは違和感を覚える。普段、リプロやビュランたちと接するものとは全く違う。どこかよそよそしいものだ。やり取りを聞くに、二人は兄弟なのだろう。だが、親しい雰囲気は両者共にまるで無かった。

 何よりもシルクスの目が違う。リプロも見る時のような温かさがまるでない。かといってエングレーのような侮蔑のような目つきでもない。ただ、彼の瞳の奥にあった暗いものが全面に出ていた。

「ビュラン、お前が兄上についていながら何て有り様だ」

「も、申し訳ございません。エングレー様」

「ビュランを責めるな。僕の不注意が原因だ」

 シルクスの言葉を、エングレーは鼻で笑う。

「分かっていらっしゃるのなら、お気をつけください」

 刺すように、エングレーは兄を見ている。言葉は丁寧だが、その節々に棘がある。

「そのような軽率な振る舞いをなさるから、下々の者に『第一王子は異形の者に魅了された』と噂されるのですよ」

「言わせたい者には、そう言わせておけば良い」

 対する兄の返答に、弟は絶句した。その場に立ち会わされているビュランたちもだ。それを気にすることなく、シルクスは続ける。

「どんなことを言われようが、僕はクロッキーが可愛い。僕は彼女の主人だ。最後まで僕自身の手で面倒を見る義務がある」

「戯言を……」

 忌々しいとでも言うように、エングレーが呟く。表情は平穏を装ってはいるが、握りしめた拳が彼の怒りを表している。

 エングレーが口を開いたその時、白髪交じりの侍女が外から扉を開けた。場の雰囲気は険悪なものだが、彼女は怯むことなく用件を告げる。

「シルクス様、お風呂のご用意が出来ました」

「だそうだ、エングレー。そろそろ解放してくれないか?」

「……えぇ、そうですね。お風邪でも引かれたら迷惑極まりない」

 兄弟の会話はそれで終わった。侍女を連れ立ってシルクスは部屋を出て行く。兄と弟はすれ違う瞬間、まるで相手がいないかのように無視していた。

 扉が閉められると、エングレーはビュランに矛先を変えた。

「ビュラン、兄上はああ言っていたが?」

「すぐに水槽ごと、この部屋から撤去させます。シルクス様は反対されるでしょうが、このような騒ぎを起こされたとならば、諫める者も多いでしょう」

「当たり前だ」

 眉をひそめてエングレーはリプロを眺めている。ウミヘビでも見るかのような表情だった。

「確かに目は引くが、あそこまで夢中になるものだろうか。よもやおとぎ話のように人魚の歌に魅了されたのか?」

 その言葉に、ビュランは首を振った。

「ご安心ください。アレは口が聞けぬ様子。懐く素振りも見せません。しばらく経てばシルクス様も飽きられるでしょう」

「だといいがな。いつまでも腑抜けでいられたら王家の名折れだ」

 イヤミを振りまき、エングレー一行は去って行った。入れ替わりで掃除道具を持った侍女たちが入ってくる。

 ビュランは彼女たちに指示を出し、やがて大きなため息を吐いた。彼はリプロの水槽の前に立ち、小さく呟く。

「本当に面倒なモノを貰ってこられて」

 その呟きはリプロの耳に届いていた。彼女は出ない声で反論する。

 私は好きでここに来たわけじゃない! 帰れるものなら、今すぐにでも海に帰りたい!

 喋れたのならば、思う存分そう叫んでいただろう。だが、リプロの口から漏れるのは乾いた吐息のみだ。

 どんなに抵抗しても結局リプロは何も出来ない。惨めさに唇の端を噛み締めながら、リプロは身を震わせた。

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