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3 どうだ、良い名だろう

「返してらっしゃい」

 ガタガタと揺れることが無くなったと思ったら、不機嫌そうな声が外から聞こえた。シルクスとは別の人のものだ。

 リプロはそっと蓋と壺の間から顔を出す。馬車の扉が開かれている。その先で、シルクスと一人の青年が話している。

 青年はシルクスよりも、頭一つ分ほど背が高い。枠のついた丸い物体を二つ、両目の前につけていた。あれでは目の前が見づらくないのかと、リプロは疑問に思う。

「噂の人魚を見に行くと勝手に飛び出して、その人魚を持って帰ってくるなんで。ある意味押し入り強盗同然じゃないですか」

「破棄予定だったから、貰っただけじゃないか。だからその例えは間違っているぞ、ビュラン」

 悪びれもなく言い放つシルクスに、青年──ビュランは盛大にため息を吐いた。肩口まで伸びた茶色の髪をガシガシとかいて、シルクスに向き直った。

「この際はっきりと申しましょう。貴方には生き物を飼育する才は、これっぽっちも無いんです」

「そこまで言うか。今までは、その……縁が無かっただけだ」

「ですから、今後も縁は無いと断言させていただきましょう。十九年間、貴方を見てきたこのビュランが断言します」

「だが、今回は違うぞ! いいから、見てみろ。一目見れば、お前だって気に入るはずだ」

 シルクスはビュランを連れてリプロの元までやって来た。リプロは慌てて壺の底へと身を落とす。が、無駄だった。あっさりと蓋が開かれて、彼女の姿は二人の目に晒される。

「な、可愛いだろう」

「……これ、本当にどうするのですか」

 ビュランの呆れたような呟きに、シルクスは自信満々に答えた。

「僕が飼うんだ。大丈夫だ、水槽なら帰り道で特注してきた」

「私が言ってるのはそう言う話ではなくて」

 ビュランの三白眼が、リプロの姿をまじまじと見つめる。その視線は品定めをする商人のものとは、また違ったものだ。気味の悪い物を見るような、そんな目つきだ。

 視線から逃れようとリプロは身をよじらせるが、狭い壺の中では身動きがとりづらい。

「ほら、お前が睨むから怯えてるではないか」

 ビュランに対してシルクスは口を尖らせる。そして、リプロに振りかぶって優しげな声音で話しかけてきた。

「安心するがいい。ビュランは見かけは性格悪そうだが、気のいい人間だ。すぐにクロッキーのことを可愛がってくれるはずだ」

「……何なんですか、クロッキーって」

「この子の名前だ! 黒髪が綺麗だからクロッキー。どうだ、良い名だろう」

 リプロは固まる。陸に上がってからは「人魚」としか呼ばれないことに嘆いていたが、いくらなんでもそんな名前は嫌だ。それに、自分には両親が付けてくれた名前があるのに。それを無下にされたということは、今までの半生を一方的に否定されたかのような悔しさを覚えた。

 ビュランも絶句していた。こちらは命名の安直さに硬直しているようだった。その沈黙を感嘆の間ととったのか、シルクスは上機嫌に鼻を鳴らした。

「さて、今日からよろしくな、クロッキー」

 そう言って、シルクスはリプロの頭を撫でた。彼の手付きは柔らかななものだった。まるで宝物に触れるかのような、慈しむような手つきだ。

 陸に上げられて以来、初めてリプロは優しく触れられた。それに気付き、胸が詰まった。

 恐る恐る顔を上げれば、シルクスと目が合った。彼の夕焼け色した瞳の中に痩せた自分の姿が映っていた。彼はそんなリプロを本当に大切なものをみるような目つきをしていた。商人や悪趣味男たちの目つきとは全く真逆の光を放っている。そして、同時に瞳の奥に暗い陰のようなものが見えた。その陰にリプロは何故か共感してしまった。彼に対して、自分と同じ孤独感が見えたのだ。

「お止めくださいまし、シルクス様」

 シルクスの腕をビュランが無理やり引っ張った。

「病原菌を持っているかも知れないのですよ?」

 ビュランの表情は真剣そのものだ。彼にとって、リプロは未知の生命体にしか映らないのだろう。

「コレは城外に出しておきましょう。何を持っているか分かりませんから。とりあえず水槽が届くまでは、中庭の噴水にでも放してきます」

 こういった反応をされるのを、リプロは慣れてしまっていた。やっぱりここでも今までと同じ扱いをされるのだろう。

 悲しいはずなのに、彼女の目から涙は出なかった。これまでの酷い境遇から、すっかりと神経が麻痺しきっていたのだ。

「では、壺を運ぶために人を呼んできます」

 ビュランが立ち去ろうとするのを、シルクスが止めた。

「いや、クロッキーはこのまま僕の部屋で飼う」

 足を止め、ビュランはシルクスに詰め寄る。

「何を馬鹿なこと仰ってるのですか。いえ、貴方が馬鹿なことは知っておりますが」

「お前は本当に容赦ないな」

 臣下としてあるまじき発言をするビュランに、シルクスは苦笑する。が、特に気を止めている様子は無い。この二人はそんなことが許される間柄なのだろう。

「とにかく僕は決めたのだ。クロッキーの面倒は僕がみる」

「城下で拾ってきた子猫に、三日で逃げられた貴方がですか?」

 ビュランのその言葉にシルクスが顔を真っ赤にさせた。

「うるさい。あれはお前が横取りしたんだろうが! 僕があれほど可愛がっていたのに、お前にばかり懐いて……今ではすっかりお前の飼い猫になってしまった!」

「貴方が嫌がってるのにも構わず構いたおすからです。あんなに撫で回してたから、今でも背中ハゲてるんですよ」

 それを聞き、リプロは思わず後頭部を押さえた。愛玩動物として扱われるのも嫌だが、てっぺんハゲにされるのも嫌だ。むしろ、そちらの方が年頃の娘的に嫌だ。

 怯えてるリプロを差し置いて、シルクスは断言する。

「とにかく! 僕は今回は譲らないからな。お前が何と言ってもだ」

「あーはいはい、分かりましたよ。もう」

 ビュランはあっさりと折れてしまった。ハゲることを恐れるリプロとしては、もうちょっと粘って欲しかったのだが。

「きちんと面倒見るんですよ。あと、身体に異変を感じたらすぐに医師に話すこと」

「分かった分かった」

 ビュランの言葉を軽く聞き流したシルクスが壺を覗きこんできた。その顔は歓喜で満ちている。

「これからよろしくな、クロッキー」

 そして彼はまたリプロの頭を撫でてきた。勝利をもぎ取った嬉しさからか、その手の力は先ほどよりも強かった。

 頭をがくがくと揺らされながら、リプロは両親の言葉を思い出していた。

『海面には決して顔を出してはいけないよ』

 素直にそれを従っていれば良かったと、心の底から後悔した。

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