10 はっきりと言いましょう、兄上
シルクスの声が聞こえる。聞いたことの無いほどに強い怒鳴り声だ。
「ふざけるな!」
その一喝と共に、リプロは目覚めた。重い頭を横に向けると、大勢の人間たちが辺りを取り囲んでいた。
リプロは浅い水辺の中に横たわっていた。晴れているはずなのに、頭上からは絶え間なく水が降り注いでいる。水の発生源は、自分のすぐ脇にある円柱の筒。周りをぐるりと囲む白く低い壁を見て、リプロは『噴水』と呼ばれる物の中に自身がいることに気付いた。となると、ここは城内の中庭だろう。
よくよく見れば、周りにいる人間も見知った顔が大勢いた。さらに見渡せば、シルクスとエングレーによく似た面影を持つ初老の男性がいた。きっと彼が王なのだろう。ならば、その傍らに立つ女性はエングレーの母親に違いない。二人とも兄弟の言い争いに対して、狼狽している様子だった。
落ち着いてくると、リプロは理解した。意識を失う前に見たシルクスは本物だった。恐らく彼が自分をまた助けてくれたのだろう。
当のシルクスはリプロに背を向けているため、彼女の覚醒に気付いてない様子だ。彼は目の前にいる人物に怒りをぶつけている。
「お前ではないのなら、一体誰が犯人なんだ!」
「ですから、僕ではありません。落ち着いて、兄上」
対象的にエングレーはあくまで物静かに対応している。だが、その顔は明らかに戸惑いの色が出ている。が、頭に血が上るシルクスはそれに気付いてないようだ。
「シルクス様、どうかお諫めくださいまし。結果的にリプロは無事だったのですから」
宥めるビュラノの言葉もシルクスの耳には届いてない様子だ。彼は弟を糾弾し続ける。だが、リプロから見てエングレーは嘘をついているようには見えない。
「シルクス、私は、大丈夫だから」
かすかな声は、確かにシルクスの耳に届いたようだった。彼はすぐさまこちらの方を振り返ると、服が汚れるのも気にせずに膝を折り、リプロの手を取った。
「リプロ、大丈夫か?」
「うん……」
しばらく浸けられていたおかげで、リプロの体は調子を取り戻しつつあった。シルクスの手を借り、ゆっくりと上半身を起こす。
「たかが人魚一匹のためにそこまで兄上が取り乱す方がおかしいですよ」
エングレーの言葉にシルクスの体がピクリと動いた。
「たかが、だと」
「そうでしょう? そんな人魚一匹のためにいちいち声を張り上げるなぞ、王家の名折れに等しいと思います」
「黙れ!」
シルクスの一喝にエングレーの体が震えた。
「たかがなんかじゃない! 僕にとってリプロは大切な人だ」
リプロも、周りも言葉が出なかった。シルクスの叫びは間違いなく本心に思えたからだ。
困惑する周囲とは対照的に、リプロは嬉しさで身を震わせた。視界がぼやける。それが涙のせいだと気付いたのは、シルクスが心配そうに彼女の顔を覗き込んだ時だった。
「だ、大丈夫」
口ではそう答えたものの、涙は止まることなく零れ落ちる。リプロを慰めるようにシルクスがそっと彼女の頭を撫でてくれる。
「兄上、何故ですか」
先ほどとは打って変わって、エングレーの声は弱々しいものに変わっていた。
「何故、お分かりなってもらえないのですか? 貴方は王家の人間なんですよ」
まるで迷子になった幼子に似た表情をエングレーは見せる。すがりつくような彼の声に、シルクスは黙って首を振った。
「そんなものは関係ない」
そう言い切ったシルクスを、悔しそうな顔でエングレーが見つめていた。そんな二人に、ビュランがうろたえながら視線を送っていた。
ふと、リプロの脳裏に今朝放たれた彼の言葉が蘇った。
――本当に、すみません。
心の奥底から絞り出すような、ビュランの声。
連鎖的に彼の不自然な行動が思い出された。それは、リプロが海に緑岩があったと話した時のことだ。
ビュランは地図を見て、一瞬だけ何かに気付いたような表情を見せた。そしてすぐに彼は退室していった。
――これぐらいなら、あの海岸まで持つだろう。
男が言った『あの海岸』という単語。
一つ一つがリプロの頭の中で繋がってゆく。
シルクスの肩越しにそっとビュランを見た。彼は青ざめている。何かを言いだせないでいる、そんな顔だ。
「ビュランが、やったの?」
リプロは問う。
「本当は、あの時分かったんじゃないの? 私の故郷が」
「それは……」
ビュランが言いよどんだ。かすかに彼の腕が震えていた。
「そうなのか、ビュラン?」
唖然とするようなシルクスの声に、ビュランはしばし黙っていたが、やがて静かに頷いた。
「何故、お前が……」
傷付いた表情を見せるシルクスの前で、ビュランはその場で膝をついた。地面に突っ伏すような勢いでビュランは頭を下げる。
「申し訳ございません、シルクス様。全ては私の責、エングレー様は関係ありません」
ビュランは全てを白状した。リプロの故郷が分かり、すぐさま動いたこと。あの兵士はリプロを運ぶために用意した男だということ。全てはリプロを海に帰すための計画だった。
「何故だ。何故、お前がそんなことを」
「シルクス様のためです」
「僕のだと? リプロを黙って連れ出すことがか!」
「落ち着いて、シルクス」
怒りを露わにさせるシルクスを、リプロがそっとなだめた。そして、改めて彼女はビュランに問いただす。
「私がいると、シルクスが不利になるから?」
「……ええ、そうです」
異形に魅入られた王子。そうシルクスを噂する人間がいる。エングレーが言っていた言葉だ。
リプロは人間の王位継承事情について理解は出来ない。が、自分が傍にいることでシルクスが不利になっているらしいことはその噂から悟っていた。分かっているのに、リプロは甘えていたのだ。シルクスの優しさに。
「このままでは、シルクス様が継承権を剥奪されてしまう。だから私は……」
「そんなもの、必要ない!」
断言するシルクスに、ビュランは驚いた様子で頭を上げた。
「僕は王位なんぞ、興味は無い。いや、そんな資格は無い」
かつてリプロに語った本心を、シルクスはさらけ出していた。長い間閉じ込められていた鬱積が一気にあふれ出たかのように、シルクスは続けた。
「僕なんかよりも、エングレーの方が相応しい。ずっとそう思っていた」
「シルクス様……」
口を開くが、ビュランは言葉が見つからない様子だった。ただ黙って目をつぶり、その場でうなだれた。恐らく彼はそれとなく察していたのだろう。シルクスの本意を。それを認めたくなくて、行動に移したのだろうとリプロは感じた。
重苦しい静寂を破ったのは、エングレーだった。
「ふざけないでください」
静かに彼は怒っていた。エングレーは早足でシルクスの前までやって来た。
「兄上、よくもまぁそんな無責任な発言をなされますね」
「何がだ? 言っただろう。僕はお前の政敵にはならない」
「僕の意見を無視して、ですか?」
エングレーの言い回しに、リプロはどこか引っかかりを覚えた。シルクスは弟が王位を欲していると彼女に語った。ゆえに、彼は自分を疎んでいると。だが、今のエングレーの発言は、まるで逆のように感じ取れる。
「はっきりと言いましょう、兄上。僕は最初から王位を継ぐ気はありません」
人間はあまりに突飛な出来事が目の前で起こると、口を開いてしまうらしい。その場にいる全員がそんな表情をしていた。
「兄上は人を惹きつける才能がある。現に後ろ盾一つない現状で多くの兄上を慕う人物は大勢います。民もそうです、今日の視察で、それを思い知りました」
彼はシルクスを見る。まっすぐな瞳で。
「僕は叔父上のように、将来は兄上を補佐するつもりです」
エングレーはきっぱりと宣言した。全員が顔を見合わせていた。兄弟仲が悪いのは、それぞれ王位を欲しているからだと皆思い込んでいたのだろう。
「そういう訳で、兄上。先ほどの発言は取り消してください」
「ふざけるな! お前が取り消せ。どう考えても、お前の方が王に相応しいではないか!」
「何をおっしゃいますか! 兄上の方が相応しいに決まってます」
怒鳴り合う兄弟だったが、その内容はどう聞いても相手を褒め称えている。熱が入った本人たちは気付いてないようだが。
とりまく人間たちは止めるべきかと悩み、動けないでいる様子だ。ビュランでさえ、頭上で繰り広げられる褒め殺し合戦に目を丸くさせている。
成り行きを見ていた王は額を押さえて膝を崩し、王妃に支えられていた。その王妃の顔にも動揺の色が見て取れる。
事態の混乱具合に、思わずリプロは口を開いてしまった。
「あのさ……」
全員の視線がリプロに集中した。
「きちんと話し合いした方がいいんじゃない? 王家の皆さん」
王族以外の全員が無言で頷いた。




