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1 あれ、何だろう

「海面には絶対に上がってはいけないよ」

 幼いころから親たちから言い聞かされた約束事だ。繰り返し、何度も何度も。どうしてと、問えば様々な答えが返ってきた。

「海鳥につつかれるから」

「漁師の網に引っかかってしまうから」

 などの経験談めいたことを並べられる。先人たちが痛い目にあったからこその教訓だろう。だが、いくら大人たちが口を酸っぱくさせたところで素直に聞かない者もいる。

 リプロがそうだ。

 今日も今日とて、海面目掛けて翡翠色の尾ひれを揺らす。深い海中から海上まで上がる景色の変化を楽しむ。空から差し込んでくる太陽の光が、だんだんと海水の色を鮮やかな水色へと変化させる。同時にリプロの長い黒髪も、光を浴びて銀色に光る。何だか魔法にかけられた気分になって、リプロは得意気に鼻歌を漏らす。

 周りを泳ぐ魚たちは彩り様々で、目が飽きることはない。彼らの間をすり抜けて、さらに上へ上へと目指す。頭上に広がるのは、散りばめたの宝石ように煌めく水面だった。勢いよい突っ込めば、盛大な水音を立てて広い空の下に出る。

 海中と同じぐらいに広大で青く澄み渡った空。白く巨大な入道雲。その隣には、燦々と輝く太陽。日差しの眩しさにリプロは手で目元を覆う。藍色の瞳を細め、高く飛ぶ海鳥を眺める。視線をはるか遠くに移せば、どこまでも広がる水平線があった。

 緑色の大きな岩に身を寄せて、眼前に広がる光と青の世界をしっかりと堪能する。

 リプロが初めて親の言いつけを破ったのは、まだ泳ぐのに慣れてない頃だった。面倒をみてくれた年上の子らに連れられ、こっそりと海面へと上がった。時は夕暮れ。紅く染まった海、橙色の空、白い太陽がゆっくりと落ちる様。それに連れて空の色は紫掛かり、濃い闇へと変化していった。その光景はまさに優美であった。幼いリプロの目に、深く深く焼き付けられた。

 以来、彼女はこっそりと海面へと上がる。様々な時刻に、様々な空模様を眺めた。誰かに見つかり、咎められることは無かった。なので彼女はすっかりと慢心していた。水上に怖いものなど無いと確信し過ぎていた。

「あれ、何だろう」

 リプロの視界に見慣れぬ船が入った。漁師の簡素な船なら何度かは目撃していた。だが、今日は全く違う物だった。

 まず、とてつもなく巨大だった。漁師の物よりも何倍も何十倍も大きな物だ。造りも全く別物だ。船頭には女性の形した彫刻が飾られ、船体の側面には、黒い筒状の物が顔出している。張られた白い帆はとにかく大きく、その先端には小さな黒い旗が風に煽られてはためいていた。旗にはなにやら白い顔のような物が描かれている。

 あからさまに異様な雰囲気を放つ船は、ゆったりとした速度で波間を進む。好奇心にくすぐられたリプロはそれを追う。船体に近寄るにつれて、その巨大さに圧倒される。

 船上から賑やかな音楽が聞こえてきた。大きな笑い声が幾つも重なり、リプロの耳に届く。談笑はよく聞き取れないが、すごく楽しそうだというのが判る。もう少し近寄ってみようと、上から垂れ下がっているロープに手を伸ばした……その時だった!

「おーい、釣れたぞ!」

 突然、海底から網が現れてリプロの体を包み込んだ。次の瞬間には、彼女の体が宙に浮いていた。

「え、やだ! ちょ、ちょっと!」

 全身をばたつかせて必死にもがいた。が、全くの無意味だった。網はリプロごと船の甲板へと引きあげられてゆく。彼女の激しい動きが網越しに伝わったのか、船上の男が歓声を上げた。

「こいつは凄いぞ。結構デカい魚がかかったみてぇだ!」

「よっしゃ! 力を貸してやるぜ」

 何人かが網上げの手伝いに入ったらしく、リプロが引きあげられる速度がぐんと早まる。必死の抵抗も空しく、あっさりと彼女は甲板上に水揚げされてしまった。

「いたたた……」

 涙目で上半身を起こせば、リプロをぐるりと囲む男たちの姿が見えた。彼らは皆、網を掴んだままでぽかんと口を開けていた。

 男たちの様相にリプロは恐怖を覚えた。厳つい顔つき。体のあちこちに刻まれた傷痕や刺青。頭に曲がれた日差し除けのバンダナ。汚れたシャツとくたびれたズボン。そして、腰にかけられた短剣。

 彼らが何者なのか、リプロは悟った。大人たちから聞かされた特に気をつけるべき人間たち――『海賊』だ。

「人魚だ!」

 海賊の一人が叫んだ。それにつられて、次々に歓声が沸き上がる。

「すっげ! 俺、初めて見た」

「おいおいおい、何だ今日は。ツイてるじゃねぇか!」

 男たちは諸手を上げて喜びに浸っている。その盛り上がりにリプロは言い知れぬ不安を覚えた。この場から逃げ出そうと、尾ヒレをくねらす……が、陸上では無意味な行動だ。甲板上で無様に這いつくばることしか出来ない。それでもなお必死にもがくリプロの耳に恐ろしい会話が届いた。

「とりあえず水槽に入れておくか。食料庫の」

「あぁ、そうだな。ちょいと小さいが入るだろ。これぐらいなら」

 そう言って海賊たちは、舐めまわすような視線をリプロに送ってきた。

 ぞくりとリプロの肌が震えた。

 食料庫。もしかして……彼らは自分を食べるつもりなのか?

「じゃ、コイツを水槽に突っ込んでくるわ」

「おぅ。俺はコックに話つけてくる。間違えて丸焼きにすんなよって」

 その言葉に海賊たちが一斉に笑い出す。リプロにとっては笑えない冗談だ。逃げなくては。すぐに、ここから。

 男の太い腕がリプロを捕らえようと手を伸ばしてきた。

「いやぁ!」

 悲鳴を上げて逃れようとするが、動くことが出来ない。それどころか、もがけばもがくほど自身を包み込む網が絡まってくる。それでも懸命に細い腕を振り回し、キィキィと叫び声を上げながら男を牽制した。

「おい、大人しくしろや」

 面倒になったのか、男はリプロを網ごと持ち上げた。そのまま彼女は軽々と彼の肩の上に担がれてしまった。

 全身の動かせるもの全てを使ったが、いかんせん腕力が違い過ぎた。易々とリプロは船内へと運ばれてゆく。

「傷つけんなよ、大事な商品だからな」

 また笑い声が甲板に響いた。

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