#19話:てのひらの盲点と捜索隊
掴んだ感触は軽く、柔らかい毛が生えていて、皮と肉の感触があり、生き物のような暖かさも感じられる。大きさから言って、丁度ハムスターを手に乗せたような感じだ。
「う、わぁ……………………」
深鷺が驚いているのは、感触は伝わってくるのにまったくその姿が見えないことではなく、何故か、掴んでいる自分の手も見えなくなっているからだった。
掴んでいる右手は、手首から先がほぼ無くなっているように見える。手にしたものを、手のひらを自分に向けるようにして見ているのだが、指の先だけが少し見えるだけで、手のひらは見えていない。そして本来手のひらがあるべきところに五本の指先がある。手首から直接第一関節の先が生えているのだ。若干妙な角度に傾き、潰して歪んだ状態でくっついているような、そんな状態。
(……きもちわるいなあ)
手をゆっくり近づける過程から手の見た目は歪んでいた為、光の屈折や曲げた鏡で姿が歪むこと等を連想し、そういった不思議現象なのだろうとある程度直感した深鷺は、すぐにそれを投げ捨てるようなことはしなかったが、正直に気持ち悪がっていた。ただ、触れた感触は妙に気持ちいい。柔らかくて上等な毛、という感じがするのだ。
掴んだまま手の甲側から見てみると、まったく普通に右手の甲と指が見えている。この向きなら掴んでいるものは視界に入っていないからだろうか。
(おお……ステルス迷彩、的な? 違う?)
興味が沸いた深鷺は色々な角度からそれを見てみるが、どうやっても掴んでいるものそのものを見ることが出来ない。どうも、掴んでいるモノだけが盲点になっているような感じだった。
盲点とは人間の目にある死角。ごく僅かだが、目の前にあるのに見えないポイント。眼球の中で視神経が通る場所に網膜が無いことが原因らしい。片目を閉じて目の前に近づけた指を少しずつ動かしていくと一部が見えなくなるのが不思議で面白かった、と深鷺は思い出す。もちろん、目の前にある手のひら大のモノが見えなくなる、なんて事は有り得ないのだが。
(……ってこんなことしてる場合じゃないんだった)
好奇心が応じるままに手のひらを色々な角度から見ていた深鷺だったが、風の冷たさに体が震え、今がどういう状況かを思い出した。
立ち上がり、安全そうな場所を求めて歩き出そうとした深鷺。この手に掴んでいる謎の小動物らしきものをどうしようかと一瞬迷う。
「あれ? 見えてる」
改めて手の内を見てみると、そこには真っ黒い毛の塊があった。小動物らしいちんまりとした足が見えているが、顔が何処にあるか判らないくらいのもこもこ具合だ。相変わらずぐったりとしていて、動かない。
(…………死んじゃったの?)
手足を開いてよく見てみると、もこもこの尻尾らしき部位がたらん、と手のひらから落ちてぶら下がる。
尻尾の位置的にこのあたりが顔だろう、というところをつついてみる。
(あ、動いた)
毛の中から鼻を出し、スンスンと匂いを嗅ぐように動く毛玉。そして口を開くと小さい牙が生えているのが見えた。
「げ……痛っ」
毛玉は深鷺の指を噛んだ。深鷺は丁度思い出していた昔のアニメのワンシーンに倣い、我慢している。抵抗せずに敵ではないことを示し、安心させようと試みているのだが。
(ほんとうに効果あるのかな、あれ………って、おや?)
毛玉は噛みついたあと、すぐに口を離してしまった。そしてすぐに指を舐め始める。
(いやいや、早すぎるでしょ)
黒い毛玉は夢中といった感じで深鷺の指をチロチロと舐めている。
もう懐いたのか、と深鷺はしばらく見ていたが、いつまでも舐めるのを止めない。
ぷくっと滲んできた血の滴が口のあたりに落ちると、前足を使って血を擦り、今度はその前足を舐め始めた。
傷口を、というより血を舐めているようにも見える。
(えー…………まさかとは思うけど……)
試してみたくなった深鷺は血を小指に付けて、下の前に差し出してみる。すると毛玉はしばらくそこを舐めていたのだが、綺麗に舐め取り終わった小指には興味が無くなったのか、人差し指のほうを向いて鼻を動かしている。
(えー……)
吸血動物なのだろうか?
そう考えると、もこもこして可愛いかもと思っていた毛玉が急に邪悪なモノのようにも見えてきた深鷺だった。そもそも野生の動物に噛まれると色々と病気とか、危ないのではなかっただろうかと、今更怖くなる。
かといって放り投げるのも可哀相と思い、地面にゆっくりと降ろすことにした。しかし毛玉は指にしがみついて離れたく無さそうにしている。
(えー……?)
深鷺はしばらくの間、黒い毛玉と見つめ合っていた。
クイシェを含む十名の村人達は山の中を強行軍で進んでいた。既に一刻以上の時間が過ぎていたが、深鷺のいる位置にまではまだ少し距離がある。
「クーちゃん!」
「だ、大丈夫です」
急ぐあまり飛び出した根につまずいて転んでしまったクイシェ。フリネラは助け起こそうとするが、クイシェはすぐに立ち上がって進み始める。
「ああもう……ミーちゃんが心配なのは判るけど、クーちゃんも心配よー……」
その台詞の通りの理由で強行軍についてきたフリネラは、冷や冷やしながらクイシェの背中を追う。
今回捜索に出てきているのは魔術師が三名、狩人が七名。クイシェとフリネラともう一名の女性三名が魔術師で、残りのメンバーは男2名、女5名の狩人である。狩人のメンバーは深鷺が裸で居るだろうという配慮から村の女性狩人全員が選ばれ、残りは戦力補強である。クイシェは男を連れて行く気はなかったのだが、安全の為ということから却下されていた。
狩人達が魔術を使えないわけでもなく、また魔術師達が戦えないというわけでもないのだが、二つの呼び名にはハッキリと役目に違いがある。
クオラ村における魔術師とは魔術の研究者と同義であり、狩人とは狩猟による食糧、魔術素材の調達係である。狩人達は日常的に山へ入り、必要な魔獣を必要なだけ狩ってくる対魔獣戦のスペシャリストだ。
その狩人達の情報では、クイシェが示すあたりには凶暴な魔獣が生息しているという話だった。六足狼猿という、名前の通り足が六本ある狼のような猿だ。猿のように木を登り、狼のように食らいついてくる三次元的な動きがやっかいなバケモノである。体も人間より大きく、爪や牙以前に突き飛ばされるだけでも脅威だ。
一般的な村であれば滅ぼされかねないレベルの脅威ではあるが、特殊な住人が暮らすクオラ村としてはそこまで恐れるほどのものではない。ただ、積極的に狩る理由が無いのでそこに居るという情報だけがある状態だ。魔術研究に必要な狩りであれば別だが、手を出してこない魔獣まであえて狩ろうとするのは生まれついてのチャレンジャーであるカウスくらいのもので、しかしカウスは既に単独で一度勝利している相手である為、既に興味がなかった。なお、今回同行している狩人達の中にカウスの姿はない。興味がないからではなく、フリネラの術で気絶したまま、今もまだ浴場の隅に転がっているからだ。
魔術師陣の方はといえば、フリネラは元々各国を旅して回っていた冒険者であるため魔獣との戦いは慣れたものだった。狩人達の何名かも似たような経歴を持っている。もう一人の女性も戦闘経験は豊富であるらしいと、クイシェは聞いていた。
クイシェにはあまり実戦経験がないのだが、クイシェがいなければ深鷺を見つけるのは難しく、かつ時間がかかってしまう。山の奥地は危険な区域であり、村の大人達としてはクイシェを残して行きたかったのだが、そんな危険区域に一秒たりとも深鷺を残しておけないと、クイシェは絶対に自分が迎えに行くと言って聞かなかった。年齢的には一応成人しており、魔導士としての実力もある。魔獣を確実に感知する事が出来る才能も持ち、確実に深鷺の元へたどり着けるクイシェは確かに同行した方が良い。だが、一定以上の力を持つ魔獣を相手にする場合、戦い慣れていない少女は足手まといにもなる。
フリネラはもし強力な魔獣との戦いになった場合、クイシェのサポートに徹するつもりでいた。クイシェの魔導術は強力だが、体の動きは素人に毛が生えた程度なのだ。
「あ、あと……すこし……!」
深鷺までの距離はかなり近くなってきているらしい。クイシェにはその場で動かずにいる深鷺の位置がハッキリと感じ取れている。
「……クイシェちゃん? わかってると思うけど、大声で呼んだりしたら駄目だからねー?」
一心不乱に足を薦めるクイシェを見たフリネラは、心配になって釘を刺した。
先日深鷺を見つけた場所とは山の深さが違う。人里近くにいる魔獣は並みの獣と変わらない程度だったり、そもそも凶暴性の低いものが多い。というより、そのような場所だから人里になりうるのだが、奥地に進めば進むほど魔獣は獰猛なものが多くなっていく。この深度で、これだけの人数がいればそうそう後れを取ることはないが、あえて魔獣を呼び込むようなことをすれば、近くにいる深鷺にも危険が及ぶ可能性もある。
「ま、魔獣の位置なら判ってます……皆さん、止まって下さい。もう、間に合わない……」
「えっ?」
「ごめんなさい、こっちに惹きつけます。耳を塞いでください……っ!」
すぐに全員が耳を塞いだ。
間を置かずに、クイシェの魔導術が発動する。
「【咆吼】!!」
体調不良中……一部書き直すかも知れません。