#1話:実験場の闖入者
完全な暗闇の中で、数十名の魔導士達がそれぞれ定められた位置に立ち並んでいる。
百人以上を収容してもまだ余裕のある大部屋。その中央から半径十数メートルの位置には、部屋の外側に向けて膨らむように弧を描いた奇妙な柱が無数に生えている。魔導士達はその柱によって球状に区切られた空間の内側に立っていた。
彼らの足下にはそれぞれ1冊ずつ本が置かれている。
一人の男の合図で彼らは屈み込み、本の表紙にそれぞれ手を押しつけた。
更なる合図で、彼らの手の平と本の間に光が生まれる。魔力が流し込まれたのだ。
本の内側から漏れ出す光は、やがて床へと流れ出す。床に描かれた幾何学的な紋様を伝い、柱、壁、天井へと順に光が満ちていく。
大部屋は暗闇から一転、眩い光に包まれた。
縦横無尽に走り回る光の流れはやがて規則性を持ち、より強く輝き始めると部屋の中心へと集まり始めた。
中心には一本の杖が立てられている。
その先端にはいくつもの微細な魔法円が刻まれ、柄にも刻まれた紋様は床の紋様と繋がっており、そこから光が駆け上っていた。
杖の先端に吸い込まれた光が蒼く、嵌め込まれた宝玉の色に染まっていく。
「全員、結界の外へ」
魔導士達は隙間を通り抜け、柱の外側へ出る。弧を描く柱は内外を区切る結界だった。
さあどうなる、と魔導士の一人が呟く。
魔導士達は皆一様に光の集う先を凝視している。今度こそ、今度こそはと、念が込められた視線。
魔導士達には大きな期待と成功への確信があったが、不安が皆無というわけでもなかった。
ここはプリスマフト王国、竜翼山脈の中腹に立てられた研究所だ。
ある国家事業の為に極秘で建てられたものであり、所員は大半が魔導士である。今日はその研究の最終段階ということもあり、その所員全員がこの部屋で成り行きを見守っていた。
魔術。魔力という正体不明の力を扱う術。その一つに魔導術というものがある。
魔術には他にもいくつか種類があるが、魔導術は急速に成長している最も新しい術系統だ。
魔導術の効果は設計次第で多種多様。まったく役に立ちそうもないものも作られているが、モノによっては莫大な富を生む金の卵であったり、戦況をひっくり返してしまうような兵器であったり、あるいは生活を豊かにするちょっとした工夫にも用いられた。魔導術は国に戦争に、生活に必要な技術として広まりつつある。
南の商国では蝋燭の代わりに魔導術の照明器具を使い始め、暮らしに余裕がある層は照明以外にも魔導術を用いた高価な生活用品を揃える者達が現れつつあり、そういった商品は他国へも広がりつつある。北の大国ラベルドでは武力、医療系の術が急速に発展していると噂され、それら以外の国もそれぞれのやり方で魔術の研究と普及が進んでいる。そんな中、プリスマフトだけが一歩も二歩も遅れている上に追いつく目処も立っていない、というのが現状だった。
そもそもの欠陥として、プリスマフトは他国に比べ魔術師全体の数が圧倒的に少ない。国民達が抱く忌避感がその原因なのだが、魔術の遅れは国力の差を生む時代に進む中、魔術師の不足はプリスマフトにとって十数年後の死活問題となる為、どうにかして魔従士の数を増やそうと努力はしていた。
国は既存の魔術と魔導術の"ある違い"を理由に魔導術を浸透させ、それを学ばせる為の学院も設立、他国から在野の魔導士を講師として招いて術者数の増加を試みているのだが、結果は芳しくない。
元々魔導術は他の魔術から派生したもので、魔導術の修得にはその魔術の助けが重要なのにもかかわらず、学院ではそれら全ての使用が禁止されている。プリスマフトの民にとって魔術は"悪魔の術"とされているからだ。
そうした事情からまともに生徒が育たたず、好待遇で招かれた講師達もやる気を無くして帰ってしまう。かといって使用してしまえば学院に子を預ける親が居なくなってしまう。
数少ない魔導士達も国の為、あるいは自分たちの地位を守る為に様々な活動をしているが、思ったようには成果が上がらず、そんな中、最後の望みを掛けていると言っても過言ではない、それら活動の切り札がここで研究されているのだった。
「あれは……なんだ!?」
多くの魔導士と所員が見守る先、立てられた杖は光に埋もれ、幽かに影が見えるだけ。
光の先を見透すことは出来ないが、ふと杖の上方に何かが浮いているのが見えた。光と、その影から、にじみ出てくるように、布で隠されているものをじわじわと下げて露わにしていく様にも見える、それは。
「人影……?」
「……ぁぁぁぁああああああああああああああああああ」
突如、叫び声というわけでもない、ただ大きな、ただ声を出しているだけというような、壊れた声が響いた。
声の音程は一定。何の感情も感じられない、無機質な声だ。
声色から、女のものではないかとだけ、かろうじて判る程度。
「ああああああああああああああああああああああああ」
所員達が息を呑む。今までの失敗ではこのような事態は起きなかった。だがどちらにせよ想定外のことが起きているのであればそれは失敗だろうか。あるいはここからでも持ち直すことが出来るだろうか? かといって既に起動している術式においそれと干渉する事など出来はしない。成功するにせよ失敗が確定したにせよ、彼らは見届けることしかできない。
それでも出来る限りのことをしようと、何か見落としが、そして解決方法が無いだろうかと魔導士達は思考を巡らせる。
「ああああああああああああああああああああああああ」
肺活量を無視した途切れのない音が、いつまでも響き続けて終わらない。
多大な労力、資金が注ぎ込まれてきたが20年間成果を出すことが出来ず、懐に決して余裕があるわけではない国からの予算は今年度で打ち切り。今までも全ての資金を国からの予算頼りにしてきたわけではなく、資金繰りも既に限界に来ている。
彼らにとって今回が、まさに最後のチャンス。
「ああああああああああああああああああああああああ」
このまま成功するか。それとも全ては夢と消えてしまうか。
魔導士達の視線の先で、人影は厚みを増していくのが見える。
光がいよいよ強烈になり、だれも目を開いていることが出来なくなった。
耳にはもはや人の物とは思えない壊れた声だけが、いつまでも響いて止まずにいる。
そして数分後。
いつのまにか声は収まり、光の奔流もぱったりと途切れていた。
魔力が許容値に達したのだと、その計算を担当した魔導士は願った。それなら実験は成功したはずである。しかし、それにしては杖の先に取り付けられた宝玉が宿す光は淡く、弱い。
予定では常に太陽ほどもの輝きを宿すはずであったが、これでは松明にも劣る程度でしかない。
それ以前に認めなければならない問題があるのだが、計算担当者は現実を直視するのが遅れていた。
やはり失敗してしまったのか、と肩を落とすのは先送りになった。
「なんで女の子が……?」
淡く、蒼く光る杖の傍らに、少女がぺたんと座り込んでいた。それも裸で。
「黒い、髪……」
「■■……■■■■?」
少女はなにか喋っているようだが、柱の合間から中心まではかなり距離があり、よく聞き取れない。
所員達はその姿を見てざわめき始めた。
「どこから入り込んだんだ?」
「まさか。ここに侵入なんてできるわけがないだろう」
「何か良くないモノかも知れん」
「光と共に現れたんじゃないのか」
「魔獣の類か?」
「実験はどうなんだ。失敗なのか?」
「計測光担当者。あれで成功なのか?」
他にも警備兵は何をやっているんだ、といった文句やそんなことよりも実験はどうなったのか等を問い合うやりとりが小声で行われる中、少女は魔術師達に気が付いていないのか、不思議そうな顔で何かを呟いている。
「■■■■■?」
「皆、静かにしろっ」
その声で、少女は回りの気配に気が付いたようだった。きょろきょろと辺りを見回す姿はどこか不安そうである。もはや少女の傍にある杖の宝玉のみが光源となっているため、少女から見て暗い部屋の柱の奥にいる所員達のことは見えていないのかも知れない。
少女は魔術師達を静めた声の方を向きながら、自身の体を白く浮かび上がらせている杖へと手を伸ばした。
「「「「触るなっ!」」」」
咄嗟に声を上げた魔導士達だが、誰一人として結界より内側に入り少女を捕らえようとした者はいなかった。得体の知れない存在に対してどう対処して良いのか誰も判らなかったのだ。
びくっと身を竦めた少女が目を懲らすように柱の影を見ると、一人の所員と目があった。
「…………!」
息を呑んだのは果たしてどちらだったろうか。
目が慣れてきたのか、少女が再度あたりを見渡すと、いくつもの魔導士達が目を合わせる事になった。
少女に――深鷺にとって不幸なことに、彼らには幼い少女の裸身を凝視しているという当たり前の意識は維持できておらず、むしろ得体の知れない存在と目が合うことで視線を逸らす事が出来なくなってしまっていた。
深鷺が、素っ裸で暗がりから無数の視線を浴びるという有り得ない状況に意識が追いついた途端。
「きゃあああああああああああああああああああああっ?!」
感情に満ちた絶叫が響いた。