#16話:湯沸かし魔導線と二指魔導書
フリネラは壁に取り付けられている水道を形を合わせた板でせき止め、そこから釜までの間に筒を渡す。せき止められた水が溢れて筒を通り鍋に流れ込み、やがて釜は水で一杯になった。
「でもって、こう……あ、釜は熱くなるから気をつけてね」
釜の口の端から手を乗せられるくらいの小さな板がちょこんと飛び出していて、フリネラはそこに魔導書を置いた。表紙の図に指を合わせて魔力を流し込むと、その光は釜の表面を巡り始める。
(どこかで見たような……)
表面には幾何学的な紋様が刻まれていたらしく、光はその紋様に沿って流れているようだった。
(……あっ! これ、『召喚』された場所の、床の模様と、なんか似てる……?)
フリネラは魔力を流し続け、しばらくすると水面が泡立ってきた。
「……という風に、釜を直接熱してお湯を沸かすの。ちなみに、村で使ってる調理鍋はこれと同じ仕組みねー」
「え、そうなの?」
クイシェが頷く。
「うん、そうなの。あ、ミサギちゃんにはそういえば、お鍋とか見せてなかったもんね」
(この村の台所はIHヒーターだったのか……)
磁力線ではなく魔導術での加熱。てっきり火を使って鍋を熱しているものだと思っていたのだが、よく考えたら火の音も煙も無かった様に思う。
「って、そろそろ入ろっか。体冷えちゃう」
紹介に夢中になってた、と反省しながら、2人を真ん中の湯へ促すフリネラ。
三人はゆっくりと浴槽に浸かり、体を伸ばしていく。
深鷺は真ん中で伸びをしながら深く息を吐いた。気になること、不安なことは色々あるが、今は至福の時、という感じだ。
クイシェの長い髪は布でまとめられ、湯に浸からないようにしてあるのだが、深鷺はあの水晶色の髪が水面に漂うとどうなるのかがちょっと気になった。
フリネラは首から背中あたりにかけてと太腿に獣人の証である猫っぽい体毛がびっしりと生えている。しかし猫が水に濡れた時のへちゃっとした貧相なイメージは、猫系獣人であるフリネラにはまったく見られず。
(これが40半ばのボディライン……?)
フリネラがポージングを始めてようやく、深鷺はフリネラの体を凝視していたことに気が付いた。
「見とれちゃったー? ふふふー」
「あはは……」
「?」
慌てて眼を逸らす深鷺。クイシェは気づかずに話を続ける。
「あのお鍋のおかげで料理がだいぶ楽になったの」
「あたしとしては失敗作気味なんだけどねー」
深鷺にはどのあたりが失敗作かわからなかった。風呂釜としてはとりあえず何の問題もないように思う。火を使わないだけ燃料費も浮くだろうし、恐らく火よりも短時間で沸いたように思う。
「専用に調整して作った【加熱】の魔導書が、どうしても二指魔導書になっちゃうのよね……わたしが目指しているのは何処でも誰でもお風呂が楽しめる道具、だからー」
「二指魔導書ってそんなに難しいんですか?」
「難度的にはそれほどって感じなんだけど、一指……掌から漠然と流せばいいところから、指ごと個別に魔力を流す二指への壁があるのよね。二指以降はなんていうか訓練でどうとでもなるんだけど、一指から二指へのステップアップは、体に巡る魔力を感じ取ることよりも難しいのよー」
この特殊な実験村に住んでいる魔導士達ですら、一指魔導書までしか扱えない者が3割もいるそうだ。
魔導術自体まったく扱えない深鷺にはよく判らない感覚だったが、どうやら魔導士全体の内の半数ほどは一指魔導書しか扱えない、と考えればいいらしかった。
「まあ、そのあたりのことはこの村で他に研究してる人がいるから、そっちの成果を期待しても良いんだけどねー」
魔導術の修得を容易にするための研究を行っている人がいるらしいと聞いて、深鷺はその人に術を習ってみようかと思いつつ、先ほど思い出した事について質問する。
「あの、ところで、この模様ってどういう意味があるんですか?」
釜の表面を指しながら言う。
「今、これをみて思い出したんですけど、わたしが最初に飛ばされた場所の床に……たぶん、同じような模様があったんです。うっすらとこんな感じのが……」
「えーとー……真っ暗な儀式場らしきところ、だっけー?」
フリネラはギュランダムと深鷺からそれぞれ聞いた話からイメージした儀式場を元に、床に紋様が刻まれていた場合の事を考えてみる。
気が付いたら暗い部屋にいたこと。周りには柱が立っていたこと……
「それで、大勢いる中に囲まれるようにして真ん中にミーちゃんと……杖があったのよね?」
「はい。クイシェちゃんの師匠さんが言うには、多分杖だろうって」
「それだとー……たぶんだけど、周りにいた魔術師がその杖に向けて魔力を流してたか、流す予定だったんだと思うわー。この線は『導線』って言って、魔力を流すための道なの」
導線は、魔導書にマジックインクで書かれている文字と基本的には同じもので、魔導術の前身となった技術の1つだという。
この釜では【加熱】の効果を6カ所に均等に分配し、効率よく鍋を加熱している。もし導線を用いていなければ魔導書を置いた板からしか熱が伝わらず、鍋を加熱するよりも先に魔導書自体が焦げてしまうと、フリネラは説明した。
「儀式のほうは……それ以上はわからないけど、杖かミーちゃん、あるいはその両方に魔術で何かをするつもり、あるいはした後、だったんでしょうねー」
「わたしを山に飛ばしたり、とかですか」
「うーん……そんな術が存在すれば、だけどね……」
瞬間移動的な魔術は、フリネラが知る限り存在していないらしかった。
「魔導術、じゃなくて魔術、なんですか?」
「導線自体は凄くシンプルで応用性の高い技術でね? やろうと思えば色んな術と組み合わせられるのよー」
(魔力が流されたか、流されるはずだった杖とわたし……判ったようで何にも判らないなあー……)
「ミサギちゃん……?」
水面をじっと見つめて考え込んでいる深鷺に、クイシェは何か声を掛けようとしたが、ハッと目を壁のほうに向けると口の中だけで呟いた。
「…………やっぱり来た……!」