#9話:魔導術【言語移植(フレンズチャット)】について
「お、お師匠様、いたんですか!?」
「いたんですかとは随分じゃのう……いや、でも儂、なんでここにいるんじゃ?」
ギュランダムは深鷺が寝かされていた部屋の隣室に運ばれていたらしい。首の調子が悪いのか、手をあててゴキゴキと音を鳴らしている。
ハッとなって深鷺を見るクイシェ。昨日の変態老人がいきなり現れたとなれば彼女は怯えてしまうかも知れないと心配したのだが、特に変わった反応は見受けられない。
(……もしかして暗くて見えてなかったのかな)
よく考えると、あの時点では言葉の内容が伝わっていないはずである。もしかするとそんなに悪い印象を持っていない、どころかそもそも記憶にないのではないだろうか。
「クイシェちゃんのお師匠さまっ? 初めまして! お世話になってます! コハラミサギです!」
「……ほっほ、元気がいいのう。儂はギュランダム・コールという、いかにもこのクイシェの師匠じゃ。もっとも、先日卒業したところじゃがの」
挨拶をしながら、ギュランダムもクイシェと同じ事を考えていた。ちょうど脊髄反射でしでかしたひゃっほう発言が、流石に不味かったかと反省し始めていたところだった。
さっそくそういった話題に話が飛ばないよう、クイシェへの牽制を含めて会話を進めることにした。
「それで【言語移植】の修得じゃが、おぬしは魔導術の存在自体を知らなかったんじゃろ? 才能でもあれば別じゃが、そう簡単にすぐに使える様に、というわけにはいかんじゃろう。時間をかけて魔導術を憶えていくこと自体は可能じゃろうが、恐らくはどれほど才能があったとしても【言語移植】を使うのは……絶対に無理、とまでは言わんが至難の業じゃ。なにせ儂も使えんからのう……」
「そうなんだ……? クイシェちゃん、お師匠さんより凄いんだね……」
「あ、そんな、それは……」
クイシェは両手を胸の前で振りながら否定する。
「ああクイシェ、おぬしが謙遜を始めるとキリがないわい。おぬしは大抵の人が認める程度の天才なんじゃから、もうすこし堂々とせい」
おおー、と尊敬の目を向けてくる深鷺の視線から自分の目を隠すように俯いてしまうクイシェ。深鷺は八割本音、二割はからかう意味で眼をキラキラとさせていた。
(かーわいー)
「さて、ここは師匠らしく儂が説明してやろう。魔術にはいくつか種類があるのじゃが、魔導術というのは……」
ギュランダムは懐から薄い手帳のようなものを取り出すと、内容を捲って見せた。
「簡単に言えば、こんな図形を思い浮かべて魔力を流すと発動するんじゃ」
説明はまったく無知な相手に手早く理解させる為、意図的にかなり省略されていたが、おかげで深鷺は漠然とイメージを掴むことが出来た。
「呪文とかは無いんですね?」
「ほう、呪文なんて言葉をよく知っておるのう? いや、それもクイシェの知識か。あー、呪文が必要になるのは別の魔術じゃよ。魔導術には呪文を聞かせる相手もいないしの」
そう言って、深鷺に手帳を差し出すギュランダム。
「さて、この手帳はかなり初歩的で簡単な魔導式が描かれている魔道書じゃ。これ一冊で1つの術を発動させることが出来る。この内容、憶えられるかね?」
手帳は右からめくるようだ。表紙の文字も左から右に読める。右頁には円が描かれていて、その円の内外には幾本かの線が引いてあり、その線に被るようにいくつかの点が打たれている。
線と点で構成されるその図を見て深鷺は電車の路線図を連想した。線が路線で、点が駅である。あるいは、コンピューターの基板にある線を減らしてシンプルにしたような感じ。
左頁には点だけが打たれており、どうやら裏面の点と対応した位置に打たれている様だった。
(わたし的にはゲームとかでよく見る『魔法陣』って感じに見えるけど、これが魔導式なんだ……?)
手渡された手帳には数ページにわたり、似ているようでそれぞれ違う図形が書き込まれていた。これを丸暗記しなければならないという。
「んー……これくらいなら憶えられると思う……けど、あれ? もしかして……」
先ほどクイシェが言っていたことを思い出す深鷺。
「そういう事じゃ。さっきクイシェが言いかけたのを聞いたじゃろう。7冊489頁。最低限、こんな図形を489枚繋げてイメージ出来なければ、あの術は使えんのじゃよ。しかもこの手帳よりも遥かに複雑な図形じゃ」
実際はそれを更に七つに分け、更にそれらへと個別に魔力を流す技量も必要となる超高等技術であるという。
「暗記は苦手ってほどでもないけど……流石にそれはちょっとムリかな……」
「そうじゃろうなあ。本当に必須であればムリでも憶えなければならんと思うが……それなら儂は普通に共通語を覚えることを薦めるのう」
深鷺も同感だった。自分の言語能力を移植する術である【言語移植】は、深鷺が自分で使用する分には『1人の通訳を用意できる術』でしかないのだ。しかも相手に術を受け入れて貰える程度には親しくならなければ使用すら出来ない。
どちらも苦労するなら言葉を一から覚えた方がマシに思えた。
(英語の授業、苦手だったんだけど……大丈夫かなあ……)
先行きは暗く思えた。
そこで、試しにこの魔導式を憶えてみようと手帳の内容をぱらぱらと捲っていると急に、ストン、と理解が降ってくる。
「……あれ? あのー、なんかこの図の意味? みたいなものが、なんとなく判ったんですけど」
「どういう意味じゃ?」
「えーと、なんというか、読めるんです。内容は『青い光。付き従う浮き虫』とか、そんな感じ……ですか?」
「うむ、内容はそれで合っておる。それが読めるのもクイシェの【言語移植】の効果じゃろう。魔導式は一応、言語であるかの様に内容を把握することは出来るからのう」
深鷺が手帳の表紙を見てみると【青灯】『ランペスター』と書かれていた。他にも数字がいくつか書かれているが、それらの意味はわからない。
「はー……ていうか、ほんとに凄いんだね、クイシェちゃん。あんな図形が読めて、しかも489頁も丸暗記……してるんだよね?」
「……ち、違うの。あれは、もともとこの子と、お話がしたくて考えた魔術で……」
大人しく肩に乗っている不思議な水晶色の鼠を示しすクイシェ。
「何が違うんじゃ。もはや謙遜にもなっとらんぞクイシェ」
「……え、なに、じゃあその【言語移植】ってクイシェちゃんが作ったの?」
「そうじゃ。これはクイシェオリジナルの魔導術じゃ。自分で作ったからこそ膨大な魔術でも憶えておる……にしてもそう簡単に憶えられる様な量ではないが。ともかく使えないというのはそういう事じゃ。ちなみにこやつは妙に謙遜癖があるから先に言っておくが、こんな魔術を作れる奴も使える奴も、憶えていられる奴もそうはおらんよ。この娘は天才じゃ」
「で、ででで、でもお師匠様! ほら、あの、魔道書の方を使えば、わたし以外にも使えますよっ!」
「この村に五指魔道書を扱える術者があと3人ほどいれば可能者じゃが」
「あう……」
魔導術は術者が魔導式をイメージして行うほか、既に書物などに記してある魔導式を用いる方法がある。この方法ならイメージは不要となりその方面での難易度は格段に落ちるのだが、今度は魔力の流し込み方が難しくなり、しかも一人の人間に流し込める魔力の数は基本的に指の本数=10が限界となる。それ以上必要になる魔術は一人では不可能となり、そして【言語移植】に必要な魔力の数は全体で15だった。しかも魔道書自体が七冊に別れているので手分けしなければならず、最低四名の魔導士が必要となる。
このあたりの事情は説明されていない深鷺にはさっぱりだったが、今説明されても判る気がしなかったので疑問点は心にしまっておいた。
「……まあ、つまりじゃ。ミサギとやら。事情次第じゃが、もしこの村に居るつもりならクイシェの世話になると良いじゃろう」
「え?」
「いいの? クイシェちゃん……」
「クイシェは不服かの?」
「ぜ、ぜんぜん! 大歓迎です!」
友達になれるチャンスが増えるなら、友達になれるなら一生居てくれても良いくらいだと、クイシェは舞い上がった気持ちを諫める気すら起こらなかった。
「わたしは正直すっごく有り難いけど、いいのかな? 助けて貰った上に甘えてばっかりになっちゃう」
「クイシェがいなければ言葉がわからんのじゃから、それ以外に方法はなかろうて。心苦しいというなら心配要らんよ、労働力はいくらあっても困らんからのう……さて、とりあえずはこれくらいで良いかね。そろそろミサギの方の事情に関して、詳しい話を聞きたいのじゃが」