第22話 日常
――地区大会から、一週間。
驚くほど――何も起きなかった。
いや、本当に何も起きない。
拍子抜けするくらい、何も起きない。
「優勝したのに、意外と静かですね……」
澪が窓際で頬杖をつきながら、やや不満げにぼやく。
頬が机に潰れて、ちょっとだけむにっとなっている。
完全に“暇人モード”だ。
窓の外では、校庭を走り回る運動部の声が響いている。
サッカー部が叫び、野球部が叫び、陸上部が叫び――とにかく叫んでいる。
(元気だなあいつら……)
「もっとこう……」
澪がだらっとしたまま手をひらひらさせる。
「『うおおお優勝チームだぁぁ!!』、『サインくださいぃぃ!!』、『澪ちゃーーん!!』みたいな感じ、想像してたんですけど」
「最後に私情混ざってない?」
凛が即座にツッコむ。
「え? 気のせいですよ?」
「嘘つきなさい」
「えへへ」
(認めるな)
柳先輩が静かに資料を閉じる。
パタン、という音がやけに落ち着いて響いた。
「地区大会だからな」
淡々とした声。
「県大会までは“準備期間”だ。騒ぐにはまだ早い」
「”準備期間”って言い方、急に強者感出すのやめてくださいよ……」
澪が机に突っ伏しながら抗議する。
「なんかこう……裏でめっちゃ修行してそうな人のセリフじゃないですかそれ……」
「実際するからな」
「やめてください怖い!」
「現実を見ろ」
「やだ!」
即答だった。
潔い。
「平和すぎる……」
澪が顔を横にして、死んだ魚みたいな目で天井を見る。
「何これ……逆に怖い……嵐の前の静けさってやつですか……?」
「戦いたいの?」
凛がさらっと聞く。
表情は真顔。
声のトーンは普通。
内容だけ物騒。
「いや!? そういうわけじゃないですけど!?」
澪がガバッと起き上がる。
「じゃあ静かにしてなさい」
「理不尽!!」
机にバンッと突っ伏す。
音がうるさい。
「まあでもさ」
斗真が椅子をぐらぐら揺らしながら笑う。
「実際、今は研究期間だろ? 次の夏前は県だし」
「研究……」
その単語に反応したのは――伊藤だった。
ゆっくりと顔を上げる。
「では――新戦術の検証を」
にやり、と口角が上がる。
「ニヒヒヒヒヒ……」
「完全に悪役だ」
俺が即座に言う。
「研究者の顔じゃない、ボスキャラの笑い方だぞそれ」
「否定はしません」
「する努力はしろ!」
そのとき。
――キン。
耳の奥で、細い音が鳴った。
ほんの一瞬。
金属を軽く弾いたような、澄んだ音。
けど――
(……今の、なんだ?)
周囲の音に紛れて、ほとんど気づかないくらいの小さな違和感。
でも、確かに、引っかかった。
「……?」
思わず、少しだけ視線を上げる。
「どうしたの?」
優里先輩が、すぐに気づいた。
やっぱりこの人、よく見てる。
「いえ……なんでもないです」
軽く笑って誤魔化す。
けど、
(……気のせい、か?)
胸の奥に、ほんの小さな棘が残ったまま――
話題はそのまま流れていった。
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放課後。
学校からの帰り道をそのまま流れて――店へ。
鍵を開ける。
カチャリ。
扉を開けると、いつもの匂いがする。
木と、紙と、少しだけ金属の匂い。
そして――微かに残る魔力の気配。
(……落ち着くな)
鞄を置く。
軽く肩を回す。
一度外に出て、看板をひっくり返す。
『準備中』から、『営業中』へ。
カチン、と小さな音。
「……よし」
軽く息を吐き、店内に戻る。
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カラン。
「いらっしゃいませ」
顔を上げる。
女性客だ。
三十代くらい。
少し疲れたような、でも優しそうな表情。
営業用の笑顔を自然に浮かべる。
「どのような商品をお探しでしょうか?」
女性は少し迷うように視線を泳がせてから、口を開いた。
「えっと……その……」
一瞬、言葉を選ぶ。
「子供に、本を読ませたいんですけど……」
ああ、なるほど。
その時点で、だいたい分かる。
「どうしても、読書が嫌いみたいで……」
少し困ったように笑う。
「読書嫌いを直す魔導具って……ありますか?」
よくある相談だ。
そして――
「そうですね」
一拍、間を置く。
「”読書嫌いを直す魔導具”は、ありません」
「……あ、そうなんですね」
分かりやすく、少しだけ肩が落ちる。
その反応を見てから――
「ですが」
言葉を繋ぐ。
棚へと歩く。
並んだ魔導具の中から、一つを選び取る。
青く、小さな栞。
淡く光を反射する。
「”読書を楽しくする魔導具”なら、あります」
女性の目が、少しだけ明るくなる。
その変化を確認してから、栞を軽く掲げる。
「これは『声の栞』という魔導具です」
「声の……栞?」
「はい」
丁寧に説明を続ける。
「本に挟んで魔力を流すと、ページを開いた瞬間――そのページを“声”で読み上げてくれます」
「へぇ……」
興味が乗ってきている。
声のトーンで分かる。
「ただ読むだけじゃありません」
少しだけ、間を作る。
「ジャンルに応じて、語り口が変わります」
指を一本立てる。
「童話なら、優しく穏やかな声で」
二本目。
「冒険ものなら、テンポよく躍動感のある語りで」
三本目。
「ミステリーなら、落ち着いた低めのトーンで」
「そんなに変わるんですか……?」
「ええ」
軽く笑う。
「さらに――物語の場合は、
登場人物の性格を解析して、”セリフごとに声色が変わります”」
「えっ……」
驚きがはっきりと顔に出る。
「感情も乗ります。怒っていれば怒った声、悲しければ今にも泣きそうな声で」
女性が完全に聞き入っている。
「つまり、”読み聞かせ”にかなり近い体験になります」
一呼吸。
「”読む”ではなく、”聞く”から入れる」
「……」
「なので、読書が苦手なお子さんでも、入りやすいかと」
沈黙。
女性は栞をじっと見つめる。
数秒。
そして――
「……それ、ください」
「ありがとうございます」
自然に頭を下げる。
会計。
栞の束を二つ。
合計――十三万二千円。
高い。
普通に高い。
初見の客なら、だいたいここで一瞬固まる。
だが、この世界ではそれが“普通”だ。
魔導が実用化されてから、まだ約六十年。
魔素の制御理論はようやく体系化され始めたばかりで、魔導式の安定化にも高度な技術が求められる。
素材もまた希少だ。魔素に適応する媒体は限られており、その加工には専門の職人が必要になる。
結果として――
魔導具は高い。
例外なく。
たとえそれが、ただの「栞」であっても。
もっとも、この栞は俺が作ったオリジナル商品だから、余計に価格が高い。
見た目こそ紙片だが、中には簡易魔導式が組み込まれている。
ページの位置を固定するだけでなく、記憶補助や軽度の集中補正といった機能を持つ、れっきとした実用品だ。
そして、この世界では、
そうした“少し便利になる道具”に、平然と数十万を支払う。
魔導の普及によって、全体的な収入水準が引き上げられていることもあるが――
それでもやはり、安い買い物ではない。
会計を終え、商品を差し出す。
「ありがとうございます」
「こちらこそ」
女性は何度も頭を下げながら、栞の入った袋を胸に抱きしめるようにして店を後にした
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