第1話 物語が始まる前
ブーッ、ブーッ。
突如聞き覚えのある振動音に、スマホのアラームだと気づくまで数秒かかった。
勉強机に突っ伏していた頭を起こし、長い髪をかき上げる。机の上のスマホに視線を落とした。
右手を伸ばそうとしたとき、指先が少し黒く汚れていることに気づく。いつの間にかシャーペンを握ったままだった。
「……ああ、寝落ちしたのか」
机の上には参考書や単語帳――ではなく、小さな幾何学模様が描かれた円陣、その下に日本語と「▽€௹◰■∇⩙……」といった記号が並ぶ紙が山のように積み上がり、床にまであふれていた。
「……整理するか」
一旦トイレへ行き、戻ってから紙を集める。机の隣の棚から
『研究中:西洋型:第Ⅱ魔導ファイル』を取り出し、そこへまとめて収めた。
時刻は午前四時。
太陽はまだ昇っていない。
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午前八時十五分。
がやがやと騒がしい教室。窓際の席に座る俺は、スマホに映した今朝の魔法陣とにらめっこしていた。
長い髪をいじりながら、ぶつぶつとつぶやく。
「んー……やっぱり、ここの魔導式に改変した“伸縮”を組み込むべきか?
“想像”“魔力刃”“伸縮”までは問題なく発動するはずだ。でも“伸縮”だと、魔法陣は発動者の視界内、かつ二十メートル以内にしか出現しない。これじゃ死角から襲われたときに対処できない」
「おっはようー! さとし!」
「代わりに“変形”を組み込むと、魔力操作の精度次第で速度や硬度が大きく変わってしまう。でも、そこに“魔力探知”を合わせれば、視界外の敵にもカウンターを――」
「おおぉぉおはよおおおおお!!」
「うおっ!」
驚いて隣を見ると、悪友が立っていた。
鼓膜を破壊されかけた俺――川縁慧は、朝から異様にテンションの高い久保田凪をにらむ。
「朝からうるさいぞ、久保田」
「仕方ないじゃん。うるさいことが僕の唯一の取り柄だし(キラン)」
「うん、確かに」
「いや、冗談なんだけど!?」
ここは第二魔導学園。
次世代の魔導士を育成するために設立された、日本有数の学園だ。
人類は海底に沈んだ巨大遺跡の文献から、空気中に存在する「魔素」という粒子を発見した。
それをエネルギーとして利用する「魔導」が世界に普及して六十年。
かつては国家間戦争や魔導犯罪も横行したが、厳しい規制と条約により争いは終結した。
現在、魔導はスポーツ競技や新たな職業として社会に根付いている。
「さとし、何してたの?」
「新しい魔導の開発だ」
「へぇー、さすが魔導雑貨店の店主。どんな魔導?」
「ざっくり言えば、魔法陣から刃を出して奇襲する近距離攻撃型」
「おおお! 完成したら教えて!」
「代金はもらう。七万くらい」
「高っ!」
「安いほうだろ。オリジナルだぞ」
そのとき、教室の一角から声が上がった。
「ねぇねぇ! 昨日のWMB見た?」
視線を向けると、生徒たちが固まって盛り上がっている。
「見た! 終盤のカリン様の十八番“聖火葬”何回も見返した!」
「わかる! あとてんちゃんの新技!」
「「天界門!」」
「強すぎだろ、あれ!」
久保田が俺の視線を追う。
「おい、あの中に好きな子いるのか?」
「違う。WMBが気になっただけだ」
「ああ、昨日の世界大会か。見なかったの?」
「夜は研究で手一杯だった」
「もったいねぇ! 焔カリン様が出てたんだぞ!
あの高揚感は一生忘れない――真っ赤に燃える情熱の炎が――」
「はいはい、わかった」
俺は久保田の“カリン様至上主義”を聞き流しながら、思考を魔導式へ戻す。
(でも久保田。リアルは全然違うぞ)
心の中で、そっと忠告した。
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俺の家は二階建ての店舗付き住宅だ。
店の名は「零式魔導雑貨店」。祖父が営んでいたが、他界後は俺が引き継いでいる。両親は現在、海外赴任中だ。
家が見えてくると、店の前に黒いパーカをかぶった人物が立っていた。
思わずため息をのむ。
「なんで、あいつがいる……」
俺に気づくと、その顔がはっきり見えた。
真紅の髪、黄金の瞳、整った顔立ち。
「あ! いたいた!」
満面の笑みで駆け寄ってくる。
「ただいま! さとし!」
「お前の家じゃない!」
俺は反射的に逃げ出した。
彼女の名は焔カリン。
史上最年少でマギア・バトル日本代表に選ばれた天才。
そして――俺のストーカーである。




