糖度不信の碑
皆さんは例えば果物を買うとき、スーパーで糖度表示がされていたら気にするだろうか?
買うものを左右するほどではないにしろ、糖度表示があったら見ることくらいはするかもしれない。今の季節ならミカンなどは、より糖度が高く甘いものを。と考える方もおられるかと思う。
しかし、わざわざ桜島の噴火災害ののちに建った、「科学不信の碑」をもじってまでタイトルにするほどの事実が野菜と果物には存在する。
そう。言葉通り、糖度とは、味を示す指標としていまひとつ信用ならないのだ。
何を隠そう私の勤める企業はスーパーマーケット。市民の皆々様へ毎日の食糧を供給する仕事場である。青果部門にほぼ8年在籍していたため、百姓のせがれとして田畑を、八百屋として売り方を学んできた。その経験から、糖度はたしかに甘さの一つの指標だが、絶対的なものではないことを学んだのだ。
さて早速、いかに糖度というものが頼りにならないか実例を出そうと思う。
まず、果物のいちご。その甘さを思い浮かべてみてほしい。最近のいちごはほんとうに甘く味が濃いものが多く出回るようになった。消費者としては手の届くところに味で満足いくものがあるのは嬉しいもの。たまの贅沢で買う人もいるだろう。
そしてもうひとつ、野菜からゴボウを挙げよう。当然甘みのイメージは無いと思う。汁物にいれると独特のコクを出してくれて出汁素材として扱うこともある。が、間違っても甘さを期待する野菜ではない。
さて、上に挙げた2つ、糖度が高いのはどちらだろうか?
話の流れからしてまさかとお思いの方も多いかもしれないが、ゴボウだ。ゴボウはいちごより糖度が高いのだ。
いちごは店売りのものだとおおよそ糖度12度。対してゴボウはものにもよるが15度を普通に上回る。糖度という指標でのみ見た場合は、ゴボウのほうが糖度が高いとなってしまうのだ。
似た事例は少し見渡せばたくさん出てくる。例えばスイカとカボチャではどうだろうか。
カボチャを甘いものとして食べたいなら砂糖が必要だと思うものだが、スイカの糖度が約11〜13度なのに対してカボチャは22度前後の物が多い。カボチャの糖度とは高いのだ。
ちなみに私が一度扱ったことのある、白い美しい色の皮をした5ヶ月もの長期保存可能なカボチャは、興味本位で糖度を測ったところ30度にも達していた。
それを好んで買っていたお客様は、その極甘カボチャを蒸かし芋のように蒸して、マッシャーで軽く潰し、フランスパンにたっぷり塗ってトースターで軽く焼くとお菓子など買う気が失せると言っていたことがある。30度という糖度の前には納得せざるを得ない。
さて、我々の感じる果物や野菜の甘さと糖度計の示す実測値はなぜこんなにも乖離しているのだろう。
答えは2つ。それぞれに含まれる糖分が、我々ヒトの舌に甘みとして感じられるかどうか。これがまず大きなひとつだ。
先に挙げたゴボウの話をしよう。ゴボウを丁寧にすり潰して搾り出したジュースには、実に15%もの糖分が含まれる計算なのだが、この糖分は、実は人間の舌に触れても全く甘みを感じない。
『イヌリン』と呼ばれるその糖分は、あろうことか人の体内では消化してエネルギーとして使うことすらできない。成分がショ糖や麦芽糖に似るため機械は糖分として検知するが、ヒトには感じられない不思議な糖分なのだ。
蛇足だがこの糖分はもちろん太ることはないし、胃腸て消化はできないが大腸の中の善玉菌が何種類か、このイヌリンを吸収してエネルギーとし、増殖できる。腸活も流石に旬は過ぎたが、体に良いものだと知っていて損はないと思う。
機械の糖度と味覚の甘みの乖離についてもう一つの回答は、その野菜や果実に含まれる水分量だ。スイカとカボチャの例えで説明すると、スイカは果実の重量のうち実に90%は水分である。対して、カボチャの水分量は重量にして76%ほど。食べるときに焼いたりすれば水分が飛んでますます果肉の中の水分は少なくなる。
ここまで書くともう察しておられる方は多いと思う。同じ量の砂糖を、コップなみなみのたっぷりの水に溶かすか、コップ7分目の水に溶かすかの差なのだ。同じ量の砂糖なら、より少ない水に溶かしたほうが濃い砂糖水になり、機械も当然糖度を高く示す事となる。
しかもカボチャの糖度にはこれまたそれ単体では甘みが弱い糊化でんぷんの値も多少入っている。だからカボチャの天ぷらを食べたところでケーキをさらに揚げ物にしたようなくどい甘さにはならないのだ。
じゃあ糖度で何をアテにすりゃいいのさ?となるのは当然のことだ。こんなに当てにならないものを表示して売り込んでくる八百屋は最初から客をだまくらかす気満々なのかと思う方もいるだろう。
いや、そうではないのだ。糖度は甘みの強さを示すものではないが、その商品の出来がどのくらいいかを示す指標としては、むしろかなりよく使えるのである。
体感的に最も差が大きいスイカに再登場願おう。スイカの糖度は育ち方、産地、気候、実ごとにもばらつきがある。だが、11度くらいと表示されているスイカの場合、はっきり言おう。あまり出来がよいスイカとは言いかねる。もちろん産地では良いものばかりが厳選され、綺麗なものがスーパーには並ぶだろう。しかし糖度11度くらいとは、まこと残念なことに長雨で太陽の光を浴び足りなかったり、あるいは台風の前に食べ頃には一歩早いが収穫できなくなるよりは。と、早くにもいでしまった物が多い。
これが12度に上がると文字通り段違いに美味くなる。スイカ特有の清涼感を伴う香りがたっぷりの果汁とともに口の中で弾けるあの感覚は素晴らしい。甘みも強く感じる。水菓子とはそういうことかと納得するような味わいだ。当然数はぐっと少なくなるが、そういうスイカに運良く当たったときは夏の贅沢を心から楽しめるはずだ。
さらに13度となると少しずつ庶民の口には入りづらい値段になってくる。ひと玉4000円オーバーのものが出始めるのがこのあたり。八百屋で仕事をしていたときはそんな素晴らしいものには、ひと夏に1個、当たるかどうか。という感じだった。出会わなかった夏も別に珍しくない。味わいはハチミツを溶かし込んだかのような強い甘みであり、皮際まで余さずうまい。白いところしか残らないような食べ方を卑しいと思いつつ、自制心が破れてやってしまう。贈りものとしても満を持して世話になった人に持っていけるだろう。
これは1例だが他にも糖度で出来の良し悪しを測れるものは数多くある。ここには書ききれないので、ネットで調べてもいいし最寄りの八百屋さんに話を聞いてみるのもいい。これからも洋梨にみかん、お正月が過ぎれば東海から九州の暖かい地域で穫れる多様な柑橘たちも、糖度を聞いてどのくらいの出来なのかアタリをつけることが出来るはずだ。
そして忘れてはならないのは、当然というかなんというか、個人の好みだ。糖度が高いから皆がみな美味いと言うかというと、これがそうでもない。
私が経験したのは「シラヌヒ」という柑橘でのこと。多分ブランド名の『デコポン』という名前のほうが有名だと思う。『デコポン』は糖度13度かつ酸味がきつくないものをセンサーで選び出したもので、「シラヌヒ」はその選抜に選ばれなかった果実である。当然「シラヌヒ」のほうが価格は安い傾向にある。
だがある時、デコポンとシラヌヒの食べ比べをした際、奇妙な経験をした。厳しい選抜をくぐり抜けたデコポンより、シラヌヒのほうが美味い。美味いというか、私の舌に合う。もともと柑橘の酸味は好む質の私だが、その時のシラヌヒは何と言えばいいのか、「ちょうどいい」のだ。うんこれ!うーんこれこれ!と食べているうちに丸1個を平らげてしまった。そこらのミカンじゃねーんだぞ暇庭!もっとありがたがって食え!と職場の人間にも怒られたが、従業員同士で凄まじい争奪戦の巻き起こったデコポンは、一口目こそうわあ甘い!と喜んだものの、食べ飽きがすさまじく早く2切れも食べたらもう良いなと思ってしまった。
あれは体調によるひとときの味覚変化なのかと思ったが、違った。あの年以降どのタイミングで食べても、糖度が少し低く、酸が強いはずのシラヌヒは食べ飽きず、毎年ひと月程度箱買いしながら食べ続けるまでにハマってしまった。私は現在、いっそ北国に暮らす我が身の上が恨めしいくらいにはシラヌヒが大好きなのだ。なんで南国でしか育たないんだい君は。うちの庭で育ちゃいいのになあ。
というわけで、あなたにもそんな瞬間が訪れないとは限らない。スイカも物凄く暑い日はかえって甘すぎないほうが嬉しい。とか、濃厚なふじりんごは食べ飽きが早いけど少し風味の軽いジョナゴールドのほうが毎日食べられる。とか。
だから、冒頭の言葉を繰り返そう。糖度なんか信用ならないのだ。うまいかどうかは、結局のところ、食ってみなければわからない。
だからいろんなものを食ってみよう。うまいかまずいか。数字を見て知った気にならずに、一喜一憂しながら自分の好きな味を探す。きっとそれだって、素敵な暮らしの楽しみ方のひとつなのだから。
糖度信仰をブチ壊したいと私は長らく願っている。
たしかに甘いはうまい、なのだが……いや、それでも。甘みだけ、糖度だけにおいしさの尺度を譲り渡してなるものか。そんな単調なおいしさが支配する野菜、果物の界隈に、楽しさなんかあるはずがないのだから。




