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原点②


 それからというもの、マグナスは教会を抜け出しては、湖畔の小屋を訪れるようになった。ほぼ毎日。吹雪の夜も、曇天の朝も、彼の小さな足跡は小屋へと続く道を踏みしめてゆく。


「よぉ、また来たのかガキ」

「……悪いかよ」

「構わんよ。好きに使えと言ったのは俺だ」


 小屋の中に入るたび、マグナスの心は踊った。

 壁に賭けられた古い銃や道具、火のはぜる音、そして漂う硝煙の匂い。少年にとって、ここは外の寒さとは隔てられた、秘密基地のようだった。


 老人は無骨な手つきで銃を分解し、手入れをして見せる。


「いいか、銃ってのは手入れが大事だ。女よりも手間暇かけろよ」

「女? どういうことだ?」

「八ッ八ッ! ガキには早すぎたか!」


 老人との軽口を交わしながらも、マグナスの瞳は真剣だった。老人の一挙手一投足が彼にとっては刺激的だった。


 ある日、マグナスはいつものように銃を構え、的を狙っていた。いつもより手が震える。魔力を込める練習を行っていた。手のひらから持ち手を掴む銃へと力を流す。


 神経がすり減っていく感覚。手から力が抜け落ちていく。気を抜けば銃を落としてしまいかねない。


 想像よりも遥かに的を狙いながら、魔力を込めるのは難しかった。


 マグナスの放った銃弾は、的の手前にある鉄板一枚に遮られる。


「まだまだだな。まずは弾丸に魔力を込めることだけ練習しろ」

「…………」


 マグナスは再び銃を構える。老人の助言には素直ではないが、耳を塞いでいるわけでもない。


「ま、好きにすりゃいい。納得がいくまでな」


 老人は魔道具で煙草に火をつけ、外にある長椅子に腰掛けて見守る。ただじっと、静かに――。


 それからさらにいくつかの夜と朝が過ぎた。


 パァン――。


 いつもより甲高い音が銃口から発せられる。

 変化はそれだけだが、手ごたえのようなものがあった。


 それは確信となった。放たれた弾丸は厚い鉄板を貫き、奥の的を粉々に吹き飛ばした。


「……まじか」


 老人の口から出た言葉だった。まだひと月すら経っていない。老人の顔にも意外だったという表情が現れる。


「ガキ、やはりお前には才能がある。お前ならもしかすると……」


 老人は何か言おうとしていた。しかし、結局その言葉の先を聞くことは二度となかった。




* * *




 老人との出会いから、ひと月ほどが経った頃だった。

 その冬は、例年よりもさらに雪が重く降りしきっていた。街を歩けば、誰もが暗い顔をして囁き合っている。


 ――魔族が北方を越えた、と。境界にある壁を抜けられれば、次はこの町だと。


 教会も慌ただしく、神父やシスターは酷く狼狽していた。その姿に子供たちもまた怯える。皆、信仰を口にしながらも、どこか逃げ腰であった。


 マグナスはただ一人、教会を飛び出した。頭にあったのは唯一、老人の顔だった。雪を蹴る足の痛みなど気にも留めない。冷気が肺をさしても走りを止めない。


「ジジイ! いるか!」


 小屋の扉を壊れんばかりの勢いで開ける。中には案の定、揺り椅子にゆらゆらと腰掛け、煙草をふかす老人の姿があった。


「……どうした? そんな血相変えてよ」

「どうした、じゃねぇ! 魔族が来るって、噂だぞ……!」


 息を切らし、途切れ途切れに言葉を発する。


「……そうか」


 老人は異様なほどに落ち着いていた。先ほどまで焦っていたマグナス自身が馬鹿らしく思えるほど。


「いや、そうかって、逃げなくていいのか……?」

「まぁ、心配するな」


 老人は口から天井へと昇る煙をただ見つめるだけ。恐怖も緊張も、何も感じられない。老人は、強い。そこからくる精神的余裕なのか。しかし、油断しているようにさえも感じられなかった。


 だが、マグナスには老人の意思など関係ない。


「心配するに決まってんだろ! あんたバカなのか!?」


 自分でも珍しく声を荒げていた。

 心配だった。助けたかった。それだけだった。


「へぇ、人のこと気にかけるようなガキだったか、お前」


 からかうような口調だった。しかし、眼差しは、どこか遠くを見つめている。だからだろうか。マグナスの中には怒りが募った。「もう勝手にしろ!」そう言い残して、マグナスは小屋から出ていく。雪を必要以上に踏みつけながら、走り去る。


 人の心配を無碍にされたことと、彼の瞳の見つめる先の景色が分からないことに腹を立てた。さっさと魔族に殺されてしまえ、とさえ思ってしまった。


 マグナスは教会に戻り、神父たちと共に避難する。魔族の襲撃はその後、すぐに訪れた。マグナスが再びにノースベルにやって来たのは、ひと月が過ぎた後のことだった。




* * *




 ノースベルは、町の形をしていなかった。

 民家は荒らされ、焼け焦げた臭いがまだ空気に残っている。

 それでも、灰色の廃墟に降り積もる白い雪だけが、かつての面影をわずかに留めていた。


 マグナスはふらつく足取りで湖へ向かった。胸の奥にざわめきがあった。

 小屋の扉を押し開ける。


 そこにいたはずの人影は、もうない。炉は冷えきり、椅子は横倒しになっている。割れた窓から吹き込む雪が、床を白く覆っていた。


 ――分かっていた。分かっていたはずなのに、どこかで「もしかしたら」と思っていた。そんな自分に、また腹を立てた。


「これは……」 


 机の上に、ひとつの銃が置かれていた。

 煤けた黒鉄の、無骨な造り。

 老人が愛用していた、あの銃だった。


 長く放置されていたのか、半ば雪に埋もれている。指先でそれを払い、そっと触れると、ひやりとした冷たさが皮膚を刺した。


 マグナスは無意識に銃を握りしめる。やはり、重い。練習に様々な銃を用いていたが、これはどの銃よりも一際重い。片手ではとても扱えず、両手で支えるのがやっとだった。


 けれど、その重みが彼の心の奥にまでずっしりと沈みこんでいく。冷たさの向こうに、微かな温もりのようなものがあった。


「ジジイ……」


 呟きは、雪と共に消えた。悲しみも、後悔も、音のない世界に溶けていく。




 マグナスは外に出る。視界の端に何かが映った。雪原に浮かぶ二つの黒い影。


「あら?」


 声がした。

 同時に、相手の視線もマグナスへと向けられる。目が合った。最初は人間かと思った。だが、違う。


 白い雪を背景に、彼らの異形がはっきりと見えた。一人は額に三つの目を持ち、もう一人は腕に、刃のように長く伸びた爪を携えている。


 ――魔族だった。


 マグナスの背筋が凍りついた。空気が一気に冷たくなる。吐く息が音を立てそうなほど震える。


「人間……まだいたのか?」


 長い爪のほうが低く呟く。

 雪を踏む音が、ざり、と響く。


「大方、逃げていたはずだけれど」


 三つ目のほうが応じた。

 その口の端は赤く濡れている。血だった。

 足元に、倒れた人影があった。人間の死体。


 人間は魔力密度が高い――それゆえ、魔族にとっては上等な餌だと聞いたことがある。


「まぁ、いいじゃない。せっかく、ご馳走が来てくれたんですもの」

「それもそうだな」


 二体の魔族が、不気味に口角を吊り上げる。

 雪の白に、血と黒がじわりと滲んだ。


 マグナスは息を飲んだ。指先が、勝手に銃へと伸びていく。



「お前は手を出すな、こいつは俺が仕留める」


 爪の長い魔族が言い、ギラリと刃のような腕を前へかざした。

 その血塗られた凶器が、マグナスへと向けられる寸前だった。


 パァン――。


 静寂を破る音が、雪原に鳴り響いた。

 周囲に血と肉塊がはじけ飛ぶ。


「え?」


 三つ目は隣を見る。先ほどまでいたはずの爪が、下半身だけを残し、死に絶えていた。


 撃ったのは少年。その片腕はだらりと力なく垂れ下がっていた。


「ありえない」


 雪の上を滑るように這いまわり、三つ目はマグナスへと接近する。

 その太く発達した上腕が、白い粉煙を巻き上げながら、マグナスに振り下ろされようとした。

 

 ――腕が、はじけ飛んだ。


 三つ目は絶叫を上げてのたうち回る。マグナスは表情を変えず、銃口をわずかに下げた。狙いを、次の急所に合わせる。


 そして――撃った。


 弾丸は魔族の硬い皮膚を貫き、肉を抉る。動きが止まるたび、また撃った。少年の中で、何かが壊れていた。


 怒り。憎しみ。

 老人を殺されたかもしれないという焦燥。

 それらが混じり合い、ただ一つの衝動だけが残った。


 ――殺したい。


 人間だとか、魔族だとか。そんなものはどうでもいい。目の前の敵を、消したい。それだけだった。


「あなたたち人間は私たちの領域を荒らした。だからこれは正当防衛なの。分かるでしょ?」


 魔族は必死に、訴える。御託を並べ、自分たちの行為を正当化しようとしていた。どのみち、マグナスを馳走だと言った時点で、怪しかったが。


 マグナスは顔にめがけて発砲する。

 魔族は「残念でした」などといって魔力障壁を展開したが、弾丸はそれを突き破り、相手の顔面を吹き飛ばした。


 頭を失った胴体が、ばたりと音を立てて雪を赤く染める。やがて、雪の中へ沈んでいった。


 マグナスは残骸のそばにしゃがみこみ、魔族に喰われていた人間の死体を調べた。


 ……違った。死体は、老人ではなかった。声も名前も知らない、誰か。ならば、彼はまだどこかで――。


 その死体をそのまま、雪に埋めた。すると、身体が突然寒さを覚え始めていた。怒りが収まり、冷静になったことで、身も心も冷え切ってしまったのかもしれない。


 戦いを思い返す。不思議と、魔族は怖くなかった。むしろ、この銃を片手で扱うあの老人の方が、よほど恐ろしい。


「ジジイ。銃は……借りていく」


 老人のいないこの湖に――もう用はない。

 マグナスは、銃をコートの内ポケットにしまい、立ち去っていく。

 降り続ける雪の中、彼の足跡だけが一瞬残り――


 やがて、それも消えた。




* * *




 窓辺から外を眺める。

 一粒の白い欠片が、ふわりと空を舞っていた。


「マグナス、依頼が来た」

「…………」


 返事はない。

 マグナスはただ、窓を眺めている。つられてコルトも外をのぞく。外では、雪が降っていた。しんしんと、音もなく。


「もうそんな季節なのね。なんだか、綺麗……」


 窓の向こうを、目を細めてコルトは眺める。

 マグナスはボーっとしており、窓から視線を逸らさない。心ここにあらずといった様子だった。


「どうしたの、浮かない感じだけど?」


 マグナスは我に返ったように、窓辺から視線を離す。


「あ、悪い。なんだっけ?」

「依頼よ依頼。あなたがボーっとしてたの」

「すまん、今聞く」


 マグナスはコルトから依頼書を受け取り、目を通した。


「これぐらいならすぐ終わるな。行ってくる」

「気を付けてね」


 ロングコートを羽織り、ギルドを出る。

 外はすでに、一面の銀世界だった。


 吐く息が白く散る。

 足音が雪を踏みしめるたび、記憶の底で遠い銃声が鳴り響く。


「……雪は、苦手なんだけどな」


 呟きとともに、彼の姿は降りしきる白銀の中へと消えていった。


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