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原点①


 雪が絶え間なく降りしきっていた。

 ノースベル……北方の灰色の町は、冬になれば白銀に包まれる。だが、その美しさに心を奪われる者はもういない。戦火に焼かれ、魔族に荒らされた町は、まるで骨のように冷たく、静まり返っていた。


 孤児院の鐘が鳴る。

 広間に集められた子どもたちは、固いパンを分け合いながらはしゃぎ合っている。かろうじて生きていることへの安堵を声に変えて、互いの体温で寒さを誤魔化すかのように。


 ただ一人、マグナスはその輪の中に加わらなかった。

 十二歳の少年は窓辺に座り、外を舞う雪片をぼんやりと見つめていた。笑い声は遠くに聞こえるだけで、自分には関係のない世界の音のようだ。


(……くだらね)


 唇をかすかに動かし、吐き出された息は白く曇った。

 両親はいない。友と呼べる相手もいない。ただ孤児院の子どもたちの中に「居させてもらっている」だけ。彼にとって祈りも遊びも、すべて虚ろで意味のないものにしか見えなかった。


 やがて神父が入ってきて、祈りの時間を告げる。

 子どもたちは慣れた様子で席を立ち、祭壇の前にひざまずいた。マグナスも列に加わるが、目を閉じることはなかった。


「神よ、忌まわしき悪から我らをお救いください……」


 響く神父の声に合わせ、子どもたちは一斉に唱える。

 ただ一人、マグナスだけは心の中で別の言葉を吐き捨てていた。


(神なんて本当にいるのか? もし本当にいるなら……どうして種を分けた? どうして争いがなくならない? 仮にいたとして……)


 その疑念は、やがて口をついて出てしまう。


「なぁ神父……神って、本当に“いいやつ”なのか?」


 ざわめきが広間に走った。子どもたちの視線が彼に集まり、神父の顔色がみるみる赤くなる。


「マグナス……! 不敬にもほどがある! お前は今日、食事抜きだ! 今すぐ教会を出ろ!」


 罰を言い渡された少年は、それでも顔色ひとつ変えなかった。周りの子供たちからの視線は、異常者でも見ているかのように冷ややかであった。


 吐き出すように「はいはい」と返事をすると、裸足のまま雪の降りしきる外へと追い出される。


 灰色の町は白い雪で覆われていた。降りしきる雪の中、少年は一人歩き始める。彼のその小さな足跡だけが、静まり返った道に刻まれていった。



* * *



 いまだ雪は降り続ける。

 灰色の雲に覆われた空は昼も夜も区別をなくし、ただ沈黙だけが町に残る。


 裸足で踏みしめるたび、雪はぎゅっ、ぎゅっと湿った音を立て、冷たさが皮膚を突き刺した。けれどマグナスは顔色ひとつ変えなかった。凍える感覚にも慣れてしまったのだ。


 行くあてもない。

 戻ったところで、味方は一人もいない。


 空腹なんて日常。飢えよりも、心を塞ぐ灰色の空の方が重苦しい。


 雪の町をあてもなく歩きながら、マグナスはいつしかはずれにある湖へと足を運んでいた。そこは町の喧騒から遠く、静かな水面が広がる場所だった。湖は冬の氷に覆われ、黒い亀裂がいくつも走っている。こんな町にもまだ良い場所が隠されていたのだと、少しだけ感嘆した。


 水面に映るのは、幼い顔に似つかわしくない、諦めきった目をした自分。


 ――神なんていない。


 心の奥で、吐き捨てるようにそう呟いた。


 その瞬間――


 パンッ。


 乾いた音が、湖の向こう岸に響いた。

 銃声。


 町でも度々聞いたことのある音。

 けれど今、この静寂の中で鳴ったそれは、不思議なほど鮮やかで、重く凍てついた空気を切り裂いていた。


 マグナスは水面から顔を上げた。

 白銀の景色の中、小さな小屋のそばに、ひとりの老人の影が立っている。老人は肩をすくめるように構えを取り、銃口を遠くの的へと向けていた。

 

 次の瞬間――。鋭い音がまた響き、百メートル離れた木板の中心に穴が空く。


 老人は淡々と弾を込め直し、再び撃つ。そしてまた中心を撃ち抜く。一発も外さない。その姿に、マグナスは思わず雪を踏み鳴らし、声をかけていた。


「おいジジイ、なにやってんだ」


 老人はゆっくりと振り返る。

 白い髭をぼさぼさに伸ばし、目尻に深い皺を刻んだその顔は、ただの老人に見えた。けれど、その双眸には射撃の的を貫いた時の弾丸のような鋭さが宿っている。


「……ほぅ。いきなり人に向かってジジイとは、肝の据わったガキよな」

「なんだよ。遊びか?」

「遊びだと? まぁ、そうとも言えるな。老いぼれの暇つぶしよ」


 老人は愉快そうに笑い、空薬莢を足元に落とす。


「で、どうした、ガキ。寒さに凍えて迷い込んだか?」

「……ヒマだから来てみただけだ」


 マグナスは吐く息で白く染まる空気の中、無表情で答えた。

 けれど視線は銃から離せない。


 老人はそれを見抜いたように、にやりと口の端を吊り上げる。


「興味があるようだな。なら……撃ってみるか?」


 そう言って差し出された銃は、ひどく冷たく、そして重かった。


 マグナスは手に置かれた銃を握り締める。

 両手で支えても、痩せこけた少年にはその冷たさと重量は少々堪えた。


「……これで、どうすりゃいいんだ」

「引き金を引くだけだ。ガキでもできる簡単なことよ」


 先ほどの老人の動きを思い返しながら、マグナスは銃口を木板に向ける。

 雪の冷たさでかじかんだ指先が、引き金にかかる。


 ――心臓がひときわ大きく跳ねた。


 乾いた銃声が冬の湖に響き渡る。

 木板の中心に、小さな穴が穿たれていた。


「……!」


 反動で尻もちをつくマグナス。彼は一瞬、目を見開いた。

 それはただの偶然か。だが老人の顔には驚きではなく、納得の笑みが浮かんでいた。


「はっ……やりおったな、ガキ。五十メートル先の的を初めてで射抜く奴なんざ、わしでも見たことがねぇ」

「……た、ただのマグレだろ」


 口ではそう言いながらも、マグナスの胸は熱く脈打っていた。

 その感覚がなんなのか、彼自身にもよく分からない。


「センスがあるな。おいガキ、銃魔術師になってみないか?」


 老人の声は静かで、しかし抗いがたい響きを持っていた。


「銃魔術師……? やだよ、銃なんて雑魚が使う武器じゃん」


 マグナスは苦笑し、吐き捨てるように言った。


「ハッハッハッ! お前もそう言うか」


 老人はなぜか嬉しそうに笑う。


「いいか、ガキ。使い手次第で物の価値というのはいくらでも変わるものよ」

「どうだか」

「明日、またここに来るといい」


 老人は小屋の手前にある机に弾薬箱を置き、歩き出す。


「おい、どこ行くんだ?」

「ちと用事だ。この場所は好きに使え」


 それだけを言い残し、ロングコートを翻して老人は湖から立ち去っていく。

 彼が去った後もマグナスは夢中になって的を撃ち続けていた。残された箱の中の弾薬がすべて灰になるまで――。


 ――翌日。


「ガキ、まさかずっとここにいたのか?」


 目を覚ますと、老人の低い声が小屋の中に響いた。

 昨晩、マグナスは小屋にある炉に火をつけ、毛皮の布団の中で過ごしていた。教会に戻ったところで入れないのだから仕方がなかった。


「丁度いい。外に出てみろ。面白いものを見せてやる」


 老人はマグナスの境遇に何ひとつ触れなかった。思いやりか、無関心なのか、あるいは本当に何も考えていないのか。


 手招きされるままに布団から抜け出し、白銀の世界へと向かう。


「面白いもんってなんだよ」


 老人は昨日から彼に対しどこか自信ありげに話していた。老人の視線はある一転を見つめている。その視線を辿った先――三頭の魔物の姿があった。白銀の毛皮に鋭い鉤爪。獰猛な赤い瞳。Bランク魔獣、ゼメスティス。


「ま、魔獣ッ……!」


 マグナスはとっさに身を低くし、雪の陰に隠れる。それが少年にできる最善の行動だった。銃を持っているが意味はない。あの狼は鉛玉でどうこうできるような相手ではない。


 魔獣たちは人影を見つけたのか、雪煙を上げて突進してくる。

 老人は眉ひとつ動かさず、腰のホルスターから古びた拳銃を抜いた。


「隠れるな、よく見ておけ」


 その声は静かだが、なぜか絶対的な自信を感じ取れた。


 次の瞬間、銃声が轟いた。

 一発。魔物の足が弾け、動きが止まる。

 二発。爪を振りかざそうとした腕が撃ち抜かれる。

 銃弾が放たれるたび、確実に急所を穿ち、魔物の動きは削がれていった。


「いいか、相手の動きを読め。人でも魔物でもだ。そうすりゃ、狙う場所はおのずと見えてくる」


 老人の言葉通り、銃弾は迷いなく命を奪っていく。

 三頭のうち二頭はすでに倒れ、最後の一頭が逃げ出した。


「な、なんで……」


 マグナスにはわからなかった。銃弾ごときではあの硬く厚い毛皮は貫けないはずなのに。


「魔力だ」


 老人は短く答える。


「弾丸に魔力を込める。込めれば込めるほど、弾は鋭く、強くなる」


 そう言って、老人は胸元からもう一挺の銃を取り出す。不思議な見た目の、黒鉄の煤けた銃。それを構えて、遠くを狙う。狙う先ははるか遠く、黒い点となって逃げるゼメスティス。


「うまく使いこなせば、こういうこともできる」


 老人は深く息を吸う。その瞬間、彼の雰囲気がガラリと変わった。実際に何か見た目が変わったわけではない。だが、空気が震え、肌に差すような感覚があった。


 深々と息を吐き、響くような低い声で老人は唱える。


「――エクシドラ」


 すさまじい衝撃。聞いたことも無いような耳を劈く音。それらと共に白く輝く光の弾が銃口から飛び出す。光弾は雪の中、一瞬を駆け抜け、遥か彼方の魔物を貫いた。


「どうだ、ガキ。今日は魔物のステーキよ」

「…………」


 マグナスは言葉を失った。当時自分が何を感じ、どう思ったのか。今でもそれを言葉にすることはできない。


 ただ確かに、この瞬間、彼の中で何かが音を立てて動き始めていた。


 それが、後の“銃魔術師”マグナスの原点だった。


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