依頼
この世には、善と悪が存在するらしい。
だが、何をもってそれを区別するのか――その基準はいつだって曖昧だ。
ある者は言う。法を守る者こそ善であり、それを破る者が悪なのだと。
またある者は言う。善悪とは、その者の主観によってのみ定められるものだと。
では、天使と悪魔がいたとして、どちらが善で、どちらが悪だと思うだろう。多くの人間は、天使を善、悪魔を悪と定義するに違いない。
ここで一つ、条件を付け加えよう。
天使は祝福を平等に分け与えはしない。常に正しき行いをする者にのみ、祝福をもたらす。裏を返せば、悪人には何も与えない。むしろ天罰を下す。何もしない者にはどうだろう。何もしないのだから当然、何も与えられない。
しかし、悪魔は違う。
悪魔はお人好しにも、怠惰な者にも、殺人鬼にさえも、等しく同じ条件のもとに力を授ける。その力によって救われた者がいた。不治の病に苦しむ者、飢えに瀕した者、借金に縛られた者。彼らには善行を積む余裕などなかった。ただ救われたかったのだ。そして悪魔こそが、彼らにとっての救いだった。
ここまで聞けば、悪魔にもまた“善”があるのだと、そう思う者もいるだろう。
……だが結局のところ、そんな話をしたところで大した意味はない。
――ある男は思う。
善も悪も、最初から存在などしない。
あるのはいつだって、ただそこにある“事実”だけなのだ――。
* * *
空はまだ朱に染まっていて、畑の影が長くのびていた。村の片隅で、村娘のミーナは籠を抱えながら息を弾ませる。今夜の夕餉に使う野菜を村長の家まで届ける役目だった。
「今日はたくさん採れたね」
「うん、今年は豊作だって、お母さんも言ってた!」
今年は豊作だった。村人たちの顔にも笑顔が見える。ミーナもまた向かう先々で人々と祝い合っていた。
ミーナへと嬉しそうに駆け寄る子どもたち。遠くから聞こえる牛の鳴き声。村はいつもどおり穏やかで、ミーナも胸の奥から小さな幸せを感じていた。
――そのときだった。
地響きのような足音。馬のいななく声。村の入り口から、十数人の冒険者がぞろぞろと入ってきた。鎧に夕焼けが反射し、ミーナの目に一瞬まぶしく映る。やってきたのは冒険者たちだった。村長が近くに現れた魔物の駆除を都市にあるギルドにて要請していたのだ。
「あ! 冒険者さんだ!」
子供が声を上げ、村人たちが集まる。彼らはいつでも村のために畑や街道を荒らす魔物たちを狩ってくれる頼もしい存在だった。
いつもなら討伐の報酬に村長が彼らに報酬を渡すのだが、今回はどこか雰囲気が違っていた。
冒険者パーティの主格であるラウゴという名の大男、彼は村人たちに歓迎されても顔色一つ変えず見下すような視線を向けていた。村長が駆け寄ると、突然その胸倉を乱暴に掴み上げる。
「金と食料をありったけ用意しろ」
村人たちが騒然とする。
「し、しかし……」
村長もまた困惑している。金も作物も領主への納品物としても貴重な物。それをすべて渡すことには肯定しかねるのだ。
「黙れ! 俺たちはここから国境を超える予定なのだ! 食料をよこさないのであればどうなるか分かっているな?」
ラウゴは聞く耳など持たず、高圧的に要求だけを口にする。その横暴さに流石に看過できなかったのか、村人の一人がラウゴの前に出る。その時だった。
「おい! 冒険者だからっていくら何でも――」
村人の首が飛んだ。ラウゴの持っていた斧に斬られたのだ。村人の首はそのままミーナたちの足元まで転がっていく。
「きゃあああああ!」
悲鳴がこだました。
その悲鳴をかき消すようにラウゴは大声で叫ぶ。
「全員手を組んで頭の後ろに回せ! これは命令だ! 従わない者は殺す!」
誰も、逆らうことなどできなかった。逆らえば確実に殺される。その恐怖だけがミーナを襲った。
建物の出入り口を中から塞ぐ村人たちに容赦なくドアごと散弾銃を浴びせる。これまで頼りにしてきた“冒険者”たちが、笑いながら家々へ押し入っていく。
「いや……いやいやいや!」
ミーナは叫んだ。だが、力ずくで押さえつけられ、納屋に連れ込まれる。村長や他の村人も同じように人質にされ、扉が閉じられる。
外からは悲鳴と笑い声、物が壊れる音が響いてくる。先ほどまでの平穏が嘘のように崩れ落ちていった。
ミーナの手は震え、涙で頬が濡れる。こんなはずじゃなかった。冒険者は村を守ってくれる存在だと思っていたのに。
「……誰か……助けて……」
その小さな声が、夜の闇に吸い込まれていった。




