短編ホラー小説『海獣の実 ―桐生陽斗の手記―』
凪いだはずの海に、あの日から異変が起きた。
港の朝は早い。桐生陽斗がいつものように船を出したその朝、海面がぬめり、網に奇妙なものがかかった。**白く丸い、柔らかい果実のような“何か”**だった。
「……これ、なんだ?」
触れた瞬間、ぬるりと動いた気がした。漁師仲間の中には、それを持ち帰った者もいたが、数日後、全員が高熱と幻覚を訴え、病院に運ばれた。ひとりは行方不明になった。
そんなとき、町にひとりの女が越してきた。高城凛――昔、この町に住んでいた老婆の孫らしい。
陽斗は偶然、彼女が夜な夜な裏山の森に入っていくのを見かけた。止めようとしたが、目が合った瞬間、言葉を失った。
あの目――網にかかった“果実”の中にあった目と、まるで同じだったのだ。
数日後、陽斗は再び船を出した。海は静かだが、何かが海底で“実っている”気配がする。網にかかったのは、またしてもたわわに膨らんだ実のような塊だった。それは、まるで誰かの胎内から摘出されたように見えた。
陽斗は町を出ようと決意する。しかしその前夜、夢の中に彼女が現れた。
水の中で、赤黒い実を抱え、凛が笑っていた。彼女の腹は不自然に膨らみ、蠢いていた。
> 「私ね、もう“種”じゃないの。**“実”なの」
「次は、あなたが芽吹く番」
目覚めたとき、陽斗の足元には――塩水に濡れた、胎児のような実がひとつ、転がっていた。