後編
これ以上厄介なことはたくさんだと思ったジノの投げやりな告白に、魔王は目をパチパチさせた。
「女子、なるほど、女子か。ううむ、我もまだまだだな。言われてみれば、匂いが人の男とは違う」
とてとてと近づいてきて、鼻をくんくんさせる幼女。その仕草は非常に愛らしいが、これは魔王である。しかめっ面で、ジノは幼女から距離をとる。
「匂いを嗅ぐな」
「我としては、もう少し堪能したい……いや、伴侶となってから思う存分嗅げばよいか」
「呆けたか? 私は女だ。よって、お前がどんな年齢に変化しても、女である以上、結婚はしない」
「なぜそうなる? ……あ、いや待て、そうだった。人間は、そこら辺に面倒なしがらみがあるのだったな」
失念していたと呟いた魔王だったが、次の瞬間には満面の笑みでジノを見上げた。
「案ずるな、勇者よ。我は、魔王だ」
輪郭が、またしても揺らぐ。
そして――。
「そなたが望む姿になろう。男しか愛せないのならば、ほれこの通り」
ジノの目の前で、自信満々に微笑んだのは銀髪の美青年だった。
「改めて、そなたに伝えよう。我の伴侶になれ、勇者よ」
「魔王が、なにを馬鹿げたことを」
「ここまでしても、まだ信じてくれぬか。頑なな心は、どうすれば開かれる? やはり、あれか? 贈り物が必要か? ――そうだ! 世界をそなたに贈ろうか?」
「規模が大きい!」
そして物騒だ。ハッキリ言って、いらない。
首を横に振ると、魔王はなにが楽しいのか「ふふ」と笑い声を漏らす。
「我が伴侶は、奥ゆかしいのだな。ならば、世界の三分の二を贈るとしよう」
「伴侶じゃないし、縮小すればいいというものではない! そもそも私は、世界なんて欲しくない!」
普通は、そんなもの求めないと言い捨てれば、魔王は衝撃を受けたようで「馬鹿な!」と叫んでよろめいた。
「なぜだ!? 人間は、世界征服とか大好きだろう!? だから、毎度毎度飽きずに領土拡大だとか異種族討伐だとか理由を作り、争っているんじゃないのか!?」
たしかに、争いを好む人間も一定数存在するだろう。けれど、それだけではないのだとジノは続けた。
「中には、争い事が嫌いな人もいる。平和を願っている人だって、いるんだ」
たとえば、あの子のようにとジノが思い浮かべたのはレティだ。
同じ村で過ごし、親友としてなにをするにも一緒だった彼女は、心優しい子だった。ある日王さまの娘――お姫様だったことが分かり、王家へ戻った彼女と再会したのは勇者に選ばれた時だったが、立場が変わってもレティは村にいた頃と変わらず優しい子で、争いに心を痛めていた。
人族と魔族が仲良くなれたら――そんな思いを失わない彼女こそ、どこぞの聖女よりもよっぽどそれらしいとジノは思っていた。
旅立つとき、見えなくなるまでずっと手を振ってくれた優しい親友を思い出すと、荒んだ心が少しだけ癒やされるが――。
「……気に入らないな」
「え?」
「気に入らない。今、ここには我らふたりだけだというのに、そなたの心は違うところへ向いている。そんな顔をさせるモノは、一体なんだ?」
魔王が、ようやく魔王らしい冷酷な顔になった。
冷たく威圧するような視線。
潰されるような重苦しい空気。
今までは、やはりお芝居だったのだとジノが剣を握り直すと――。
「もしや、大人の男は嫌なのか? うん。ならば、これでどうだ? 幼い姿ならば、そなたは我を無視しないか?」
怜悧な美青年は、あっというまに小さな男の子へと変貌していた。
大きな目で必死にジノを見上げてくる姿は、先程の幼女と同じくらい愛らしいが――。
(騙されるな、私! これは、魔王だ!)
一体、なんのつもりなのか。
魔王の気まぐれに振り回されている自分は、やはり不運な星の下に生まれたのだろうかと内心で叫びながら、ジノは険しい顔のまま首を横に振った。
「うぬぬ、少年趣味ではない。幼女もダメ。大人の女も男もダメ。となると後は……ハッ! まさか……枯れ専というヤツか!?」
「違う! 魔王のくせに、俗な知識がありすぎだろう!」
「そなたの好みが、はっきりせんからだ。……まてよ、人の世にはイケオジなる嗜好も存在したな。それか?」
「……もう黙れ」
この魔王、おかしい。
ジノは、ようやく理解した。
「――頭がおかしいのか、魔王」
「我は、そなたでなければ嫌だ。それだけのことなのだが?」
「……やっぱり、頭がおかしい。こんな男みたいな女を、どうして?」
十人中十人が性別を誤認して答えるだろう、姿形。
背だけは伸びてくれたが、それ以外はとんと育ちが悪く、女の子らしい柔らかさがない体。
ちょっと低めの声も、話し方も、女らしさがない。
ただの村人だった頃、農作物を売りに町に出る時、女だと足下を見る輩がいたから自然とこうなってしまった口調は、年季が入りすぎていて変えようとすると不自然にどもってしまう。
結果、男と間違われたまま聖女に迫られ、仲間にボコられ、勇者一行崩壊などという最悪な事態を招いてしまった。
――そんな、魅力皆無の人間に、どうして魔王が求婚してくるのだろう。
策があると身構えるのが普通だが、魔王は「我の愛を信じろ」と可愛い子供姿のまましがみついてくる。
「勇者……我がここまで迫っても首を縦に振らなかった存在は、初めてだ。――身持ちが堅いところにも、貞淑さと初々しさが表れていて好感が持てる。……ふふ……よかろう、ならば我は、そなたが首を縦に振りたくなるようにしてやる!」
「なんだって……!?」
まさか、国を焼き払うとか言い出す気かと思ったジノだったが――ポッと頬染めた美少年に花束を差し出され硬直した。
「まずは、お友達からよろしく頼む!」
「……え? おとも、だち?」
「うむ! そして、一ヶ月後には恋人へ昇格。そしてそして、一ヶ月半したら改めて求婚する。恋人同士という基盤があれば、もちろん受けてくれるだろう? そうすれば、我らは晴れて婚約者! 二ヶ月後には夫婦の契りを交わそうぞ!」
これは、本気か。
本気なのか。
……本気、なのだろう。
「人間は、段階を大切にするものだそうだからな。ふふ、この完璧な計画に沿えば、そなたも、我がどれほどお買い得物件か理解し、メロメロになることだろう!」
「……いや、私はお前を倒して国に帰る予定だったんだが……」
毒気を抜かれたが、本来の目的を思い出す。
それを告げると、魔王はキラリと目を光らせた。
「そなたが我と計画的なお付き合いをしてくれるなら――人間側と和議を結んでも構わんぞ?」
「え?」
これまでは徹底抗戦の構えだった魔族の王たる存在が、ここに来て態度を軟化した。
これはどういう風の吹き回しなのかとジノが目を瞬いていると花束を押しつけられる。
そして、魔王は再び姿を変えて今度は美麗な青年の姿になった。
くいっとジノの顎に手をかけ上向かせると、にっこりと微笑む。
「平和を願う者もいる。そなたが言ったことだろう? 我が未来の伴侶の言葉ならば、一考に値する。それに……平和を願う者の中には、そなた自身も含まれているのだろう」
「――――」
魔族との和平を願っていたレティとは違い、ジノは勇者としてずっと戦う姿勢を貫いてきた。
それなのに、どうして分かったのだろう――戦いの象徴であるはずの勇者ジノが、本当は平和を願っているなんて。
(レティにしか……言ってないのに……)
本当は、ジノは戦うことが嫌いだ。魔族とだって、出来たら仲良く暮らしたかった。
獣人、妖精、エルフにドワーフ、様々な種族がいる。揉めることはあれど、それでも共存しているのだ。だから魔族とだって――と。
今までは同じ気持ちを抱いていたレティだけが、理解者だった。
「……笑わないのか?」
ジノが問うと、魔王は馬鹿にしているのとは違う――慈しむような優しい笑みを浮かべた。
「笑わぬ。それは……いつか我が夢見たことでもあるのだから。だからな、勇者。我を信じて、我に運命を委ねろ。……魔王と勇者が殺し合う未来ではなく、手を取り寄り添う未来の方が、明るく幸福に満ちていると思わぬか?」
囁く魔王に、ジノは束の間迷い――口を開いた。
「ジノだ」
「ん?」
「勇者じゃない。私の名前は、ジノ」
すると魔王は驚いて――それから、ガバッと抱きついてきた。
ジノは慌てた。
「せっかくの花が潰れる!」
「我が育てた花々は、そんな軟弱ではないから大丈夫だ! 今しばらく、我に付き合え!」
ぎゅうぎゅうと、ぬいぐるみよろしく抱きついてくる魔王は、僅かに震えた声で、ジノに耳打ちした。
「我が最愛のジノ。どうか、我の名前も呼んでおくれ――エヴァノーツと」
「エヴァノーツ?」
「うむ」
満足そうな声。
そして、体が離れる。
「互いの真名を交換した。これはもう、婚姻成立、だな!」
「――は?」
「ふふふ、駆け引き上手め。いや、違う……きっと我の真心が通じたのだな! この場で求婚に答えてくれるなんて、我が妻ジノは本当に真摯だ。また惚れてしまった」
「え、いや、まって……婚姻って、妻って……」
「うん? 真名を明かすということは、相手に全てを委ねるということだろう。我の求婚に答えてくれたという証しではないか!」
そんな、魔族式求婚あるあるの話をされても、ジノは寝耳に水だ。
しかし、浮かれきった魔王はもはや聞いていなかった。
そうと決まれば、さっそく妻のために平和を実現しなければと意欲的に動き出したのだ。
――今代の勇者は、魔王を打ち倒せなかった。魔王に挑まず逃げ帰った。そんな報せが世界にもたらされた。当初、人々は最低な勇者だとジノを非難した。先に帰還し、彼の蛮行を涙ながらに語っていた聖女たちに同情した。そして、戦いが激化することを恐れた。
だが、大多数の予想を裏切ることが続けて起こった。和平が結ばれたのだ。最低勇者ジノの仲介によって。
そうすると、少々風向きが変化した。
まず、どこよりも先に魔族との和平に積極的に動いた国の王女……後に人族代表となる王女が――彼女は、暗殺の危険を避けるため幼い頃小さな村で育てられた――勇者の蛮行を否定した。そして、彼女と魔王の婚姻を祝福したのだ。
そう、勇者は女だと言ったのだ。
自分と同い年の、争い事が嫌いな心優しい女の子なのだと。
その事実に人々は驚いた。
騙していたのだと言う人間もいたが、ある日魔王と共に会議の場に現れた勇者を見て、口を噤むこととなる。
数々のストレスから解放された勇者は、女性らしく体が成長していた。
表情もやわらかく、今が幸せだと分かる穏やかなもので――あんな穏やかな顔をする女の子が、男のふりを通さなければならないとは、一体どういう状況に置かれていたのかと……かつて同情されていた聖女たちに矛先が向いた。
なぜなら、聖女は旅に出る前も後も、傷ひとつなく肌つやもいい。
いつも人に囲まれてニコニコしている。
各国に立ち寄った道中すらも、聖女は上から下まで傷も汚れもなく、ツヤツヤピカピカで綺麗だった。
だから、勇者を覚えている人たちは「そういえば、あの一行の中で勇者様だけは傷だらけだった」と眉をひそめる。
勇者は身を挺して村の子どもを助けてくれた、戦ってくれた、けれども聖女はなにをしていただろう?
ただ、怖い怖いと他の仲間の後ろに庇われていただけだ。
犠牲者のために祈ることすらなかった。
その事実を掘り起こされて、次々と新たな疑惑が沸いてきた。
もしも、勇者の蛮行を嘆いて戻ったのなら、なぜすぐに新たな討伐隊を組まない?
装備も金も没収して戻ってきた。
ならば、それらの行方は?
寄付されたという話も聞かない。
つまりは、奴らの懐に入ったのではないか?
だいたい、いくら袂を分かったとしても、許されないことをしたと義憤に駆られていても――土壇場で、勇者になにも残さないなんて。最初から都合の悪いことを隠すために、勇者様を殺す算段だったのでは?
――そもそも、勇者が女の子ならば、聖女が涙ながらに訴えた、大前提が崩壊する。
聖女達が語る蛮行を、一体誰が出来るというのだ。
旗色が悪くなった聖女は、自分は他の男達に脅されたと泣いて保身に走った。
信奉者であった男達は、恋人である聖女を重責から解放するためと言い張っていたが、皆が同じ事を言っていると指摘され驚愕、そして当の恋人である聖女はお前達に脅されたと言っていると教えた途端、大声で叫ぶと泣き崩れた。
その後、彼らは全員、聖女に誘われ関係を持っていたことが判明。すっかり秘密の恋人気分だった彼らは、聖女から勇者に強引に迫られていると常々言われており、あの時の制裁は恋人を守る崇高な行為だと思っていたと言い訳していた。
一方で聖女は――勇者とレティ姫の親密な様子に、恋愛関係なのだと思ったそうだ。庶民から突然お姫さまになり、何もかも手に入れたようなレティ。聖女である自分と同じくらい慕われていることも気に入らない。
彼女を絶望させてやりたいという欲望にかられ、勇者を誘った。けれど相手にされず、貧民街育ちの自分を馬鹿にしているのだと思い躍起になり――暴走したとのことだった。
勇者ジノもレティ姫も、聖女の誤魔化されていた出自など知りようもない。すべては、聖女の被害妄想でしかなかったのだ。
つまり、勇者は完全なとばっちりで、被害を食らったことになる。人々は、気の毒な勇者に同情とある者は謝罪、ある者は感謝の念を寄せた。
そして、勇者を馬鹿にしてきた者たちは、報復に怯えた。なにせ、勇者ジノは魔王の伴侶となり人族と魔族の架け橋を果たした人物だ。その気になれば、どんなことでも出来る能力があった。
だが、勇者ジノは報復などしなかった。かつての仲間たちになにか言及することなかった。
けれど、レティ姫と魔王の和平交渉をそばで支えるその姿は、人々に希望を見せる勇者のそれだった。
こうして、不運尽くしの勇者の旅は魔王に捕まって終わった。
――自分の人生は、きっと魔王に出会うために続いていたと語る元勇者は、最後の最後まで世界の誰より幸せだったそうだ。