この書類にご記入ください?
支部の空気が、目に見えない重さを帯びていた。
そんな中、ついに新しい取り組みの第一歩が始まった。
窓口カウンターに、整然と積まれた新型の“職業斡旋用フォーマット”。
──依頼人向け、自己申告シート。
「こちらの書類にご記入ください」
ミーナは、初めて訪れた依頼人に用紙を差し出しながら、内心ひやひやしていた。
A4用紙二枚分。
一枚目には、基本情報。
二枚目には──
『あなたの強みを三つ挙げてください』『過去の実績を数値で記入してください』
という項目が、無機質に並んでいた。
依頼人は、紙を受け取ったまま、ぴたりと動きを止めた。
「……あの、これ……全部、埋めないといけないんですか?」
弱々しい声。
ミーナは慌てて微笑み、台本通りに答える。
「はい、ご記入いただいた内容をもとに、適切なお仕事を斡旋させていただきますので……!」
しかし、依頼人の顔色はどんどん曇っていく。
ペンを持った手が、わずかに震えているのが見えた。
(だ、大丈夫かな……?)
ちらりとカウンター奥を見ると、アルフォード支部長が冷静な目で全体を見守っていた。
その視線を受け、ミーナは必死に笑顔を貼り付ける。
「ご不明点があれば、お声がけくださいねっ!」
──それから数分後。
依頼人は、ほとんど空白のままの書類を持って、困った顔で戻ってきた。
「……強みとか、実績とか……自分には、特に……」
小さな声だった。
ミーナは、言葉に詰まった。
台本には、こう書かれている。
『自信がない依頼者には、過去の成功体験を引き出す質問を行うこと』
(成功体験って、そんな簡単に思い出せるものじゃないですよね……?)
それでも必死に笑顔を作りながら、ミーナは尋ねる。
「たとえば、以前のお仕事で、何か褒められたこととか……」
依頼人は首を振った。
「……そんなの、ないです。怒られてばっかりで」
その言葉に、胸が痛んだ。
強みを三つ。実績を数値で。
そんなこと、誰にでも即座に書けるわけじゃない。
それなのに、マニュアルでは「この手順を踏めば、最適な職業斡旋が可能」と断言されている。
「じゃあ、こちらをもとに職業候補をお探ししますので……少々お待ちくださいね」
依頼人に頭を下げながら、ミーナは心の中で小さく呟いた。
(これ、本当に、斡旋って言えるのかな……)
依頼人を待合席に案内したあと、ミーナはバックヤードへと引き下がった。
背後から、リリアがひそひそと囁いた。
「ねえ、ミーナちゃん。あれってさ……人選ぶよね、絶対」
「……うん。私も、そう思います」
カウンター越しにちらりと待合席を見やりながら、ミーナは苦笑するしかなかった。
気を取り直して、支部内の求人票ファイルが収められた棚へと向かう。
分厚い紙の束をめくりながら、ミーナは小さく息を吐いた。
奥では、アルフォード支部長が淡々と次の準備を進めている。
その姿を、ミーナはぼんやりと見つめて小さく息を吐く。
(でも、今は、やるしかない……)
胸の奥に、うっすらとした違和感を抱えたまま──それでも、今できることを探し続けるしかない。
新たな日常の始まりだった。