それは仕様書というには分厚すぎて
朝礼が終わったあと、ミーナたちはそれぞれの持ち場へと散っていった。
分厚い資料を両手で抱えながら、ミーナも支部の隅にある談話スペースへと移動する。
「……えっと。まず、“支部業務改善案・初期版・別冊注釈付き”……?」
テーブルに広げた瞬間、どさっ、と小気味いい音が鳴った。
リリアが隣から覗き込み、呆れたように口を開く。
「ねえミーナちゃん。これ、本当に読むの? 一生かからない?」
「そ、そんなこと言わないでくださいっ……! 支部長さんの顔に泥を塗るわけには……!」
力なく反論しながらも、ミーナ自身、開いたページの密度に早くも心が折れかけていた。
細かすぎる字。
無機質な表。
矢印と注釈がびっしりと詰まった業務フロー。
(こ、これは……人間が書いたんですか……?)
思わず心の中で問いかけてしまう。
なにせ、最初の「はじめに」だけで三ページあった。
「本改善案は、現地支部における既存慣習に依存することなく、合理的かつ標準化された業務プロセスを構築するための指針であり、個別対応に伴う非効率性の排除を目的とする」
……つまり?
(現場のやり方は無視して、全部こっちに合わせろってことですよね……?)
ミーナは静かに本を閉じた。
いや、資料を閉じた。
顔を上げると、リリアがにやにやしている。
「無理だって言ったじゃん」
「ま、まだです! まだ“要点まとめ”が……っ!」
意地で要点まとめページを開く。
──そこには、さらに細かい文字で、二十項目以上の改善指示が並んでいた。
しかも、内容がいちいち容赦ない。
『窓口応対は三分以内に完了すること』
『来訪者応対は二分以内に身分確認を完了し、滞在目的を記録すること』
『対応記録は即時データベース入力し、当日中に統計処理すること』
隣でリリアが眉をひそめる。
「三分以内って、相手が話好きだったら詰んでない?」
「で、でも……効率化、ですから……」
「そもそも身分確認だって、冒険者カード忘れてきたとか、たまにあるし」
リリアの現実的な指摘に、ミーナはぐうの音も出なかった。
(い、いや……そんな、理論上は可能でも……!)
現場で働く人間の感覚と、紙の上の理想は、恐ろしいほどに乖離していた。
──ああ、なんか。
(支部の空気、どんどん冷たくなってる気がする……)
カウンターの奥では、ハナミが無言で書類の山を見つめ、ベイルはいつも以上に無表情でペンを走らせている。
誰も文句を言わない。ただ、重たい沈黙だけが支部を満たしていた。
ミーナは、分厚い資料の山を前に、そっとため息をついた。
ほんの数日前まで、もっと柔らかい空気が流れていたはずなのに。
少しだけ、遠い昔のことのように感じた。