新しい支部長がやってきた
朝のラストリーフ支部は、いつもより少しだけそわそわしていた。
「ねえ、ミーナちゃん。……ほんとに今日来るんだよね、新しい支部長?」
受付カウンター越しにリリアが顔を寄せてくる。いつもは余裕しゃくしゃくの彼女が、珍しく小声だ。
「う、うん……たしか、午前中には着くって、通達ありましたから……」
制服の袖口を直しながら答えたミーナ=ルクトリアも、内心落ち着かない。
支部長――それも、本部直属のエリートがわざわざこの地方支部に赴任してくる。そんな事態、普通じゃない。
「えー、やだなー。絶対ガチガチに堅い人じゃん」
「そ、そんなこと、来てみないとわかりませんよ!」
口ではそう言いながら、ミーナも不安だった。
だって昨日、本部から届いた“歓迎のための手順マニュアル”――それがもう、分厚いなんてもんじゃない。
人間が書いたとは思えない分量の仕様書。開いた瞬間、文字の海に溺れかけた。
(そもそも、“握手の角度”とか、“笑顔の推奨秒数”とか……必要ですか、それ……?)
心の中でそっとツッコみながら、ポニーテールをきゅっと結び直す。
支部の空気は、まるでこれから嵐が来るのを待つみたいに、ピリピリと張り詰めていた。
事務室の隅では、ベイルが黙々と帳簿をめくっている。
その無表情な横顔に、ミーナはなんだか余計に緊張してしまった。
(……こういうとき、ベイルさんって、絶対動じないですよね……)
ちらりと隣を見ると、リリアはカウンターの下でこっそりお菓子をつまんでいた。
(……リリアさんは、別の意味で動じない……)
そんなふうに、妙に冷静な観察をしてしまうあたり、自分も相当テンパっているとミーナは思う。
──と。
カウンター奥の扉が、静かに開いた。
「おはようございます。ラストリーフ支部の皆さんですね?」
現れたのは、黒縁眼鏡をかけた整った青年。
無駄のない動作で一礼し、ぴしりと整ったギルド制服を着こなしている。まるでマニュアルから抜け出してきたような完璧さだ。
「わたくし、アルフォード=グレイン。本日より、ラストリーフ支部の支部長を務めます」
……あ、固い。
思わずミーナとリリアが顔を見合わせる。
笑顔も礼儀もパーフェクト。けれど、どこか人間味を感じさせない。
(いやいや、第一印象で決めつけちゃだめ。たぶん、きっと……きっと、優しい一面とか……あるはず……)
そんなかすかな希望を胸に抱きながら、ミーナは姿勢を正した。
アルフォードは、カウンターの前に立ち、配布用の書類を取り出す。
「まず初めに。支部の現状確認と、改善計画のための意見聴取を行います。順次、資料を配布しますので、各自目を通してください」
そう言ってアルフォードは、分厚い紙束をすっと取り出した。
先日ミーナが溺れかけた、あの仕様書と同じ厚みだ。
「……いや、これ、軽く凶器じゃない?」
リリアが小声で呟く。ミーナも頷きたかったが、必死に表情を保った。
(ちょ、ちょっと待ってください、これ、読めって……今から全部?)
パニックになりかけたところで、リリアがこっそり囁く。
「……ねえミーナちゃん。これ、わたしら……生き残れるのかな」
「わ、わかりません……けど、たぶん……努力は……」
ミーナの声も震えていた。
そんな職員たちの動揺をよそに、アルフォードは冷静そのものだ。
書類を整然と配りながら、手早く業務改善案を語り始める。
「まず、各業務にかかる平均処理時間を半減させます。対応手順の標準化、マニュアル更新、そして定量的評価を導入します」
ズラリと並ぶ専門用語。支部全員が一瞬で置いていかれる。
言葉は確かに正しい。正しい……けれど。
(なんか、ちがう気がする……)
ミーナの胸の奥に、じわりと違和感が広がった。
まるで、支部そのものが“工場のライン”みたいに扱われているような感覚。
確かに、効率化は大事だ。でも、私たちの仕事って、そんなに単純だったっけ?
横目で見ると、リリアもベイルも、ハナミさんまでもが、妙な沈黙に包まれている。
誰もその場で声を上げられないまま、冷たい風だけが静かに流れていった。