貴女当ての手紙
「……お母さん!」
走り寄り、抱きつこうとした。
「いたっ………」
温もりの代わりだ、と言わんばかりに受け取ったのは壁にぶつかる鈍い痛みだけだった。
まだ、頭が起きていなかった。夢心地の中にいる頭が見せた幻覚。
あぁ、もしそれに気付けていたなら。一日中でもあの背中を見ていたのに。
少し寂しいけれど、もう泣かないと決めたから。
ぎゅう、とお手製のぬいぐるみを無意識に強く抱きしめて。
*
さて、今日は少し出かけることになる。
先日の魔女とはまた違う知り合いに、食べ物を貰いに行こうと思うのだ。
というのもこれはもう生活の一環になりつつある。
少しここからは遠いが、魔女の母親的存在の魔女がその場所にはいる。
先代のその魔女は既に老衰で亡くなったが、今は若い跡継ぎが魔女の名と力を引き継いでいるらしい。
今日はそれの顔合わせついでだ。
鼻唄を歌いつつ、出かける準備をする。
「これでよし…」
小走りで外に出るドアを開けて杖に腰掛ける。
ヒュンと急加速して杖が空を飛ぶ。
「…やっぱりうまくいかない」
速いとはいえ速すぎてバランスを保てない。
杖を強く握らねば地面と熱いキスを交わすことになるかもしれない。
ここから魔女の家までものの数十分。
それまでに慣れなければ帰りも泣く羽目になる…
*
「ゆっくり……」
目的地の家に着きそうなので速度を緩めようとする。
だが止まらずに杖は進み続ける。
「とまっ……止まれ!」
キュッ。
「急ブレーキぃっ!?」
案の定、地面とキスを交わす。顔の痛みと口の中のジャリジャリ感で既に帰りたくなる。
「あ……あらら……大丈夫ですか?」
「……うん、大丈夫……」
おでこを擦りむいたが長い髪のおかげで隠れている。
…痛い。涼しい顔をして強がってはいるが傷の主張が激しすぎる。
「…やっぱり大丈夫じゃないかも」
「ええ!?」
結局家に招かれて手当てを受ける。
大きめの絆創膏を貼られたがそれでも髪で隠れてしまった。
「……あなた森の魔女ですか?」
「あ……うん」
「それなら早く言ってくださいよ!ちょっと待っててくださいね〜」
軽やかな足音を立てながら部屋を出ていった。
地面に落ちた杖を拾い、眺める。
魔力がまだ馴染んでいないのか、それとも単純に自分が下手なのか。この急発進急制動のじゃじゃ馬を扱える気がしない。
自分で見様見真似で作ってしまったからなのか? やはり誰か先輩の魔女に使い方を教わるべきだったのか……
そんなことやこんなことをあれやこれや考えているうちに魔女が戻ってくる。
「数ヶ月分の食料諸々です!」
「ありがとう」
「お易い御用ですよ!」
ふふん、と鼻を鳴らして胸を張る。
その自信が羨ましい。
「そういえば知ってますか?」
「なにを?」
「あなたの森に住んでるもう1人の魔女…」
「…幽霊の魔女?」
「はい。どうやらあなたを探してるようで……『償いを…』とか色々ずっと呟いてるみたいです」
「そう、なの…?」
「わたしも聞いた話です…でも、会わない方がいいかもです…」
「…わかったわ」
会わない方がいい、という言葉に後ろ髪を引かれる。
口では肯定しつつ、その心は会う気満々であった。
「それじゃ、今日はお暇するわ」
「分かりました。また何時でも来てくださいね」
「ええ、ありがとう」
杖に乗った瞬間目にも止まらぬ速さで進む。風と急発進のGで顔が引きつる。
「──ええい、この!」
ポコンと杖を叩く。
すると速度が下がり、乗りやすくなる。
……杖側で魔力の伝達が上手くいってなかったのか?
行きよりは遅く、だが安定性は抜群で家に着く。
ブレーキもきちんと効く。
原因は極めてシンプルなものだった。
それに溜息をつきつつドアを開ける。
……開けた瞬間の違和感に嫌でも気付く。
妙な匂い、机の上に置かれた古い手紙。
強く握ると朽ちてしまいそうな紙を慎重に開く。
手紙にはただ一言、『ラブ・トリガー』と書かれていただけだった。
「……ラブ………トリガー……? …うわっ!?」
その言葉を唱えた途端足元から地面に沈んでいく。
「な、なっ!なにこれ!嫌だ死にたくない!助けて!誰か!誰か助けて!!お母さん!!おかあさん!たすけ──」
魔女の叫びに答えるものは誰もいない。
泣き叫ぶ少女は地面へ飲まれていった。