二泊目:旅人初心者の悩み事
万来宿に自己評価低めな旅人初心者が訪れた。
どうやら万来宿で少しの間働くようだが……果たして、どうなるのやら。
まだ陽も昇っていない時間に目が覚めた。
背筋を伸ばして起き上がり、ロビーへ向かう。
梅雨も過ぎたばかりで、まだ少し空気がジメジメしている。
寝ている間に荒らされた場所がないことを確認していると、呼び鈴の位置がズレていることに気がついた。
「あちゃー……誰か呼んでたかな。今は四人泊まってるから、聞いて謝っておかなくちゃな。となると、お詫びがいるな。まずは水を汲んでくるか」
ドア横の棚から桶を取り、ドアを開ける。
すると、何かにぶつかった。
「いたぁっ!」
「あ、すみません。大丈夫?」
ゆっくりドアを開けると、そこには可愛い服を着た少女が倒れていた。
「いたたたた……」
フリルの付いたスカートに、桃色で可愛い装飾の施された服と黒い上着。
そしてベージュのキャスケットを被っている。
「大丈夫?申し訳ない、考え事してて……」
起こそうと手を差し出すと少女は急いで立ち上がり、勢いよく頭を下げた。
「ご、ごめんなさい!ドアの前で立ってたり夜中うるさくしたりしてごめんなさい!」
「……え?待って待って、話が見えない。えっと、夜中うるさくしたとは?」
「あの、えっと、その……夜中に呼び鈴を鳴らしたのですが、誰も来なかったので……受付時間外に来てしまったかと……」
あぁ、呼び鈴を鳴らしたのはこの子だったか。
「それは申し訳ない。夜中は受付裏の部屋で寝ているから、御用の方は呼び鈴を鳴らして貰うんだけど……ぐっすりだったよ。もしかして、ずっと待ってた?」
少女がこくりと頷くと、お腹も同時に返事してきた。
少女は顔を赤くしてお腹を抑える。
夜中からずっと待たせていたとは……宿主としてダメだな。
俺はドアを全開にして、少女を中に案内する。
「お嬢さん。よければ、なにか作らせて貰えないかい?もちろん、お代はいらないよ」
少女は少し躊躇ったが、再び鳴ったお腹の音に逆らえず、中に入った。
「あ、ありがとうございます。私はウイウイです。お言葉に甘えさせていただきます」
二枚のパンに甘みの強いイチゴジャムとアーモンドクリームを塗ったものと、一口サイズに切った具が沢山入った温かいコンソメスープ。
俺がよく作るモーニングセットだ。
「はぁ……美味しかったです。ご馳走様でした」
食べ終えたウイウイは幸せそうな笑みを浮かべ、椅子にもたれ掛かる。
「満足してもらえてよかった。ところで、呼び鈴を鳴らしたってことは宿泊予定だったの?」
「あ、はい。アマツキ街から商人街道を通って来たんですが、野宿しようにもテント張っていいかとか分からなくって。歩いていたら、この宿が見えたので、泊まれるかな……と」
「じゃあ疲れている感じ?」
そう聞くと、ウイウイは荷物を持って立ち上がった。
「確かに疲れてはいますが、まだ陽も昇ったばかりなので、暫くは歩きます。お食事ありがとうございました!」
そう言って礼儀正しくお辞儀をし、一歩踏み出す。
が、足が絡まりド派手にすっ転んだ。
「……どう見ても疲れているようだけど」
床に突っ伏して耳を真っ赤にしながら、ウイウイは荷物を下ろした。
「すみません。泊めていただけますか?」
「も、もちろん。部屋の鍵取ってくるね……立てる?」
「はい」
ウイウイはモゾモゾとゆっくり立ち上がった。
ドアを開けてウイウイを先に入れる。
「おぉ……すごい……部屋!」
「そりゃ部屋だからね」
ウイウイは部屋の隅に荷物をおろし、窓から外を眺める。
「いい景色ですね。一面自然です」
「ははは、ありがとう。褒めてもらったのは久しぶりだよ。みんな殺風景だって言うから」
「いえいえ。すごく落ち着きます」
そう言って貰えると、純粋に嬉しい。
ここに宿を構えてよかったと思える。
その後は部屋の設備の説明をして、一度部屋を離れた。
ウイウイは三食付きコースなので、次に部屋に行くのは昼食時だ。
さて、そろそろほかの宿泊客が起きてくる頃だろう。
ロビーで事務や備品管理をしていよう。
日も高くなってきた頃、ウイウイがロビーに来た。
「あ、あの……ラベルさん。今、少し大丈夫ですか?」
荷物や上着を脱いできたウイウイは、改めて見るとだいぶ細い。
メイコウと比べると、ウエストとか三倍くらい差があるな。
「平気だよ。何かご注文?」
ウイウイは少しもじもじしていたが、意を決したように自分の頬を叩いた。
「あ、あの!ちょっと……相談に乗ってもらえませんか!?」
「相談?いいよ」
「そうですよね、今お仕事中ですもんね!すみません、失礼しました!」
あれ、会話が噛み合わない。
「いや、平気だってば。ランチはまだだし、備品管理とかもあらかた終わらせたからね。今は暇だよ」
「えっあ、はい。ありがとうございます。えっと、それで内容なんですが、私の性格についてで……」
「優しくて礼儀正しいと思うけど?」
ウイウイの顔が少し赤くなる。
「そ、そうではなくて!私、ここアマツキの出身で、つい先週、旅に出たばかりなんです」
「へぇ。じゃあ、旅人初心者だね」
「それで、昔から人付き合いが苦手で、克服の旅をしているんです。でも、思うように進展しなくて……」
「俺とこうして話せてるけど、それじゃダメなの?」
ウイウイは少しキョトンとして、ハッと現状に気づいたようだ。
「いや!ダメなんです!もっとくだらない世間話を、そこら辺出会った人とできるくらいになりたいんです!」
「なるほど」
「そこで、無理を承知でお願いします!たくさんの人と関わる仕事をしているラベルさんのこの宿で、しばらく働かせて下さい!」
「……え?」
予想外の展開に驚きを隠せない。
俺が固まっていると、早とちりしたウイウイが涙目になって謝り始めた。
「ご、ごめんなさい!調子乗りました!私みたいなのが働いてもお邪魔なだけですもんね」
「あ、いやいや、そうじゃないよ。なにか教えられるかは分からないけど、ここで良ければ是非」
それを聞いたウイウイは涙を流し、頭を下げた。
「よ、よろしくお願いします!」
あれから数日かけて、ウイウイにある程度の仕事を教えた。
ウイウイはとても要領がよく、テキパキとこなしていく。
俺が普段やっている仕事のほとんどを、あっという間に覚えてしまった。
薪割りを終えたウイウイに手ぬぐいと水を渡し、綺麗に積まれた薪を見る。
「おー、割れ目が綺麗だ。ウイウイって飲み込み早いよね」
「あっすみません……もっと丁寧にやります」
なんでそうなるんだ。
「違う違う、手際がいいねってこと。すごいと思うよ」
「そ、そうですか?えへへ、ありがとうございます」
雑談をしながらロビーに戻り、次の仕事を割り振る。
「じゃあ、この後は空き部屋の清掃だ。今の空き部屋は三部屋だから、全部任せても平気?」
「はい!任せてください!」
何だかウイウイを見ていると、孫を見守るおじいさんの気持ちになる。
そんなの感じたことないけど。
清掃用具を持って走り去るウイウイを見送り、俺は食料の在庫管理に行った。
「よし、終わり。今度市に行って、味噌と胡椒を買ってこないとな」
食糧管理を終えてロビーに戻ると同時に、三人の男が入ってきた。
「いらっしゃい。泊まり?休憩?」
三人組は無言でロビーの前に立つと、真ん中の赤毛の男が大きな出刃包丁と袋を取りだした。
「なぁ、俺は無駄が嫌いなんだ。お前が何をすればいいかはわかるだろ?」
ボロボロのマントにくたくたのシャツ。
見るからに賊っぽいな。
「分からないね。言葉で言ってくれるかい?」
そう答えると男は出刃包丁を机に叩きつけ、深く食い込ませた。
そして、今度は俺の腹を斬るように向ける。
「おい。言葉には気をつけろよ?俺はヒトキ山を縄張りにしてるノロシだぞ?聞いたことあんだろ?」
「あぁ、半年くらい前に聞いたな。てことは、まだ新入りだな」
「てめぇッ!親分舐めてッと後悔するぞ!」
両脇のは子分か。
こいつらは大したことなさそうだな。
「御託はいい。とっとと金と食糧寄越しな。そうすりゃ命は取らねぇぜ」
俺は出刃包丁を手で払い、ノロシを睨みつける。
そして少し声を低くして言う。
「手ぶらで帰りな」
「そうか。なら、仕方ねぇな」
ノロシは出刃包丁を振り上げた。
そして振り下ろす。
その瞬間、突然横から飛んできたたわしがぶつかり起動が逸れ、出刃包丁は再びカウンターに叩きつけられた。
続けて丸められた濡れ雑巾が飛んできて、良い音をたててノロシの顔に張り付いた。
そして次に飛んできたのは、ウイウイの飛び蹴りだった。
「でやぁっ!!」
「ぐはぁッ!?」
顔面に飛び蹴りを喰らったノロシは吹っ飛び、壁に頭をぶつけた。
「おぉ〜お見事。かっこいいじゃん、ウイウイ」
「ラベルさん!大丈夫ですか!?」
ウイウイは油断せずに構え、姿勢を崩さない。
「おかげさまで。あの出刃包丁、だいぶ切れ味良さそうだから気をつけて」
「はい!」
腹の底から出る声が、俺の耳によく響く。
本当にあのウイウイか疑うほど人が変わっている。
「お、親分!大丈夫ですか!?」
「いってぇ……クソッ!何なんだあのガキはッ!」
ノロシとウイウイの目が合い、しばらく睨み合う。
するとノロシがため息を吐き、立ち上がった。
「おい野郎ども、引き上げるぞ」
「えっ!?親分!?」
「逃げるなんて、親分らしくないですよ!」
確かに、賊ならキレて襲いかかってきてもおかしくない。
「口答えすんなら置いてくぞ!」
そう言って出ていったノロシを、子分達が慌てて追いかける。
「ま、待ってくだせえ〜!」
「俺たち他に以外に行く場所なんて無いんすからぁ!」
ドアが閉まると安心したのか、ウイウイは力無く座り込んでしまった。
「こ、怖かったぁ……」
「お疲れ様、助かったよ。にしても、ウイウイ強いね。何か武術やってた?」
「は、はい……小さい頃から近所のお爺さんに教えて貰ってて……すみません、お水いただけますか?」
「もちろん。そんなに強いのに、人と話すのは苦手なんだね。はい、お水」
「ありがとうございましゅ……」
ウイウイは受け取った水を飲み干し、近くの椅子に座り直した。
「私、物覚え悪いですし、そんなに強くありませんよ……今のも、相手が油断してたから出来ただけです」
「そんなことないさ。ウイウイの努力が実ったんだよ」
ウイウイは頬を赤らめ、髪の先を弄り始めた。
「そ、そう言われると嬉しいです……けど、やっぱり私は他の人と比べて出来が悪いですよ……」
これは……あれだな。
何を言っても卑屈になったままだろうな。
「じゃあ、ウイウイが自分を認められるようになったら、その時自慢しに来てよ。一応アドバイスすると、自分を信じてみるといいかもね」
「私が……私を認める……なるほど。いつになるかは分かりませんが、必ず来ます」
「うん。待ってる」
次の日、ウイウイは昼頃に起きてきた。
荷物を床に置くと、ウイウイは受付に座る俺に近づいてきた。
「おはようございます!ラベルさん!」
「もう昼だけどね」
「うっ……起きられなくて……そ、それより!今日で出ていこうと思います。二週間お世話になりました!そこで最後のお願いなのですが、私が来た時に食べたモーニングセットを、もう一度食べさせて貰えませんか?」
「いいけど、あれで足りる?」
「はい、大丈夫です」
「わかった。じゃ、少し待ってて」
ウイウイは机に座り、俺は厨房に入る。
いつも通りのやり方でパンを切り、満遍なくイチゴジャムとアーモンドクリームを塗る。
食べやすいよう一口サイズに切った具材を入れた少し熱いコンソメスープ。
よく作るモーニングセットだが、今日のは少し特別だ。
ウイウイの前に運び、俺は受付に戻る。
「いただきます」
静かに、だが美味しそうに食べる。
そして食べ終えると手を合わせた。
「ご馳走様でした……ラベルさん、ありがとうございました。とても温まって、やる気の出るご飯でした」
「満足いただけたなら良かった。じゃ、チェックアウトしよう」
「はい!」
ウイウイから鍵を返してもらい、一日分の料金を貰う。
しばらく働いてもらったから、初日分の料金だけだ。
ウイウイは大きな桃色のリュックを背負い、ドアを開け、こちらに振り返った。
「それじゃ、行ってきます!」
「行ってらっしゃい」
ドアはバタンと閉まり、ロビーは一気に静かになった。
お読みいただきありがとうございました!
初めては何事も緊張します。
ウイウイが一人でも旅を続けられるといいですね。
次回もよろしくお願いします!