6.
暇のある日に、イーズはシグラッドと二人でレギンの部屋を訪ねた。レギンは白い頬を紅潮させて喜んでくれ、すぐにベッドから起き上がった。風邪ぎみらしい。二人はベッド脇に椅子を持ってきて座った。
「シグラッドに聞いたよ。風のような走りだったってね。見たかったな」
「大げさだよ。ティルギスの戦士は、もっとすごいんだから」
「その気高き戦士たちは、天馬に乗って風のごとく現れて、炎のごとく侵略し、水のごとく相手を飲みこむ――だったか。あれで大げさなんてな。ティルギスは強敵だ」
シグラッドが肩をすくめた。軽い口調で言っているが、目は真剣だ。油断なく思考をめぐらせている。ティルギスがニールゲンにとって、どういった利益と危険を孕んでいるかを計算している。イーズはこの少年皇帝の慧眼に感服すると同時に、警戒心を抱いた。
「一緒に行けなかったから、心配してたけど」
「聞いてのとおり、大丈夫だった。本当にありがとう」
レギンとイーズがこそこそと言葉を交わすと、シグラッドが小首を傾げた。レギンがこっちの話、と笑う。
「なんだ、二人で。私だけ仲間はずれか」
「たいしたことじゃないの」
「そうそう。シグラッドはアルカに冷たかったから、この間は本当に大丈夫だったか、聞いていただけ」
返す言葉がないらしい、シグラッドはむすっと黙りこむ。
「ティルギスの王女だったら、絶対気が強くて大丈夫だと思っていたんだ。仕方ないだろう」
「大丈夫って?」
「誰に何をいわれてもいわれてもへこたれない気丈さが欲しかった」
「……ごめん」
やはり最初から本物のアルカで良かったようだ。今更遅いが、余計なことをしてしまったのだと、イーズは嘆息した。
「陛下、アルカ殿下、お飲み物をお持ちいたしましたわ。よろしければどうぞ」
「もらおう」
「いただきます」
「僕は?」
「レギン様はお薬の時間ですよ」
「また薬か。苦いのには飽きたよ」
レギンは緑色の液体に顔をしかめていた。イーズの受け取った杯には、うすい紅色をした液体が入っている。杯を揺らすと、甘酸っぱい香りがした。
「そんなに警戒しなくても、毒は入ってない」
「へ?」
そんなつもりで眺めていなかったイーズは、きょとんとした。
「毒がないか気にしていたんじゃないのか?」
「違うよ。――っていうか、そんな警戒をしないといけないの?」
「もちろん。いつ毒を盛られるか分かったものじゃないぞ、ここは」
シグラッドの言葉に、レギンもうなずいている。冗談半分に受け取っていたイーズは、神妙な顔になった。二人の目は真剣だ。
「私とレギンは竜の血が濃いから、多少の毒では死なないが、アルカは普通の人間だからな。十分に注意した方がいい」
「毒に身体を馴らしておくといいよ。僕らも鍛えてるから」
レギンはベッド脇の台の引き出しを開けた。白い粉の入った小瓶を取り出す。毒薬なのだろう。イーズは世にも悲愴な顔になった。
「シグ、故郷に、私と同い年の、かわいくて強くて明るいはきはきした子がいるんだけど」
「帰りたいのか?」
「帰っちゃダメ?」
シグラッドが顎に手を当てると、レギンが首をふった。
「シグラッドが守ってあげればいいんだよ。アルカはまじめだし、いい子だし、いざというときはしっかりしてるから、いいパートナーになると思う」
「守るといったって……」
「まずは一緒に食事をする。シグラッドの食事は、必ず毒見役を通るだろ?」
「そうだな。私自身も毒には気をつけてるし。じゃあ、アルカ、私が口をつけたもの以外は食べるなよ」
「本当にそんなことあるの?」
「大国ニールゲンの皇妃だぞ。その座を狙ってるやつなんて、山ほどいる」
「山ほど!?」
イーズはめまいがした。毎日そんな緊張のつづく生活を強いられたら、今度こそ胃に穴が開く。ベッドに突っ伏すと、レギンの笑う声が聞こえてきて、イーズは恨みがましく見上げた。
「レギンのお嫁さんがよかったな」
「僕のお嫁さんになっても、たぶん、結局は一緒のことだよ」
レギンは青い頭髪に手を差し入れた。竜化の発作に怯える毎日だ。どちらも苦難に満ちていそうだ。
「そういえば、どうしてレギンは髪が青いの? ニールゲンの貴族とか王族は赤いのに。ニールゲンは赤竜の末裔だよね?」
「竜の血が濃い者同士が結婚すると、まれに僕みたいに変わった色が生まれるんだよ。青とか、黒とかね。父上も、僕の母上も、どちらも竜の血が濃かったせいだね」
レギンは緑色の薬湯を一気に飲み干し、むせた。部屋の隅に控えていた侍女がベッドのそばまで飛んでくる。レギンは心配ないと手で制したが、侍女はシグラッドとイーズをにらんだ。早く帰れといった顔だ。
「薬に咳き込んだだけだよ。気にしなくていい」
「でも、熱、あるんじゃない? 顔、さっきより赤いよ」
額に手を当ててみると、少し熱かった。しかし、レギンは大丈夫だと強情に首を振る。
「病気、なんとかならないの?」
「さあ……どうだろう。分からないな。竜の血を眠らせる方法があればいいんだけど」
寝台の上に仰向けられた手は、細く白く、見るからに弱々しい。イーズは胸が締め付けられるような傷みを覚えた。この王宮ではじめてできた友人がいなくなるのは、想像するのも嫌だった。
「いっぱい遊びに来るよ。それでどうにかなるわけでもないと思うけど」
「そんなことないよ。だれかといると、嬉しくて気が紛れるから、病気のことを忘れるんだ。ぜひシグラッドと一緒に来てよ」
「来るよ」
イーズは力強くうなずいた。シグラッドもその案には乗り気のようで、親しげな微笑を向けてくる。
「じゃあ、今度は私の部屋まで来てくれ。朝食を一緒に食べて、それからレギンのところへ来よう」
「シグの部屋って、どこ?」
「シグラッド、互いの部屋の場所も知らない夫婦がいる?」
シグラッドが何か言うより前に、レギンが呆れた。シグラッドはバツが悪そうにし、立ち上がった。イーズの手を引く。
「今から案内する」
「ついでに、城の中も案内してあげなよ。君の知ってる近道とかもさ」
レギンが片目をつぶる。うまくやりなよ、という合図だろう。半ばシグラッドに引きずられながら、イーズは軽く頭を下げた。心の中で何度もレギンに礼を言った。
「レギンのところに遊びに行くときは、絶対に誘ってね。絶対だよ」
「アルカの方からも誘いに来てくれ。私の方も、レギンのところへ行くのはあまりいい顔をされないんだ」
「そうする。お互い、二人だと心強いよね」
二人はそろって、レギンの部屋の前に立っている年嵩の侍女を見返した。
「アルカはクモとかネズミとか、平気だろう?」
「驚くことは驚くけど、平気かな。どうして?」
「部屋に行くのに近道しようと思って。この城には隠し部屋や隠し通路もあるんだ」
「おもしろそう!」
「特別に一つ教えてやる。でも、人には秘密だぞ。いざというときのための通路なんだから」
「分かった。秘密にする」
「剣の名誉にかけて誓うか?」
ティルギスで誓いを立てるときの常套句を、シグラッドは口にした。イーズは目をしばたかせる。婚約者は自分の故郷のことに無関心だと思っていたのだ。
「ティルギスのことは勉強しているんだ。言葉も話せるし、旅人から話も聞いているし」
「そうだったんだ。ごめんね、がっかりさせちゃって。ニールゲンの王様は気が強い人だって聞いてたから、皆、私みたいなのが気が合うと思ってたんだ」
「書簡で気が強いのがいいと伝えていたはずなんだがな」
「そうなの?」
「はっきりとそう書いたわけではなかったから、伝わらなかったのかもしれないが」
ニールゲンの書簡を受け取っているのは、イーズの父親のイーダッドだ。ニールゲンからの使者の応対もイーダッドがしている。シャールにニールゲン語を教えるほど熟達しているイーダッドが、たとえはっきりと書いてなくとも、そのことが分からなかったはずがない。
「なんでだろ」
「宰相のクノルのやつが何か細工したのかもしれないな。まあ、いいさ。アルカは最初に思ったほど、期待と外れてなかった」
「本当?」
「本当。さて、どうする? 近道に地下通路を通っていくか?」
「行く。楽しそうだもん。秘密にするって、剣の名誉にかけて誓う」
「じゃ、決まりだ」
好奇心が旺盛で楽しいことが大好きという点では、二人は似ていた。楽しげに顔を寄せ合って笑う許婚たちを、廷臣たちは目を丸くして見送った。