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そして銀の竜は星と踊る  作者: サモト
そして銀の竜は星と踊る
3/20

3.

 謁見の翌日から、イーズには次期皇妃としての教育がはじまった。歴史に地理に語学に数学に音楽に踊りに宮廷のしきたり――聞いただけで気の遠くなるような量の勉強が待っていた。


 早くニールゲンの言葉に慣れるためと、勉強はニールゲンの言葉で行われ、ニールゲンの言葉に不慣れなイーズは聞き取るだけで精一杯だった。付き添っていたシャールが何度も助け舟を出してくれたが、教師に質問されても質問の意味が分からなかったり、答えが分かってもうまく言葉が作れなかったりするたびに、イーズはもどかしくて泣きそうになった。


「ごめんなさい……。覚えが悪くて」

「悪くなんてありませんよ。私がイーダッド様にニールゲン語を学んだときの方が、もっと時間がかかっていましたから。気にしなくていいんです。覚えられなければ、何回もやればいいだけです。何事も諦めないことが肝心です」


 シャールは相変わらずの淡々とした口調でいい、机に山と積まれた宿題を一つ取った。二人でがんばりましょう、といわれ、途方に暮れていたイーズはじんわりと胸が温かくなった。山から一つ宿題を取る。


「終わったら、気分転換に庭を散歩しに行きましょう。お菓子を用意しているんです」

「うん。がんばる」


 小さな籠からただよってきた香りにも励まされ、イーズは力強くうなずいた。腰が痛くなるくらい机に向かい、宿題を終えると、イーズはやっと散歩に出た。思いっきり伸びをして、解放された自由を味わう。


 だが、部屋から出たら出たで、また問題があった。城の人びとは、ティルギスから来た客に興味深々で、立ち居振る舞いを逐一眼で追ってくる。思いっきり背筋を伸ばしていたイーズは、大臣の不躾な視線を受けて、上げていた腕をそっと下ろした。


「人目のない場所に行きましょうか。いい場所があるんです。私が毎朝、鍛練のために使っているんですけれど、花も綺麗に咲いていて。きっと気に入ると思いますよ」

「本当? 連れてって」

「付いてきてください」


 シャールに案内された場所は、確かに静かだった。イーズはまだ城の地理に疎いため、どこかは正確に分からなったが、本宮から北へと大分はなれた場所だった。レンガを積んで作られた小さな小屋があり、それを囲むようにして木が植えてある。


「ここ?」

「静かでしょう? ――あ、飲み物をおいて来てしまいました。少し待っていてください。すぐ戻ってきます」


 菓子の入ったバスケットをイーズに預け、シャールは身軽に走っていった。


 一人になったイーズはきょろきょろとあたりを見回し、眼前の小屋に興味を持った。物置なのか、なんなのか、今は使われていないらしい建物だった。扉の蝶番や閂は錆びついている。ぐるりと回ってみると、格子のはまった小さな窓を見つけたが、あいにくとイーズの背では中をのぞきこめなかった。


 小屋を一巡すると、イーズは小屋を背に座り、地面に落書きをして遊んでいた。だが、一人でいると心細く、落ち着かない。地理を覚えるためと思い、イーズは木の囲いから出て、来た道を分かるところまで遡った。


「レギン兄さん! どこへいくんだい? 部屋で大人しくしてないと、危ないんじゃないかな」


 木々の間をそろそろと歩いていたイーズは、茂みの向こうで上がった声に動きを止めた。向こうから姿が見えないように隠れ、だれがいるのかと様子をうかがう。


「あんまり動き回ると、また倒れて、城中大騒ぎだよ」


 いたのは、イーズと同じか年下の少年だった。どこかの貴族の子息といった服装で、赤い髪にうすい色の肌をしている。太っているというほどではないが、肉付きが良く、ふっくらとした身体つきをしていた。後ろに友達らしき少年を二人連れている。


 それに対して、話しかけられているレギンと呼ばれた少年は、細い身体つきをしていた。心配されている通り弱々しい印象を受ける。髪は青く、抜けるように白い肌をしていた。


「無視するなよ。せっかく心配しているのに」

「うるさい、ブレーデン」


 レギンは赤い髪の少年の腕を払った。だが、相手はあきらめない。しつこく絡む。


「兄さん、今日は気分がいいのかい? だったら、一緒に遊ばないか? さっき、ネズミを捕まえたんだ。こいつを使って遊ぼうじゃないか」


 いって、ブレーデンはすばやくレギンの胸から何かかすめとった。陽に光ったところを見ると、宝石や貴金属の類いのようだった。レギンが返せ、と怒鳴るが、ブレーデンはうまくレギンの手をかわし、仲間にネズミと共に手渡す。仲間たちは手際よく、ネズミに取ったものを結わえ付けた。


「兄さんは少し体力を付けた方がいいよね。ネズミで追いかけっこだ」

「ブレーデン!」


 叫んで、レギンはげほっと苦しそうに咳きこんだ。逃げていくネズミを追おうとするが、身体が痛いのか、よろめいて地面に膝をつく。


「早く早く。追わないと、逃げちゃうよ」


 ブレーデンはレギンの周りをうろついて、はやし立てる。見ていて、イーズは気分が悪くなった。明らかにレギンという少年は体調が悪そうだ。それをいじめる根性が許せない。


 しかし、いじめの現場に割って入っていくほどの勇気はない。イーズは自分を情けなく思いながらも、ひとまず、ネズミを探した。せめて、奪われたものを取り返してあげたかった。幸いにも、ネズミはイーズの進行方向へと逃げてきたので、慌てて追いかける。


「――うわっ! うわああああああっ!」


 ネズミを捕まえられると思ったとき、悲鳴が上がった。さっきのいじめっ子たちの悲鳴だ。何事かと驚いていると、ブレーデンたちにつきとばされた。イーズは地面に尻餅をつき、逃げていくブレーデンたちを眼で追った。それから、視線を左向けて、身に迫っている危険に気がついた。


「ひ――」


 怪物がいた。


 顔から、さっきいじめられていた少年だと分かったが、身体つきはまるで別人だった。腕や足は筋肉が肥大して太くなり、肌は青くかがやくうろこでおおわれている。爪は鋭くなり、開いた口からのぞく歯はするどくとがっている。銀色の眼は爛々と光り、獲物をにらむ蛇のそれに似ていた。


「りゅ、竜……? ――きゃあっ!」


 怪物が爪を一閃させた。ネズミの小さな断末魔が上がった。ついでに、木肌には深々と爪あとが刻まれる。


 イーズは恐る恐る顔を上げた。怪物はネズミを凝視していた。ネズミにくっつけられていたのは、ただのガラスのかけらだった。ネズミにつけたと思ったが、巧妙にすり替えられていたらしい。怪物は激昂し、ネズミを爪で串刺しにした。腕を一振りすると、ネズミの死体は爪から外れ、べつの木の幹にぶつかり、原型をなくした。


 怪物は血塗れた爪をなめ、イーズの方をむく。


 イーズは青ざめた。指先が、足先が、小刻みに震える。逃げなければと焦るが、金縛りにあったように身体が動かない。


「アルカ様!」


 駄目かもしれない、と思ったとき、耳に飛び込んできたのはシャールの声だった。それで呪縛が解けた。イーズは決死の覚悟で身を反転させ、シャールの方へ一目散へ駆け出した。


「なんです、あれは!?」

「分からない! 男の子が急にああなったの。竜……もどきかな」

「さすが、竜の末裔が治めている国といわれるだけのことはありますね」


 シャールはイーズを背後に追いやると、剣を抜いた。突進してくる怪物に剣で応戦する。硬い音がひびいた。刃はうろこの上を滑った。シャールの剣を握る顔が険しくなる。


「シャール、だれか呼びに行こう。この国の人たちなら、竜をなんとかする方法を知ってるかも」

「賛同です。人間や獣は何度も相手にしましたが……竜は初めてです」


 シャールはイーズの手を取り、駆け出した。枝を豪快に折りながら、竜は後を追って来る。細い道が終わり、二人は開けた場所に出た。途端、たまたまそこを通りかかっていた召使たちから悲鳴が上がった。


「だ――だれかっ!」

「レギン様が発作を!」


 慌てふためいて、召使たちは逃げていく。イーズが振り返ると、竜は立ち止まっていた。一気に攻撃の対象が増えて、どうしようか迷っているようだった。一瞬、助かったと思ったが、竜の標的が腰を抜かしている老人に定まると、イーズは足を止めた。シャールもほぼ同時に立ち止まる。


「……完全にうろこに覆われてない部分もあると思うの」

「アルカ様はあそこのご老人を連れて、安全なところへ逃げてください」

「おじいさんを助けたら、救援を呼んで来るね」


 シャールは石を投げ、竜の注意をこちらに向けた。イーズは竜を迂回するようにして、老人のところへ走った。


「おじいさん、大丈夫? 歩ける?」

「あ……ああ、ありがとう。びっくりして動けなくてね。それより、あの女の子、剣なんて持って。レギン様に傷をつけちゃいけないよ」

「そんなこといったって、戦わなくちゃ殺されちゃうよ。おじいさん、竜を止める方法を知らない?」

「そんなものないよ。レギン様の気が落ち着くのを待つだけさ」

「そんなの待ってたら、だれか殺されちゃう」

「それでいいんだよ。私たち下々の者が、神聖な竜を傷つけてはいけないんだから。竜王様の血筋に食べられるのであれば、ありがたいことだ」


 竜を拝む老人に、イーズは愕然とした。もはやこの場には、シャールとイーズと老人しか残っていなかった。騒ぎを聞きつけてだれかが来るけはいもない。この国の人々が老人と同じ考えだったら当たり前だ。レギンを傷つけてはいけないのなら助けは来ないだろうし、進んで生贄になりに来る者もいないだろう。


 イーズは懐剣を握りしめた。竜は力が強く、姿に合わず動きは敏捷で、シャールは苦戦を強いられていた。こんな小さな武器では到底かないそうにない。


「何をする気だい。竜に歯向かっちゃいけない」


 老人を無視し、イーズは落ちている石をかき集めた。肩にかけていた薄いショールでそれを包み、両手で持ち上げる。振り回せる重さであることを確かめ、そっと竜の背後に回りこむ。


 シャールがイーズの行動に気づいて、はっとした。竜から注意がそれた瞬間に、シャールの形勢は一気に悪くなった。剣を弾き飛ばされ、木の幹に押し付けられる。危機に陥った。


 だが、イーズにとっては絶好の機会だった。獲物を追い詰めた竜はすっかり安心して、背後への注意を忘れていた。イーズは眼を瞑り、竜の後頭部めがけて即席の武器を振り下ろした。竜がよろめくと、シャールが止めに、顎めがけて頭突きした。


「父上から聞いたことがあるんだ。鎧兜を装備した相手には、刃物でなく鈍器がいいって」

「なる……ほど…鈍器の…衝撃は……防ぐことが出来ませんからね」


 シャールは咳きこみながら応じ、足元で伸びている竜に目を落とした。竜の姿が、徐々に少年へと戻っていく。イーズは全身から力が抜けて、その場にへたりこんだ。


「ごめんなさい。私、全然駄目だ。何もかも台無しにしちゃった」

「なぜです?」

「さっき助けたおじいさんがいってたの。本当は、竜は傷つけちゃいけないものなんだって。大人しく食べられるのが、この国の風習みたい」

「そんなバカなことありますか」


 静かになったことに気づいたのか、また人が集まってきた。今度は武器を持った兵たちだった。イーズは不安げに両手を組み合わせる。


「心配しないでください。非はあちらにあります。私がなんとかしますから」


 シャールはイーズを後ろにかばった。兵たちは倒れているレギンに駆け寄り、剣呑な眼を向けてきたが、シャールは毅然として立っていた。


「何者だ」

「何者だとは失礼ですね。この方は、ティルギスの王女、アルカ=アルマンザ=ティルギス様です。立っていないで、跪きなさい」


 シャールは胸を張り、居丈高にいった。兵たちは気おされて、自信なさそうに立っているイーズにひとまず膝をつく。


「一体、どういうことです? 将来、この国の皇妃になられるお方が襲われているというのに、誰一人助けに来ないというのは」

「気づくのが、遅れて――」

「黙りなさい! アルカ様がご無事だったから良かったものの、もし殺されでもしていたら、ニールゲンはどうやってティルギスに詫びて下さるのですか? ぜひともお聞きしたいですね」

「し、しかし……」

「言い訳は結構。さっさとそこをどきなさい。あなた方のような下の者と話したって話になりません。時間の無駄です。ともかく、すべての責任はあなた方にあるのですよ? お分かりですか」

「う……」

「参りましょう、アルカ様。さあ、早く道を開けなさい。ぐずぐずしていないで」


 シャールは兵たちに道を開けさせると、イーズの手を引いた。こんなに強気に出て大丈夫なのだろうかとイーズはびくびくしながら後をついていくが、シャールは堂々としたものだ。凱旋するように部屋へと帰る。


「大丈夫? あんなにいっちゃって」

「たとえ自信がなくとも、堂々としておくものです。命令される立場の人間は、ああいう物言いに弱いものですから――これも、イーダッド様の教えですけどね」


 シャールがイーズを振り返って、笑った。微笑ではあったが、はじめて見るシャールの笑顔だ。イーズは嬉しくて、くすっと笑い返した。


「アルカ様の判断は間違っていませんよ。アルカ様は、もっと自信をお持ちになってください。あなたは自分で思っているほど、できない人間ではありませんよ」

「そうかな?」


 そうはいわれても、イーズは自信をもてなかった。本物のアルカが優秀すぎるせいもあったし、ティルギスでは必須である戦士としての才能に自信がないせいもあった。どうしても自己評価が低くなってしまう。


 イーズが首をひねっていると、シャールはおかしそうに笑った。


「アルカ様は妙な方ですね。たいていのことは人並み以上にこなすのに、自信は人並み以下で。動揺しているかと思えば、時に驚くほど冷静で。臆病かと思えば大胆です」

「ええ? そう? だって、私、さっき危なかったとき、動けなかったよ」

「でも、最後は竜に立ち向かっていったでしょう? 私、びっくりしました」

「だって……シャールが危なかったから」


 イーズがもごもごと弁解すると、シャールは微笑した。ケガはありませんでしたか、とイーズの身体を確認する。


「とんでもない散歩になってしまいましたね。お菓子も食べ損ねてしまって。またもらってきますね」

「せっかく用意してくれたのに、ごめんね」

「あなたのためなら、手間なんて惜しみません。命の恩人ですから」

「恩人なんて。シャールこそ、私の命の恩人だよ。あのとき、シャールが来てくれなかったら、私、死んでた」

「私はそれが仕事ですから。でも、あなたは私に何の義理もないのに助けてくれた。自分よりずっと大きな敵に歯向かってくれた。あなたのためなら、私はいつ、どんなときだって駆けつけます」


 シャールの眼には、信頼と深い愛情がこもっていた。イーズはなんだか照れくさくてうつむいてしまったが、心の中は喜びで一杯だった。


「一緒にがんばりましょう」


 シャールに抱きしめられると、自然と自信が湧いてきて、イーズは深くうなずいた。

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