17.
張り出しの四隅に支柱を立て、縄を張って、オーレックは簡単な柵を作った。先日、イーズが番人に驚いて、張り出しから落ちそうになったためだ。敷かれている毛皮は新しいものに変わり、毛布が増え、床に下りるための縄梯子が垂らされ、イーズが暮らすための準備が着々と整いはじめていた。
「オーレック、これを使ってもいい?」
宝の中から自分用の椀を選んで、イーズはかるく掲げて見せた。張り出しの上から顔を出したオーレックは、眉根を寄せる。
「そんなに小さくていいのか? けっこう汚れているし。もっと綺麗なものを選べ」
「使うのもったいないよ」
イーズが遠慮すると、オーレックは張り出しの上から降りてきて、他の宝を漁った。漁っている間に、櫛と手鏡と髪飾りの入った小箱を見つけ、イーズに渡した。
「女の子だからな。こういうものもいるだろう?」
大事な宝の一つを使うことにイーズは躊躇したが、オーレックは今、地下にならべた宝を見下ろすことよりも、目の前の自分の娘が喜ぶことこそが何よりの楽しみのようだった。それを察して、イーズは素直に箱を受け取った。さっそく自分の髪を結い、お礼代わりに、オーレックの髪も梳かす。
「オーレックは髪も丈夫なんだね」
「気をつけないと肌に刺さるぞ。困ったくらいに剛毛なんだ」
三つ編みになった髪を、オーレックはおもしろそうに手で触った。作業の邪魔にならなくていい、と機嫌をよくする。
「さ、今度は上に行っていなさい。下を片づけるから。片付けながら、おまえの器も探すとしよう」
張り出しの上は、眠れるだけの場所はあるが、二人が生活するには狭いので、普段は下で生活することになる。オーレックは金銀宝石で飾り立てられた重たそうな宝箱を力強く持ち上げ、次々と隅に積み上げて、生活できる場所を確保しはじめた。
「……わ、私、お、おいしくないから、食べないでね」
張り出しに登ったイーズは、古びた頭蓋骨を転がして遊んでいる番人に、びくびくしながら訴えた。途端、番人が真っ赤な口をばかっと大きく開いた。ひっと悲鳴を上げて、イーズは飛び退り、柵に背をぶつけた。
「ははは、さっそく役に立ったな」
また下へ降りようと慌てたイーズは、オーレックの大笑いに、番人を振り返った。番人はイーズを見向きもせず、また頭蓋骨を転がして遊んでいるだけだ。からかわれたのだと知って、イーズは頬を膨らませた。
「昨日捨ててきた上着、もう見つけられたかな?」
「どうだろうな。地下には誰も来ないが。後で少し、様子をうかがいに行ってみるよ」
オーレックが応えてすぐに、番人が何かに気がついて、扉の方に目をやった。だれかやって来るのだと悟って、イーズはすぐに縄梯子を回収し、奥へと逃げた。オーレックは一旦、物陰に身を潜める。
足音は複数で、どの足音も重厚だった。一団は扉の前で立ち止まり、慎重に扉を開けた。全身を守れるほど大きな盾を手に、乗り込こんでくる。全員、頭の先から足先まで鎧で身を固めており、唯一、先頭のシャールだけが簡単な装備だった。守備よりも攻撃を重視し、動きやすくしているようだった。
「姉サーン、間違っても、逆上してつっかかっちゃいけませんよ」
シャールの一番近くにいた兵が、兜の奥からくぐもった声を出した。バルクだ。鎧が明らかに重たそうで、背筋は伸びず、辟易としているのが見ているだけで伝わってくる。
「穏便かつ冷静にお願いしますヨ。本当に」
「もちろん。だが、その黒竜がアルカ様を手にかけていたら、分からんがな」
「……全然冷静じゃないすヨ、ソレ」
バルクは、ああ重い、と盾を捨て、鉄兜を脱いだ。シャールと一緒に、地下室を見回す。オーレックは物陰で、静かに竜へと変化していた。完全な竜の姿だ。ぬっと、宝の山の上から顔を出す。
「マタ来タノカ」
ズン、と床に重たい音を響かせて、オーレックはシャールたちの前に立ちはだかった。早くも兵たちが、腰を抜かすか、壁や扉に背をへばりつかせた。シャールは腰の剣に手をやり、竜と対峙する。
「何ノ用ダ」
「もう一度聞く。一昨日、ここに子供が来たはずだ。私と同じで黒い髪に白い肌をした子供だ。名前はアルカ。どこにいった? 隠さず話せ」
「姉さん、そんな喧嘩腰じゃ危ないですって」
「うるさい。黙っていろ」
シャールは邪魔だといわんばかりに、バルクを肘でどついた。重い鎧を着たバルクはバランスを崩し、地面にしゃがみこむ。酷いぜ姉サン、と情けない声をあげた。
「ソノ前ニ、オマエハ何者ダ」
「その方の護衛だ。……まさか、殺していないだろうな」
「殺シタ? フフ、無意味ナ殺シハ好マンヨ」
「では」
「無意味ナ殺シハ、ナ。――久々ノ柔ラカイ肉デ、トテモ旨カッタゾ」
番人が鼻先で、おもちゃにしていた頭蓋骨を下へ落とした。兵たちが絶叫し、我先にと逃げ出す。
「哀レナ囚人ヘノ差シ入レダト思ッタモノデナ。悪カッタ。謝ロウ」
「ふざけるなッ!」
シャールは目にも止まらぬ速さで剣を抜き、黒竜に斬りかかった。が、硬いうろこにはじかれる。バルクが真っ青になってシャールを羽交い絞めにし、黒竜の牙が届かないところまで引きずった。
「離せ! 貴様も斬り殺すぞ!」
「姉サン、落ち着いて落ち着いて。コレ、よく見て。子供の頭蓋にしちゃ大きすぎるデショ?」
バルクはつま先で骸骨をつついた。転がる骸骨は大人の頭の大きさで、最近できたにしては薄汚れていた。シャールが暴れるのをやめる。
「冗談キツいっすよ、黒竜の旦那ってば」
「私ハ女ダ」
「えっ? あー、そうっすよネー。どーりで、こう、身体のラインが色っぽいと思った。うん」
バルクは冷や汗をかきながら、笑ってごまかした。シャールは拘束を振りほどき、再び竜をにらむ。イーズは番人の影に隠れ、はらはらしながら、やり取りを見下ろしていた。
「子供カ。子供ナラ来タゾ。興味本位デ、ココニ来タヨウダッタ。脅カシタラ、スグニ出テ行ッタガ」
「出て行った? 戻ってきたりしなかったか?」
「来ナカッタ」
オーレックはふん、と顎をそらす。二人は手がかりが途絶えて、途方に暮れた表情になったが、諦めはしなかった。バルクがもこもことした頭をかきながら、もう一度、地下室を見回す。
「何か取りに来た風じゃなかったですか?」
「知ラン」
「何かって、なんだ、バルク」
「姉サン。あの兎みたいに臆病で慎重なあんたのお姫サマが、夜に、興味本位なんかでここに来ますか? しかも、今は命を狙われてんだ。絶対にしないネ。何か大事な用事があったんじゃないかな」
「人には言えない目的ということか?」
「まー、ブレーデン殿下とかにここの宝物を盗んでこい、とかいぢめられたのかも知れませんケド。いやっ! 姉サン! ただの喩え喩え喩えっ! どこ行く気!?」
「くそっ、なんでもいいから斬りたい気分だ」
「……姉サン、怖いっす」
怒り骨頂のシャールに、バルクがおびえた。黒竜からもシャールからも逃げたそうにしているが、立場上逃げるわけにも行かず、兎のように縮こまっている。
「隊長! 大変です大変です!」
「なんやいな、騒がしい。俺の方が大変だっちゅーの」
「こっ、こんなものがっ!」
バルクの部下が、転がりこむようにして地下室に飛び込んできた。手にイーズの上着を持っている。昨日、オーレックが細工した血のり付きの上着が、ようやく発見されたのだ。シャールの顔がみるみる青くなる。
「どこにあった!?」
「そ、それがっ、よく分からないんです。倉庫に突然、現れたらしくて。さっき、倉庫の確認をしていた男が、昨日はなかったのに、今日になったらなぜか床に落ちていたって」
「突然現れたなんて、そんなバカな話があるか!」
シャールが報告に来た部下の胸倉をつかみ、怒鳴りつける。オーレックはしたり顔で笑った。
「ハハ。大方、地下通路ニ迷イ込ンデ、番人ニ食ワレタノダロウ。運ガ悪カッタナ」
「なんでそんな道を……。帰る途中に、何かあったのか?」
「さあ。そこまでは俺にも分かりませんケド。身の危険を感じたんでしょうかネ――」
自分で言って、バルクは何かに気づいたようだった。媚びるような態度で黒竜を見上げる。
「黒竜サマ、一つ聞きたいんですケド、その子、いつ頃ここに来ました?」
「ソンナ事、覚エテイル訳ガナイダロウ。夜更ケトイウコトグライシカ分カラン」
「そうすか。ありがとうございマス」
バルクはしまったかな、と小さくつぶやいて、ぼりぼりと頭をかいていた。
「サア、質問ニハ答エタゾ。モウイイダロウ。――出テ行ケッ!」
「ご協力アリガトございましたあっ!」
黒竜の吐いた炎に、鎧の重さも忘れたのだろう、バルクは頭をかかえ、シャールの手を引き、一目散に走り去っていった。地下はふたたび穏やかさを取りもどす。オーレックは半人半竜に変化すると、張り出しの上へと戻った。
「これでもう、二度とここにはこないだろう」
「ありがとう、オーレック。あの骸骨、このために用意してたの?」
「ちょっとした冗談のつもりだったんだがな。脅かしすぎたか?」
と、いいながら、オーレックに反省の色はない。皆が驚いた様子を思い出して、楽しそうにしている。笑い方がシグラッドに似ていて、イーズは思わず、はっとした。首を左右に振って、残像を視界から追い払う。
「しかし、なんとも勇敢な護衛だな。血気も盛んだったが」
「いつもはもっと静かで落ち着いてるよ。あんなシャール、私、はじめて見た」
「それだけ心配だったんだろうな、おまえのことが」
そういわれても、イーズは嬉しそうにもせず、ただ、申し訳なさそうにうつむいた。
「命を狙った人間の名は、なんというんだ?」
オーレックの問いかけに、イーズは膝の上で強く両手をにぎりしめた。黒竜は、邪魔者を消そうといってくれているのだ。だが、イーズは硬く口を閉ざし、はっきりと首を横にふった。
「いいの。上にいる限り、私の身が安全な日はないから」
「そうか。おまえは賢い子だな」
オーレックは小さな黒い頭をなで、昼食にしよう、と話を切り替えた。