14.
地下の扉を開けて数歩進んだだけで、目の前にだれかが立ったけはいがあった。イーズが立ち止まると、暗闇で指が鳴った。地下室の壁に取り付けられていた灯台に、紫がかった炎が灯る。赤い炎には負けるが、部屋の様子がなんなく見渡せるほどになった。
「竜は火を自在に操れるんだ。明るいだろう?」
反射的に閉じた目を開くと、予想したとおり、黒い竜がいた。さっきはよく見えていなかったが、こうして明るい部屋で見ると美人だった。大きなアーモンド形の目と、厚めのふっくらとした唇が魅力的だ。
「どうした? 部屋に戻ったんじゃなかったのか?」
「……そのつもり、だったんですけど」
イーズは寝巻きのすそを強く握りしめた。
「ここにいてもいいですか?」
「なぜ?」
「……部屋に帰ったら、殺されるんです」
黒竜は身をかがめ、少女の赤く腫れたまぶたに柳眉をひそめた。音を立てないように扉を閉め、イーズを奥へと促す。
「殺されるとは物騒だ。どうしてそんなことに?」
「正妃になる私を邪魔に思っている人がいるんです。だから……。さっき部屋に帰ろうとしたら、途中で、そういう話をしているのが聞こえて」
説明しているうちに、また涙が湧いてきた。イーズは袖で涙を拭こうとしたが、黒竜がそれよりも早く、少女の頭を腕の中に抱えこんだ。胸や腹の辺りはうろこにおおわれておらず、白くやわらかい。
「全部話してごらん。私が守ってあげるから」
優しい声に促されて、イーズはぽつぽつと、最近、襲われたことや危険な目に遭ったことを語った。普段は口に出さずに堪えていた弱音も、のこらず吐いてしまう。
「私……失敗ばっかりして。気が弱くて、いっつもビクビクしているし、賢くないし、弓も剣も上手でなくて。本来、この国に来るはずだった子の方が、王様と相性がいいんです。あそこにいても、邪魔なだけなんです。お行儀悪くて、次の皇妃様になる王女様らしくもない」
イーズは鼻をすすった。話している間に、上着の袖は涙と鼻水でぐっしょり濡れた。泣いている自分がまた情けなくて、イーズは気持ちが一層沈む。
しかし、黒竜はそのすべてを受け入れるように、何も言わずに聞いていた。ただただ、少女の言い分を肯定して聞いて、話が終わると、背中をやさしく叩いた。イーズの顔をそっと覗きこむ。
「名前は? 私はオーレックという」
「アルカ」
「アルカか。アルカ、私の背中に負ぶされ」
イーズを背負うと、オーレックは壁をよじ上りはじめた。子供一人背負っているというのに、俊敏な動きだった。みるみるうちに床からはなれて行く。イーズは落ちないよう、しっかりとオーレックの首にしがみついていた。
「私の寝床へようこそ、アルカ」
張り出し部分は、イーズが思っていたよりも広かった。大人が三人寝転がれるほどの空間がある。床には大きな獣の毛皮が敷かれ、色あせた絹布のかぶせられたクッション、宝石で飾り付けられている椀と杯がおかれていた。宝物の一部を、日用品として使っているようで、椀には小さな動物の骨が入っていた。
張り出しなので、三方は何もないが、一方は壁に接している。接している壁には、大人一人通れるほどの穴が開いていた。居館の方角へ向かってずっと伸びている。たどっていけば、城の地下通路に出るのだろう。
「オーレックさんはずっとここに住んでいらっしゃるんですか?」
「オーレックでいい。そうだな、ここに住みはじめて、もうかれこれ四十年ほどになる」
「四十年も?」
オーレックの外見は、どうみても、まだ三十半ばといったところだ。いくつのときに閉じこめられたのか分からないが、四十以上には見えない。
イーズが不審そうにすると、黒竜は、竜の血が濃いからだと説明した。竜はもともと長寿な生き物だ。オーレックは、竜の姿で生まれてくるほど竜の血が濃く、レギンよりもなお竜らしい。人より老化が遅く、二年で一つ年を取るような按配だという。
「その様子だと、私のことは全く知らないんだな。ここの宝物庫、鍵が一つしかかかっていなかっただろう? 不思議に思わなかったか?」
「びっくりしましたけど……無用心だって」
「皆、ここには私がいると分かっているから、近づかないんだ。だれも入ってこないし、小屋にも近づかない。私に会ってはいけないし、話してはいけない。なぜなら私は囚人だから」
「囚人?」
「昔、私は皇帝の命に背いた。その罰に地下へ入れられたんだ」
オーレックは壊れ物でも扱うように、そっとイーズを毛皮へ下ろした。ろくな手入れもされず、数十年も使われている毛皮は、艶を失って平らになっていた。埃っぽい。けれども、床の冷たさと固さをしのぐには充分だった。勧められるまま、イーズは毛皮の上に寝転がる。
「王宮のように綺麗なところではないけれど、ここは絶対に安全だ。だれも手出しできない。安心して眠りなさい、アルカ」
オーレックはまるで我が子を愛しむように、イーズの髪を梳いた。すぐそばに横たわり、少女が眠るのをじっと見守っている。黒竜が子守唄を口ずさみはじめると、イーズはじんとまぶたが熱くなった。ニールゲンでよく歌われるこの子守唄は、イーダッドがイーズに、最初に教えたニールゲン語だった。
イーダッドは無表情な顔と同じく、歌い方も訥々としていて、感情に乏しい。幼かったイーズは一度も眠気を誘われたことがなかったが、今は、記憶にあるその声が無性に懐かしかった。聞き惚れながら、思うがままに涙をこぼす。
オーレックが歌を三回歌い終える頃には、色んな不安はひとまず忘れ、イーズは泣き疲れて眠っていた。