13.
口では信用していないといっていたが、見知った相手がそばに来て、シャールもほっとしたようだった。新しい兵が配置されたとき、肩の力が一瞬抜けたのをイーズは見逃さなかった。
「見張りの方、片方は助けた庭師の息子さんでした。さっき、わざわざ改めてお礼をいいにいらっしゃって、これを」
イーズは乳白色の小瓶をシャールに渡した。ふたを取ると、花の精油がやさしく香る。今年、城の庭で咲いた花を集めて作られたものだった。
「命を失くさなかったおかげで、今もまだ大好きな庭仕事をしていられて幸せって。今度、この窓から見えるところに私の好きな花を植えてくださるそうです。楽しくなりそうです」
「どこで何が幸いするか分かりませんね。……ところで、アルカ様」
「はい?」
「二人のときくらい、そんな丁寧に話さなくても結構ですよ。今まで通り、気楽に話してください」
「でも、普段から気をつけておりませんと、ちょっとしたときに、出てしまいますから。私、今までがだらしなかったし……ええと、だらしがなかったですから」
イーズは慌てていい直す。シャールは顔に戸惑いを浮かべていた。
「やっぱり、おかしいですか?」
「いえ、そういうわけでは」
お互い、ぎくしゃくと声を出す。シャールが護衛についたばかりの頃に戻ったようだった。すぐそばにいるのに、イーズは心細くなる。心の中でため息をつきながら、ベッドに近づく。
「もう休まれますか?」
「はい。明日も予定がぎっしりですから、もう寝ます」
「かしこまりました。では、お休みなさいませ」
イーズがベッドに入ると、ため息に似た息で明かりが吹き消された。
寝室に独りだけになると、イーズは目を閉じて、よく耳を澄ませた。部屋の中のものを整理する音がかすかに聞き取れる。
イーズには、今日は遅くまで起きていなければならない理由があった。眠ってしまわないように気を張る。だが、幸か不幸か、頭の中を色々な不安が巡っており、眠ろうにも眠れなかった。あっという間に夜は更け、隣室の物音はなくなった。扉の下から漏れる隣室の明かりもなくなる。シャールも眠ったのだ。
「……行こ」
イーズは枕の下から、レギンから預かった鍵を取り出した。念のため、隣の部屋の様子をうかがってみる。シャールは長椅子の上で、剣をそばにおいて眠っていた。足音を忍ばせて近寄ってみたが、ぴくりとも動かず、規則正しい寝息を立てている。よく眠っている。
ずっと気が張って、シャールも疲れていたのだ。イーズは少し考えて、先ほどの精油の小瓶を手に取った。ハンカチを探してきて、精油を染ませる。渡されたとき、安眠の効果があると聞いていた。
「いつもごめんね、シャール」
ハンカチをシャールの枕元におき、イーズは寝室に戻った。寝巻きに上着を羽織り、懐剣と、壁にかけてあったカンテラを取る。
廊下には見張りの兵が二人いるため、外に出られない。イーズはベッドの下から、布を細く裂き、結び合わせた縄を引っ張り出した。バルコニーの柱に結び付け、強度をよく確認する。
月の明るい晩で、周囲の様子がよく見渡せた。バルコニーの下は小さな花壇があり、白い石を敷き詰めた道がある。巡回の兵が、一刻後にここを通ることは、すでに調べてあった。四半時あれば目的の小屋まで往復できることも分かっており、もし、探し物にもたついても充分な時間があった。
「何もないとは思うけど……」
イーズは念のため、北の方の小屋へ行ってきます、と枕元に書置を残した。何かあって、戻ってこなかったときの保険だ。何もなければ、後で処分すればいい。準備は万全だった。
「心配性なのは、父上譲りかな」
イーズは自分で自分の書置きに苦笑し、縄を伝って庭に下りた。ティルギスの参謀である父親も、時々、人から心配性と揶揄されるほど、あらゆる事態を想定する。
今日のような月の明るい夜を狙っていたため、思ったとおり、カンテラをつけなくとも、迷わず歩いていけた。見張りとすれ違うこともなく小屋にたどり着く。夜道を行く子供の姿に気がついたのは、梢に止まっている梟くらいなものだ。小屋までたどり着くと、イーズは緊張しながら鍵を鍵穴に差し込んだ。
「えっと……」
小屋の中を見回して、当惑する。何もない。一瞬焦ったが、床に落とし扉があった。そういえば、小屋の地下だったと思い出し、胸をなで下ろす。空っぽの小屋の隅には唯一木の棒が転がっており、イーズは苦労して持ち上げた鉄製の扉をそれで支えた。
カンテラに火をともし、地下へとつづく階段を降りる。ひんやりとした、湿った空気が肌を撫ぜた。三十段ほど降りると、また扉が現れた。大きく立派な扉で、鍵がついている。新たな鍵穴に、イーズは焦ったが、試しに扉を押すとあっさり開いた。鍵がかかっていない。
「わあ……」
中へ入り、イーズは歓声を上げた。金銀宝石、刀剣、毛皮、彫刻、珍品名品。天井の高い部屋の中に、王家のさまざまな宝物や宝箱が安置されていた。宝物庫のようだ。
部屋の中央まで歩いていって、イーズは三百六十度、部屋の中を見回した。小さなカンテラでは部屋の隅まで照らせなかったが、どこにも宝物があった。整然と配置されており、どれも綺麗に手入れされている。
だれが手入れをしているのだろう、とイーズは不思議に思ったが、のんびり追求していられるほどの余裕はなかった。薬壺を求めて、カンテラであちこち照らす。黒地に金の散った壺があった。小さくはない。違うとは思ったが、念のため、イーズは壺を開けてみた。
「――誰ダ」
誰何が、上から降ってきた。天井を仰いで、イーズは短い悲鳴を上げる。入り口側、壁の途中に作られている張り出しから、赤色の眼をした生き物がイーズを見下ろしていた。瞳孔が蛇のように細長く、人ではないものがいる。
「コドモ……」
相手は口惜しそうな声を上げた。イーズは尻餅をついて、床の上を後退る。すると、相手は張り出しから飛び降りてきた。
「何用だ」
それは女性だった。肉感的な曲線のえがく脚、細くくびれた腰、豊かな二つの乳房。豊満な肉体が一糸まとわずむき出しになっている。――ただし、全身のほとんどは硬く黒いうろこに覆われているが。
「く、薬を、取りに」
「薬?」
「レギンに頼まれ、て」
喉を引きつらせながら答えると、半人半竜の女性は、ああ、とうなずいた。くるりと身を反転させる。固いとげの生えた尻尾が揺れ、カンテラの光に黒いうろこがきらめいた。
「その壺じゃない。こっちだ」
女性は部屋の隅を指差した。後から取ってつけたような木の棚があり、そこに小さな黒い壺がのっている。
「青い竜のボウズは、また調子が悪いのか」
「調子が悪くて、自分で取りにいけないからって、頼まれたんです、けど」
「子供は襲わない。安心しろ」
びくびくして動けないでいるイーズに、女性は黒い壺を差し出した。開けると、丸薬が入っていた。いわれたとおり、一粒だけ取る。
「侍女か何かか。レギンの」
「いいえ、友達です」
「ひょっとして、赤い竜の小僧の許婚か」
「どうしてご存知なんですか?」
「皆が話しているのを聞いた。城の地下通路は私の庭だ」
城の地下には、さまざまな部屋に通じる秘密の地下通路がある。とある代の物好きな王が遊びで作った地下通路は、城のあらゆる場所へ抜けられ、あらゆる話を盗み聞くことができる。
ただし、侵入者を防ぐためにさまざまな仕掛けが施されており、迷宮のように複雑だ。正しい順路を知らないと命を失ってしまうので、気軽に入れない。そんな場所を庭だと称する女性に、イーズは目を白黒させた。
「あなたはこの部屋の番人なんですか?」
「主だ。ここの宝はすべて私のものだ。盗んだら許さない。欲しければ、私を殺すんだな」
黒い竜は牙をむき出しにして威嚇した。竜族は光物や宝物が大好きだ。イーズは激しく頭をふって、丁重に壺を返した。
「もう帰るのか」
「こっそり抜け出してきたんです。早く戻らないと」
「そうか」
黒竜はどこか残念そうだった。壺を棚におくと、壁のわずかな出っ張りに手をかけ、するすると張り出しに向かって上っていく。
「また、来てもいいですか?」
「歓迎する」
黒竜は、扉を出るまでイーズの姿をずっと見ていた。姿形は恐ろしげだが、心根は良さそうだ。イーズは上着のポケットに丸薬をしまうと、黒竜に手を振って、また地上に戻った。小屋に施錠して、来た道を戻る。
「……から、いってるじゃないですカ。あんたがけしかけたんだって、知らなかったんだって」
居館が見えてきたころ、だれかの話し声がして、イーズは歩みを止めた。数歩道をそれたところの東屋に、人がいる。イーズは見つからないよう、身をかがめた。
「おまえの手出しがなければ、成功していたはずだ。後少しだったのに」
「俺が手出ししなくても、あの子の護衛サンの剣が犬をヤってました。いいじゃないですか、助けたおかげで、俺はあのお姫さんには信頼されたし。警備場所はお姫様のそばになりました。
あんたのお望みのときに、あのお姫様に毒を盛るなり刺客を手引きするなり、してあげますヨ」
イーズは息が止まりそうになった。クノルと話しているのは、バルクだった。嘘だ、と自分に言い聞かせようとするが、独特な調子の話し方は間違いなくバルクだ。イーズはへたりこむようにして、東屋の茂みの陰に隠れた。
「ふむ。煮るなり焼くなり、好きにできるというわけか」
「そういうコト。……あんたにしちゃ、珍しいね。そんな飾り気のない指輪してるなんて。――ああ、なるほど。指輪に隠してあるわけだ、毒を」
「いつでもどこでも、思いのままだ。あの小娘だろうと……な」
自分の運の悪さを、イーズは呪った。聞きたくない、来なければよかった、気づかなければよかった。どうして今日、この時間に、この場所を通りかかってしまったのだろうと、震える自分の両手で身体を抱いた。
「国を追い出されて放浪していた俺を拾ってくれたのは、あんただ。邪魔しただなんて疑わんでくださいヨ。恩人だと思ってんですカラ」
「おまえのその飄々とした態度が信用ならんのだ。だが、おまえがそういうのなら信じよう。よく覚えておけ。わしのいうことを聞いていれば、金も地位も手に入る。おまえのような余所者がこの城でのし上がろうと思うなら、わしのいうことやることに、従順でいることだ」
「よく分かってますよ、宰相サマ」
それで話は終わりだった。二人は東屋からはなれ、それぞれ違う方向に去っていく。
イーズはしばらくその場で呆然としていたが、よろよろと立ち上がった。居館の方へ顔を向ける。高く聳え立つ塔は、怪物が両腕を高く上げて待ち構えているように見えた。
イーズは踵を返して駆け出した。自室とは正反対の方向へ走り、先ほど、出てきたばかりの小屋に向かった。閉めた小屋の鍵をもう一度開け、中に飛び込む。
「――う……」
扉に背を預け、イーズはずるずると崩れ落ちるように座り込んだ。地面に爪を立て、歯を食いしばる。
青ざめた光が小屋の小さな窓から差しこんで、落とし扉に月影を落としていた。居館から離れたこの場所は、静かだった。だれもいない。いるのは地下でひっそり暮らす黒い竜だけで、だれかをはばかる必要は無かった。
イーズは土をつかみ、地面に額をこすりつけて泣いた。