12.
狩猟祭の日、イーズを助けた鳥の巣頭の兵はバルクといった。城の警備隊長の一人だった。もとは東の小国の出身で、父親に勘当されて国を飛び出し、あちこち放浪していたところを、ニールゲンの重臣に拾われ、ファブロ城へ出仕することになったのだという。
「ティルギスとはちょっと縁があるんですヨ」
「縁?」
「制圧された側と制圧した側っていう」
バルクの出身国は、昔、ティルギスが制圧した国の名だった。悪い意味での因縁だ。イーズは表情を凍らせたが、バルクに恨んでいる様子はなかった。
「全然、姫サンが想像しているような悲惨なことはなかったんですよ。キレーなもんですネ。ティルギスの攻め方は。
ある日突然騎兵がやってきて、ここの土地は今からアデカ王の支配下になるって宣言されて、皆がぽけーっとしてる間に、ちゃっちゃと支配体制整えられて、気づいたらティルギスのモンになっちゃってたんですよネ。
ウチはもともとのんびりした地味な国だから、戦った経験もないし、逆らっても無駄だって皆諦めてたのもあるんでしょうけど。
支配されてるっていっても、べつに何か押し付けられるわけでもないデス。ティルギスはただ、交易の拠点が欲しかっただけみたいで、かけられた税も多くなかったし。
逆にティルギスが攻めてきてくれたおかげで土地が豊かになりましたヨ。駐屯してるティルギス兵を警戒して盗賊が寄ってこないし、物資の中継地点になったおかげで、色んなものが手に入りやすくなりましたし。ホント、ティルギス様様です」
どうもどうも、とバルクはイーズを拝んだ。拝まれた方は、複雑な心持になる。イーズは茶の入ったカップを持ち直した。口をつけていないので、たっぷりと中身が残っており、カップはまだ温かい。
「スンマセン。やっぱそんな粗茶、お口に合いませんよね」
「ううん! そういうわけじゃないよ……ごめんなさい」
以前なら、ためらうこと飲んでいただろう。だが、最近は安全を確かめてからでないと、食べ物を口にできなくなっていた。まず疑うクセがついていた。命の恩人であるバルクが淹れてくれた茶ですら飲めないでいる自分に、イーズは嫌気が差した。後ろめたさが湧く。
だが、バルクは、ちょっと小首を傾げただけで、無理に茶を勧なかった。自分だけ茶をすすり、気軽な調子で話をつづける。
「ところで、あれから姫サン、どうです? なんにもないですかネ?」
「とりあえず、生きてる。動物の死体が贈られてきたり、上から植木鉢が落ちてきたりしたけど」
「この間の件は、運悪く野犬に襲われたってことで片づけられちゃいましたしネ。おっかなくって、外出歩けないねえ」
バルクはよしよし、とイーズの頭をなでた。あまりに馴れ馴れしい態度に、部下たちは大丈夫なのかと不安そうにする。だが、イーズは全く気にしておらず、むしろ、こういった気軽な態度を歓迎していた。
「姉サン、よけりゃ、部下を二人くらい貸しましょか。一人じゃ大変でしょ」
「あ、姉さん……。私はあなたより年下だと思いますが」
シャールは、バルクの気安い態度に調子が狂ったのだろう、反感を露にするよりも、まずどもった。
「見た目がそんな感じだからさ。いいじゃん、美人な姉サンで。で、どう? いる?」
「警備兵なら、すでに部屋の外に二人いらっしゃいます」
「信頼してる? 疲れた顔してるねえ。よく眠れてないんじゃない?」
「……」
部屋の壁にもたれ、シャールは眉間にしわを寄せて腕組みする。バルクの言うとおり、疲労していた。目の下にうっすらクマができていた。
「貸してください。助けて欲しいです」
「アルカ様」
「素直でいいね、姫サンは」
「城内の兵の警備位置というのは、それぞれの隊で決まっているものでしょう? あなたの隊は、アルカ様の部屋とはまったく違う場所のはずですが、大丈夫なのですか」
「何とかする策もないのに、こんな提案したりしまセン」
バルクはのらくらとした口調で受け答え、部下を一人呼びつけた。何事かささやく。部下は一つうなずいて、どこかへ去っていった。
「姫サンも大変だねえ。違う国に嫁ぎにきて、あんなおっちゃんにいぢめられて、ライバルも現れて」
古びた木製の椅子に腰掛け、バルクは机の上の紙袋に手を伸ばした。ガサガサと中をあさり、焼き菓子を取り出す。半分に割ると、一方を口にしながら、もう片方をイーズに差し出した。
「甘いもんが好きでネ。よく買うんだ。食べる?」
イーズは元気よくうなずき、半分受け取った。一口で頬張ると、大きな口、とからかわれ、顔を赤くする。
「まだあんよ。なんでニールゲンに留まろうって思ったかって、菓子がうまいからなんだヨ」
「そんな理由で?」
「ケッコー大事な所っしょ」
バルクはイーズを自分の膝の上に招くと、どれがいい、と紙袋の中を開けて見せた。好き嫌いは分かれるだろうが、バルクの気張らない態度がイーズには好ましかった。半分に割ってもらった菓子を口に運ぶ。茶もようやく一口、口にした。
「次、どれにする?」
「これ食べてもいい?」
「うーん、おじちゃんはこっち食べたいから、こっちネ」
「聞いた意味ないよ」
位置がちょうどよかったのだろう、イーズは頭にあごをのせられた。無遠慮もいいところだったが、イーズは嫌でなかった。兄弟とでも話している気分で、バルクと楽しくじゃれあった。
しかしながら、シャールは眉間を狭くした。カツカツと靴音を響かせて、バルクに詰め寄る。
「無礼な。アルカ様を離しなさい」
「シャール」
「私はあなたを信用したわけではありません」
シャールは挑むように宣言し、バルクの腕の中から主人を取り返した。空になった両腕を広げ、バルクは天井を仰ぐ。怖い怖い、と肩をすくめた。その態度がさらに怒りをあおり、シャールの顔にはありありと嫌悪が表れた。
「戻りましょう、アルカ様。そろそろ次の教師が来る時間ですから」
「う、うん……」
シャールがイーズを引くと、バルクの指示を受けて去っていった兵がちょうど帰ってきた。うろこの形をした赤いバッチをバルクに渡す。
「待った、姉さん。話がついたから、下見ついでに一緒に行きますよ」
「話がついた? もう?」
「ちゃんと上にも了解とって来たらしいから、大丈夫デス」
バルクは胸についている黄色いうろこ形のバッチを外した。赤いうろこのバッチと付け替える。赤色は、今までイーズのところの警護をしていた隊長のバッチなのだろう。
「そんなに簡単に変われるものなんですか?」
あまりに容易に話が進みすぎて、逆にシャールは不安そうにした。バルクは視線を上向け、言おうかどうしようか逡巡するそぶりをする。
「俺は今まで、ブレーデン殿下のところの警護をしていたんデス。でもね、俺はブレーデン殿下のお母上に嫌われてましてネ」
「なぜです?」
「“こんな外見のみっともない男を、王宮の中にうろつかせるな!”って」
シャールはげんなりした表情になった。こんな男に任せていいのかと、心配そうにする。
「上のお人も、俺の位置を変えたいって思ってたトコロだと思うんですよネ。ま、そんなワケですが、どうぞよろしくお願いします、殿下に姉サン」
「よろしくお願いします、バルクさん」
「アルカ様、こんな男に挨拶なんてしないでください」
丁寧に頭を下げるイーズに、シャールは額を押さえた。
「でも、シャール。今までみたいに、名前も知らないような人に警護されるよりはいいと思う。知っている人がそばにいるだけでも、ほっとするもん」
「そうかもしれませんが、こんな男を……」
「バルクさん、この隊の人って何人いるの? 皆の名前も教えて。衛兵さんたちって、目が合ってもそらされちゃうから、話しかけづらくて」
「そりゃあ、高貴なお方と目を合わせるなんてとんでもないですカラ」
と、いいながら、バルク自身はイーズの目を遠慮なく見ている。澄んだ薄茶色の目は穏やかで、どこまでも広がる麦畑を連想させた。バルクののんびりとした故郷の景色がそのまま映し出されているように、イーズは感じた。
「バルクさんはティルギスには行ったことあるの?」
「呼び方、バルクでいいっスよ。ティルギスはいったことないデスけど――」
「アルカ様!」
談笑しはじめる二人に、たまりかねてシャールが怒鳴った。強引にバルクとイーズを引き離す。
「いい加減にしてください。あなたはティルギスの王女です。皇妃になる王女なんです。もっとご自分の立場を自覚してください!」
頬を打たれた気がした。本当に打たれたわけではないのに、イーズはそんな錯覚に陥った。
はっと我に返る。親しみやすいバルクの態度に、すっかり失念していた。ニールゲンの皇妃に相応しい立ち居振る舞いを身につけようと努力していたのに、完全に忘れていた。自分の立場を。
「ご――ごめんなさい……」
シャールにこれほどの剣幕で叱責されるのは初めてで、イーズは胃がずんと重たくなった。今や、イーズの行動の一つ一つで、ティルギスという国の評価も左右されてくる。貴人が庶民と親しくすることは品位を損なうことと、ニールゲンでは評価されているのだから、イーズの今の行動は不適切だった。
「気を…気をつけます」
狩猟祭のときから、失敗ばかり重ねている。シャールが怒るのも無理はない、とイーズは震えた。きつく掴まれていた手を離されると、見切られた気分になって、地面に立っている感覚がなくなった。崖から宙に突き落とされたようだった。
「あ――アルカ様」
「早く戻りましょう」
声が震えそうになるのを、イーズは必死で抑えた。言葉をさえぎられたシャールは、何かいいたげにしていたが、平気なふりをするのに精一杯のイーズは気づかなかった。