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そして銀の竜は星と踊る  作者: サモト
そして銀の竜は星と踊る
11/20

11.

 狩猟祭が終わっても、隣国の王女はしばらくニールゲンに滞在していた。その間、イーズは普段の三割増で勉強時間を増やされ、ほとんど部屋から出られなかった。シグラッドの方も公式行事に連れ回され、食事の時間すらも重ならなかった。お互い、まったく顔を合わせないままに日が過ぎた。


「わざとかなあ、やっぱり」

「わざとだと思うなあ、その通り」


 尋ねるイーズに、レギンが深くうなずく。シグラッドと予定が合わないので、イーズは一人でレギンに会いに来ていた。


「別に私、二番目の皇妃でも三番目の皇妃でも、何でもいいよ。そもそも、皇妃になりたいわけじゃないし。私、人質なんでしょ? だったら、人質らしくどこかの塔にでも閉じ込めてくれればいいのにな。その方がよっぽど気楽」


「一国のお姫様をそんな扱いにはできないよ。ティルギスはニールゲンの同盟国であって、従属国ではないんだから」


 同盟国、という言葉に、イーズは当惑した。たしかにティルギスはニールゲンの属国ではなかったが、ニールゲンは古くからつづく大国で数多くの国を従えており、一方のティルギスは最近頭角を現したばかりの新興国だ。同盟国と並び立つにはバランスが悪かった。


「ここに来て、ニールゲンがどんなに豊かで広い国か肌で感じた。全然違うね。食べ物の種類の多さも、物の多さも。ティルギスの何十倍もある。

 私、地平線までつづく草原が世界の全てだって思ってた。でも、地図で見たら、ニールゲンはティルギスの何倍も広くて、びっくりしたよ」


 対等な扱いをされた恐縮から、イーズはニールゲンをたたえた。人と人との間に身分があるように、国と国の間にも身分があるということを、イーズは理解しはじめていた。ティルギスという小国の王女が、大国の妃になることは、周囲から不当な栄誉であると思われているということもだ。


 ニールゲンの第一皇子であるレギンとこうして話していることすら、分をわきまえにない、悪いことをしているようで、イーズは身が縮まる思いだったが、レギンはイーズの心中を知るはずもない。丁重さを失わずに、親しげにティルギスを弁護する。


「アルカ、それは過小評価だよ。ティルギスのこの三十年での成長は驚くべきものだ。戦術も戦略も統治の仕方も、今までと違って画期的な手法を用いているし、まだまだ成長する余地を持っている。――数年後が楽しみで、恐ろしいな」


 レギンは幼い顔に似合わない、大人びた口調で語った。イーズは驚いて、まじまじとレギンの顔を見つめる。シグラッドと違って華やかさはないが、端整な貌だ。竜のときは銀に輝く灰色の目が、今は冷静に光っている。


「家臣たちは君のことを人質だっていうかもしれないけど、シグラッドは君のことを人質だとは思ってないよ。僕もね」

「ありがとう。レギンは優しいね」

「実は最初、アルカは僕の奥さんになる予定だったんだよ。僕の教育係がティルギスの成長ぶりを見て、手を結んでおいた方が得だって考えて、ティルギスに婚姻話を持ち出したんだ。

 でも、結局、シグラッドのやつがティルギスの姫がいいってだだをこねたのと、僕の発作のことがあったから、ならなかったんだけど」

「そうだったんだ。知らなかったや」

「もっと自信を持って。アルカは望まれてここに来たんだから」


 心の中を見透かされたようで、イーズはどきりとした。萎縮する心をそっと包まれたようで、肩の力が抜ける。レギンは人の心を読むのがうまいと、イーズは感心した。


「具合、悪いの?」


 不意にレギンが咳き込んだので、イーズは顔をのぞきこんだ。レギンはうんざりしたように、ため息を吐く。


「季節の変わり目はいつもこうなんだ。この間の狩猟祭も参加したかったのに、参加できなかったし。嫌になる」


 うすい胸を上下させて、レギンは大きく息を吸った。しかし、息を吐き出そうとして、大きく身体を震わせた。顔を青くして、両手で自分の身体を抱く。


「レギン? 大丈夫?」

「う……あ」


 痛い、とレギンがうめく。イーズは肩に手をおこうとして、ぎょっとした。レギンの肌がパキパキと音を立てて青いうろこに覆われていく。発作だ。


「逃げて逃げて逃げて。早く。手遅れになる前に」


 レギンは全身に力をこめて、暴れだそうとする自分の中の竜を抑えた。肩甲骨の突き出た背が細かく震えていた。イーズが扉の方を見やると、侍女が緊張した面持ちで立っていた。いつでも逃げ出せるように、扉の取っ手に手をかけている。


「レギン。大丈夫だよ。竜なんて怖くないよ。こんな私でも勝てたんだから、レギンが勝てないはずない」


 銀に光る目がイーズを見上げてきた。鋭い牙の生えた口から、熱い息が吐き出される。顔立ちは変貌していないが、先ほどの優しげな面貌は消え去っており、イーズは固唾を呑んだ。一歩間違えれば、鋭い爪に肌を裂かれてもおかしくない。


「怖くない。大丈夫。自信を持って、レギン」


 イーズはレギンの左手を両手で握って、自分の額に押し付けた。レギンに、というよりは、自分の言い聞かせるために、何度も何度も怖くないと、つぶやく。うろこがレギンの身体を侵食していくのが恐ろしく、固く目を瞑る。手の下に固いうろこの感触を感じたときは、ダメかもしれないと悲愴な気持ちになったが、不思議と、そこで竜化は止まり、だいぶ経ってからイーズが目を開けたときには、さっきと変わらない顔でレギンがいた。


「……お、納まったの?」

「早く逃げてっていってるのに」


 半泣きのイーズを見て、レギンは呆れたようにいった。けほっ、と小さく咳き込む。イーズは身体中から力が抜けて、ベッドに突っ伏した。絡めたままのレギンの手をそっと握る。ただやわらかい感触が返ってきて、助かったという事実に涙が出そうになった。


「殿下、発作を起こされたとお聞きしましたが――」


 年かさの侍女が、心配そうに入ってきた。ベッドのそばにいるイーズを、邪魔そうに一瞥する。イーズは肩幅を狭めたが、レギンが侍女を強く睨み返した。


「アニー、彼女は僕の友達だ。そんなふうに見るな」


 今までそんな目をされたことはなかったのだろう、侍女はたじろいだようだった。失礼いたしました、と頭を下げて、すぐに退出していった。


「ごめんね。僕の周りには良い人も悪い人も集まってくるから、警戒してるんだ」

「ううん。気にしないで」


 つないだ手の感触が、心地よい。ニールゲンに来てから初めて、本当に心の底で繋がれる相手を得たようで、イーズの胸は静かなよろこびに満たされていた。レギンも静かに、繋いだ手を見つめている。二人は、何もないのに、あは、と笑い合った。


「……あのさ、アルカ。実は頼みたいことがあるんだけど、いいかな」

「もちろん。いいよ。何?」

「取りに行って欲しいものがあるんだ。皆に内緒で」


 レギンは枕の下から小さな鍵を取り出した。紐がついていて、首にかけられるようになっている。


「どこの鍵?」

「北の小屋の鍵だよ。アルカと僕が最初に会った場所、覚えてる? あの近くに小屋があるんだ。知ってるかな」

「知ってるよ。あの小屋のなんだ?」

「竜化してしまったあのときも、あの小屋に向かう途中だったんだ」

「じゃあ、あの時、ブレーデンに盗られたのってこの鍵だったんだね」

「そう。ブレーデンは僕の竜化を見るのは初めてだったから、よっぽどびっくりしたんだろうね。後ですぐに返してきたよ」


 鍵は上部に竜の彫刻がついていた。黒い竜が金の玉をくわえ、石柱に乗っている意匠だ。大人の人差し指ほどの大きさで、見かけより少し重たい。


「何をしに行けばいいの?」

「あの小屋から、薬を取ってきて欲しいんだ。あそこの地下には、発作を抑える薬がおいてある。本当は入ってはいけない場所だから、皆には内緒でいかないといけないんだけど、僕はなかなか出られる機会がないし、体調もよくないから……」

「内緒で取りに行けばいいんだね。どんな容器に入っているの?」

「小さな黒い壺に入ってる。一つだけでいい。シグラッドにも内緒だよ。だれにも内緒。絶対、いっちゃダメだよ。あの小屋に行ったことも、あった物も、見た物も――」


 話の途中で、先ほどの、アニーという侍女がおずおずと部屋に戻ってきた。内緒話をしていた二人は、さっと身を遠ざけあう。


「殿下、お薬です。ちゃんと睡眠もお取りください」

「取ってるよ。最近、一日の三分の二は寝てるじゃないか」

「内緒でご本を読んでいらっしゃるでしょう。昨日は夜遅くいらっしゃった陛下と、遅くまでお話して。御身の大事を第一にお考え下さい」

「分かってるよ」


 侍女はレギンのそばに薬をおき、イーズのそばに飲み物を置いた。何も要求しなくても二杯目を出されたのは、これが初めてだった。どうぞとも何もいわず、機械的な動作で頭を下げて退出していったが、これが彼女なりの好意の表し方なのだろう。イーズは驚き、おっかなびっくり、湯気立つカップに口をつけた。ミルクも砂糖もたっぷり入って、味は濃く甘い。


「シグ、レギンのところに来てるの?」

「来てるよ。アルカと一緒で、クノル卿に忙しくさせられてるから、来る回数はめっきり減ったけど」


 イーズは行儀が悪いと思いつつ、足をプラプラと揺らした。レギンのところに来て、自分のところに来ないのは、おそらくクノルに止められているからなのだろう。シグラッドがローラと談笑している姿を思い浮かべたイーズは、このままずっとシグラッドと会えなかったらどうしようと不安になった。


 この王宮で、イーズは自分がどれだけちっぽけな存在か認識していた。言葉に出して説明できるほど理解していなかったが、無意識に察していた。レギンの紹介がなければシグラッドと知り会うこともできず、シグラッドの寵愛がなければ次期皇妃であっても意味がない。


 ローラの母国クリムトほど、ティルギスの国力は認められておらず、一人でいても、クノルがローラにするように、誰かに助られるわけはない。気をつけていないと、あっという間に食いつぶされるのだ。


「どうかした? アルカ」


 心の内が顔に出ていたのだろう、レギンが心配そうにした。イーズはこの不安をすべて打ち明けてしまいたくなったが、相手の顔色に、口を引き結んだ。自分のことばかり話している訳にはいかなかった。なんでもないよ、と首を振る。


「薬、なるべく早く取ってくるね」

「ありがとう。ごめんね、この間危ない目に合ったばっかりだっていうのに、こんな無茶なお願いして。気をつけて」

「私が薬を取ってくる前に、発作を起こしたりしないでね」

「がんばるよ」


 イーズは努めて明るい表情を作り、席を立った。帰ったら、また勉強だ。歴史に語学に音楽。やることはたくさんある。


「アルカ。黒の戦車はレルダの五だって」


 唐突な台詞に、イーズは扉を開けた状態で立ち止まった。レギンが引き出しから棋譜を取り出して、にっこり笑う。シグラッドを相手に中断していたボードゲームの棋譜だ。


「次の手は?」

「竜騎兵をラーの一」


 たった一言の伝言だったが、イーズは胸が一杯になって、泣きそうになった。



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