29 希望の光
「輪ッ! 強引に右に寄せるからな! しっかり耐えろよ!!」
「しっかりグリップをきかせて耐えますから、ご心配なく!!」
その言葉を信じて、俺は強引にアウトサイドからインサイドの右へと寄せる。そしてそのまま片輪で縁石に乗り上げ、必死でバランスを取りコーナーを抜ける――――。
「――よし、抜けたぞ! 輪、大丈夫か?」
「さすが京一郎さんですね! あたしは大丈夫です!! 今後もその調子で右サイドのインは縁石乗り上げ走法でいってください!!」
「わかった、やってみる!」
成せば成る――。
たった一回の成功だが、しかし、この一回が心理的には凄まじく大きい。意外にもやってみると片輪双方もコツさえ掴めばもっとうまく出来そうだ。俺にも輪にも負担のかかる戦法だが、選択肢のない今の俺たちはこの走法を繰り返し、距離を縮めていくしかなかった――――――。
「よう、また背中に手が届く距離まで来てやったぜ!!」
「しつけぇ野郎だ、凡人が足掻いたところで結果は一緒なんだよ!」
「つくづく傲慢なんだな、礼宮院の人間は……そんな事は……やってみなければわからない!!」
礼宮院輌の不遜な態度にはすでに慣れていたが、疲労も蓄積し、冷静になりきれなかった俺は相手の挑発的な物言いで感情的になり、後のレース展開も考えずに一気にここで抜き去ろうと行動を起こし、速度を上げた……しかし――。
「京一郎さん! 落ち着いて! まだ……まだです、まだ勝負どころではありません! 今は堪えてください!!」
「しかし……勝負できるところで勝負しないと、また離されるぞ!?」
「多少離されても仕方ありません。今は、相手の背後に回って空気抵抗を減らしてください! ここスタミナを温存する時です!!」
「……ちっ、わかったよ――――」
熱くなった俺を制止し、輪は終盤戦に備えて戦略を練っていたようだ。ローダーの役割というのはトラッカーの負担を減らすだけではなく、的確な指示を出す事も重要な役割だ。どんなに挑発されてもレース中は感情的にはならない輪の姿勢は、正にローダーの鏡と言ってもいいだろう。全幅の信頼を寄せる輪の指示に俺は従う事にした――。
輪の指示通り、俺は敵の背後について、つかず離れずを繰り返す。前回に続き、やはりこの戦法をとられると精神的にも体力的にもこたえるものがあるのだろう。あきらかに礼宮院輌の体力は削られていき、精神的にも熱くなっている事が容易に見て取れた。追う者と追われる者……背後から冷静に相手を観察できる俺たちとは、消耗の度合いが想像以上に違うようだ――――――。
「――輪、確実にヤツはテンパってる! 行くなら今だぞ!!」
「スタミナの方は大丈夫ですか!?」
「有り余ってるよ! 体がウズウズするくらいだぜ!!」
「わかりました……しかし、オーバーペースには気を付けてくださいね」
「了解した!」
ほんの僅かだが精神的に余裕のできた俺たちは、ここで礼宮院チームを抜き去り、逃げ切る戦略に切り替える。レースも既に終盤戦、そろそろ仕掛けて結果を出さないと勝利はますます遠のく……すでにかなり消耗している礼宮院チームを抜き去る事は今ならそれほど難しくはないだろうと考えていた俺たちは、マシンのダメージも考えず、一気に加速を開始した――――。しかし、俺たちの思惑は最悪の形で裏切られる事になる。
「――――――どういう事だ!? あいつ、そろそろ体力の限界に来ているハズじゃないのか!?」
「……DLSです…………内蔵されたDLSのシステムによって強迫観念に駆られ、それこそ死に物狂いで礼宮院チームのトラッカーはスピード上げているのでしょう……」
「こっちだって死に物狂いだというのに、一体どうしてこんなに差が!?」
「所詮、こちらは制限つきの死に物狂いです……ですが相手は…………」
「リミッターのぶっ壊れた死に物狂いってわけかよ…………ちくしょう……」
フルスロットルで加速を続けていても追い抜ける気配がない。マシントラブルの所為でストレートでもダメ、コーナーでもダメ、もはや万策尽きたかと思えたが、輪の口から信じられない言葉が俺の耳に届く――。
「もうこうなったら仕方がありません! 次のコーナーは減速せずに突っ込んでください!!」
「はぃ!? なんだって!? どういう事だよ!?」
「コーナーを曲がる時に相手は必ず減速します……それに合わせてこちらも減速していたのでは、いつまでたっても追いつけません……それならいっその事…………」
「正気かよ!? ――まさか!? まさかトップスピードで相手に特攻でも仕掛けるつもりか!?」
「そのまさかです……追い抜けないのなら……もう、これしか…………」
「しかし、ミラージュ・ウィザード・カスタムのダメージも相当なモノだぞ………………」
「仮に大破しても構いません……何もしないで負けるより…………よっぽどマシです!!」
「……わかったよ…………輪にそこまでの覚悟があるんなら、もうペース配分なんか関係ねぇ……あえてコーナーは当たりにいくぞ!! それでいいんだな!?」
「もちろん!! 遠慮は無用です!!」
「上等だ! いくぞッ――!!」
――――こうなったらもうオーバースピードも何も関係ない。最後のストレートを計算して、体力を温存しておく必要もない。どのみちここで競り勝てなければレースの結果は絶望的……、体力のある今のうちに、全力で特攻する方がマシだ。幸いにも最後のストレートまでコーナーは四つもある、玉砕覚悟で突っ込めば、さすがに相手もこらえきれないだろう。
「――輪、ショックに備えろ!!」
「了解です!!」
コーナーを曲がる為にアウトに膨らみ、減速したトキシック・パープルの無防備な側面を目がけて俺たちは突進する。しかし、敵の装甲も思った通り、そう簡単に破れるようなつくりではなく、単発でぶつかったところでどうにかなるような代物ではなかった。
「チッ! そう簡単にはいかねぇか……」
それなりにダメージは与えたつもりだが、その反動でこちらの装甲もかなり危うい状況に陥る。元々ダメージのあった左ホイールをかばいながらでは、やはり限界があるのかも知れない――――。
「輪、ミラージュ・ウィザード・カスタムのダメージは!?」
「今の衝撃でフロントパネルと左のホールは壊滅的です!」
「フロントパネルが壊滅的って……それじゃあ、もうどうしようもないじゃないかよ……輪、何か打つ手はあるか? 輪? ……輪!?」
「………………………………………………」
いろいろと思案しているようだが、頼みの綱の輪もここにきて黙り込んでしまった。もはや、輪の頭の中でも万策尽きたのだろうか……フロントの装甲版も外れかけている状態ではまともにぶつかる事も出来そうにない。残す三つのコーナーを遠目に眺めながら、最悪の未来が俺たちの脳裏を過ぎった――。
「輪、希望を捨てるな……望みは薄いが、最後までやり通そう……」
「………………はい」
か細い声でそう答える輪――。半ば諦めかけていた俺たちだったが、最後の最後でひとすじの希望の光が俺の心に差し込んでくる――。
「…………ニンショウ……クリア……DLS……サドウ!! コノママ、トッシンシロ!!」
勝機を見いだせなくなった俺に、どこからともなく無機質な音声が聞こえてくる……いや、正確にいえば聞こえているのではない。ダイレクトに俺の魂に響き渡っていた――――――。




