26 脅迫型DLS
「――始まった、完璧なスタートだ……さすが久藤さん」
「久藤部長は、こんなところでつまずくような人ではありませんから!!」
「そうだな、期待して待つ事としよう」
山の中腹部分にあるダウンヒルのスタート地点で待機しながら俺たちは、モニターに映し出される久藤さんと天ヶ崎さんのペアを見守っていた。
スタート直後の混乱に巻き込まれることもなく、颯爽と先陣を切って走り出し、危なげなく第一コーナーをクリアし、順調なすべり出しで、レースは展開されていた。その後も久藤さんらしいレース運びで、無理のないペース配分と無駄のないライン取りで、周囲との差を確実に拡げていった。
「――ほぅ……オレらとの直接対決を避けた腰抜けかと思いきや、まだまだ出来るじゃないか」
「久藤部長はあなたとの直接対決を避けたわけじゃありませんから!!」
「果たしてそうかな? アイツはこのオレ様に一度も勝った事がないんだぜ? ビビッて逃げ出した腰抜け野郎としか思えねぇな」
「情けない人……今、一番あなたと直接戦いと思っている人が誰なのかわからないんですか? 他の誰でもない久藤部長がそれを放棄して、あたしたちにそれを託した事がわからないんですか!? こんな人が……こんな人が輪界のトップにいるなんて………………」
「相変わらず言ってくれるねぇ、六車のお嬢ちゃん……オレ様の忠告を覚えていないのかな? 生意気な口をきくなと言ったはずだが? 自殺行為だという事、わかって言ってるの?」
「あなたこそ、あたしがそんな脅しには屈しないと言った事、覚えていないようですね」
「そうかい、非常に残念だよ。ほんの少し、手心を加えてやろうかと思っていたんだがね……もう、六車製作所は終わりだな」
「まだ……まだ、そんな事は決まっていません!!」
「決まりだよ、決、ま、り。まさか礼宮院グループに勝てるとでも思ってんのか? このレースが終わったら、親父さんに就職先をすぐに探せって言っておけや。それとも、なんだったら六車製作所をオレ様が買い取って、お前ら家族を従業員として雇ってやろうか? オレ様の下で働くっていうんだったら、温情采配もやぶさかではないぜ? どうだ? ん?」
「恥ずかしい人……どこまで惨めな人なの………………」
「惨めなのはテメェらだろうが!! これ以上、舐めた口きくんじゃねぇ!!」
人の傲慢さがこれほど醜いものだとは……目を血走らせてその醜態をさらす男を目の当たりにして初めて、俺は人間の業の深さというものを実感した。
この手のタイプの人間はどういうわけか総じて沸点が低いらしい。突如として激高するこの男は、周囲の視線もはばからずに悪態をつき続けた――――――。
「………………お兄様、そろそろお許しになって差し上げてくださいまし」
「おう、鈴音……お前もなんか言ってやれや」
「いえ、わたくしは遠慮させていただきます……そんな事より、ウォーミングアップをはじめてください。後半のダウンヒルで巻き返さなくてはならない展開になる可能生が高くなってまいりました……モニターをご覧くださいな………………」
その言葉を聞き、俺たちもモニターに目をやった。するとそこには、久藤さんと天ヶ崎さんの独走状態が写し出されていた。やはり、あの人達は本当に強い……伊達に世界を目指してはいない――――。
「………………ちッ! 調子づきやがって……まぁいいさ、こうでなくっちゃあ面白味がねえからな。おい鈴音、ベンチクルーにDLSの強制発動を支持しろ」
「そ、そんな……!? この段階では早すぎます! このタイミングで発動すれば、トラッカーの身体も精神も持ちこたえられません!!」
「だからなんだよ? 壊れたら、また別のトラッカーをスカウトしてくればいいだろうが?」
「しかし………………それでは……」
「てめぇ……女の分際で逆らうのか? このオレ様が、やれといっているんだよ!!」
「………………………………わかりました」
眉間にしわを寄せ、下唇を噛みしめるような素振りを見せた後、礼宮院会長は装着していたヘッドマウントのマイクにぼそぼそと言葉を発し、そして悲しそうな表情でモニターを見つめていた――――――。
「――なんだ!? 明らかに様子がおかしいぞ……輪、あれって………………?」
「脅迫型精神感応装置……脅迫型のDLSが作動したんです」
「その通り、これがどういう事か……六車のお嬢ちゃんならわかるよな?」
「あなたには……あなたには罪悪感というものがないんですか!? 継続的にあのシステムを使うのは危険すぎます!!」
「やさしいねぇ……しかし、他人の心配をしている場合かい? これで君たちの勝つ可能性はさらに低くなったわけだ」
「久藤部長なら……久藤部長なら、きっと………………」
「きっと? なんだい? まさか、彼ならどうにかしてくれるとでも? ふん、無駄だよ……例えて言うなら、どんなに優秀なアスリートでもドーピングをしている選手に勝てるわけがないのと一緒さ……それが四輪久藤と恐れられた男であってもだ」
「心の底から……心の底から、礼宮院一族を軽蔑します………………」
「おい、何度も言わせるなよ……オレに生意気な口をきくなと何度も言っただろが? テメェ、女に生まれてきたことを後悔させてやろうか? あ?」
「……お兄様、時間がありません…………そろそろ支度をお願いします」
「――チッ……わかってるよ、こんな奴等が相手じゃウォーミングアップの必要なんかねえってのに…………鈴音、さっさと行くぞ」
不遜な態度を改めもせず、礼宮院輌は羽織ったウィンドブレーカーのポケットに手を突っ込み、気怠そうに歩き出した。今すぐ後を追ってぶん殴りたい気分だったが、今の俺には只々、礼宮院輌の背中を負の感情によって濁る視線で見つめながら、硬く握りしめた右腕の拳を震わせる事しか出来なかった。そんな俺を気遣ってか、輪は小刻みに震える俺の拳にそっと小さな手をそえて、フルフルと首を横に振る。暴力では決して何も解決しない事くらいは俺にも解かっている……礼宮院一族に一矢報いる為には輪のいう通り、台車を制する事、このレースを制する事でしか成し得ないのだ。
「――輪、俺の命に代えても、おまえをあんな腐った奴等の慰み者になど絶対にしない……、輪の御両親とも約束したんだ……だから絶対に……、絶対に負けられない!!」
「あたしも、覚悟は出来ています……まだまだ小さな公式戦ですが、でも、礼宮院グループに勝って前例を作る事が出来れば……世界は、きっと………………」
モニターを見つめながら、輪が話をしている最中の出来事だった。
若干下り気味の緩い逆バンクのコーナーで、バランスを崩した礼宮院チームのトラッカーが転倒し、あろうことか、後続の台車に轢かれるというアクシデントが発生する。スピードに乗り、それなりの重量を積む台車に轢かれてはタダでは済まない……骨の二、三本も折れていても何の不思議もないアクシデントだ。誰もがレース続行は不可能だと思っその刹那、俺たちは信じられない光景を目の当たりにする――――――。




