22 六車家
「――はい、あ~ん」
「もう、いい加減自分で食えよ……」
「誰の所為でこうなったと思っているんですか!? それが怪我人に対して言う台詞!?」
「……わるかったよ……ほら………………」
「はい、あ~ん………………」
「………………美味いか?」
「うん……なかなかに美味ですね」
「そりゃ、よかった……怪我も大した事なさそうで安心したよ」
「まぁ、確かに怪我は大した事ないんですがね………………」
「……ミラージュ・ウィザード・カスタムの方が問題か」
「実戦は来週です、完全修復するには時間が足りません」
「俺に出来る事って何かあるかな?」
「マシンに関しては、残念ながら今のあたしたちに出来る事はありません……久藤部長と理亜に任せるしかないですね」
「そうか、本当に残念だ……この期に及んで何もできないなんて……つくづく俺は、無力だな」
「そんな事ないですよ、こっちはこっちで出来る事をしましょうよ」
「今の俺たちに何か出来る事があるのか!?」
「あるに決まっているじゃないですか! 諦めなければ希望はあります!!」
「でも、いったい何をすれば……練習しようにもマシンは使えないし………………」
「今更もう練習はしませんよ。いまからハードな練習をしたって身体を壊すだけで逆効果かも知れませんから」
「じゃあ、何をすれば………………?」
「あたしたち自身のパフォーマンスの向上です……つまり、シンクロ率をより一層高めてコンビネーションプレイの精度を上げるんです。今回の失態は、あたしたちの信頼関係の脆弱さが引き起こした事故だといっても過言ではないでしょう?」
「いや、今回の事故は俺の所為だよ……俺が六車さんの指示を無視したから、こんな事になったんだ」
「それは、あたしに信用度が足りなかったからだとも言えます。あたしに絶対的な実力と信用があったらこんな事にはならなかったんです……もしもローダーがあたしじゃなくて久藤部長だったら、轟さん、久藤部長の指示を無視して暴走しましたか?」
「………………それは……」
「ほらね、しないでしょう? 精神面も含めて、今のあたしたちはまだまだ未熟なんですよ」
「面目ない……六車さんの指示をあの時、俺が……」
「はいストップ! まずはそこから直しましょう!!」
「――はぃ?」
「その六車さんっていうの、そろそろヤメにしましょう……あたしがフェンスに衝突した後に、輪、輪って言ってくれていたの聞こえていましたよ」
「あ、あれは……突然の事だったから………………」
「別にいいんですよ。むしろその方が言いやすいでしょう? 緊急の場合にいちいちム、グ、ル、マ、サ、ン、なんて言いづらいでしょうし、呼称は短ければ短いほど良いと思いますよ」
「まぁ、確かに百分の一秒を争う世界では呼称が短い方が効率的ではあるけれど……」
「でしょ? あたしたちのパフォーマンスを少しでも向上させるには大切な事ですよ」
「わかった……必要な事ならば、そうする。俺の事も名前で呼んでくれていい」
「わかりました、今後はそう呼ばせてもらいますね」
努めて冷静を装い、事務的にそう言い放った彼女だが、伏し目がちに少し泳いだ視線と紅潮した頬が、彼女の照れ隠しの演技を全て否定していた――。元々、愛らしい風体の彼女だが、内面も含めて愛らしいからこそ、こんなにも彼女は魅力的なのだろう。
「――それと、精神的なつながりを強化するためにはもう少しお互いの事を知り、きちんと認識し合わなければならないと思います」
「互いに認識し合うっていわれても………………」
「あたし、明日には退院ですから……明日、六車製作所に遊びにきて下さい。父を紹介します」
「――へ!? 何その急展開!? 明日!? しかも父を紹介って何!?」
「急な話ですみませんが、最後かもしれませんので……六車製作所に来てほしいんです……」
「もう最後かもしれないって……そんな………………」
「以前にもお話しましたが、家の稼業はもう長くはないかもしれませんし、あたしにとっても最後の自由、最後のワガママかもしれないので……だから最後の最後に六車製作所を見届けて欲しいんです」
「………………でも……」
「お願いします………………」
「………………………………ふぅ、わかったよ」
「本当ですか!? ありがとうございます!!」
「約束は守るよ……そのかわり、今日は一日ゆっくり静養する事……わかったな?」
「はい! わかりました!!」
「……ったく、じゃあ今日の所はこれで帰るから、明日はよろしくな」
「はい!!」
満面の笑みでそう答えた輪は、怪我の事などすっかり忘れて一気に万全の体調に回復したように見えた。病は気から、などと良く言われるが、いくら怪我の具合が大した事なかったとはいえ、ゲンキンなものである。彼女のそういう子供っぽくもあり、同時にいかにも強かな女っぽさが今の俺にとっては救いだった。
――そして当日、俺は輪の家に訪問し、久藤さんや天ヶ崎さんとは違い、彼女は割と身近な存在だろうと勝手に勘違いしていた事実に初めて気付かされる。浮世離れした大豪邸に何とも言えない驚きと切なさを感じ、一般庶民の俺は、なんだか卑屈な気持ちにさせられてしまった――――――。
「――狭いところですが、どうぞ」
「……てめぇ、嫌味か……これで狭いとか言われたら、俺ん家なんかどうなんだよ」
「いえ、そういう意味では……理亜や久藤部長の家の方が断然広いですし………………」
「輪界の人間って、みんな大金持ちなのか?」
「うちはそれほどでもないですけど、ほとんどのうちはそうだと思います」
「台車を制する者がすべてを制する……か…………礼宮院会長の家なんか東京ドーム何個分の敷地なんだろうな?」
「世界中に土地があるでしょうから、もう東京ドーム何個分とかの次元ではないと思いますよ」
「そ、そうか……俺、今からでも礼宮院会長に頭下げてこようかな………………」
「ちょっと!? 裏切りは許しませんよ!! ハンドトラッカーとして……いいえ、人として最低の行為です!!」
「冗談だって……そんなに怒るなよ……」
「あたしたちの未来は京一郎さんにかかっているんですからね! 冗談でもそんな事いわないでくださいよ!! そんなにお金が欲しいんでしたらハンドトラッカーとしてトップに君臨してください!! そうすれば欲しいモノはどんなモノでも手に入ります!! まったくもぅ……」
凄まじい剣幕でガチギレされた後、俺は輪に案内されるまま長い廊下を歩き、吹き抜けでやたら高い天井のリビングに通された。
「………………住む世界が違う人だったんだなぁ」
「そんなことないですよ、普通ですってば……」
「……普通……普通ね………………」
現実の不条理さに打ちひしがれていると、リビングの奥からこの豪壮な家には似つかわしくない、油まみれの作業着を着た男がノシノシと俺たちに近づいてくる。
「――パパ!? ちょっと、何よその格好は!?」
「おぉ、輪……すまないね、工場でちょっと作業中だったものでな」
「いいから早く着替えてきて! お客様に失礼でしょう!?」
「そうかい? 着替えてこないとダメかね?」
「いえ、そんな……突然押しかけてきたのは自分ですし、お気になさらないでください」
「ほら、輪……彼もそう言ってくれているよ?」
「京一郎さんも気を遣ってくれているんです! まったくもぅ……」
「――はっはっはっ! いやいや、本当にこんな格好ですまないね……確か轟京一郎くんっていったね? 娘から話はいろいろと聞いているよ。なんでも君は、もしかしたら救世主かもしれないんだってね?」
「いえ、そんな……救世主だなんて………………」
「なんでも特殊な能力を持っているそうじゃないか? いやはや、まだ若いのに大したものだ」
「とんでもありません、娘さんが過大評価をし過ぎているだけです。現実は、彼女に迷惑ばかりかけてしまって……先日のレースでの怪我もほとんど自分の所為ですし……なんか本当に申し訳ない気持ちです………………」
「まぁ、レースに怪我は付き物だがね……しかし、そこまで思ってくれているのなら、責任をとって結婚をしてくれれば娘の怪我の事は水に流そうじゃないか。っはっはっは!!」
「ちょ!? ちょっと!? パパッ!!」
「冗談だよ、冗談!! っはっはっは!!」
「もう、本当にいい加減にして!! 京一郎さん、なんかすみません」
「いや、気にしないでいいよ。ちょっとだけ、ドキッとしたけどね」
「おお、そうだ。ところで輪、悪いが地下の作業場に行って母さんにこれを渡してきてくれ、大事な鍵をついポケットに入れたまま持って来てしまったよ」
「そんなの自分でいって来てよ!」
「おまえなら母さんにグチグチ言われないだろ? それと、ついでにお茶とお茶菓子くらいは持ってくる気遣いをみせたらどうなんだ、すぐに駅前のケーキ屋にでもいって買ってきなさい」
「んもぅ、これからお出ししようと思っていたんです!! ……本当にすみません、お茶の一杯も出さずに…………」
「いや、そんな……気を遣わなくてもいいから………………」
「ぐずぐずしてないで、早くいってきなさい」
「わかってるわよ! 京一郎さん、すみませんが少し席を外しますね」
彼女はイラッとしながらも父親から鍵を預かり、やたらと落ち着きのない素振りでパタパタと地下にある作業場とやらに向かい、そしてそのまま買い物に出かけてしまった――――――。




