21 事故
「――兄ちゃん、なかなか根性あるねぇ! まだ技術は未熟だが、その熱意は褒めてやるぜ!」
「未熟なことくらい、言われなくても解かってる! だから根性で踏ん張るしかねぇんだよ!!」
「若いっていいねぇ……よし! もう、レースも終盤だ! お互いに最後まで踏ん張ろうぜ!!」
熟練の猛者にそう言われ、少し馬鹿にされているような気もしたが、しかし今はそんな些末な事を気にしている場合ではない。確かにレースはもう終盤、残す大きなポイントは二つだけ。一つは傾斜のキツイ下り坂のストレート、そしてもう一つは、このストレートを抜けてすぐに角度のあるコーナーだ。このコーナーを抜けてしまえば、後は真っ直ぐに走りゴールラインを目指すだけ……後二つ、後二つの難所を上手くクリアできれば、勝利をつかめるハズだった。
「轟さん、次は下りのストレートです! オーバースピードとコントロールには気を付けて!!」
「わかってる! ギヤを変えて一気にストレートに入るぞッ! ウェイトは少しだけ後方部に集中してくれ!!」
「了解しました! 車体の安定と振動の相殺はこっちでやりますから、轟さんは操台に集中してください!!」
そう言い放ち、六車さんは車体後方部へとウェイトをシフトする。そして同時に車体の安定性の確保と空気抵抗を減らす為、進行方向に背を向けて身を引くした――。
スピードが乗り過ぎれば、当然コントロールは難しくなる。一切のぶれもなく、真っすぐ走る事は簡単そうで意外に難しいのだ。しかし、割と良好なマシンの調整と六車さんのサポートによって、どんな猛スピードでも今回は上手くコントロールできそうな気がした。だが、その過信が最悪の事態をまねく事になる――――――。
「――よし! 直滑降で一気に行くぞ!!」
「押せるだけ押して、足がついて行かなくなったらすぐに乗り込んでください!」
下り坂のストレートに入った直後、俺は全力でマシンを押す――。
前半の加速さえうまくいけば文字通り、加速度的に後半のスピードのノリが変わる。経験とテクニックで後れを取っている俺たちには、まさに勝負の分かれ目だった。そして、スタミナを気にせず、全力で押し切った事が功を奏し、確実に相手を抜き去る事ができる勢いだった。
「轟さん、そろそろブレーキングポイントです! 減速をはじめてください!」
「まだだ、まだいける!!」
「これ以上は危険です!? 曲がりきれません! 減速してください!!」
「いや、まだだ! 奴等より先にコーナーに入る為には、もう少し……」
「……トマレ、トマルンダ………………」
「――!? えッ!? 今、だれか何か………………?」
「轟さん、よそ見しないで!! 轟さん! 轟さんッ!!」
集中力を欠き、勝負にかまけて冷静さを失った俺の凡ミスだ。ギリギリまで加速して相手を抜き去った後、カーブ直前で急ブレーキをかけて最後のコーナーを曲がるつもりだった……。しかし、そんな物理法則を無視した手段がうまくいくはずもなく、コーナーを曲がるどころか、加速し過ぎた所為で俺の走力が追いつかず、マシンを降りてからすぐにコントロールを失ってしまい、そのまま暴走を始めるマシンと共に六車さんは成す術もなくコースアウト……そしてコーナー脇のフェンスに激しく叩きつけられた――――――。
「――マジかよ……六車さん……起きてくれよ………………おい、冗談止めろよ……目を覚ませよ、輪……輪ッ!!」
「――落ち着けボウズ! レースに事故は付き物だ、こういう時に冷静さを失ったら事態は増々深刻になる……とりあえず落ち着くんだ!!」
「し、しかし………………」
「もしかしたら、頭を強く打ってしまったかもしれねぇ……無理に身体を動かすな…………」
「輪……、輪………………俺の所為で……俺の所為で………………」
「すぐに救護班がくるから、それまでそっとしておいてやれ………………」
自分の愚かさと未熟さ、それに加えて何もできない自分の無力さを痛感させられる。どうしてもっと冷静になれなかったのか、なぜ経験豊富なローダーの彼女の言う事をちゃんときかなかったのか……まさかこのような事態に落ちいてしまうなんて夢にも思わず、想像力を欠き、暴走してた自分の浅はかさを悔やんでも悔やみきれなかった。
しばらくして救護班が駆けつけ、六車さんを医務室まで担架で運び、適切な処置を施した後、天ヶ崎さんに付き添われて彼女はすぐに、救急車で近場の大きな病院へと搬送されていった。その後の事は、なんとなくしか覚えていない……当然の事ながら練習試合は中止となり、バタバタと各自が事後処理に追われ、慌ただしく動き回るのを茫然と見ている事しか出来なかったような気がする。何とも言えない無力感や脱力感、それに加えて訳のわからない焦燥感も入り混じり、まともに精神のバランスがとれていない状態だった。それをみかねて久藤さんが俺に帰宅命令を下したが、ひどく責任を感じていた俺は断固拒否するも、激しく怒りを露わにする久藤さんをはじめて見て二の句が告げなくなってしまった俺は、抵抗虚しく現地のスタッフさんに付き添われ、移動用の軽自動車で半ば強制的に自宅まで連れ帰られた――。
――――――明朝、茫然自失状態の俺に、病院へ付き添った天ヶ崎さんからメールが届く。実際の所、怪我の程度は大した事ないらしく、軽い脳震盪と打撲くらいで済んだそうだ。
あれほどの勢いでフェンスに全身を強打したにもかかわらず、その程度で済んだ事はまさに不幸中の幸いという奴だろう。しかし、打撲の方は一週間では完治しない様子で、来週の本戦に悪い影響が出てしまう可能性は否めない。それに加えて泣きっ面に蜂とでもいうのだろうか、肝心要の台車の方にも相当なダメージがあったらしく、来週の本戦までに修理と調整が完全に終わるかどうかも定かではないらしい。すべては自分の責任、俺自身の甘さが招いた結果だ。
責任の取りようもないが、もし俺に出来る事があるならば、どんな事でもする覚悟だった。そして、天ヶ崎さんからの勧めもあって、さっそく夕方にでも見舞いに行く事に決めた。何を差し置いても、まずは面と向かって謝らなければならない……平手打ちの一発も覚悟して俺は、重い足取りで病室へと向かう。そして、病室のドアをノックして、彼女の返事を確認した後、俺はどんな顔をしたらいいのかわからないままに入室し、ベッド脇の小さな丸椅子に腰をおろした――――――。
「……えっと、その………………なんていうか………………」
「………………………………………………」
「……あッ!? これ、お見舞いの御菓子とフルーツなんだけど………………」
「………………………………………………」
「ひょっとして、甘いものが苦手……とか………………?」
「………………………………よくもまぁ、シレッと顔を出せましたね」
「いや、その……そういうつもりじゃ………………………………」
「まず最初に言うべき事があるんじゃないですか?」
「……本当にゴメン! これは、俺の未熟さがまねいた結果だ……本当に申し訳ない!!」
「………………………………ぷっ、あははは! 冗談ですよ、冗談!! レースに事故は付き物ですし、どんな結果になっても、それはトラッカーとローダーの連帯責任ですから、気にしないでください」
「おいおい、勘弁してくれよ……このタイミングでそれは、マジで洒落にならねぇって……」
「あはは、すみません。何だか急に、ちょっと意地悪したくなっちゃたんですよね」
「なんでだよ……? ささやかな復讐か? ……ったく、ほら……好きなの食えよ」
「皮をむいてもらわないと果物は食べられませんよ……あと、お菓子の封も全部切っておいてください。後で食べますから」
「……うわぁ、めんどくせぇ」
「はッ!? 何か言いましたか!?」
「いいえ、なんにも……仰せのままに………………」
「わかればよろしい」
彼女は俺に気を遣って連帯責任なんて言ってくれたが、しかし、今回ばかりは全面的に俺に非があるように思えてならない。そんな心情も手伝って、なんとなく逆らえない空気にあてられた俺は、彼女にいわれるがままにフルーツの皮をむき、一口サイズに小分けにした水菓子を丁寧にひとつひとつ、フォークで彼女の口へと運んで行った――。




