17 台車の魔力
「――皆、ご苦労さん。かなり厳しい事も要求してきたが、どうにかその要求に応えてきたくれた事を嬉しく思う」
「これで俺も、少しは強くなれましたかね?」
「練習を怠らなければ問題ない、轟くんは大会まで休まずに基礎動作だけは繰り返し、反復練習を決してサボらない事を心がけてくれたまえ」
「わかりました!」
「轟さん、あたしも練習に協力しますよ! 放課後はコンビネーションの練習もしましょう!!」
「サンキュ……俺たちはチームだからな、これからもよろしく」
「はいッ!!」
「――という訳で、短い間だったがこれにて合宿は終了だ。今日の夜は十分に休息を取ってくれたまえ……それでは、解散ッ――!!」
久藤さんのその一言で、ピンッと張りつめた空気は一気に弛緩し、やわらかくてあたたかい空気が蔓延する。こころなしか幾分、身体が軽くなったような気さえした――――。
「みなさん、おつかれさまなのですぅ……今日の夜は打ち上げも兼ねて、ウチの技研スタッフが軽い宴席を設けてくれましたので、楽しんでいって欲しいのですぅ」
「いいですか、天ヶ崎さん!? あ……でも、明日は学校が…………」
「明日の心配はしなくてもいいのですよ? ちゃんとウチのスタッフが車でみなさんの家まで送るのですぅ」
「そうなんですか? なんか至れり尽くせりで申し訳ないですね……」
「気にしなくてもいいのですよ? この合宿中に様々な実験データをとらせていただきましたから、お互い様なのですぅ」
「そ、そうなんですか……いつの間に……じゃあ、お言葉に甘えて………………」
――こうして打ち上げという名のミーティング……いや、ここまで来ると反省会といっても過言ではない、なんだかよくわからない宴が始まった。とはいえ俺は、ひたすら六車さんからのダメ出し攻撃に耐え続ける単純作業で、とても楽しめる雰囲気ではなく、久藤さんも天ヶ崎さんも研究スタッフとデータの解析だのなんだので遊んでいる雰囲気はない――。
和気藹々としてはいるものの、やはり皆、どこか熱くて、各々が饒舌に持論を展開していた。そんな周囲の熱意が心地良くもある。苛酷な練習で火照った心と身体にはそれくらいの熱気が丁度良いのかもしれない。そんなこんなで時間はあっという間に過ぎ去り、いつの間にか夜も深い時間帯に入ろうかとしている……あまり遅くなる前に、手配されていた車に各々は乗り込み帰路に着く。そして俺もうつらうつらとしながら、家路についた……風呂に入ったところまでの記憶はあるのだが、そこから先の記憶はなく、意識を取り戻してみると、窓から差し込む光の量と耳障りなカラスの声で日付がとっくに変わっている事に気付く――。
思いのほか早い時間に起きてしまった所為か、なんだかずいぶんと長い夢を見ていたような感覚だ……しかし、両手に残る多数の血豆と鈍い痛みが俺を現実に引き戻し、夢であることを完全に否定していた――――――。
「――そうか……今日から、また学校なんだな……なんか信じらんねぇ………………」
現実である事を明確に認識しているが、どういう訳か実感が全然ない――。
長かったような、それでいて短かったような矛盾した感覚の合宿を終え、俺は登校するための準備を進めながら、ぼんやりとした感覚を持て余していた。
「――――――行ってきます」
あまりに早い時間帯であるが故に当然、家族からの返事はない。ぼんやりとした意識と時間を持て余していた俺は、何をするでもなく、なんとなく学園の備品室に向かっていた。早起きして登校するなんて、いまだかつてなかった事だが、現実味のないこの感覚を払拭するため、一秒でも早くハンドトラックに触れたい気分だった。冷静になって考えてみると、もはや俺は只のマニアか異常者だ……一秒でも早く台車に触れたいなどと考える高校生がはたしてほかにいるだろうか――。一部の例外を除いて、そんな人間がいるはずもない……いつの間にか俺は完全に別世界にどっぷりと浸ってしまっていたようだ――――――。
「――――――あれ? 開かない……」
準備室に辿り着き、扉を開けようとしたのだが、よくよく考えてみれば当然の話で、様々な備品が保管してある場所に鍵がかかっていない訳はないのだ。
「……本当に頭が働いていないな……なにやってんだろ、俺………………」
他にやる事も思い浮かばなかった為、相当の暇を覚悟して、学園の周囲でも散策しようと備品室を後にしたその直後、めずらしく俺のケータイから着信音が鳴り響く。
「――六車さん? おはよう、随分と早起きだね」
「え!? 轟さん!? お、おはようございます……轟さんこそ早起きですね」
「いや、早起きっていうか……なんか勝手に目が覚めちゃってね」
「そうなんですか? 轟さんの事だから、どうせ爆睡しているだろうから起こしてやろうかと思っていたのに……残念です」
「ははは、残念でした……ところでさぁ、六車さんって備品室の鍵、持ってるよね?」
「――? はい、もちろん持ってますけど……」
「よかった……じゃあさぁ、悪いんだけど、早起きついでに備品室の鍵を持って来てくれない? 今、備品室の前にいるんだけどさ、鍵が開いてなくて暇してたんだよね」
「へ!? 備品室にいるんですか!? あたしも今、ちょうどそっちに向かっているんですよ!?」
「そうなの!? 偶然だね!? じゃあ待ってるから、早く来てよ」
「わ、わかりました! 急いでいきますね、それじゃあ、また後で!!」
そして通話を切って間もなく、ハァハァと息を切らせ、ほんのりと頬を紅潮させた六車さんと合流する。落ち着きがないというか、律儀というか……なんともいえない彼女独特の小動物っぽいパタパタとした感じが俺の心を和ませてくれる――。
「――お、お待たせいたしました! 早速、鍵を開けますね!」
「なんか悪いね……ありがとう……」
開錠後、六車さんはグイグイと扉を開ける。すると薄暗い室内の中に、使い古された訓練用のハンドトラックが無造作に放置されていた。
「……なんか、哀愁を感じてしまうな………………」
「ハンドトラックにですか?」
「うん……まさか台車に哀愁を感じるようになるとはね……俺は、完全にアレな人になってしまったようだ………………」
「アレな人ですか……まぁ、一般的にみると確実にアレですよね……でも、あたしも同じアレな人ですから」
「……そうだね、お互いにアレな感じで……もうどうしようもないね」
「えへへへ、その通りです、もう引き返せませんよ! これが台車の魅力……いいえ、台車の魔力なんです!!」
「何故にそんな嬉しそうな顔を……? まぁ、いいけど……、でも確かにそうだね……どうやら俺は、気付かないうちに台車の魔力にとり付かれてしまったようだ」
「毒を食らわば皿まで……ですよ! ここまで来たら、もう行けるところまで行きましょう!!」
「うん、その通りかもしれない……よし! せっかくだから朝練でもするか!!」
「そうですね、ぼーっとしていても仕方がないですし、賛成です! お供します!!」
「よし! じゃあまずは基礎練習をやって、その後はコンビネーションだ!!」
「はい! ビシビシいきますよッ!!」
――まさしく青春、それも絵に書いたようなわかりやすい青春である。
やっている事は少々風変わりな競技だが、さわやかな朝日の下、女の子と二人で朝練に勤しむなんて、まるで夢の様なシチュエーションだ。しかし、夢は所詮は夢でしかない。やまない雨がないように、覚めない夢もないのだろう……シャラシャラと物静かに鳴り響く鈴の音が、俺たちを現実世界へと引き戻す――――――。




