16 合宿Ⅲ
「――六車さん、大丈夫?」
「あたしは、全然問題ないですよ……轟さんこそ、大丈夫ですか?」
「……あぁ、今度こそ上手い事やってみせるよ」
「轟さん、あんまり深く考えずに、感覚を大事にしてくださいね……轟さんの感性で操台すれば間違いないですよ」
「ありがとう……やってみるよ………………」
彼女の言葉に少し救われたような気がして、気持ちがふっと軽くなった様な感覚に陥る――。今度は砂袋なんかじゃない……今、載せているのは大切な存在なのだ……もし勢いよく転んで彼女を落としたりしたら、すり傷や切り傷程度では済まないかもしれない……そう考えるとただ単純に荷物を積んでいただけの状態よりも遥かに身の引き締まる思いだった。お客様の荷物を安全に確実に、且つ迅速に運ばなければならないという事の意味が少しわかったような気がした――――――。
「――俺のタイミングで行っていいかな?」
「もちろんですよ、いつでもどうぞ……」
全神経を集中し、俺はタイミングを見計らう……するとローダーの六車さんの呼吸やリズムが感じ取れた。さらに集中力を高めて呼吸のリズムを彼女に合わせて、呼吸と気持ちが重なり合った瞬間、俺は迷いなく急斜面を滑走する――。そして、さっきまで重々しかった訓練用のハンドトラックが嘘のように軽快にさばけている事に気付く。
「――!? 今回はイケるか!?」
「バランスとウェイトシフトはこっちでやります! 轟さんはスピードとベクトルに気を付けて操台に集中してください!!」
「わかった、やってみる!!」
俺は、彼女のナビゲーション通りにハンドトラックを動かす――。どのラインを通るのか、インから攻めるのか、アウトコースをあえて選ぶのか、俺は彼女からの指示を言葉ではなく、ウェイトシフトという彼女のローダーとしてのセンスに従った。
「す、すごい……こんなに操台感覚が違うなんて………………」
彼女のウェイトシフトによって、俺は腕の力をほとんど使わずにハンドトラックを操作する事が出来た。ひたすら重心を安定させて真っすぐ走れば、基本的には彼女が向かうべき方向へと導いてくれた。通常の荷物と違い、彼女はバランサーとしての機能も果たしており、彼女自身が安定しているので落ちる事もないだろう。荷崩れの心配がなければ、もっとスピードを乗せられるし、大胆なコーナリングも可能だった――――――。
「次のコーナーは一気に曲がる! ウェイトシフトを頼んだぞ!!」
「まかせてください!!」
やや角度のきついコーナーに俺たちは、スピードを殺さずに突っ込む――。しかし、彼女の徹底したウェイトシフトによって、一人では苦戦していたコーナーをあっさりクリアできてしまった……そして、先程まで苦戦していた数々の難所を彼女のおかげで軽々とクリアし、そのまま一気に突き進み、ゴールラインを突破した――――――。
「………………信じられない、こんなにも感覚が違うものなのか……?」
「おつかれさまでした。轟さんはやっぱり凄いです!!」
「あ、いや……俺は、何もしていないような………………」
「そんなことないですよ…………瞬間的に感覚をつかんでここまで出来るのって、やっぱり、轟さんのセンスなんだと思います」
「……ありがとう」
「さぁ、上に戻って久藤部長に報告しましょう」
三度目のトライにしてやっと、納得のいく結果を出せたと思う――。とはいえ、自分の実力ではなく、ほとんどが六車さんの功績なのは言うまでもない。情けなくも思えるが、彼女さえいてくれれば、俺はここまでやれるんだという事が妙に誇らしくもあった。そして今度こそ、久藤さんにお褒めの言葉を頂けるだろうと内心ほくそ笑んでいたのだが、しかし、久藤さんの理想は思っていた以上に高いらしく、今回もまた、俺の天狗っ鼻はへし折られた――――――。
「――まぁまぁ、かな……とだけ、言っておこうか………………」
「まぁまぁ!? 初心者が感覚だけでアレだけのことをやってのけたんですよ!? それなのに、まぁまぁって……!?」
「勘違いされては困るね、六車くん。僕の『まぁまぁ』はかなりの高い評価だよ……しかし、僕の理想とは程遠い………………」
「理想論を語られては誰だって手も足も出ませんよ! それともなんですか!? 久藤部長はその理想を体現できるとでもいうんですか!?」
「いや、残念ながら僕自身も理想とは程遠い…………しかし、今さっきの君たちよりかは遥かに理想に近いがね」
「……言ってくれますね、だったら御手本を見せてくださいよ」
「………………だそうだよ? 天ヶ崎くん、どうするね?」
「仕方がないのですよ? ……残酷かもしれませんが、やってあげるのが良いと思うのですぅ」
「まぁ、天ヶ崎くんがそういうのなら、やってみせようかね」
――そういうと久藤さんは訓練用ハンドトラックを軽々とさばいてスタートラインに立ち、天ヶ崎さんをローダーに据えて、互いの感覚を確かめあうように準備運動をしながら、呼吸を合わせていた。
「僕が、伊達に四輪久藤のふたつ名を冠している訳ではないところをみせてやろう……準備はいいかね、天ヶ崎くん?」
「オッケーですよ? いつでも問題ないのです」
「では早速……行くぞッ!!」
久藤さんの発した気合いの声と共に勢いよく、訓練用ハンドトラックは急斜面を滑降する。アームレスリングで例えるなら、対戦相手の手を握った瞬間に圧倒的な力の差を感じ取るような……もしくはピアノで例えるなら、一曲弾くまでもなく、達人が指の運動程度にピアノに触っただけで、素人とはまるで次元が違うという事がわかるように、久藤さんが急斜面を直滑降で降りはじめたその刹那、俺なんかとは実力が雲泥の差なのだという事が瞬時に感じ取れた。
実力の差が微差ならば、悔しさをバネに反骨精神も沸き起こりそうなものなのだが、しかし、あまりの実力差と華麗さ故に、悔しさや、妬みや嫉妬心というものを俺は、完全にどこか忘却の彼方へと置き忘れてきてしまい、只々、茫然自失状態だった……それくらい久藤さんの台車さばきは華麗で見惚れてしまうパフォーマンスだった――――――。
「――さて、これくらいで納得してもらえるかな?」
「久藤部長……去年とは比較にならないです……たった一年で、どうして……?」
「六車くん、僕はいずれ世界のトップレベルの連中と本気で覇権を争うつもりだ……その為なら努力を惜しまないさ」
「久藤さん……おみそれしました。調子に乗っていた自分が恥ずかしいです」
「いや、轟くんは確かにセンスはあると思う。だから早いところ、その才能を開花させてくれたまえ……その為なら僕が出来る事は何でもするつもりだ」
「あ、ありがとうございます!!」
「という訳で、ビシビシ指導をしていくからな! 覚悟をしておいてくれたまえよ!!」
こうして俺たちは久藤さんの底知れない実力を目の当たりにし、尊敬の念と共に指導者としての資質も包括的に認めるところとなった。そして、想像を絶する久藤さんの厳しい指導を受け、苛酷な練習メニューをこなしていく事になる――。数日で身につけたつもりだった基礎動作も、今度は大量の砂袋を搭載したハンドトラックで再び叩き込まれ、さらに、安定性を増すためにグラスに入れた水を一滴も溢さずに操台をする精密さも求められた。慎重で正確無比、それでいてダイナミックな操台技術の習得を余儀なくされ、その上、コンビネーションの訓練もメニューに組み込まれ、俺と六車さん両者共に、身体的にも精神的にも極限まで追い込まれる程の苛酷な訓練だった。しかし、これほどまでに苛酷な訓練にもかかわらず俺も六車さんも、そして久藤さんも天ヶ崎さんも誰も途中で根をあげる事をせず、最後まで自らの責務を成し遂げた。この事実がどれだけの結束力を促すか、そしてどれほどの自信につながるかは想像に難くなかった――――――。




