01 台車
台車という言葉を聞いて、普通の人は一体どんなモノを想像するのだろう――――――。
一般的には、車輪が下部に四つ付いており、重い荷物を運ぶ時に使う便利なモノを想像する人がほとんどだろう……むしろ、それ以外を想像できる人間が身近にいるのなら会ってみたいものである。
イメージとしては、宅急便屋さんや引越し屋さんなどの作業服を着た従業員が額に汗して、ガラガラと台車を押しているイメージが強いのではないだろうか。たしかに、台車という言葉からは華やかなイメージやおしゃれなイメージ、もしくは地位、名誉、名声、そして一攫千金を夢見る猛者たちのマストアイテムであることをイメージできる人間はまずいないであろう。
かくいう自分もそのひとりで、台車というものに夢や希望、成功のイメージを抱いた事など当然ない。ましてや台車を制する者がすべてを制するなんてことを想像した事すらない――。しかし、とあるほんの些細な事件をきっかけに、この台車に対する自分のイメージは一変する事になる――――――。
「ふぅ……、やっと終わったよ……しかし、どうしてこうも、学校の授業というのは退屈なのかねぇ………………」
「どうした、京一郎? ダルそうにして?」
「いや、別にどうって事はないんだけど……なんとなく、時間を持て余していてな…………」
「そうなん? じゃあ学校も終わった事だし、たまには女子も誘ってどこか遊びに行かない?」
「ん~ごめん……今日はパス、なんか本当にダルくてさ」
「大丈夫か? まさか、病気か何かじゃ……熱は?」
「いやいやいや、そんなんじゃねぇって……身体はいたって健康そのもの、体調は万全さ」
「だったら、どうしてそんなに鬱々としているんだよ?」
「それがねぇ……なんとなくとしか言えないのがつらいところなんだよねぇ………………」
「ふ~ん……まぁ、いいや。じゃあ元気な時にまた、遊びにでも行こうぜ」
「おう! なんか気を遣わせてゴメンな……ホント、ありがとう――――――」
友人からのせっかくの誘いを『なんとなくダルいから』などという舐めた理由で無下に断り、まさに俺は、なんとなく茫然と放課後の教室で佇んでいた。特に何か不満があるわけでもなく、また特に財閥の御曹司だとか、ファンタジー物の主人公のように特殊な能力を有している等の特別な立場にいるわけでもなく、ごく普通の家庭に生まれ、ごく普通の高校二年生の十七歳で、学校の成績も調子が良ければ、上の中の下くらいの成績でとりわけ秀でたものがあるわけでもなく、良くいえば浮き沈みのない順風満帆な人生なのかもしれないが、悪くいえば山もなければ谷もない、面白味のない人生とも言える。
何の不満もない時点で決して不幸ではなく、むしろそれこそが幸せと言うべきものなのだろうが、俺は青春時代特有の良くある、典型的な疑問の壁にぶつかっていた……マリッジブルーなんていう言葉があるが、あれとよく似た感じの悩みのような気がする。結婚を控えた女性が、いざ結婚の直前になると『本当にこの人でいいのかしら?』と突然疑問を持ち始めるらしい。
よくよく考えれば結婚できる相手がいるだけでも幸せな事なのに、その事を完全に見失い、自らの幸せに疑問を抱くようになるというのだ。この現象と照らし合わせると、自分の境遇と本質的には酷似しているように思えてならなかった。おそらく自分はこの先、大学受験をして、受かれば大学に通い、そして卒業して、就職して、結婚もして、そこそこの人生を送る……、いわゆる普通の人生を送る事になるのだろうなどと漠然と考えていた。
この不景気に普通を維持するには、尋常ならざる努力が要求される。普通の人生を送るには普通以上の努力が要求されるのが現実なのだが、それでも普通の人生を送る事に疑問を抱かずにはいられなかった。普通の高校生なら、将来は弁護士になりたいとか、医者になりたいとか、果ては歌手や芸人、芸能人になりたいなどの夢があるのが当たり前なのだろうが、そういった具体的な夢や目標もなく、漫然と日々を過ごしている自分が熱くなれるはずもなく、考えなくてもいいような事をつい考えてしまうのも当然の事だったのかも知れない――――――。