06.目指す場所は
「あ、そうだ。ノア様、髪を整える前に、食器を片付けさせてもらって良いですか? ここ、水に浸けておく場所が無いので、早めに洗いたいんです」
「そういえば、食器の片付けがまだだったね。勿論、構わないよ。ありがとう」
「いえいえー。それに、こちらこそちょっと手際が悪くなっちゃって申し訳ありません」
この小屋は、元は物置小屋だから、キッチン設備は存在しない。
小屋のすぐ傍に川が流れているため、そこへいけば洗い物くらいは手伝えるが、きっとリーゼはそうはしないだろう。
任せっきりで申し訳ないけど、静観することにする。
部屋の中央に置かれた椅子に腰掛けたまま、リーゼへ目を向けた。
「今だから言えることなのかも知れませんけど、やっぱりノア様のスキルが『継承』だけだったのはおかしいんですよね」
リーゼは、食事に使ったお皿や食器を集めながらそう口にした。
「どういうこと?」
「だって、ノア様、模擬戦だとクラウスさ……あー、もう呼び捨てで良いや。クラウスに負け無しじゃないですか。『魔剣術』レベル二のクラウスを寄せ付けないんだから、スキル無しだったってことの方がおかしかったんだと思います」
「まぁ、兄さ――僕も呼び捨てにしよう。クラウスは、ちょっと挑発すると直ぐに乗ってくれる直情的な人だったから、戦いやすかったって言うのもあるんだけどね」
純粋に剣術を競い合うなら、僕が一方的に勝つなんてことは無いのだろうけど、戦闘中の駆け引きや挑発なんかが凄く効果的な性格だったから、勝つことだけは簡単だった。
ちょっと挑発したらすぐ乗ってくるし、自分が強いと思っているからフェイントも殆どしない。新しく覚えた技を使いたがるから、どの技を最初に繰り出してくるかも簡単に予測できる。だから、試合に勝つだけなら簡単だった。
そんなことを思い出していると、リーゼは中空に直径一メルトほどの水球を作り出した。
彼女が得意な『生活魔術』だ。
「ていうか、いつ見ても凄いよね、その魔術。クラウスの魔術なんかよりよっぽど強そうなんだけど」
リーゼは、中空に浮かんだ水球の中に、ぽいぽいっとお皿や食器、お鍋なんかを押し入れていく。
とぷん、と桶に張った水に入れるような音を響かせながら、食器達は水球の中に綺麗に並んで入った。
「えー、普通の『生活魔術』ですよ。もう、この魔術無しだと、私は生きていけないかもしれません。便利さは毒ですねっ」
全ての食器を入れた後は、浄化の性質を重ね掛けて、水球の中の水を一気に回転させる。
すると、みるみるうちに汚れが取れ、食器がぴかぴかに洗われていった。
綺麗になった食器は、自動で水球から出て、直ぐ近くのテーブルに積み上げられていく。
そして、全ての食器が綺麗にテーブルに並んだのを見計らい。
「これで、終わり~。きらりんっ☆」
水球はふよふよと、細長い楕円形に形を変えながら窓から外へ出て、小屋の直ぐそばを流れている川の上まで行く。そして、『きらりん☆』の合図と共に綺麗に消え去った。
余った水は川に流し、汚れは何処かへと消え去っていく。浄化の特性故らしいのだけれど、全く意味が分からない。
しかも、残った食器はリーゼの目の前に現われた黒い穴の中に、ぽいぽいっと仕舞われていく。
リーゼ曰く、メイドの嗜みの一つである『収納術』らしいのだけど、絶対違う気がする。
「お片付け終了。きらりんっ☆」
あ。黒い穴が消えた。
「それ、亜空間収納とか、そんな感じの魔術じゃないかって思うんだけど」
「えー、『生活魔術』の収納術ですよ。スキル情報にもそう書いてありますし」
確かに、彼女のスキル情報は見せて貰ったことがあるから、彼女の言う通りだってことは分かるんだけど……。
本には“効率的に収納を行えるスキル”って説明されていただけだったと記憶してるんだけどなぁ。
解せぬ。
「というわけで、ちゃっちゃとノア様の髪を整えましょう。イメチェンイメチェン」
リーゼがエプロンの裏側に手を入れて、もう一度外へ出す。
すると、右手には銀色のハサミと木製の櫛、左手には大きな布が握られていた。
「それも、メイドの嗜み?」
「はい。生活に必要なものは一通り揃えてます。えへん」
リーゼは、エプロンの裏やスカートの中から、色々な物を取り出す。
例の『収納術』を使ってやっていることだとは思うけれど、本当に色々な物が出てくるのだ。
櫛とハサミはテーブルに置いて、布を僕の首回りに掛けるリーゼ。
非常に手際が良い。
「お客様、本日はどのようにいたしましょう?」
櫛で髪を梳かしながら、少し作ったような声色で雰囲気を出すリーゼ。
「お任せするよ。あ、でも、大人びて見えるような髪型が良いかな」
「それは無理ですねー」
「おいっ?」
「幼めなお顔をどうにかしてからいらしてください」
「……気にしてるのに」
「私は好きですよ?」
ちょきちょき。
リーゼの手元に迷いは無い。
元々、僕の髪はいつもリーゼに整えて貰っていたのだから、当たり前と言えば当たり前なのかも知れないけど。
はらりはらりと落ちていく銀色の髪。
何気なしにそれを見ていると、リーゼが話しかけてきた。
「ノア様、これからどうしますか? 予定通り、ラマーレ王国を目指すんですか?」
「それなんだけどね……」
僕は、眼を閉じた。
簡単にイルテア大陸の状況を説明しておこう。
僕達がいるイルテア大陸は、とても乱暴に言うと、やや横長の楕円形になっている。
その中で、人類が生存しているのは南西部の凡そ四分の一にあたる部分だけで、残りの四分の三は魔王国――つまり、魔族の支配圏となっている。
人類の生存圏から見て、北方には険しい山脈が、北東部には深い森林地帯が、東部には広大な湿地帯が、魔王国との間に広がっていて、これらが自然の要害となり、魔族の侵攻を防いでいる。――と言うのが、人類側の見方だ。個人的には魔族に『山とか森とか湿地とか、態々越えて人族の国に行くのは面倒くせーな』って思われてるだけのような気がするけど。
そして、人類生存圏のほぼ中心に存在するのが、イルテア聖教の教皇が治める、イルテア聖教国だ。
国土は小さいながらも、イルテア聖教の影響力は大きく、人類国家の中心とも言える立ち位置にある。宗教の力は絶大で、イルテア聖教国が一番お金持ちだ。お金があれば軍備を整える余裕も生まれ、軍事力が強くなる。だから、発言力が強くなる。
イルテア聖教国の東に隣接しているのが、今僕達がいるテールス王国。人類国家の中で一番の国土を有しており、かつ、その大部分が肥沃な土地であることから、豊かな国となっている。国力としては、イルテア聖教国に並ぶ強国だ。
テールス王国の北、イルテア聖教国から見ると北東には森林地帯が広がっており、その森の中にエルフ達が多く住むシルウァ王国がある。
更に、イルテア聖教国の北には、ドワーフ達が多く住むサンクガイアドバーグ王国がある。その国土は山岳地帯が多く占めているのだが、鉱物資源が豊富なため、ドワーフ達からしてみれば天国のような場所、らしい。
リーゼとの会話の中で出てきたラマーレは、イルテア聖教国の西から南、更にはテールス王国南西までの海岸線沿いに細く長い国土を持った国家だ。個体数は少ないが、人魚族が暮らしていることでも有名な、海洋国だ。
現在は、イルテア聖教国、テルース王国、シルウァ王国、サンクガイアドバーグ王国、ラマーレ王国の五国が、人類の主要国家となっている。
人類国家はいずれの国も友好的な関係を結んでいる。これは、この大陸に住む人類に平和主義者が多い――という訳では無く、魔王国という強大な共通の敵がいるというのが一番大きな理由だ。
人類同士で足の引っ張り合いをしている余裕が無いってことだね。
そんな中、僕は、ラマーレ王国へ逃れる計画を立てていた。
ルートベルク公爵の追跡を振り切っても、テールス王国に居る限り、ルートベルク公爵の影響は及んでしまう。テールス王家だって敵になるかも知れない。
他国に逃げれば安心という訳では無いが、テールス王国内に留まるよりは安全だろうという点と、テールス王国から物理的に離れることが出来るという二点から、ラマーレ王国西部を目指そうとしていたのだ。
ラマーレ王国は、今後継ぎ問題が起きていて色々バタバタしているという話があるから、それがリスクといえばリスクなんだけど……。まぁ、あんまり気にしすぎても仕方ないから、最後は直感でラマーレ王国に決めたってところもあるんだ。
そんなわけで、テールス王国から出国して新天地を目指すにあたって、人類国家間であれば共通の身分証としても使える“Cランク以上の冒険者”としての顔を作ったのだ。
Dランク以下だと、冒険者登録した国内だけでしか活動できないが、Cランク以上になると国を跨いだ護衛活動等ができるようになるため、身分証として使えるようになるのだ。
「ラマーレ王国に逃げたから安全ってわけでも無いんだよね」
「それはそうでしょうけど、他に有効な手立てがあるわけでもないから、ラマーレ王国かなって言ってたじゃないですか」
「そうなんだ。ついさっきまでは、ね」
不思議そうに首を傾げるリーゼ。
僕は、リーゼの邪魔にならないタイミングで人差し指を立てて。
「マキーナ=ユーリウス王国を目指そう」
そう、言った。
ちょきちょき、ちょきちょき。
ちょき、ちょきちょき。ちょっきん。
「……そんな国ありましたっけ?」
怪訝そうな声が返ってきた。
■Tips■
生活魔術[名詞・魔術]
日常生活を便利にする魔術の総称。なので、範囲は凄く広い。
実際、リーゼが使用できる範囲は、火(料理他)、水(洗濯他)、風(乾燥他)、土(造形他)、光(光源他)、闇(保存他)、空間(収納他)……と、多岐に渡る。
魔術研究者に言わせれば、広く深く知る必要がある生活魔術は、極める難易度がとても高いんだとか。
ただ、魔族や魔物に命を脅かされる人類に、生活をより豊かにする“だけ”の魔術はあまり受けが良くない。
しかし、王侯貴族など、様々な要因であまり命の危機を感じない生活をしている層からは絶大な支持がある魔術。
魔物を火だるまにできる炎と、部屋を温かくできる炎であれば、後者に魅力を感じる者は一定数いるのだ。例え世に魔物が蔓延っていようとも。
リーゼ「ノア様が喜んでくれるなら、何だって良いし、何だって出来るんですよー」