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42.承け継がれる怨嗟


  嫌な予感がした。

 洞窟に足を踏み入れる瞬間に、胸騒ぎを感じたんだ。


 その違和感の正体を上手く言葉にすることはできないけれど、何か想定外な事態に陥っているような気がして、僕はなかなか思い通りに動いてくれない体に鞭打って奥へと急いだ。


 洞窟の中は複雑な構造ではあるけれど、リーゼ達はそう深い場所にいるわけでは無い。寧ろ、何かあった場合にはいつでも対処できるよう、複数の出口に行くことができる浅部にいて、外の様子に注意を払っている筈だ。

 それなのに、誰の姿も見えない。


 これは少しまずいかも知れない。




 悪い予感程的中するもの。

 洞窟の中の開けた空間に出た時、目に飛び込んできた光景は全く予想外だった。


「え、ヨーゼフ、さん?」


 ピルツ村の村長が何故ここに?

 しかも、ヨーゼフさんの知り合いらしき二人がルイーザさんを捉えてナイフを突きつけている?


「ノア様……、申し訳ありません……」


 涙目で謝るリーゼ。僕は首を横に振り、ジェスチャーで落ち着くように示しながら、視線はヨーゼフさん達から離さないようにして状況把握に努めた。


 恐らく、部外者はヨーゼフさんを入れて三人。

 うち一人がルイーザさんを捉えていて、もう一人がルイーザさんの首元にナイフを突きつけている。ヨーゼフさんはルイーザさんの前に立ち、こちらの様子を注意深く見ているようだ。

 ウルガーさん達は──ぱっと見たところは無事の様。誰一人欠けておらず、怪我をしている人も居なさそう。


 経緯は分からないけれど、ルイーザさんを人質に取られて膠着していたって所かな。


 ……分かっていたなら別の入り口から入って隙を突いた所だけど、仕方ない、か──。



「どこかで見たことがあると思ぉたら、この間の冒険者か」


 今は熾天使の仮面(セラフィムマスク)を外してしまっている。だから、認識阻害が働かないため、僕の姿はそのまま伝わっている状態だ。


「覚えてくれていたんですね」

「記憶力は良ぇ方じゃからの」

「それで、これは一体どういう──」

「どうもこうも無いわい!!」


 僕の言葉は、ルイーザさんを捕らえている男の怒声に遮られた。洞窟内に反響する憤怒の叫び──。


「そのコボルト共の所為で死んでしもうた! 嫁も! 息子たちも!」

「そうじゃ! この手で殺してやらねば!」


 ヨーゼフさんの後ろに居る二人が、怒り狂った眼差しでウルガーさん達を睨みつけている。後ろに回され捕まえられている腕を、かなりの力で握られたからか、ルイーザさんが苦し気に表情を歪めた。


「お前こそ何じゃ、このコボルト共を庇うのか?!」


 ナイフの刃が、ルイーザさんの首筋に沈む。白い肌に浮かぶ、紅の筋──。細く刻まれた紅の線の端に、小さな雫が浮かび上がった。


「ばぁば!」

「駄目よ、マオちゃん!」


 リーゼに抱き留められているマオちゃんが暴れている。


「やだ、ばぁば、ばぁば!!」


 マオちゃんは目端に涙を浮かべながら、リーゼの腕から逃れようと暴れる。しかし、リーゼが背中から抱きしめるようにして阻止していた。


「何だ、この化け物には孫までいたのか?」

「ならば、その娘も殺してしまえ!」


 マオちゃんに向けられる殺意。

 恐らくは、生まれて初めて向けられたその感情に、マオちゃんが息を呑む。村人とは言え、家族を殺され、多くの仲間を殺された者が向ける殺意は本物だ。言い知れぬ恐怖を感じたとしても不思議はない。

 それでも、マオちゃんはまた手足をばたつかせ、リーゼから逃れようと暴れている。


「ばぁば、ばぁば!」

「駄目だよ、マオちゃん」


 マオちゃんを抱きしめる力を強めるリーゼ。それでも、マオちゃんは止まらない。


「マオちゃん、私は大丈夫だよぉ。だから、泣くのをおやめ」

「ば、ばぁば……」


 首筋から血を流しながらも、腕をきつく押さえつけられながらも、優しい笑みを浮かべるルイーザさん。その表情通りの優しい言葉が、マオちゃんに届いた。


「ラウラもウルガーも、その物騒なものをしまいなさい」


 ラウラさんとウルガーさんが、いつの間にか武器を抜き放って三人に襲い掛かろうとしていたようだ。──ルイーザさんの言葉で初めて気が付いた。

 本調子ではないけど、周りの状況が見えていなさすぎる。少しだけ頭を振って気合を入れなおし、僕は改めてヨーゼフさんへと視線を向けた。


「ヨーゼフさん、話し合いましょう。今回の騒動にルイーザさん達は無関係です。ルイーザさん達を傷つけても、何の解決にもなりません」

「ふざけたことを言うでない!」

「そうだ! 儂達を騙して村に住んで、災いを呼び込んだのはこいつ等なんだ!」


 ヨーゼフさんの取り巻き二人が怒鳴り声をあげる。

 が、ヨーゼフさん自身は何も言わなかった。


「……ヨーゼフさんも同じ考えですか?」


 皆が息を呑んだ。先ほどまで怒声が反響していた洞窟内が、一転して静かになる。

 いっそ耳が痛くなると勘違いする程の静寂が支配した時間は短かったのかも知れないが、僕には長い時間に感じた。


「……そう、じゃな」


 ヨーゼフさんの言葉に取り巻き二人が勢いを得て、ルイーザさんやウルガーさん達を罵倒し始めた。

 聞くに堪えない罵詈雑言。根拠のない誹り。──リーゼがマオちゃんの耳を塞ぐように抱きしめて、少しでもそれらから遠ざけている。

 ウルガーさん達も流石に耐えかねたのか、ヨーゼフさん達を詰ったりし始めてしまった。



 ──どうしようもなく悲しい怨嗟が、洞窟内に渦巻いていた。



 どうしろって言うんだ、これ……。


 アドヴェルザを倒す方が簡単だったかも知れない。

 複雑に絡み合った怨嗟の糸は、解くことが出来ない程強固に絡み合い、断ち切ることが困難な程に巨大で。間違った手順で挑もうなら、その全てが連鎖爆発してしまいそうな程一触即発で。とはいえ、何もせず見守ろうとするなら、今すぐにでも全てが爆ぜてしまいそうな程に危うく。




「――ヨーゼフ」



 そんな、状況を切り裂いた霹靂の如き衝撃は、ルイーザさんの一喝だった。

 決して大きな声ではない。寧ろ、静かな声色だったように思える。

 しかしだ。今この場にあるどんな声よりも、どんな感情よりも、凜とした強さを持つ声だった。


「優しすぎるのは貴方の美徳であり、欠点だよ」

「何を……」


 ヨーゼフさんがルイーザさんを見る。だが、ルイーザさんの強い眼差しに、ヨーゼフさんの視線が逸れた。


「分かっているのでしょう? 今回の件に私達犬人族(コボルト)が関わっていないことは。――貴方が誰よりも、村のみんなの生活を見守っていたからねぇ」


 ヨーゼフさんが黙り込んだ。彼の眉間に、常に刻まれている皺が、更に深く、深く刻まれる。

 とても苦しそうだと、僕は思った。

 そんなヨーゼフさんを見て、ルイーザさんの表情が綻ぶ。


「でも、貴方が誰よりも村のみんなの生活を見守っていたから、デニスさんやウッツさんのように、家族や親しい人を魔物によって殺された恨みも、まるで自分の事のように分かってしまう」


 彼女の言葉に、ヨーゼフさんだけでなく、取り巻きの二人――デニスさんとウッツさんも息を呑んだ。


「……もう、限界なんじゃ」


 絞り出すようなヨーゼフさんの声。その言葉に、ルイーザさんは儚げな笑みを浮かべて頷いた。


「えぇ、えぇ。分かっています。今だけじゃ無いものね、魔物に家族を殺されたのは。――ずっと、奪われ続けた人生だったものね。今回村が焼かれて、多くの村のみんなが死んでしまったことは、切欠(きっかけ)に過ぎないんですよね……」


 分かっていた筈なのに、分かっていなかった。その事実に、僕は頭を殴られたような衝撃を覚えた。

 短期的な話ではないのだ。彼らが抱えているのは今ではなく、今まで全て。それこそ、()()がれてきた全ての感情なんだと、今、漸く理解させられた。


 ――届く訳が無かったんだ。

 先の自分の言葉を恥じるように、僕は唇を噛みしめた。



「本当に、ごめんね」

「――ッ!」


 ルイーザさんの謝罪に、ヨーゼフさんが顔を上げた。


「何を今更!」

「えぇ、本当に……。 私達は、出会った時からボタンを掛け違えていたんだ」


 ルイーザさんの言葉に、ヨーゼフさんが息を呑む。

 どういうことだと首を傾げる面々を見ながら、ルイーザさんは笑みを深めた。


「知っていますよ。貴方、私達が人では無いことを知っていながら、村に受け入れてくれたでしょう?」

「お母さん、それ本当なの?!」

「本当でござるか?!」


 ラウラさんやウルガーさんからも、驚きの声が上がった。

 デニスさん、ウッツさんも信じられないものを見るような目でヨーゼフさんを見ている。


「ヨーゼフ、お前、今……」

「本当、なのか?」



 ヨーゼフさんは苦々しげな表情で、小さく頷いた。

 それを見たルイーザさんは、右脚に巻かれている包帯を取っていく。


 表れたのは、到底人族のものとは思えない脚だった。

 何かの歯形だろうか。かなり古い傷があるルイーザさんの脚は、まるで犬のそれだ。真っ白な毛が、僅かに流れる風に揺れた。


「私がピルツ村に流れ着く前に負った傷なのよ。人化の術を使っても、ここだけは人になりきれなくて……。ヨーゼフは、知っていたでしょう?」

「……あぁ」


「ヨーゼフ!」

「お前!!」


 デニスさんとウッツさんがヨーゼフさんに掴み掛かる勢いで声を荒げる。だが、二人ともルイーザさんを人質に取っていることは忘れなかったようで、その場から動くことは無かった。

 その代わり、視線だけでヨーゼフさんを射殺さんばかりの激情を叩き付けている。


「彼女達を受け入れるのは前村長の決定じゃ。お前達も納得しておったじゃろ」

「た、確かにそうだが、魔物と知っていたら反対したぞ!」

「そうだ! 魔物と一緒に住むなんて考えられん!」

「そもそも、ヨーゼフも親父さんを魔物に殺されただろう!」

「ああ、もしかするとあの時、村に残っていたコボルト共に殺されていたのかも知れんな!」


「なっ、それは違う!」


 デニスさんとウッツさんの言葉に反応したのは、犬人族(コボルト)の年配のメンバだった。

 あの時というのが何を指しているのか、僕には分からなかったけれど。


「静かにせい!!!」


 ヨーゼフさんの一喝で、再び静寂が訪れた。


「そもそも、何も語らないルイーザ達が悪いんじゃ! 大事な事は何も言わん!」

「……えぇ、そうですね。私は、貴方の優しさに甘え過ぎていましたものね……」

「ああそうじゃ。何も言わんから理解も出来ん! 信じてやりたくとも信じ切れん! だから余計な疑心暗鬼だけが積み上がっていくんじゃ!」


 僕は不意に、ヨーゼフさんの言葉を思い出した。


 『魔族の考えることなんぞ、儂には理解できんし、想像もできん!』


 てっきり、ピルツ村を焼いたアドヴェルザに対して言っているのかと思ったけど、もしかしたら違ったのかも知れない。



 『だが、儂達の家は焼かれ、奴等の家は無事。儂達は多く死んで、奴らは無事。それはいくらなんでも、おかしいじゃろう!』


 もしかすると、ヨーゼフさんはルイーザさん自身から「違う」って否定して欲しかっただけなんじゃないだろうか。



 自分たちは魔族だから、何も言え無い。

 だけど、言わなければ伝わらないこともある。


 まさに、ルイーザさんの言う様に、ボタンの掛け違い――。



「今まで、本当にごめんなさい」


 ルイーザさんが目を伏せて、頭を下げた。


「虫のいい話だとは思うけれど、信じて欲しい。私達がピルツ村に辿り着いた時はもう限界で、貴方達に受け入れられなかったら、みんな死ぬしかなかった……」


 ヨーゼフさんは何も言わない。デニスさんとウッツさんも、静かにルイーザさんの言葉を聞いていた。


「貴方のお父様達は、本当にゴブリンに殺されたの。――その、死ぬなら老いぼれからだって言って、当時の長老衆の皆さんと一緒に自らを犠牲にして……」


 ヨーゼフさんの眉が動いた。彼の手が力強く握られ、震えている。


「今回の襲撃も、私達は無関係よ。――ピルツ村は、私達を受け入れてくれた村。私達にとっても故郷ですから。故郷を火の海にするような話、仮にあったとしても断ります。それくらい、私達はピルツ村の皆さんと、他でもない、ヨーゼフ、貴方に感謝しています」


「……ッ」


 ヨーゼフさんの肩が震えていた。

 力強く握られた拳は変わらず。俯いて表情を窺い知ることはできないけれど、泣いているような、そんな気がした。


「……初めて、じゃのう。お前の口からそんな言葉を聞いたのは」

「……そうですね。もっと、きちんと話をするべきでした」


 ルイーザさんも目を伏せた。



「だって、人も、魔族も、きちんと言葉を話せるのですから……」



 静寂が流れる。

 遠くから、葉擦れの音だけが聞こえてきた。

 多くの人がいるというのに、呼吸音すら聞こえない。皆が、ルイーザさんとヨーゼフさんの言葉に耳を傾けていた。




「じゃぁ、儂等は泣き寝入りか?」


 静寂を破る声は、デニスさんだ。


「嫁を殺され、息子を殺され! 焼かれ――ッ! 許せと言うのか! ヨーゼフよ!! 巫山戯るでない!!」


 ナイフを持っていたデニスさんが、その白刃を振り上げた。

 激情に任せて振り上げた刃が――、振り下ろされる。


「デニス!!」

「お母さん!!」

「ルイーザ殿!!」


 ヨーゼフさんと、ラウラさんと、ウルガーさん、そして僕が動いたのはほぼ同時だ。


「あああああああああっ!!!!」








 洞窟に、血飛沫が舞い散った――。

【お願い】

この小説を読んで、


「おもしろい」

「続きが気になる」

「やりきれないですね……」


と少しでも思って頂けましたら、↓の☆☆☆☆☆を押して応援頂けると嬉しいです!


皆様の応援が、執筆の原動力となっています。本当です。

よろしくお願いいたしますm(_ _)m


―・―・―・―・―・―・―・―・―・―

■Tips■

怨嗟えんさ[名詞]

うらみ、なげくこと。

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