35.機械仕掛けの神
■□■---Side: ヨーゼフ---■□■
悪夢でも見ているようじゃった――。
不惑と言われる歳を経て、多少のことでは動じない度量を得ているとも思っておった。
例え、魔族の襲撃の現場に居合わせたとしても、村の衆の避難誘導くらいは出来ると思っておった。
じゃが、目の前の魔族は、儂の経験の全てを凌駕する存在じゃった。
一瞬じゃ。
瞬きする間に、ダミアン様が倒されてしもうた。
キースリングの守護騎士たるダミアン様が、為す術無く倒されてしもうた。
勇者様ですら、圧倒されておる。
じゃが、アレが相手では仕方ない。アレはそれほどのものじゃと、儂にも分かる。
村の衆は、少し前に、騎士様に連れられてこの場を逃れておったのが不幸中の幸いじゃった。
コボルトの殲滅が終わった直後に、護衛に付いて下さった騎士様の機転で、村へ戻る準備を始めていたのが功を奏した。
今此処に残っているのは、勇者様とダミアン様達と儂――。
勇者様達は兎も角、何故儂が残っておるのかとな?
そうじゃな、一言で言うなら未練があるから、じゃろうか。
あっという間にコボルトを圧倒して見せてくれたダミアン様達。ダミアン様が仰るように、ピルツ村に住んでいた数と倒された数はほぼ一致する。
恐らく、足りぬ一人はウルガーなのじゃろう。あの日、他の者達を逃すために犠牲になったのはウルガーじゃ。ばっさりと斬られていたから、助からなかったのじゃろうな。
故に、もう全てのコボルトが倒されたのは間違い無いのじゃろう。
呆気ない幕切れじゃ。
儂の中で燻っていた、連中との因縁は二○年以上のもの。儂の親父が死んでしもうたあの日から、ずっと続いてきたもの。
それが、こうもあっさり終わりを告げた。
まだ実感が湧かんのじゃろうか。
魔物とは言え、二○年以上もの間共に生きてきた村の一員であったことは間違いない者達――その骸を前にしても。
心の中で、まるで残り火の様に燻り続けるものが何なのかが分からぬからか、儂はこの場を離れることが出来なかった。
村の衆全員が待避するのを見届けてからと、少しでもこの場に残る言い訳をしてまで残り、何をしたかったのじゃろうか。
――じゃが、今はもうそれどころでは無い。
そんな儂の些末な引っ掛かりなど比べものにならん程の事態に陥っている。
現実逃避するように、自分の心情を振り返っている間に、事態は進展しておった。
「おぉ、勇者様……」
あの人智を越えた存在を前に、恐怖に打ち勝たれたのか!
ついこの間、成人されたばかりの勇者様が。あの暴威に立ち向かっておられる!
何と眩い光じゃ。何と強烈な炎じゃ。
圧倒的な力が、あの暴威を覆い尽くしてしもうた!
「ど、どうなったのじゃ……」
騎士様達が、儂がいる場所や、村の衆が待避していった方角を守ってくれたお陰で、事無きを得たが――。騎士様の盾は、所々が溶けてしもうておる。それほどまでに、勇者様の放った輝かしい炎が強力だったのじゃろう。
「どうだ?」
ダミアン様が呟かれた。
徐々に、閃光が薄れ、辺りの様子が見えてくる。
儂は、いつの間にか両手を組んで神様に祈りを捧げていた。
――じゃが……。
魔族は無傷。――それどころか、二人に増えておった。
一人は先の暴威の体現。噂に聞く龍族と言われる魔族なのじゃろう。
もう一人は、貴族様の屋敷に居そうな格好をした、体が半透明の青年。中空に、あの暴威の一歩後ろに控えるように現われた新たな魔族。戦いに疎い儂でも分かる。あの青年魔族も、人智を越えた存在じゃ。
「ふん」
龍族が、軽く手を振る。
禍々しい爪が空を裂いた。その瞬間、十メルト以上離れている筈の勇者様の体が吹き飛び、真っ赤な血が宙を舞った。
「俺の闘争に水を差すな」
「畏れながら。貴方様が対処されると、この辺り一帯が焦土となる可能性が高いと判断致しましたので」
青年魔族が、モノクルに手をやりながら恭しく答えている様子を、儂はただ呆然と見上げていた。
「力には力で対抗するのが礼儀というものであろう」
「柔よく剛を制するという言葉もございます」
「減らず口を――」
再び、龍族が腕を振り上げた。
「いかん! クラウス様を守れ! 全てを捧げよ!!」
ダミアン様の叫びに、盾を構えた兵士達がずらりと並ぶ。その身を盾にしてでも勇者様を守らんとする、強靱な意志をその目に宿して。
死兵じゃ。あれらはまさしく死兵じゃ。
ダミアン様の言葉で、この場に居る全ての兵の目ががらりと変わった。
恐ろしい練度の精兵じゃ。
じゃが、それを見た龍族は、口角を引き上げて獰猛に笑いおった。鋭い犬歯が覗き、黄金色の瞳に喜色が灯る。
「そうだ。弱者が強者に抗うなら、命すらも捧げる気概が必要だ。ともすれば、我の足下くらいには届くやも知れん!」
龍族の手に膨大な力が集まっていくのが、儂にも分かる。
禍々しい漆黒の光が、彼の魔族の手に収束していく。
「お言葉ですが、この周辺は未だ探索が」
「分かっておるわ。少し黙っておれ」
龍族の手に集まる光が――弾けた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
行けるかな? と思ったんだけどなぁ。
正直、さっきクラウスが放った光には度肝を抜かれた。僕が知っているクラウスでは決してなし得ない威力の『聖炎』だった。
『直前まで震えていたことを考えれば上出来ではあるが、まだまだ練度が足りぬな』
「厳しいね」
『当然であろう。魔力は立派だったが、術への変換が落第点だな。これまで魔力操作のトレーニングを怠っていただろうことが丸わかりよ』
「あはは、バレちゃうんだ、そんなことまで」
『身体性能で劣る人族は、テクニックを駆使してこそであろう?』
まぁ、その通りだけどね。
今僕は、クラウス達がギリギリ見える距離を保って、戦闘を見守っていた。
これだけ離れていても、怖気がする程の存在感を放つ龍族のような魔族は、きっと、城塞都市フレイスバウムを落とし、キースリング辺境伯を討った魔族なのだろう。
本当なら、僕だってあんな規格外の存在を目の当たりにしたら足が竦むんだろうね。それほどの存在感だ。
でも、そうも言っては居られない。
「来るかも知れないとは思ってたけど、本当に来るとはね……。来ないで欲しかったなぁ」
『今更嘆いても仕方在るまい』
「そうだけどさ。……それにしても何だってこんな場所に、あんな強力な魔族が二人も来るかなぁ」
『さぁな。だが、我等の存在を悟られるわけにはいくまい?』
「その通りだね。リーゼ達が見つかったら無事じゃ済まないだろうし」
そう思うと、不思議と体に力が籠る。それこそ、恐怖なんかが宿る余地も無い程、隅々まで力が行き渡るのを感じる。
『何にせよ、答えの出ぬ事に思考を巡らせることはナンセンスだ』
「あはは、全くもってその通りだね」
そう言うと、僕は懐から仮面を取り出して、それを装着した。
純白で無機質な仮面。顔をすっぽりと覆うそれは、右目の部分に視界を確保するような切れ込みがあるだけだ。左目の部分にはそれすら無い。鼻も、口も、全てを覆ってしまう無機質な仮面。
だが、それを装着したからと言って視界が遮られることは全く無かった。
端から見れば、僕の右目が僅かに見えているだけだろう。けれど、仮面の内側からは、肉眼で世界を捉えるよりも鮮明に、ありとあらゆる情景を把握出来る。
今まで姿を確認するのが精一杯だった魔族二人も、今はその表情まで手に取るように分かった。
「凄いね、この仮面」
『当然であろう。我と同調している時しか使えぬが、光だけでなく魔力からも世界を認識する代物だ。同時に、他者には認識阻害効果も及ぼす』
「何それ。規格外のスペックだよ」
仮面だけでは無い。今僕が腰に帯びている剣も、この仮面に匹敵するほどのものだ。
今の時代では到底作り出すことが出来ない、ロストテクノロジーの結晶。天使の羽根の様な形状をした、規格外の武器だ。
『雑談はここまでだ。あの魔力が放たれたらあの連中は無事では済まないぞ』
「分かってる!」
僕は大地を蹴り、龍族の男が操る禍々しい魔力目掛けて奔った。
間に合うか?
いや、愚問だね。今まで体験したことが無い程、体が活性化しているのを感じる。
雨の日の水溜まりを飛び越えるように力を篭めるだけで、景色が後方へ一気に流れる。眼前の邪魔な枝を、羽虫を払うようにするだけでへし折る事ができる。
それでいて、緑濃い木の葉を食むために止まった虫を視認でき、その気になればその虫を手で掴み取ることさえ出来そうだ。
恐らく、一呼吸よりも短い間だっただろう。
長かった距離を一気に縮め、僕は龍族の眼前に躍り出た。
「何ッ」
驚きの声を上げる龍族と、目を丸くする執事風魔族。
僕は彼らの一瞬の隙を突いて龍族の腕を切り払わんと、右手に持った剣を振るった。
剣と言うには薄すぎる刃は、まるで薄氷だ。そして剣と言うには精巧すぎる形状は、まるで天使の羽根。羽軸にあたる部分は強くしなやかで、外弁と段刻の縁はどんな刃よりも鋭く、内弁は如何なる斬撃も受けきる強靱さを持つ。手に馴染む羽柄は滑ること無く、全ての力を剣身に伝える。
一見奇抜に見える形状だが、その性能は計算し尽くされた剣そのものと言って良いだろう。
それが、七つ。
一つは僕の手に収まり、残りの六つは天使の翼の如く、中空に浮かぶ。
――熾天使の羽根
それがこの剣の名前だ。
そして、古の大魔族『マキーナ』が愛用した剣でもある。
「隠れて機会を窺っていたのか? だが、甘いッ」
龍族の男が、力任せに禍々しい魔力を放った。その奔流は、押し込んでいた僕の剣を押しのけ、無差別に周囲に拡散する。
帯状に、放射状に広がる漆黒の光。それに触れてしまった木々は、炎を上げることも許されず、一瞬で燃え尽きて灰燼に帰した。
木々が、森が、大地が死に絶えていく。
――それでも。
中空に浮かぶ六対の剣が、僕の意思の侭飛び回り、漆黒の光を弾き飛ばす。
薄氷の如き、うっすらと白みがかった剣身が、正面から漆黒の光を受け、誰もいない上空へと反射させていく。
周囲への被害を完全に押さえることこそ出来なかったが、騎士達も、倒れ伏しているクラウスも、リーゼ達が居る洞窟も、熾天使の羽根が押さえきって見せた。
「――ははッ!」
龍族が、獰猛な笑みを貼り付けた。その目には歓喜が宿り、丸太の様な豪腕には更なる力が漲っている。
「コレか! 我が感じていた予感は!!」
龍族の全身から、漆黒の魔力が溢れ出す。視認出来る程の濃密な魔力は、凡人にとってはそれだけで猛毒だ。
大怪我をしているらしい騎士団の隊長格の騎士は、それだけで片膝をついて苦痛に表情を歪ませている。
――決着を急がなければならなさそうだ。
『黒龍の王か。相変わらず暑苦しい魔力だな』
「知り合い?」
僕は、自分の中に在るマキーナに話しかける。
『いや、彼奴は知らぬが、黒龍族とは多少縁があってな』
マキーナは、何かを懐かしむような声でそう言った。彼が生きた過去に、何かがあったのだろう。
『そんな事より、さっさと終わらせるぞ。――さぁ、我がスキルを』
僕は頷いて――
「眼前の脅威を屠る力を――」
絡み合う運命を精算する為に。羽柄を握り直し、その名を口にする。
――『機械仕掛けの神』
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■Tips■
熾天使の仮面[固有名詞・装備品]
嘗ての大魔族マキーナが装備していた仮面。
殆ど特徴の無い真っ白で無地の仮面で、装備者の右目に当たる部分だけ穴が開いている。
仮面としては役立たずのような形状ではあるが、その特殊能力により、装備者の視界は良好。
能力①:視覚情報強化
仮面全体で、光と魔力を感じ取って世界を読み取り、装備者の視覚情報にフィードバックする
装備者はより精細で詳細な世界を感じ取ることが出来るようになり、福次効果として魔力を扱う能力が向上する
能力②:認識阻害
装備者の姿形を誤認識させる。相手によって感じ方は様々だが、髪の毛の色や目の色、体つきが変わって見える
他にもまだ能力があるそうな。
四つの顔と六枚の翼を持つって言われてますものね。




