03.逃避
隠れ家として、逃亡に必要な物資をため込んでいた山小屋。
フルスの街からある程度離れた場所に、半年前くらいに作り上げたもの。
そこに、僕の知らない、素性の知れない男達がいる。
――公爵様にバレてたか。
「やっぱり酒は無いっすね。食い物も干し肉とか保存食ばっかりで味気ないモンばっかりだ。まともなのは金だけっすね。そこそこありましたぜ」
鉈のような武器を肩に担ぎ持ち、新たに山小屋から姿を現した男がぼやく。
その男の後ろには、同じような格好の男が三人続いていた。
「おや、丁度良いタイミング?」
「ああ。つい今し方おいでなすった。銀髪のポニーテールに、赤い目。童顔の坊ちゃんってことだから間違いないだろう。思った以上にガキっぽいが」
山小屋から最初に出てきた男と、山小屋の外で俺を待っていたらしい男が会話をしている。
というか、童顔の坊ちゃんって……。人が気にしている外見をズバズバと。何だよ、思った以上にって。
――計、八人。
周囲にいる者と、山小屋から出てきた者の合計。慎重に、見逃さないように周囲の状況を把握する。
山小屋自体を隠蔽しているわけでも無いのだから、この場所を仮の宿とした者がいたとしても不思議は無い。
ただ、明らかに誰かがここに来ることを知っていたであろう対応と、床下の土の中に隠していたお金の存在がバレているとなると、偶然として片付けることは出来ない。
「酒が無かったのは残念だが、仕方ない。まだ成人していないお坊ちゃまだ、ミルクが好物なんだろうさ」
「ははっ、違ぇねぇや」
外で待っていたこの男が、恐らくこの集団のリーダー的存在で、山小屋から最初に出てきた男がサブリーダーの様な立ち位置なのだろう。
男達は徐々に僕へと近づいてくる。
同じだけ後ずさりして逃げようとするが、彼らとの距離は徐々に縮まっていた。
僕を狙ってこの場に居るのであろうことは明らかな彼ら。
ただ、獲物である筈の僕を目の前にしてまだ会話を続けているあたり、公爵家直属の刺客とは違うみたいだ。だって、訓練を受けた刺客だったら、こんな油断でしかないような行動なんてしないでしょ。
足が着かないように雇われた破落戸か、犯罪の依頼であっても金次第で引き受ける闇ギルドの手の者かってところかな。
ただ、クラウスはともかく、ルートベルク公爵は僕の力量をちゃんと把握している。だから、確実に僕よりも強い者を雇っているに違いない。
因みに、闇ギルドって言うのは、表だって依頼できないことでも報酬次第で引き受ける、非合法ギルドの総称のようなものだ。
「人の物を勝手に盗んでおいて、酷い言い草だね」
僕の言葉に、リーダー格の男が反応した。
「いいや、お前の物じゃなく、俺等の物だ。お前を殺せば、ここにある物は好きにして構わないって話だからな。これも報酬の一部だから、品揃えが悪かったらクレームくらいつけたくなるってもんだろ」
「まだ僕を殺してもいないのに、気が早いね」
後退りながら、腰の後ろにある短剣の柄に右手を添える。
流石にこの人数相手を圧倒出来るような力は無い。寧ろ、戦闘になったら僕が呆気なくやられてしまうだろう。
「強がるねぇ。……魔力も大したことねぇし、スキルも『継承』とか言う意味不明なの一つだけなんだろ? まぁ、多少荒事に心得はあるみてぇだが、それでも負ける要素が見当たらねぇよ。残念だったな、坊ちゃま」
リーダー格の男は、喜色と獰猛さが半分半分で共存するような笑みを浮かべ、鞘から剣を抜いた。
金属が擦れる音が響き、白銀の刃が露わとなる。
それを皮切りに、闇に潜んでいた者も姿を現し、各々の獲物を抜いた。
短剣、短杖、槍――
武器に統一感は無いけど、全員が僕よりは強いであろうと、直ぐに理解できた。
「……報酬に不満があるなら、見逃して貰えると嬉しいんだけど?」
「それは出来ない相談……」
男が言い終わる前に、僕は短剣ではなく、ベルトに付けていたバッグの中から革袋を取りだして、袋ごと投げつける。
「ちっ」
自分の顔を庇うように出した男の腕に、革袋はぶつかった。
革袋の中身は、今の全財産。
公爵様から貰った金貨三○枚分のお金も入っているので、額もそれなりだし、当たれば普通に痛いであろう代物だ。
獲物を前にしても物欲を隠そうとしない相手には効果的だろう。……効果覿面であって欲しいという願いも籠っているけど。
「拾いなよ、追加の報酬だ!」
僕はそう言って、一目散に逃げ出した。
男の腕に当たった革袋は、地面に落ちて音を立てる。丁度、足下にあった石にあたったようで、ジャラジャラと大きな音を立てながら地面に散らばった。
「わお、すげぇ金貨!」
男達の一人が思わず声を上げる。
「馬鹿野郎! 坊主を追いかけるのが先だろうが!」
「す、すいませんっ!」
男達の出ばなを挫くことはできたようだ。
僕はこの隙に一気に駆け出して、距離を稼いだ。
疲労はあるけれど、今ここで捕まれば殺されてしまう。もう体力が残っていないなんて泣き言は通じない。
追いづらいように、山林の中を駆け抜ける。
遠くで魔物の遠吠えのような音がする、薄気味悪い林の中を、全力で。
男達も追ってくるが、今の所距離は縮まっていないようだ。
この三年間、体力作りも兼ねて山林を走り回っていた経験が役に立った。
「この野郎、待ちやがれ!!」
バタバタと僕を追いかけてくる気配。
距離は縮まらずとも、相手は八人。しかも大人だ。僕より体力はあるだろうし、こういう場面で有用なスキルを持っている人だっている可能性がある。
その証拠に、リーダー格の男の指示の元、僕を追い込むように、退路を限定するように、回り込んでいる。
うん、敵も馬鹿じゃないね。やっぱり、僕を追い詰めるためには十分な実力と練度がありそう。
このままだと、崖の方に追い込まれそうだな。
山小屋を作る時に周辺の下見はしてあるけど、結構な高さの崖があって、下は川になっているんだ。
追い詰められたら逃げ場は無くなる。
だけど、数にものを言わせて追い込んでくる敵を突破できる程の力は無い。
「選択肢なんて、無いよなぁ」
弱ければ搾取される。
こういう場面では、力がモノを言う。だから、スキルが重宝され、スキル重視の社会構造が出来上がるんだ。
力にも種類があって、スキルによって得られる力は様々だけど、僕にはそれが足りない。努力はしている心算なんだけど、だからといって努力が実を結ぶとも限らないし、何より僕はまだ一四歳。大人と比べると、そもそも努力の期間が圧倒的に足りないんだ。
歯痒い。
けれど、無い物ねだりしたところで何も変わらない。手持ちのカードで勝負するしか無いんだ。
「ったく、すばしっこい野郎だ。手間掛けさせやがって」
案の定、追い詰められた僕。
後ろは崖。耳をすませば、水の音が聞こえてくる。遥か下を川が流れている証左だ。
肩越しに振り返ってみると、真っ暗だからか崖の下の方は全く見えなかった。──夜の崖って怖いね。
「手間だったら見逃してくれても良いのに」
「そうはいかねぇって言ってンだろうが!」
かなり苛ついているようだ。
そうこう話しているうちに、僕の包囲網は完成してしまった。
仕方が無かったとはいえ、こうも見事に追い込まれるしかないなんて、本当に情けない。
「これ以上逃げられても面倒だ。おい、足を止めろ」
「了解」
弓を持っていた男と、杖を持っていた男が、それぞれ矢と魔術を放つ。
視覚を強化していても眼で追うのがやっとという速度の矢と、やや遅れてほぼ無詠唱で闇を切り裂く紅蓮の炎。
手持ちの短剣で、矢の方は叩き落すことができたけれど、炎の矢の方はそうはいかなかった。
「くッ」
背に嫌な汗が滲む。
肉が焼ける臭いと激しい痛み。右足の太股からの激痛に、思わず膝をつく。
リーダー格の男は、僕の様子を見ると満足そうに口角を引き上げ嗤った。
「これでもう逃げられねぇ」
ゆっくりと、男が近づいてくる。
その手には抜き身の剣。
──油断……、してくれているとどうにかなるかも知れないけど、それも無さそうだ。
下っ端はともかく、このリーダー格の男は優先順位を間違えていないようだったしね。
だから、僕は、大きく深呼吸した。
少し足がすくんだけど、大丈夫。
この日のために、気持ちの方だって備えてきたんだから。
改めて身体強化の魔術をかけ直す。
強化度合いは低いけど、何度も何度も訓練してきたから一瞬で発動することができる。
全身の強度を上げて、持久力を強化する。
腕力や脚力じゃないのかって?
これで良いんだよ。だって、立ち向かったところで突破はできないんだから。
強化魔術に気付いた男が、一瞬動きを止めた。
その瞬間に、腰の短剣を抜き、そのまま男に投げつける。
「無駄だ!」
正面から何の捻りも無く投げた短剣は、あっさりと剣に弾かれて地に落ちた。
周りの賊をちらりと見ると、いつでもフォローできるよう、矢を番えたり、魔術の詠唱に入ったりとそれぞれに出来ることを備えていた。
ただ、リーダー格の男を巻き込むことを恐れているのか、今はみんな攻撃を控えているよう。
――だったら、丁度良い。
腰に着けていた荷物入れを、ベルトごと外し、それをリーダー格の男に投げつける。
相手には、追い詰められて自棄になっているようにも見えるかも知れない。
「なんだ、もう投げるモノが無くなったのか?」
さっきの短剣同様、男は剣で荷物を切り払わんとする。
その、小さく無い衝撃が荷物入れにぶつかった瞬間――
激しい光と共に、爆音が轟いた。
「ぐああっ!!」
「何がっ?!」
「お頭!」
「どうなった!!」
族達の声が聞こえる。
何のことはない。荷物入れの中に、衝撃で爆発する魔晶石をいくつか入れていただけ。
完全に追い詰めたと思ったからか、僅かに気を緩めてくれたのが良かった。
「ガキが、もう許せねぇ!!」
流石に倒すことは出来なかったみたいだ。
不意は突けたけど、相手だって強化魔術くらいは使ってるだろうし、備えはあるだろうからね。
でも、それで良いんだ。
僕に君達の手は届かない。だって――
「お頭! 坊主が崖から落ちました!」
右脚に力は入らないけど、爆風を利用して飛び上がれば、崖から落ちるくらいはできる。
暗い漆黒の山。恐ろしいスピードで小さくなっていく崖上の爆発。
男達の声も、空気の流れの音で殆ど聞こえなくなっている。
全身で感じる恐怖と浮遊感が、今まさに落下しているという事実を必要以上に突きつけてくる。
一瞬が引き延ばされるのは、恐怖が生み出す副産物か。
気を抜けば意識が飛びそうになるが、下唇を噛みしめることで、僕は堪えた。
堪えたところで、落下している事実は変わらない。
次の瞬間には、川面に頭から突っ込む事になるだろう。
だけど、これで良い。
「頼んだよ――」
僕の体は崖下の川へと落ちる。
激しい衝撃と共に大量の水飛沫が上がった事だろう。
ただ、もうその時には、僕は意識を手放していた。死んでしまったとしてもおかしくない程の衝撃と痛みが、最後の記憶だった。
「――はいはーい。もう朝ですよー。寝坊助さんですねー。そろそろ起きてくれないと、泣いちゃうよ?」
明るくも、どこか悲しそうな声がした。
■Tips■
賊[名詞]
隙あらば主人公や行商人を襲う者達の総称。
生活に困窮して仕方なく身を堕とす者も居れば、国家直属の精鋭部隊が偽装した者も居るため、実力はピンキリ。
今回登場して、主人公を崖まで追い詰めた者達は、中程度の実力を持っていた模様。
賊が、下に川が流れている崖に何某かを追い落とした時は、高確率で生き延びるというセオリーが、良く韓流ドラマで見受けられる。
本物語は韓流ドラマではないが、同様のセオリーが働いたようだ。