29.交換錬金
「そろそろ休まれたらどうですか? もうかなりの時間、休憩していないですよー」
リーゼの声に、僕は顔を上げた。
汗の滴る額を腕で拭っていると、リーゼが洗濯したての手拭いをくれたので、ありがたく受け取って汗を拭きとる。
今僕がやっているのは、畑の手入れだ。
犬人族の皆さんが水やりをしたり、雑草を丁寧に抜いてくれたりと、精力的にカブの世話をしてくれているおかげで、僕がやらなければならない仕事は大幅に減った。でも、それで仕事が終わるかと言うとそうではない。
魔導農業を使えるのが僕だけだから、魔術を使った定期的な土のメンテナンスや肥料配分の確認、新しく採れたカブの種の保管に、新しく栽培する作物の選定や種の成長管理、などなど。やるべきことはいっぱいあるのだ。
目下、最大の懸念事項がウルガーさん達を狙う勇者の存在であり、テールス王国国境付近で活動が活発化している魔族への対応であることには変わりないけれど、明日の食糧を確保することも重要なミッションだ。
だから、僕はこうして、魔導農業分野で僕しかできないことを中心に、農作業を継続して実施しているのだ。
しかし、今リーゼが隣で不安げにしている理由は、魔導農業の話ではない。
彼女が不安に思い、心配しているのは、僕が立てた作戦の事だろう。
「気付かなかったよ。ダンジョン農業って、陽の当たり方が変わらないから、時間経過が良く分からなくなるよね」
「それはそうですね」
『ま、それは仕方ね。完全管理してっから、陽の当たり方も自然と違うし』
久々のナポスさん登場で、リーゼが吃驚している。ゆるふわな房が跳ねるように揺れる様が、ちょっと可愛かった。
僕は、農作業中は良くナポスさんと話してるから、今更驚くことは無いんだけどね。
「それにしても、異様だけど長閑だよねぇ」
僕は、最初よりも大きくなった畑を見渡した。
そこには、人化していない犬人族の皆様が、農作業に精を出す光景が広がっている。
収穫可能なものはカブしか無いけれど、トマトやナスなども、増やした区画で栽培を始めている。その至る所で、可愛らしい小型犬が、忙しそうに作業しているのだ。──ダンジョンの中で。
「畑の背景が、古の大魔族の亡骸なんて光景、きっとここだけだろうね」
畑の向こうに見える、魔族マキーナの亡骸。手前には農作業に勤しむ犬人族の皆さま。対比が凄い。
でもこうして見るると、魔族マキーナの亡骸が、なんだか守り神の様にも見えてくるから不思議だよね。豊穣の神様だとありがたいんだけど。
「そうですねー。魔族に見守られて、魔族が耕す畑。──でも、その管理者が人族のノア様だというのが、ミスマッチ過ぎて面白いです」
「本当だね。僕もこんなに、魔族の仲間が増えるなんて思いもしなかったよ」
畑の隅では、マオちゃんが、人化しているルイーザさんと遊んでいる。
何も育てていないところで、土で──お城を作ってるのかな? 何か凄く上手だね。僕でも真似できないくらい成功なミニチュアキャッスルが出来上がってるし。
マオちゃんの発想力と手先の器用さは、一体どこから来てるんだろう。
僕は吸い寄せられるように、マオちゃん達のところへと向かった。
一歩遅れてリーゼも付いてくる。
「凄いね、マオちゃん。このお城、マオちゃんが作ったんでしょ?」
「ふふーん。マオがんばった!」
話しかけると、マオちゃんは得意げに胸を張る。そして、地べたに座って土を整えているルイーザさんの後ろへと周り、ルイーザさんの首に、後ろから抱き着いた。
ルイーザさんは、マオちゃんの体を背中でしっかりと受け止め、目を細くして微笑んだ。
「ばぁばと一緒に頑張ったの。ねー?」
「そうだねぇ。一緒に頑張ったね」
完全にルイーザさんに懐いているマオちゃんは、嬉しそうに、額をルイーザさんの頬に擦り付けるようにして甘えていた。
「それにしても、凄く綺麗なお城だね。王子様とお姫様が住んでいるのかな?」
リーゼが、スカートの裾が土につかないように折りながらしゃがみ、白く細い指先で軽く城の外周部分をなぞった。
すると、マオちゃんがルイーザさんから離れて、リーゼの背中に抱き着く。ふわりと揺れる、白藤色の房。
「ううん、違うよー。ばぁばの宝物を飾るの」
おっと、ちょっと想像とは違う答えが返ってきたぞ? それに、宝物とは?
ルイーザさんを見ると、笑いながらネックレスを外して、僕達に見えるように掲げてくれた。
細い銀色のチェーン。その先のペンダントトップには、金色の──牙、だろうか? やや曲がった円錐形の黄金が付いていた。
「これのことですよ。私の親の形見です。犬人族は、身内が死んだ際に、形見として牙を持つ風習がありましてねぇ。少し昔の風習なので、ラウラやウルガー世代ではあまり見かけませんけど」
ルイーザさんはそう言って、黄金の牙を軽く撫でた。
「私の場合は、ちょっと特殊な方法で、父親の牙を譲り受けたのですよ」
「特殊な方法、ですか?」
何だろう。貰った牙を金でコーティングしているのかな? あんな金色の牙を持つ犬人族なんていないよね。
「えぇ。……そうですね、実演して見せた方が良いかもしれませんね。──ねぇ、マオちゃん? さっきお外で鳥さんの羽根を拾いましたよね。あれ、ありますか?」
「あるよー」
ごそごそと、服のポケットから掌サイズの羽根を取り出すマオちゃん。何の羽根かまでは分からないけれど、どこにでもありそうな白色を基調とした羽根だ。
「その羽根、少しだけばぁばに貸してもらえますか?」
「いいよ、はい」
マオちゃんが羽根を差し出すと、ルイーザさんはそれを受け取って、軽く、自らの額に触れさせる。
「はい、ありがとう。羽根は返しますね」
ルイーザさんはそう言って、羽根をマオちゃんに返す。マオちゃんが受け取ったのを見ると、ルイーザさんはぴんと人差し指を立ててこう言った。
「──では、ばぁばからマオちゃんに、一つお願いがあります。あの土で作ったお城ができたら、お城をばぁばに譲ってください。もしばぁばにお城をくれるなら、ばぁばはマオちゃんの羽根を黄金に変えてあげます」
え、そんなことが可能なの?!
僕の驚きとは別のところで、マオちゃんが不思議そうに首を傾げた。
「おうごん?」
なるほど、黄金が分からなかったのか。
「えぇ、黄金。きらきら光って、とっても綺麗な羽根になりますよ」
「本当?! うん、分かった。マオ、お城ばぁばにあげる! あとはお屋根に飾りつけたら終わりだから、直ぐに終わらせるね!」
「交換契約成立ですね。はい、マオちゃんが完成させるのを待っていますよ」
「分かった!」
マオちゃんはそう言うと、ルイーザさんから借り受けた形見の牙が乗っかるような平らな面を、城の中央の屋根に作った。そして、そっと、形見の牙を乗せる。
「完成ー! ばぁば、どうぞ」
「はい、ありがとう。じゃぁ、お城はばぁばが貰うわね。──マオちゃん、お手々の羽根を見てごらん?」
「「!!」」
「わーー! 綺麗! ばぁばありがとう!」
僕とリーゼは飛び上がりそうになるくらい驚いた。
マオちゃんが持っていた白い羽根が、黄金の羽根に変わったのだ。
マオちゃんが軽く振ると、黄金の羽根はゆらゆらと揺れた。黄金で別物になったのなら、揺れるほどのしなやかさは無いはずだけど、黄金の羽根にはそれがある。まるで、元となる素材の特性はそのままに、見た目だけが黄金に変化したかのような、不思議な変化だ。
勿論、黄金に変化するということ自体も、驚愕に値するけども。
「私共、雪犬人族に代々伝わるスキルで、『交換錬金』と言います。相手が所持している何かを黄金に変える奇跡と、相手の成果物とを交換する錬金術です。このスキルがあるからこそ、雪犬人族は人族の社会の中に入り、行商人としての暮らしを確保できておりました。簡単に使えるスキルではありませんので、使いどころは難しいのですけどね」
そう言って上品に笑うルイーザさん。
僕とリーゼは驚きっぱなしだけど、マオちゃんだけは嬉しそうに辺りを飛び跳ね、全身で喜びを表現していた。
「わーい! きらきらの羽根ー! きゃほー! ばぁばありがとー!」
「はいはい、どういたしまして。ばぁばこそ、こんな立派なお城をありがとうねぇ」
黄金の羽根を、他の犬人族の皆さんに見せに行くのだろう。マオちゃんは休憩中の犬人族さんのところへ走っていった。
「形見の牙も、『交換錬金』を使って親の牙を黄金に変えたものなんですよ。これなら、ペンダントにしていても綺麗でしょう? あぁ、でも今はお城の飾りになっていますね。これもこれで綺麗だこと」
ちょん、と指先で黄金の牙に触れるルイーザさん。
「初めて見ました。凄いスキルですね」
「えぇ。私共の中でも、特別なスキルですからね。大昔は、このスキルの所為で雪犬人族の乱獲があった時代もあると聞いております」
「それは……」
あり得ない話ではないと思った。
細かな条件は分からないにせよ、今目の前で起きたことだけを見ると、それは神の奇跡にも似た信じ難い現象だったからだ。
何かを黄金に変換──いや、錬金というのかな──することができるスキル。少し考えただけでも、莫大な財産を作れちゃいそうだよね。これを欲しがる人は多いんだろうなぁ。
「ですから、内緒でお願いいたしますよ、ノア様」
ルイーザさんはそう言って、人差し指を唇に当て、片目を瞑った。
「分かりました」
そう言って頷く。確かに、大っぴらにできるようなスキルじゃないよね。僕の発言が元で雪犬人族の乱獲なんて始まろうものなら、眠れなくなっちゃうよ。
どうせなら知らないままで居たかった──とは思ったけど、ルイーザさん達と一緒にいるなら、知っていた方が良いのかな。
改めてルイーザさんを見ると、微笑みが返ってきた。
うん。多分、ルイーザさんはその辺りの事も考えて、敢えて明かしてくれたのかな。そんな気がした。
「あ。マオちゃん、うちのお母さんに交換してもらったの?」
ふと、そんな声が聞こえてきた。
どうやら、マオちゃんがラウラさんに黄金の羽根を見せたようだ。
「うん。きれいでしょ?」
「綺麗だねー。私に頂戴?」
「や! マオの! ばぁばに貰った大事なもの!」
「あはは、冗談だよ、マオちゃん。そんなに怒らないでよー」
そんなやり取りを聞いていると、一つの足音が僕達の方へ近づいてくる。
「ノア殿、只今戻りましたぞ」
ウルガーさんだ。
顔に、これでもかと言う程布を巻いたウルガーさんだ。もう目元しか見えていない。ある意味で重装備のウルガーさんだ。
「おかえりなさい、ウルガーさん。首尾の方はどうですか?」
「問題ありません。いやはや、ラウラを宥めながらの収集は骨でしたが、ノア殿から頼まれたモノは全て集め終わりました。外に置いております」
「そっか、ありがとう」
僕はウルガーさんに礼を言うと、農作業の道具をガゼボの近くに置いて、ダンジョンの外へと向かう。
リーゼも、ウルガーさんも、ルイーザさんも、僕についてきた。
「とうとう、始めるんですね」
リーゼの言葉に、頷いた。
「時間が解決してくれそうには無いからね。──僕達から仕掛けるよ」
日常はここまで。
──否、この日常をこれからも続けるために、今は行動しなければならないのだから。
■Tips■
交換錬金[名詞・スキル]
雪犬人族ユニークスキルと言われている。
「交換契約成立」がキーワードであり、これにより、相手の所持品を黄金に変換する奇跡と、相手が労働で作り出した成果物とを交換する錬金術。
黄金に変換する物は事前に触れておく必要があるとか、生き物は交換対象とできないとか、成果物の品質の条件とか、スキル発動までの条件は高め。
しかし、その条件さえクリアできれば、どんな物でも黄金に変換することができるという、夢のようなスキル。
このスキルが目当てで、多くの雪犬人族が連れ去られたり、殺されてしまったりした過去があるため、それ以降、門外不出のスキルとなっている。
お気づきの方もいらっしゃると思いますが、ルンペルシュティルツヒェンが元ネタで、それをアレンジしたスキルです。
剣術とか、魔術とか、そういうスキルも好きですが、ファンタジーなお話を元ネタにしたスキルも良いなと思っています。




