3.他人の優しさ
祖父は、友達とよく旅行に行く。
その時は、孫の私と弟の良を連れて行く。
決して、父と母が一緒に行くことはなかった。
備前焼の工房に陶芸のワークショップを受けに祖父母に連れられてお出かけした日。
よく一緒にいく祖父母の友人たちとその家族が一緒だった。
「永井さんところの跡取りはいいですね」
祖父が昼食のために立ち寄ったさぬきうどん屋の店内で話を切り出し始めた。
永井さんは髪の少なくなった頭に手をおいて、天井を見ながら「そうですね」と気のない返事をした。
「うちのは本当にダメでねぇ」
隣の祖母を見ると、祖母は顔色を変えることなく、頷くこともなく、ただ愛想笑いを顔に張り付けていた。
祖父の父と母に対する愚痴はいつものことだったし、口を挟むと怒る祖父を祖母は良く理解していて、怒られたくない祖母は何も言わないのだ。
「朝は早く起きれないし、仕事をしている従業員を横目に、洗濯物を干しに家にすぐに戻ったり、ご飯を作らせても時間がかかるし、仕事も家事も出来ん、、、婿は婿で外回りに出て、帰ってこん。一体外で何をしょうることやら、、、」
永井さんの奥さんが皺の刻まれた目で私達兄弟をちらりと見た。
同情の色が見える。
私はその同情に触れるのが嫌でそっと目を伏せた。
食べていたうどんを一気に胃の中に流しこんで良をみる。
良も一生懸命に食べていた。
あまり噛まずに飲みこんだうどんが繋がっていたようで、良が激しくむせた。
4年生の良は、むせる時もしっかりと下を向き、絶対に他に飛沫が飛ばないようにせき込む。
その姿に背中をさする。
祖父の声も聞こえない。
永井さんの奥さんが「大丈夫?」と背中を撫でてくれる。
おばあちゃんは?
私は永井の奥さんにお礼を言いながら祖母をみる。祖父に「良は大丈夫です。お行儀のいい子ですから、誰にも迷惑はかけてませんよ」と一生懸命に「良はいい子」を繰り返していた。
それよりもこっちに来て良の背中を撫でてやってくれたらいいのにと思いながら、それをしてくれない祖母と私と一緒に背中を撫でてくれる永井の奥さんにたまらない感情が渦巻く。
祖母に対する不満。
永井さんの奥さんは優しくしてくれるのに、私の気持ちも良の気持ちも考えてくれるのに、なんで身内はこんなに遠いところにいるんだろう。
よく分からない嫉妬みたいな感情が永井の奥さんに湧いてくる。
優しくされて、「ありがとう」と素直に思えればいいのになんて捻くれてるんだろ。
私は「かわいそうな子じゃない」そんな思いがムクムクと湧き上がる。
私は永井の奥さんの皺の刻まれた手の下に自分の手を入れ良の背中を撫でる手を拒否した。
つっけんどんに「良の咳もおさまってきたし、大丈夫です」と彼女を拒絶した。
そんな私に彼女は全てわかっているかのように、怒りもせず、少し唇の端を持ち上げて、「そうね、困った時はお互い様だから、気にしないで」と優しい声で返される。
何故だか、目頭が熱くなりかけて、私は何度も瞬きを繰り返した。
良が体を持ち上げて、私を見る。
「お姉ちゃん、もう大丈夫。ごめんね」
そして、永井さんの奥さんの方を向いて笑顔でお礼を言う。
「ありがとうございます。大丈夫です」
柔らかい顔で嫌みがない。
素直に彼女の手が嬉しかったのだと伝わってくる。
良は本当に賢くて素直で優しいいい子だ。
私は自分が嫌になる。
人の好意も素直に受け取れない自分に。
良が落ち着いたのを見て、下品な笑いを張り付けて祖父が永井さんと奥さんにお礼を言う。
「ありがとうございます。親がちゃんと躾が出来ないからねぇ。上手に食べれないんですよ。本当に申し訳ない」
お礼なんかじゃなかった。
どんなことも父母をディスるために使われるのだ。
家で父母を相手にこのやり取りはよく行われる。
私や良が怒られるようなことを言ったりしたりすると、全て父母のせいにされて、チクチクと父母にお説教をするのだ。
だから、私も良も「いい子」でいるように努めた。
それなのに、こんな、他所の人にまで、赤の他人にまでこんな風に父母を貶めて話をされるなんて、、、
私も良も項垂れてしまう。
永井さんの奥さんが私達兄弟の頭をゆっくりと撫でた。
彼女の手は温かい。
「お言葉ですが、二人ともとってもいい子ですよ。こんないい子に育てておられるあなたの娘さんとお婿さんはとっても素敵な親御さんなんでしょうね。この二人を見てれば分かりますよ」
私は思わず泣いてしまった。
流れた涙を隠すために下を向いて、「トイレに行きたくなったので行ってきます」と言いおいて席を立った。