2.家の中が息苦しい
スイミングスクールから帰ると8時45分だ。
スイミングスクールが始まる6時30分に間に合うように5時30分くらいにおにぎりを食べて、6時には家をでる。その頃にはもう祖父は食卓についていた。
約3時間、祖父はまだ食卓に居る。
いつもだけど、お酒も飲んで酔っている。
祖父の目の前には父が座ってお酒を飲んでいた。
スイミングのある時は、いつもお酒を我慢して私の迎えを優先してくれる父なのに、なにかあったのかもしれないなって思っていると、珍しく祖父が父にお酒をすすめたらしい。
私は二人に声をかける。
「ただいま」
ことさらに大きな声で、お腹すいたと訴えて、母にご飯をついでもらった。
母が無表情に私のために取り分けてあったおかずを出してくれる。
そんな私を見て、祖父が「まり、スイミングよく頑張っとるな。大会はあるんか」と聞いてくる。
今は5月。
大会は7月からはじまるものが多い。
あまり、大会に興味のない私は良く知らなくて、なんて答えようか考えてると母が口を出してきた。
「おじいさん、水泳の大会は夏が多くて7月くらいから8月くらいにあります」
母が口を出して、父がうなずく。
祖父は、母には向かず、私に向かって、「頑張りなさい」といって、自分の目の前にあったまだ半分ほど液体の残っているグラスを持って立ち上がった。
祖父は何も言わず私たちに背を向けリビングに向かって歩き出す。
誰も何も言わない。
祖父がキッチンの扉を閉めるまで、シンとした時間が流れる。
扉が閉まると同時に私が口を開く。
「おじいちゃん、今日は機嫌がいいね」
父と母は顔を見合わせて、苦笑した。
先に口を開いたのは父だった。
「そうだね。私にお酒をすすめて来られるくらいには機嫌が良かったよ」
そう笑ったけど、母の目は笑っていなかった。
「いつもより他に対する悪口が多かっただけよ。なんで、あんなことしか言えないのかしら」
母の言葉から察するに、近所の人とのトラブルで、父母へのお小言が少し減ったらしい。
毎日3時間うんざりするほど、祖父の小言とお説教を聞いている父と母を私は尊敬している。
祖父と入れ替わりで祖母がキッチンに入ってきた。
「まり、お帰り。疲れただろ、しっかりご飯食べて早く寝よう」
私は祖母が大好きだ。
家の中はいつも祖父と母の鋭い視線で息切れがする。
二人そろう食卓は地獄だと思う。
その地獄に優しい風を入れてくれる祖母が大好きだ。
「おばあちゃん、ただいま。今ご飯食べてる」
9時になるとテレビがつけられる。
祖母はテレビを気にしながら、父と母に「おじいさんの機嫌が今日はいいね」と声をかけた。
母は視線に力をこめて「でも、おばあさんは今日も食後にすぐにリビングに行ったでしょう」と祖父のお小言とお説教から逃げるように食卓を後にする祖母を責める。
祖父母は母の両親で、父は婿養子だ。
そのためか、いつも祖父母への反論は母がする。
母をなだめるのが父だ。
ただ、なだめるのは祖父との言い合いになった時だけだから、今回はなだめたりしない。
父は我関せずな顔をして、テレビを見ている。
「お母さん、まぁいいじゃん。おばあちゃんお風呂入ったら」
私は母をなだめ、祖母にお風呂に入るように言ってみる。
「まりは入らないのかい」そう聞かれて、最近一人でお風呂に入るようになった私は後でゆっくり入りたいなと答える。
私の答えに嫌な顔をしたのは母だ。
「もう時間が遅いからゆっくり入られたらお父さんとお母さんが入る時間がおそくなるでしょ!おばあさんも早くお風呂入ってちょうだい。りょうも一緒に入れてよ」
弟のりょうは今リビングとは別の畳のお部屋でテレビを見ているはずだ。
最近まで一緒に入ってたけど、6年生になって、祖母と弟と入っていたお風呂に1人で入ることにしたのだ。
弟の良はまだ祖母と入っている。
弟もおばあちゃんっ子なのだ。
祖母は、母を少し見て、リビングに続く扉に向かって歩き出した。
「良を誘ってお風呂に入ってくるわ」
祖母の丸まった背中を見ながら私が「うん」と声に出して答えた。
祖母がキッチンを出るとテレビの音しかしなくなる。
テレビを見ながら夕食を食べる。
白いご飯とナスの炒め煮と冷奴とお刺身と南蛮漬けだ。
私はあまり南蛮漬けが好きではなくて、急いで食べ切る。
私の家はご飯を残すことをみんなが嫌がる。
祖父母も父母も、だ。
だから、嫌いものでも食べる。
絶対に食べなくちゃダメだから、好きなものを最後に残しておく習慣ができた。
だって、幸せな気持ちで食事は終わりたい。
祖父のお小言で環境は最悪だけど、母の料理は美味しくて大好きだ。
勿論、メニューは祖父に合わせてあるから、学校やスイミングで聞くメニューではない。友達がオムライスやスパゲッティを食べたと聞くと非常に羨ましくなる。
うちの食卓はそんな子供が喜ぶようなものは出てこない。それでも母の手作りの料理はとても美味しいと思うから、白いご飯とナスの炒め煮で幸せを感じることができるのだ。
つらつらとテレビを見ながら幸せを噛みしめながら食べてると母が洗い物をしながらため息混じりに呟く。
「テレビ見ながら食べたら味なんてわかんないでしょ」
決して大きな声ではなくて、怒ってるわけじゃないこともわかる。
ただ、私を非難してるというだけだ。
でも、非難されたと感じた私は心臓がキュッとした。
慌てて、母に向かって
「テレビは見てるけど、美味しいよ。ちゃんと味わってるよ」と答えを求められてる訳でもないのに焦った声で答える。
母は私に視線をむけて、ため息を一つ。
それから、ゆっくりと口を動かして「そうなの?美味しいの、良かったわ」とたいして嬉しそうでもなく、無表情で返事をする。
私はニッコリと笑って、「うん、お母さんの料理美味しくて好きよ」と元気よく答えながら、ご飯をほおばる。
母は、少しだけ微笑んで、食後のコーヒーを入れ始めた。