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流れ星を探して

作者: life yell
掲載日:2021/09/23

 ふらつく頭とムカつく胸を抱えて、万年床から抜け出した。

 薄汚れたカーテンを開けると、沈みかけた太陽が残りの光を投げかけ、部屋に漂う埃を目立たせた。砂利のひかれた庭の背後には、公道を挟んで、来春まで手が加えられずにいる荒涼とした田畑が広がっていた。

 胸焼けをごまかすために大きく息を吐いた。酒臭い塊が、食道を通って周囲を汚す。窓を開けると、十一月の肌寒い風が迷い込んできて、僕の息を散らしてくれた。

 枕元の目覚まし時計に目をやると、ちょうど四時だった。きっかり十二時間寝たことになるが、酒は抜けきっていない。

 台所へ下りていく。家は静かだった。両親とも、平日のこの時間は仕事で家を開けている。ここに多少なりとも人の気配が戻るには、もう少し時間が必要だった。

 水道水を両手ですくって一杯、二杯と喉をならして飲んでいく。冷たい水道水が、まだ酔っ払っている頭には心地よかった。

 一息つくと、無性に腹が減った。ふと、胃が痛んでいると、体はそれを空腹と誤認してしまうという友人の言葉を思い出した。最後に何かを食べたのは、たしか日付が変わった頃だ。腹が減るだけの時間は十分経っているが、ここのところ連日連夜の深酒だ。空腹と胃痛、どちらも十分ありえそうだった。

 何にしても、今の自分に出来ることは、この空腹を満たす事だけだ。

 冷蔵庫から納豆を取り出すと、冷や飯にのせて一気にかっこんだ。喉が荒れているのか、咀嚼して飲み込むたびに鈍い痛みがはしった。

 コーヒーを淹れて、居間へ移動した。

 本来であれば失業中の身の上、こんな事をしていないで職業安定所へ行くべきなのだろうが、今更向かった所で終業時間をまわってしまう。まさか好き好んで時間外の相談にのってくれる職員はいないだろう。

「仕方がない」

 テレビをつけると、どのチャンネルも通販番組しかやっていなかった。芸能人が愛想良く丁寧に商品の説明をしてくれるが、僕にはあいにくどれも必要のないものばかりだった。

 秋の日のつるべ落としというが、冬の日は何と言えばいいのだろう。遮光カーテンが引かれたように窓の外が暗くなると、夕方のニュース番組が始まった。十一月十七日、今日の出来事が紹介されていく。株も政治も、日々の雑多な出来事も、どれも自分とは関係のないものばかりだ。そこに僕は含まれていない。それを幸か不幸かで言えば、たぶん幸なのだろう。与えられる事もなければ、奪われる事もない。持ちさえしなければ、そこに不幸は生まれないのだ。

「仕方がない」

 テレビを消して部屋に戻った。

 隅に置かれた古臭いノートパソコンを、長い時間かけて立ち上げた。十年前のワードソフトを開くと、四十行四十二文字の無地の世界が画面いっぱいに表示された。それは無限に広がる小宇宙だ、人によってはそこで創造主になれる。

 飛蚊症なので、顕微鏡で拡大された藻のような物が、画面の上を元気に飛び跳ねる。もう小さい頃からの付き合いなので、慣れてはいるのだが、それでも見はじめのこの瞬間だけは鬱陶しい。

 そんな飛蚊症に比べると、僕の頭は元気がなかった。画面同様に無地の世界が広がっている。しかし残念なことに、そこは小宇宙ではなく、性質の悪い箱庭だった。それでも何か書くものはないかと無理やり探してみるが、出てくるものは意味のない言葉の切れ端ばかりだった。

『緋色、天気が悪い、くすんだ壁、薄暗い部屋、チョコレートの空き箱』

 浮かんだものを片っ端から書き込んでいく。

『五分の一ほど残ったウィスキーの酒瓶、グレンマレイ、薄汚れたコップ、プラモの箱、散らばったランナー、読みかけの文庫、表紙がなくなった単行本、汚い字が書き込まれている手帳、人殺し』

 人殺し、そういえば最近はそんな話ばかり書いている。それ以外の話を最後に書いたのは何時だっただろうか。そう考えると自分の頭の中で演じてくれている人たちが可哀相になってきたので、たまには明るい話を書いてみようと思った。

『主人公は思い切りイケメンであり頭脳明晰スポーツ万能、女が自然に寄ってくる素敵オーラを常時発している。入社三年目で一流企業の出世頭で、人望も同期から先輩、後輩、はたまた部長や専務、社長や会長まで幅広く厚い。趣味はスケボーにしよう。僕がどんなに頑張っても出来なかった技も軽々こなす。ステアー(階段)なんて十段だろうが二十段だろうが平気でトレフリップアウトをする。大会に出ればその他のスケーターを寄せ付けない圧倒的な実力で優勝。話の筋は知り合った女の子たちの悩みを解決していくのはどうだろう。ご都合主義という名の神技的手腕で悩みを解決された女の子たちは、一人の例外もなく主人公に惚れぬく。しかし主人公は手を出さない。何故なら、密かに憧れている年上の幼馴染がいるからだ。二人の関係は煮え切らない。そこで色んな人間がハートフルに二人の関係を打開しようと』

 そこまで書いてワードソフトを閉じた。親切なパソコンは保存しますかと尋ねてきたが、それは大きなお世話である。

 もう一度開きなおす。

 最近読んだ小説を思い出してみるが、どれも下地に使えそうなものはなかった。決して優れていないから、とういう訳ではなく、崇高過ぎて僕の手にはおえないのだ。かといって思いつくものは何もない。

「仕方がない」

 三十分ほど悩んだあと、パソコンの電源を落とした。

 読みかけの文庫本を手にとり、万年床に寝転がった。汗とダニと石鹸が混ざりあった臭いに包まれながら、ページを捲っていく。ちょうど兄貴が上の兄貴を騙り、落ち込む妹を電話で励ますシーンに立ち会った。しばらく話した後、妹は相手の正体に気づいて抗議をするが、それでも兄貴は負けない。彼を薄情な奴だと思っていたばかりに、なかなか感動的な場面だった。場面だったのだ、『ふとっちょのオバサマ』という言葉が登場するまでは……

 その後の展開はまったく理解できなかった。何故それで二人が救われるのか、いくら考えても答えが何も浮かんでこない。これは宗教的価値観が違いすぎる結果から起こることなのか、それとも単純に僕の頭がポンコツ過ぎる結果から起こることなのか。考えるまでもない、答えは当然後者だ。自分でも頭の悪さは自覚している。きっと世間一般の人間はこれを理解できるのだろう、理解できない僕が異常なのだ。

「仕方がない」

 今更薄馬鹿なのを嘆いたところで始まらない。それに理解できたところで、どうせ面白いか詰まらないかぐらいの感想しか言えないのだ。分からなくたって問題なかろう。

 文庫本を放り投げると、少し早いが飲み始めてしまおうかと、酒瓶に手を伸ばした。コルクの栓をぬくと、白ワイン樽で熟成されるため、他のウィスキーと比べてフルーティーで爽やかな香りがあたりに広がった。

 普段なら安らぎを与えてくれるはずの香りなのだが、今日は違った。

 急な吐き気に襲われ、蓋をすると急いで窓を開けて換気した。

 大きく、ゆっくり、何ども深呼吸することで、じょじょに気分は落ちついていった。

 危うく先ほど食べた物を布団の上にぶちまけるところだった。七年ほど仲良くやってきたはずの酒も、ここに来て反抗期のようだ。

 そのまま庭を眺めていると、軽自動車と、それを追いかけるようにオンボロのクラウンが入ってきた。両親の運転する車だ。職場はそれぞれ違うのだが、帰宅の時間はいつも重なる。

 部屋からもれる明かりを頼りに、車から出てくる二人を眺めていると、父親が僕に向かってただいまと手を振った。何がおかしいのか、母親はそんな父親を眺めて笑っている。

 気恥ずかしかったが、僕はおかえりと答えて手をふってやった。

 先ほどまでの静けさは身を潜め、階下が活気づく。

 台所から夕飯を作る音に混じって、母親の鼻歌が聞こえてくる。曲目はよくテレビの懐メロ特集で流れてくる前世紀のアイドルの歌だ。若かりし頃に憧れていたらしい。

 居間からはテレビの音に混じって父親の笑い声が聞こえてくる。六十近い父親は、今でも若者向けのバラエティ番組が大好きだ。本人曰く、若さの秘訣だというのだが、その秘訣も日々の不摂生により蓄えられた脂肪には効果がないらしい。

 クシャミをし、身震い一つ、窓を閉めた。十一月の夜風はやはり寒い。冷えた体を温めようと、もういちど酒瓶に手を伸ばしてみたが、結果は同じだった。

 小説を書く気が起きない、本を読む気も起きない、おまけに酒まで飲めないとなると、いよいよやる事がない。

 ここに居ても仕方がないので、たまには外出しようかと思い立った。考えてみれば、一週間も家から出ていない。さすがの僕でもこんな生活が心配になってきた所だ。それに酒のストックも切れ掛かっているし、先々月に応募した新人賞の一次選考結果が発表されたはずである。インターネットも通ってないので家では確認もできないのだ。

 色々と、外出するのにはいい機会だった。

 身支度を整えるために洗面所へ移動した。鏡に映る血色の悪い顔には、髭が頬一面に張り付いていた。とても自分の物とは思えなかった。類人猿の類だと思ったほうが納得いく。もう少し彫りが深ければロシアの文豪だと言い張れなくもなさそうだったが、典型的なアジアンな自分にはそれは無理な相談だった。

 無様な姿に落ち込みつつも、髭を剃っていく。長らく剃られていなかったせいか、肌の調子はよかった。剃刀で撫でるたびに、青白い肌がお目見えする。

 最後に洗顔料で残ったシェービングクリームを落すと、やっと人に戻れたような気がした。それどころか、二十代も後半に差し掛かった肌だが、なかなかどうして、艶のある肌をしているではないか。調子にのって眉毛も整えてみた。左右非対称になり、両方とも薄くなりすぎてしまった。

 口に手を当て、自分の息をかいでみた。ほんの少しアルコールの臭いが残っているが、この程度なら大丈夫だろう。

  履き古したジーンズに、オーバーサイズのダウンジャケットを羽織った。どうせ脱がないので、インナーは適当だ。

 居間でビールを飲んでいた父親に、車を貸してくれと頼むと、快く承諾され鍵を渡された。

「引きこもってばかりじゃ体に毒だぞ。そうやってたまには外へ出ないとな。帰りがけにガソリンを入れてきたところだから、好きなだけのれ。楽しんで来いよ」

 明るい口調とは裏腹に、父親の表情はどこか曇っていた。流しで洗い物をしながら、こちらの様子を伺っている母親と目があうと、ぎこちない笑顔を作ってよこした。

 二人の気持ちは分からなくはない。半年前にいきなり息子が失業して実家に戻ってきた。ちゃんと職業安定所へ足を運んでいたのは始めの一月だけで、そこから疎らになりはじめ、最近では部屋に引きこもって酒浸りの毎日だ。真面目だけが取り柄の親としてはどうやって接してやればいいのか分らないのだろう。少なくとも自分が同じ立場ならそうなる。もちろん息子はいい大人なのだから、追い出すという選択もあるだろうが、昔から気の弱い両親だ、なかなかその心境に辿り着けないのだろう。

 クラウンに鍵を差し込み捻ると、老人が咳き込んだような排気音をたてながら、エンジンが回り始めた。走り出してみても、どこか苦しそうだった。

 ハイライトで照らされる道は、痛んだ路面を目立たせていた。左右の薄ら寂しい田畑のせいで、余計にその趣を際立たせていた。

 ラジオをつけると、社会学者と名乗る人物が日々の出来事に対して延々文句をいっていた。分析という名のもとに事態をどこまでも切り取り細分化し、過去のお偉い先生の言葉で圧縮し、最後は一般論で片付けてしまう。それを淀みなく捲し立てるのだから、なかなか聞きごたえのある話術だった。そこにあえて難癖を付けるとすれば、解決策が提示されないという点だろう。批判はどこまでいっても批判だ、決してそれ以上にはなりえない。

 うんざりした僕はCDプレーヤーに切り替えると、父親がよく聞いている古臭い洋楽が流れ始めた。僕の拙い英語力では、雨の日と月曜日はいつも憂鬱という歌詞が辛うじて聞き取れるぐらいだった。

 時刻は八時前、時間を考え、まずは行きつけのスーパーへ向かった。田舎なので閉店が早いのだ。

 蛍の光が流れる少ない店内を、迷わず酒売り場へ特攻し、ビール一箱とウィスキーを三本抱えてレジへ向かう。肴は買わない、食いながら飲むといった習慣がないのだ。

 さすがに結構な重さだった。レジへ向かう途中で危うく落としそうになったが、どこからか店員が飛んできて、手伝ってくれた。

 インターネットが使える環境はと考え、次の目的地は漫画喫茶に決めた。

 ふと、車を走らせながら預金残高が気になった。普段はカード払いばかりで、預金残高をしばらく確認していなかった。半年もこんな生活をしているのだ、ただでさえ寂しかった金額は、より寂しいものになっているだろう。

 コンビニへよろうかとも考えたが、結局止めることにした。確認したところで何にもならないと気付いたからだ。確認したら預金が増えるというのならば喜んで赴くところだが、どうせ増えるのは不安だけだろう。

 二十分ほど運転して漫画喫茶に到着した。平日の夜にも関わらず、車で駐車場は溢れていた。田舎なので、夜に遊ぶにはここしかないのだ、僕が大学生の頃と変わらない。

 生真面目そうな店員に進められるまま、三時間で千円というコースで手続きをすませると、唯一空いていたトイレの脇の個室を借りた。移動する途中でアメリカンコーヒーを淹れて漫画を数冊借りた。

 見るからに安いソファーに腰を埋めると、コーヒーを一口啜ってみた。コーヒーとは名ばかりの、人工的な臭いの液体が、苦味とえぐ味と渋味を混ぜ合わせて口の中に広がった、とでも何かに書くなら表記しなければいけない代物なのだろうが、馬鹿舌の僕には何ら変哲のないコーヒーだった。普段から飲みなれている物と変わらない。

 落ち着いたところで、長い時間かけてパソコンを立ち上げた。デスクトップであり、僕の使っているおんぼろノートよりも数段スペックは上のはずなのに、こちらは更に時間が掛かる。

 借りてきた漫画を半分ほど読んだところで、色とりどりのアイコンが画面に表示された。ブラウザのアイコン以外、僕には何のためにあるのか分からなかった。

 当初の予定はひとまず置いておいて、ホームページや掲示板を巡り、好きな作家やシリーズ物の新刊情報をチェックしていった。胸ポケットから手帳を取り出し、目ぼしい情報をメモした。

 時間なら沢山あるのだ。最初に一次通過を確認してしまうと、その後にやる事がなくなってしまう。お楽しみは最後までとって置くべきだ。しかしそう思っていても、気を抜くと応募した出版社のホームページを開こうとしてしまう。その度に、焦るなと自分に言い聞かせてブラウザを閉じた。

 時間なら沢山ある、僕には時間だけなら沢山あるのだ、まだ早い。

 漫画の続きを読み始める。一巻、二巻と目を通していくが、一向に内容が頭に入ってこない。それでも読み続けていくが、三巻目に入ったところで漫画を投げ出した。 

 冷めたコーヒーを一気に飲み干す。後味の悪さだけが残った。

 時間を確認すると、退席時間まで二時間以上も残っていた。

 溜息が出た。自分の性格を考えれば、こうなることは最初から分かっていたではないか。とても我慢できる性分ではない。三時間パックで入った事を後悔した。

 ファンシーな色使いを基調とした背景に、露出の多い服装の女の子達が並んでいた。一人ひとりが文庫の表紙に使われているらしく、その下には仰々しいタイトルが踊っていた。僕はこの中の一つに加えて貰うために頑張ったのだ。受賞し、ここに自分の作品が並んだところを想像すると、嬉しいような、恥ずかしいような、不思議な気がした。しかし、決して嫌ではない。

 彼女らの威勢に押されるように、端の方で小さくなっている○○新人賞というバナーを押す。

 否応なしに僕の胸は高鳴った。大丈夫だ、落ち着け。まあ受賞は無理かもしれないが、最悪でも一次は通っているはずだ。文章になっていれば通るとどこかで聞いた、それぐらいは書けているはずだと、適当に自分に言い聞かせても何の効果もなかった。こういう時に自分の気の小ささが身にしみた。

 今度は元気そうな女の子が一人で新人賞の募集をしていた。女の子にかぶり、赤い文字で表示された、応募者に対する叱咤激励の文字が目にしみる。

 さらに一次通過者発表の文字を探すと、募集要項の上に見つかった。

 今では痛いぐらいに胸が高鳴っている。

 落ち着こうと深呼吸をすると、尿意を感じた。

 トイレへ行くには絶好の位置だ。備え付けのスリッパを履いて駆け込む。膀胱に貯まったものを排出しながら、何次までいけるかと考えた。

 あらためてパソコンの前に座り直す。ソファーに埋まる尻の位置が気に入らず、なんども調整してみるが、なかなかしっくり来ない。

 やっとそれにも満足すると、飲み物が無い事に気が付いた。

 席を立ち、今度はキリマンジャロコーヒーを淹れ戻ってきた。一口飲んでみるが、アメリカンとの違いは分からない。そのまま飲み干してしまい、もう一度取りに戻る羽目になった。

 戻ってくると漫画を数ページ捲るが、内容は頭に入ってこない。

 やはり、逃げては駄目か。

 頭をふって覚悟を決める。また高鳴だす胸を押さえて、画面に向き直った。マウスを動かし、蛍光色の魚が泳ぎまわるスクリーンセイバーを解除する。

 応募総数五百の下に並ぶ刺激的なタイトルの中を、自分の名前を探してさ迷い歩く。上から下まで見て、二度見て、三度見て、念のためにもう一度確認してみたが、表示された画面が変わることはなかった。

 ゆっくり息を吐いて、結果をかみ締める。

 自分の名前は、どこにもなかった。

「仕方がない」

 殆ど口を動かさずに呟いた。

 先ほどまでの騒ぎは何処へ行ったのか、不思議と胸は痛まなかった。ただ、仕方がない、自分の実力はこんなものか、という思いが広がっただけだった。それは何かに似ていた。そう、半年前に会社を辞めた時に感じたものだ。

 勤めている時は、失業してしまった時のことを考えただけで不安で胸が痛んだものだが、いざなってみると大して動揺もせず、あっさり受け入れている自分に驚いたものだ。あの時も今と同様、仕方がない、という思いが広がっただけだ。

 それに、受賞だなんだと考えながらも、こんな事は半ば自分でも分かっていたのかもしれない。昔から文章を書くことが苦手で、作文はいつも残らされ、小論文はいくら教わっても書けるようにならなくて、大学のレポートは友達の物を写させてもらい何とかしのいでいた。そんな僕が、人からお金を出して呼んでもらえる小説をける筈がないのだ。何を根拠に自信があったのか、自分でも理解に苦しむ。自惚れもいいところだ。

 さて、どうするか。

 まだまだ時間はある、僕には時間だけは、いくらでもある。

 ニュースサイトを流し読みしていく。沢山の情報が溢れかえっているのに、ここでも自分と関係のあるものはなかった。

 誰かと話したくなった。しかし、それは無理な相談だった。携帯電話を持っていないのだ。

 帰郷してからすぐに、今年の頭まで付き合っていた女から励ましのメールが届いた。その当たり障りのない内容が頭にきて、携帯電話を壊してしてしまった。そのまま修理にはさず、解約をしてしまった。

 あの時は自分から僕をふっておいて、そういったメールを送れる彼女の神経が不思議で仕方がなかった。しかし、頭の冷えた今考えてみれば、純粋に僕のことを心配してくれたのだろう。細やかな気遣いを忘れたことのない子だったのだ。なんでもない事で腹を立てた僕が馬鹿だった。

 彼女と話したいと思った。好きだったぬいぐるみのことや、いつも飲んでいたハーブティのことや、何ども読んでいた小説のことや、そういった日々の雑多なことを、なんでもいい、思いつく限りなんでもいいから話したい。彼女が駄目なら大学時代の友人でもいい、高校時代に大喧嘩してそれ以来疎遠になった悪友でもいい、結婚して遠くへ引っ越した初恋相手でもいい、何だったら毎日皮肉を投げつけてきた血色の悪い上司でもいい、とにかく誰でもいいから何か話しがしたかった。

「仕方がない」

 そう思っても無理なものは無理なのだ、分別がつかない年齢でもなかろう。

 何かを期待しながらニュースサイトの更新をしていく。流れていく新しいニュースを見ていると、新聞の活字がゴキブリに見え出して自殺をする男の小説を思い出した。しかし僕には画面の活字がゴキブリに見えてはくれない。

 それでも漫然と眺めていると、ある記事に目が止まった。しし座流星群に関するものだ。今年の極大は今日(正確には明日)の午前二時半だという。記事には十二年前の大出現の様子が記され、最後は期待のこもった言葉で締めくくられていた。

 十二年、と簡単に書いてくれるが、随分と膨大な時間だ。干支だったら一回りする。赤子だったら生意気な子供なる。子供だったら悩み多き青年になる。青年だったら多忙な社会人になる。社会人だったら落ち着いた一人前になる。電話回線から光回線へ、メガからテラへ、喋る事しか能のない携帯電話から多機能なスマートフォンへ。

 時代は移り変わる。何かを成し遂げようと努力をし、報われるには十分な時間だ。

 その間、僕は何をしてきただろうか。探してみても、目に付くものは漫画喫茶の安物の品々ばかりだった。

「仕方がない」

 帰ろうか。

 申し訳程度の囲いを開けると、学生と思しき青年達が笑いあいながらトイレに入っていくところだった。

 受付の店員は女の子に代わっていた。髪を刺激的な色合いに染めているが、愛嬌のある可愛い顔をしていた。

 お金を払うついでに話しかけてみた。盛り上がらぬ会話で十分ほど粘ってみると、あからさまにこいつ面倒くせーなという空気を出してきたので、大人のマナーにもとづいて引き上げることにした。

 オンボロクラウンを急き立て、街道にでる。

 運転しながら十二年前の流星群のことを考えた。あの頃はまだ十四歳で、知恵も分別もたらなくて、何もかもないけど何もかもがあった。これから欲しい物は何でも手に入ると思っていたし、何者にもなられると思っていた。自宅と学校と町のほんの少しが世界の全てで、人生の夢も希望も何もかも見つけられると信じていた。目の前には明るい道がどこまでも続いていた。少なくとも、僕には続いていると思えた。

 あの日は、気もちよく寝ていたところを、祖父母に無理やり起こされたのだった。寝ぼけた頭で時刻を確認すると二時過ぎで、僕は悪態をついた。二人は気にする様子もなく、早く着替えろと言い残し、部屋を出ていった。無視してもう一度寝直そうとするが、外から祖父の大声が邪魔をする。仕方なくパジャマにジャンパーだけ羽織って庭に出ると、車に乗せられ近所にある遊水地へ連れて行かれた。そこは後にラムサール条約に登録されるほどの湿地帯が広がる場所だ。先客が溢れかえる人造湖のほとりに、僕達は腰を下ろした。人の声にまじって、静かな波の音が耳に届く。祖父母に何かあるのかと尋ねてみても、楽しみにまっていろとの一点張りで、教えてくれない。

 どれくらい待っただろうか。下半身の寒さに膝を抱え、何も写さない不気味な湖面眺めていると、いきなり歓声が上がった。空を見ろ、と言われ顔を上げると、ちょうど星が流れるところだった。一つ、二つと数はふえていき、最後には星が入ったバケツを夜空に倒したようになった。凄いだろ、といったのは祖父だっただろうか祖母だっただろうか、とにかく僕は流れ星から目を離さずに頷くことしかできなかった。

 スピードを緩め、方向指示器を出す。このままハンドルを左に切れば、自宅は目と鼻の先だ。しかし、そこまでくると帰りたいという気分がなくなっていた。

 Uターンをし、町まで引き返すことにした。

 運転をしていると空腹を感じた。寝起きに食べた納豆がけご飯だけはさすがに足らない。飲食店を探してみると、この時間は牛丼屋しか開いていなかった。

 食券を買い、料理が出来るまで温かい麦茶を啜りつつ、オレンジ色のカウンター席で待った。店の四隅に設置されたスピーカーは、愛だの恋だの飽きることなく歌っていた。

 腹を膨らませ店を出ると、空には雲ひとつない夜空が広がっていた。白い息を吐きながら、星が流れないかとそのまま立ち止まり眺めてみた。しかしまだ時間が早いせいか、空は静かなものだった。

 深夜の徘徊を再開する。

 昔を思い出したせいか、卒業した中学校が無性に懐かしくなり、向かってみることにした。

 夜中だけあって校門は閉ざされていて中には入れないので、路上駐車をして校舎を眺めた。何年か前に外壁を塗り直したらしいが、この暗さでは分からない。静かな夜に佇む姿は、僕が卒業して以来なにも変わっていない。

 そんな校舎は、当時同級生の間でまことしやかに囁かれていた地下道の噂を思い出させた。ここから歩いて三十分ほど行ったところに、線路を横断するための陸橋がある。それは車用なので、歩行者用として地下道が作られていた。そこを深夜に一人で通ると、神隠しにあうというのだ。中学生らしい、つまらない怪談だ。

 神隠しの原因は大きく分けると二つに分類する事ができた。

 一つは誰かに何かをされ説。神様に攫われるといったものから始まり、悪魔に誑かされる、化け物に喰われる、変出者に誘拐されるといったものだ。

 二つ目はどこかに行ってしまうという説。異次元に飲み込まれる、違う世界にいってしまう、未来に飛ばされてしまう、過去に迷いこんでしまうといったものまであった。

 何にしても、神隠しにあった者は、二度と見つからないのだという。何処にでもありそうな、取るに足らない噂だった。それでも昔は信じていて、深夜に近づこうとは思わなかった。もっとも、僕は不良の類ではなかったので、そんな時間に出歩かなかっただけと言われればそれまでなのだが。

 今は深夜の一時過ぎ、一つしかない条件は満たしている。

 いってみようか。

 そう思った時には、ハンドルを切っていた。

 陸橋の傾斜が始まる手前に、横へそれる細い道がある。そこを少し進んだところが、目的の地下道だ。車の進入を防ぐ低い柵を前にして、相変わらず出入り口は口を開けていた。その端には、いまだに買い手がつかず、心無い人たちのゴミ捨て場と化した空き地が残っていた。他に車を止めるところがないので、少しの間借りることにした。

 柵に腰をかけ、等間隔に並んだ電灯から、粉のような光がこぼれる地下道を眺めた。噂など鼻から信じている訳ではないが、さすがにこの時間だ。地下道の醸しだす異様な雰囲気に気圧される。

 意を決し突入する。十メートルほど坂道のあとは、埃だらけの平坦な道が続いた。最後も坂道で終わり、僕の意気込み空しくあっさり通り抜けてしまった。

 視界が開けると、寝静まった町が、陸橋から続く道の両側に広がっていた。

 攫われもしなければ誑かされもされず、喰われもしなければ誘拐もされていない。とにかく、僕は何者にも出会わなかった。

 そうなるともうひとつの説が有力になるのだが、見たところ何の変化も見られない。普通の住宅街だ。異次元も異世界も見たことはないが、こんな平凡な筈はないだろう。よって二つの説は否定されたと考えられる。僕が超常現象にあったと仮定すると、残るは過去か未来かということになるが、贔屓目に見ても未来には希望が抱けないので、出来れば過去の方がありがたい。今からちょうど十二年前がいい、そうすればもう一度あの日の流星群を見ることができる。

 こちらの出入り口の端には、三角形に狭く切り取られた小さな公園が当時のまま残っていた。ベンチとブランコのほかには、街灯と広葉樹が狭苦しそうに身を寄せ合っているだけの寂しいものだ。

 ベンチに腰を下ろし、夜空を見上げた。近くに光源があるので、何等星だかの明るい星が辛うじて伺える程度だった。極大はそろそろのはずだが、星の流れる気配はない。もっとも、光源が近すぎて、流れているのに僕が気付いていないだけかもしれないが。

 自分が今、十二年前に来ていると仮定しようとした。しかし、そう思ったそばから、自虐の言葉が溢れでてきた。いったい何を考えているのか、子供の妄想なら無邪気で許されるだろうが、三十に手が届きそうなオッサンの妄想ではもはや病気だ。祭ならとっくの昔に終わり、魔法ならすっかり解けている時刻だ。

「仕方がない」

 今日だけで何度口から漏れただろうか。仕方がない、仕方がない、仕方がない。

 乱暴に立ち上がると、僕は座っていたベンチを思い切り蹴飛ばした。

 ベンチは少しだけ場所を移しただけで、何でもない様子だったが、僕の方は違った。冬だというのに汗が噴き出し、呼吸が速くなる。遅れるようにやってきた鈍い痛みに、ゆっくりとした動作でしゃがみ込み、いまさら労わるように足を抱え込んだ。寄せては返す波のような痛みが、凪を迎えてくれるまでそのままの姿勢でうずくまっていた。

 大分落ち着いたあと、恐る恐る裾を捲ると、青紫に変色した脛が目に付いた。靴を脱いで、人差し指で足の親指を叩いてみた。脛には響かないので、骨は折れていないだろう。

 立ち上がれるまで痛みがひくと、不貞を働いたベンチに一言謝って座り直した。風が吹くと汗のせいで寒さが芯までこたえた。ダウンジャケットのファスナーを目いっぱい上げてみたが、効果はあまりなかった。

「仕方がない」

 そう、仕方がない。僕は何をやっても仕方がない。何をやっても成し遂げられず、何をやっても成果が得られず。そして最後は碌なことにならない。しかし今更どうすることも出来ない。生まれ持った性質、そういう星のもとに僕は生まれたのだ。どうする事も出来ない。

「仕方がない、仕方がないと自分に言い聞かせて、日々の不甲斐なさを受け入れる。そうやって、何もかも放棄して、達観したように浸る事が、大人のやるべき事なのか」

 それでもプライドからか、頭に浮かんだ言葉を口にしてみたが、公園の中で虚ろに響いて、空しく消えていった。

 腹の底から笑いがこみ上げてきた。自分に向けられたものだ。最初は小さく、じょじょに大きく、最後は腹を抱える格好になった。声を上げるたびに足に響いて痛いのだが、それでも止めることが出来なかった。

 何と馬鹿で、何との臭くて、何と支離滅裂なのだろう。自分に酔っぱらうにしても限度がある。まがいなりにも小説を書こうとしているのだから、もっとましな言葉は出てこなかったのか。そう思えるようになったのは、腹筋が釣りそうなほど笑い転げたあとだった。

 気分が良かった、愉快だった。愉快ついでに、ここが十二年前だと仮定するのではなく信じてみることにした。病気だろうが何だろうが構わない。それでもう一と笑いしようではないか。

 さて、信じるには証拠が必要だが、当然そんなものはない。しかしそれと同時に、ここが二千十三年だという証拠も、同様に無い。大事なのは僕が信じることだ。そうするだけで、ここが二千一年にも二千十三年にもなるのだ。認識が全てを変えるのだ。二足す二は五にもなるのだ。

 折角なので噂に与太話をつけ足してみようと思った。嘘に嘘を塗り固めるだけだ、別に問題はないだろう。

 さて、地下道は時間だけではなく場所も越える。

 夜空を見上げる。相変わらず星は流れないが、心の目で見るのだ。

 ほら、星が流れ始めた。一つ、二つ、どんどん増えていき流星群の名に恥じない星の大洪水だ。歓声が上がり、風に乗って人造湖の波音が聞こえてくる。僕の両隣には今は亡き祖父母がいて、凄いだろ、の声。その時、火球が強い光を放って落ち、今日一番の歓声が上がった。上がったのだ。

 目をとじて、開けると流星群を始め、何もかも消えていた。

 頬に熱いものが伝わる。

 星の代わりに、涙が流れ始めたのだ。

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